29話
その報告を聞いた時、焙煎は思わず手に持っていたコーヒー入りのマグカップを床に落としそうになった。
最も、そうなる前にヴィルベルヴィントが素早くカップをソーサーに戻して事なきを得たが。
しかし本人は自分がカップを落としそうになった事よりも、より重大な問題に直面してそれどころではなかった。
深海棲艦による核兵器使用、それが意味するところは焙煎が自分達が持っていた圧倒的なアドバンテージが覆されたと言うことだ。
使用された核兵器は2発、そのたった2発により海軍は本隊とトラックの司令部が文字通り消滅したと言う。
焙煎は目の前が文字通り真っ暗になりながら、報告をしに来たヴィルベルヴィントの前で頭を抱えた。
(まずいまずいまずいまずい!深海棲艦が核兵器を使っただとぉ、それが本当なら海軍は…いや人類は敗北する!?そうなれば次に奴らの矛先が向くのは俺達だ、いやもう向かっているのかも知れない)
焙煎の頭の中は恐怖で一杯であった、元の世界で世界を荒廃させた禁忌の技術。
波動砲に代表される量子兵器、文字通り全てを飲み込む重力兵器、そして甚大な環境汚染を引き起こす核兵器。
これ等は戦後すぐさま超兵器と同じく禁止兵器とされたが、つまりこれ等の兵器は超兵器と同等かそれ以上の脅威なのだ。
超兵器ではない単なる生身の人間である焙煎が、核攻撃に晒されればどうなるかなど、火を見るよりも明らか。
それ故、彼は自らが完全に詰んだと思い込んでいた。
しかし…。
「確りしろ、この私がいるのに何を怯えている」
ヴィルベルヴィントは頭を抱えて俯く焙煎を引き寄せ、彼の身体を柔らかい感触が包んだ。
豊満な胸部装甲に包まれた焙煎は、最初れに驚きしかし拒むとは無かった。
ヴィルベルヴィントの根気強い乳枕により、彼は本心はどうであれ身体の方はすっかり超兵器に対する恐怖を忘れていたのだ。
ヴィルベルヴィントは己が胸に抱いた焙煎の帽子を取ると、生まれたての赤ん坊の様に薄くなってしまった彼の頭を撫で慈母の様にあやした。
焙煎は柔らかい感触に包まれながら、ヴィルベルヴィントに赤子の様に扱われるままになった。
一時の安らぎのために、彼は自らを殺し得る絶対的な強者に、その身を委ねることを許したのだ。
そうして、暫くして焙煎はヴィルベルヴィントの腕の中から離れた。
「…その、いつもすまないヴィルベルヴィント」
気恥ずかしげに、焙煎は頬を指で掻きながらそう言った。
「私はお前の艦娘だ、お前に尽くすことに何の躊躇いが有ろうか」
少なくとも外見上は絶世の美女であるヴィルベルヴィントにそう言われて、男として焙煎は嬉しくない筈もない。
「と、兎に角先ずは現状の再確認だ。まだ俺達は終わっちゃいない筈だ…!」
「終わったな…」
敗残兵を纏め、ラバウル基地に撤退する長門は誰ともなくそう呟いた。
昨夜から始まる、深海棲艦の夜襲から始まる大規模攻勢に対し自分達はよく耐えたと思う。
前線から撤退した艦隊を再編成し、基地航空隊の活躍もあって深海棲艦の攻勢を跳ね除けたと思ったが、まるで味方を肉壁にするかの様な深海棲艦の突撃の前に乱戦となり、長門も孤軍奮闘し多くの敵を討ち取った。
しかしそれは突然であった、あの忌まわしい光。
遠く嘗て船であった時にこびり付いた最後の記憶、己が身体を包む灼熱の太陽は文字通り全てを飲み込んだ。
敵も味方も関係なく、その光は平等に全てを包み込み吹き飛ばした。
長門は偶々敵の残骸が盾となって直接その被害を被ることは無かったが、余りの衝撃に気を失ってしまった。
そして気が付いた時、全てが終わっていたのだ。
何も浮かぶ物がない静かな海、しかし遠くの空では巨大なキノコ雲が広がり、黒い雨が彼女の身をうった。
そうして、生き残った味方に救助されるその間、長門は黒い雨にうたれ続けた。
船でありまた人である艦娘の身は、彼女の言う通り自身を終わらせてしまっていた。
それはあの場所にいた多くの者たちがそうであったが、光の猛毒に身体を侵され例え入渠し表面上は癒せたとしても、身体の内側から崩れ船として人としてその命を終わらせてしまうだろう。
乾坤一擲の作戦は失敗し、しかもこの場を生き残っても遠からず大勢の艦娘や兵士達が命を落とす。
後に残るのは、作戦失敗における責任のなすりつけ合いと、汚染された自分達の残骸だけだ。
そうして、戦える力を無くした海軍も遠からずその役目を終える。
長門は悔しさからかそれとも悲しみからか、まだ無事な眼から赤い涙を流した。
滴り落ちる赤い液体は、直ぐに海の波に溶けて消えてしまったが、果たしてあとどれ程の血を飲み込めば、この海は満足するのだろう。