前線から離脱したスキズブラズニルだが、その艦内ではいまだ激しい戦いが繰り広げられていた。
「バケツをリレーしてチマチマ回復する暇なんかないぞ!3番バルブを開放しろーっ!ドック全体を高速修復材で満たすんだ」
「兎に角入渠が先決だ、艤装は後で修理すればいい!そのまま放り込め‼︎」
「修復用の資材をじゃんじゃん持ってこい!あのハゲのヘソクリも全部だ‼︎」
「食料班、お粥第一便お届けに参りましたー!」
「よし、食えるやつから食わせろ。食えないやつには点滴で油を注してやれ!」
スキズブラズニルに収容され、デュアルクレイターから降ろされた艦娘達はそのまま高速修復材で満たされたドックの中へと放り込まれた。
本来ならば、「風呂」と俗に呼ばれる専用の入渠施設にて艦娘達の治療が行われるのだが、今回は収容した人数と何よりも早期治療の必要性から収容ドックそのものを利用して簡易的な入渠施設として艦娘達の治療に全力が当てられていた。
艦娘達がドックの中で回復に努めている間にも、スキズブラズニルの妖精さん達が忙しなく動き回り様々な作業を行なっていく。
最もその忙しさの半分の理由は、本来の入渠施設で無い為余計に資材を消費してしまうのが一つともう一つの戦場では自分達がまるで役に立たないからであった。
そのもう一つの戦場であるスキズブラズニル内の集中治療室では、運び込まれた重傷者の懸命な治療が続けられていた。
「痛い、痛い〜っ⁉︎」
「誰か、顔の包帯を取ってくれ…目が見えない」
「母さん、寒いよ…母さん…」
先にスキズブラズニルに収容された救命艇から降ろされた海軍将兵達は、全員が全員大幅に衰弱し危険な領域にあり、直ぐにスキズブラズニル内に設けられた治療施設へと運ばれていた。
特に火傷や長時間海水に浸かった事による低体温症は命に関わり、その治療に多くの人出を必要としたが此処で問題が発生した。
現在スキズブラズニルにおいて、人間のしかも重傷者に対する治療が可能な人材が極めて少ないと言う問題であった。
元々巨大ドック艦スキズブラズニルは、小鎮守府とでも言うべき機能と施設を有していたが、その大部分の人材は艦船や艦娘そしてスキズブラズニル本体に関わる所謂技術者系の妖精さん達で占められている。
つまり、スキズブラズニルは人間を治療する施設はあっても、それを実際に動かす事が可能な「医者」と言う存在が決定的に不足していたのだ。
ではどうするかと言っても、妖精さん達にはその解決方法は無く、兎に角彼らは限られた人材の中で出来るだけの治療が精一杯であった。
その彼等と海軍将兵の命を救ったのは、意外にもスキズブラズニル本人であった。
「私〜これでも〜医療知識と〜経験〜ありますよ〜?」
といつもの間延びする特徴的な声のスキズブラズニルが、全身を医療服に身を包んで治療室に現れた時、妖精さん達はどういった顔をしたら良いか分からなかった。
だが、実際に医療妖精さん達と共に治療を始めた彼女の手際はプロと比べても全く遜色ないものであり、彼等を驚かせた。
意外かもしれないがこのスキズブラズニル、元の世界では一年で世界中の海を駆け巡りながら反ウィルキア帝国の一翼を担い、各地の戦場で活躍した実績がある。
特に帝国のクーデターで国土を失ったウィルキア王国の最後の砦として、艦船の修理や建造だけでなく、軍事技術の研究や実質的な参謀本部として実に様々な機能を増やしていった。
その中でも、特に重視されたのが医療施設である。
ドック艦としては意外かもしれないが、最終的に海に浮かぶ移動要塞と言われるほど訳のわからない拡充を続けた結果、今更と言う話もあるがこれがウィルキア王国反撃の原動力となったのは間違いない。
何故なら、ウィルキア王国はその人材の大半を帝国に奪われ、必然残る数少ない人材の消耗を抑制しつつ戦う必要があった。
つまり、戦死や負傷による戦力低下を抑えつつ残った人材を限界まで酷使し続けると言う曲芸じみた芸当を戦争中常に要求されたのだ。
それは戦争後半の帝国からの投降した将兵を吸収してからも変わらず、寧ろ消耗抑制と少数精鋭主義の傾向を強める一因となって行った。
何故なら投降した大半の将兵は直ぐには使い物にもならないし、元は自国民とは言え帝国側についた裏切り者達と見られたからだ。
でなければ、あの戦争で救国の英雄となった一人の艦長が、常に孤独に単独で戦い続けなければならなかった理由など他に無い。
そんな訳で元の船としての記憶と経験を受け継ぐ艦娘としての特徴を持つ故、スキズブラズニルは見た目に反して高度な医療技術によって、多くの将兵達が救われる事となる。
こうして、夜を決しての懸命な治療と修復材作業により、日が昇る頃には何とか艦娘達や海軍将兵達も峠を越し、昨日の夜からずっと作業に追われていた妖精さん達も漸く一息つく事が出来た。
しかし、彼等彼女等が懸命に命を繋ぐ行為をしている隣で、いまだに深海棲艦と海軍との血で血を洗う凄惨な戦いが繰り広げられていた。
「うぎゃっ⁉︎」
ヒキガエルを踏み潰したかの様な声をあげて、一人の艦娘が深海棲艦に腹を潰されながら息絶える。
艦娘一隻、人間の一人たりとも生きて逃すまいと、残党狩りと称し深海棲艦達は最早崩壊した前線の各地で虐殺行為に手を染めた。
ある所では輸送船の残骸から生存者を引きずり出し、わざとボートに乗せてから機銃弾で穴だらけにしたり、生き残った提督を守ろうとする健気な艦娘を、その提督の目の前で引き千切り挙句その死体を身体に括り付けて海に沈めた。
またある所では浮遊する船の残骸の鉄骨に目立つ様に生き残りを磔にし、それを見て助けようとする艦娘を彼等の目の前で沈め、最後に船の残骸に火を放って焼き殺した。
前線であった所のあちこちからは悲鳴や怨嗟の声が木霊し、それが益々深海棲艦の嗜虐心を煽った。
何故、こうまで深海棲艦のモラルが崩壊したかには訳がある。
飛行場姫が深海棲艦を牛耳って以降、主だった艦船型深海棲艦は迫害の対象となっていた。
しかも彼女達を本来抑えるべき旗艦クラスの深海棲艦は、その大半が解体という名の処刑によって粛清され、残る深海棲艦は恐怖と暴力によって押さえつけられていたのだ。
だからこそ、止める者無き戦場において、彼女達は日頃溜まりに溜まった鬱憤を艦娘や人間相手に晴らしていた。
それは当初の作戦の範疇を超え、最早私情を最優先するまでに拡大し誰にも制御不可能となっていた。
その結果起きた大量虐殺だが、彼女達は己が行為の報いを直ぐさま受ける事となる。
南方海域上空、高度3000メートル地点。
夜明けとともに基地から出撃した基地航空隊一式陸攻80機は楔形の陣形を取りながら真っ直ぐ前線へと向かっていた。
『一番機から各機へ、現在高度3000。当初の予定通りこのまま爆撃コースに入る』
『尚繰り返すが前線の部隊は確認した限り既に「撤退」済みだ。繰り返すが当該空域に味方は存在しない』
『各機遠慮はいらない、何かあったとしてもそれは命令した私の責任だ。諸君等は唯己が使命を果たす事に全力を尽くす様に、オーバー』
爆撃コースに入った一式陸攻80機は、弾倉を開けその中には黒光りする巨大な物体が収められていた。
そして定められた爆撃開始地点に来ると、一番機が投下したのを合図に続く後続の機も爆撃を開始する。
高度3000から投下された合計80発もの爆弾は、ぐんぐんと高度を落としそして閃光と共に炸裂した。
一瞬、世界から音が消え次の瞬間には海面を埋め尽くす暴虐的な迄の衝撃波と、灼熱の渦が前線の海を覆った。
爆心地の近くにいた深海棲艦は数千度を超える熱量によって文字通り「溶け落ち」、浮遊していた残骸は分子レベルに至るまで跡形もなく吹き飛ばされた。
爆発によって発生した荒波はあらゆる物を飲み込み、海中に逃れようとしても幾つかの爆弾は水中で爆発する様にセットされており、発生した衝撃波は海中では地上より遥かに伝わり易く、身体や船体を揉みくちゃにされた挙句空き缶を潰す様に圧壊した。
連鎖的に広がる閃光と灼熱と衝撃波は、爆心地から遠く離れた地点にまで及び、敵味方どころか生存者の別なく全てを飲み込んだ。
最後に残ったのは、天高く上がるキノコ雲とそれを遥か後方に見下ろす爆撃機のみであった。
これが、海軍が来たるべき時に備え極秘裏に開発していた『対深海棲艦様気化爆弾』の実戦での初の本格仕様となった。
嘗ての実験において、艦船に対する大量破壊兵器の使用は効果が薄いと分かっていたが、人型でありかつ圧倒的物量で勝る深海棲艦を、その海域ごと『熱消毒』すると言う狂ったコンセプトで設計されたこの兵器は、核無き海軍において正に最終兵器である
そしてその封印を解いたという事は、いかに海軍が追い詰められているかの証左でもあった。
「ウウウ、イッタイナニガ…?」
「トツゼンヒカッタトオモッタライキナリツキトバサレタゾ⁉︎」
「トニカクセイゾンシャヲハヤクサガスンダ!」
僅かに生き残った深海棲艦達は、互いに何が起こったのかも分からない中、取り敢えず他に生き残りが居ないかの集まって探そうとした。
だがそれさえも、海軍基地航空隊にとっては予定通りであった。
『第一次攻撃隊によって敵は壊乱状態にある、我々はそこを一気に叩くぞ』
『海のバケモノめ、たっぷり喰らいやがれ』
気化弾頭を投下した一次攻撃隊のその直ぐ後、通常弾頭を満載した第二次攻撃隊が生き残りの深海棲艦に対し爆撃を開始した。
そしてそれは一次攻撃隊と比べても、何ら遜色ない苛烈なものであった。
深海棲艦の生き残りが集まった所に、その彼女達の遥か頭上から絨毯爆撃の雨を降らせ、生き残りが居そうな残骸は例え小さな浮遊物一つとて見逃さずに爆撃してしらみ潰しにした。
例えバラバラになって逃げようとしても、それさえも執拗に追回し摩滅させ、この海域に深海棲艦を一隻たりとも生かしておかないと言う徹底ぶりをもって行われた。
これにより、前線に浸透し壊滅させた深海棲艦側の戦力の凡そ半数以上を失い、運良く生き残った深海棲艦も味方の惨状を見て逃げ始め、その後を我先へと残りも続いた。
こうして、基地航空隊の情け容赦の無い攻撃によって、深海棲艦の浸透は何とか防がれたかに見えたがしかし…。
逃げ延びた深海棲艦達の一部は、何とか本隊の直ぐ近くにまで来る事が出来た。
そして本隊と合流して体勢を立て直そうと試みようとして…。
「ナンノツモリダ?」
「キサマラニハコウタイメイレイハデテイナイ、サッサトモチバニモドルガイイ」
味方に砲を向けられ、戦場に戻る様に言われ流石の彼女達も唖然とし足が止まる。
「ナ、ナニヲイッテイル⁉︎ワレワレノスガタヲミテナントモオモワナイノカ⁉︎」
「メイレイダ、シタガワナクバジツリョクコウシニデル」
話にならない、と彼女達が一歩踏み出そうとすると…。
「ケイコクハシタカラナ」
ボソリと誰かがそう呟いたかと思うと、一発の砲声が鳴り響いた。
「……エ?」
自分の胸に突然大穴が開いて、訳も分からないまま倒れ伏す深海棲艦。
それを見て回りも唖然とするが、撃った方はまるでそれが当たり前かの様に平然としていた。
「ナニヲ…⁉︎」
目の前で起きた狂行に撃った相手に掴みかかろうとしたが、次の瞬間には相手は何の躊躇いもなく引き鉄を引き撃ち殺した。
飛び散った重油混じりの体液が、呆然と立ち尽くす彼女達の顔にかかり、漸く彼女達にも自体が飲み込める段階となった。
(コイツラ…ホンキダ!)
見ればズラリと並んだ砲門が自分達に狙いを定め、今にも砲撃しようと待ち構えていた。
ここに来て、彼女達は選択肢なけらばならなかった。
つまり元来た道を戻るか、それとも此処で嬲りごろされるか…。
「チ、チクショー!」
ヤケになった一人が、どうせ死ぬならと戦って死ぬと言って元来た道を戻り始める。
それにつられて、周囲の深海棲艦も同じく続きそれでも腰を上げようとしない者には、容赦なく砲弾が撃ち込まれた。
こうして深海棲艦の敗残兵は、戦場へと強制的に戻らされ、その後ろからは自分達に狙いを定めた深海棲艦の督戦隊が続く。
海軍側も、深海棲艦のこの捨て鉢となった攻撃を必死に止めようと基地航空隊による阻止爆撃を繰り返すが、文字通り死兵となった彼女達を止めることが出来ず、結果として新たに引き直した前線に深海棲艦が殺到。
両軍入り混じる混戦状態に陥る。
そして此処に大戦史上最も凄惨と言われた、南方海域沖海戦の火蓋が切って落とされたのだ。
空を海軍、深海棲艦両軍の航空機が多いつくし次々と黒煙を上げて落とされる機体によって青空が黒く染まる。
帰るべき母艦の位置を見失った機が、敵に堕とされるくらいならと敵の艦娘や深海棲艦に突っ込んで果て、元は美しく煌めいた南方の蒼海は、流される血と重油によって粘りを帯びて黒く汚れ、海流に流されて死体や艦船の残骸が敵味方の判別が付かない程山と重なる。
互いに撃ち交わされる砲火により、深海棲艦、艦娘共に煤で真っ黒に汚れて隣にいても互いの区別が付かない程であった。
ある戦艦など、自身の砲撃によって肉が焼け爛れ落ち骨まで見えている中砲撃を続け、最後は歪んだ砲身に砲弾が詰まって自爆して果てた。
砲身は連続射撃によら既に使用限界を超えて灼熱で歪み砲口は焼け爛れ、それを海水で無理やり冷やして使い続けたのだ遂には完全に破壊され、それでも今度は武器になりそうな物を拾って敵を殺し、武器が無くなれば今度は拳、拳が砕ければ脚そして最後には噛み付いてでも戦いを止めようとさしない。
これが互いに艦船の姿であれば、こうまで凄惨な戦いにはならなかっただろう。
なまじ、艦娘も深海棲艦も人型であるが為、より一層凄惨さを際立たせ、争いを原始の時代まで退化させていた。
いつ終わるとも知れない泥沼の消耗戦は、日が頂点に達しても終わる気配を見せず、深海棲艦側も本隊を送り込んで終わらせに掛かるが、海軍もまだ修理の完了していない艦娘や艦船そしてトラックとラバウルの全戦力をなりふり構わず戦場に投入して対抗した。
最早両軍の戦線は入り混じって意味をなさず、決定打に欠ける戦いはこのまま互いに消滅するまで続くかに見えた。
それを遠くから眺め続ける者以外は…。
「ヒメサマ、ソロソロコロアイデハ?」
南方海域ソロモン諸島奥地にある秘密の要塞にて、戦局をモニターしていた離島棲姫は背後で優雅に座っている飛行場姫にそう言う。
「ソウネ、サッソクジュンビシテチヨウダイ」
「ハイ、デハソノヨウニ。トコロデヒメサマ?ツカヌコトヲウカガイマスガ…」
「?ナニカシラ」
離島棲姫は飛行場姫、の直ぐ隣に誰もいないその空間を見て躊躇いながら本来そこに居るべき人物の事を聞いた。
「アア、アノコ。ソレナラサイキンスコシチョウシガワルソウダッタカラヨソニイカセタワヨ」
飛行場姫はそう何でもない風に言うが、それを言葉の通り鵜呑みにする程離島棲姫は馬鹿では無かった。
(コノダンカイデウラギリモノヲシマツシタノネ。ヤハリヒメサマハユダンナラナイオカタ)
元戦艦棲姫の部下で、その後裏切って飛行場姫の下についたル級flagshipが最期どんな末路を辿ったのか。
離島棲姫は想像するだけで背筋が凍る思いであった。
そしてその思いを悟られぬよう、外面は何でもない風に装いつつ部下に指示をする離島棲姫。
その仕事ぶりを見ながら、飛行場姫は「クスリ」と唇に指を当てて小さく笑い。
(リトウセイキ、カシコイアナタハスキヨ。コレガオワッタラジックリ“オハナシ”シタイワネ)
そう思いながら、離島棲姫の背中を蛇が獲物を狙い目で見つめるのであった。
その間にも、離島棲姫が築いた要塞飛行場の滑走路に、深海棲艦の新型重爆撃機が姿を見せる。
その数は僅かに4機だけ、しかし機体の腹の部分が異様に膨らみ、そこから禍々しい妖気が周囲に漏れ出ていた。
機体の周りで作業する人員も、何故か防護服を見に纏い、重装備の中機体のチェックを終わらせる。
そして、作業員から最後の確認が取れたとの報告が離島棲姫にあり、離島棲姫は今一度背後を振り返って飛行場姫の指示を仰ぐ。
飛行場姫は鷹揚にうなづく事で指示を出し、確認が取れた離島棲姫は爆撃機の編隊に離陸の許可を出す。
エンジンが唸りを上げ、車輪のロックを外されゆっくりと滑走路を進む爆撃機達。
グングンと速度は上がり加速していくが、機体が重いせいで中々滑走路を離れる事が出来ず、あと少しで滑走路が途切れると言う所で漸く車輪が地面を離れた。
滑走路の周囲を覆うジャングルの木々の頭を掠めながら、漸く空へと飛び立つ爆撃機。
その後も2番機、3番機と後に続いて離陸し、4機全てが空に上がると、其々定めらた目標に向かって針路を転じる。
滑走路にいた深海棲艦の作業員達は、基地から遠く飛び去っていく爆撃機達を見て、自分達が何をこの世に解き放ってしまったかを感じ、人知れず恐怖に震えた。
そして基地の地下奥深くで全ての糸を引く飛行場姫は、唯一人これから起きる事を想像し凶悪な迄の笑みを見せて笑うのであった。