40話
南方海域にこの日三度目のキノコ雲が上がり、その大きさは先の二回に比べると遥かに小さかったものの、それでも各地でその姿が確認された。
当然、超兵器達やレ級もそれを目撃したことになる。
各地で超兵器と戦っていたレ級達はそれを見て、まさか自分達の誰かが負けたのかと驚いた。
しかしその相手が何であれ、如何に超兵器と言えどもあの爆発の中では生き残れまいとも考えていたのだ。
レ級と対峙するヴィルベルヴィントは敵から目を離さない様にしながらも、各種センサーを動員してキノコ雲から強烈な放射能が検知されたことを知り、彼女は漸く敵の高性能の理由に合点が行く。
(矢張り、核動力か。どうりで時代不相応な装備と力をもっていたのだな)
超兵器機関で動く超兵器達と違い、この世界の艦船や艦娘そして恐らく深海棲艦も動力に化石燃料を使用している。
動力の差は武装や性能にも現れ、例えばヴィルベルヴィントは長門級並みの砲を装備しながら100ノット近い速度を出せるが、この世界の戦艦は早くても精々が30ノット前後程度。
超兵器機関によるほぼ無限の航続距離と違い、この世界の艦船や艦娘は頻繁に補給を受けねばならない。
こういった技術面と兵器としての差は、敵が通常動力を使う限り縮まらないものとヴィルベルヴィントは考えていた。
しかしそれを乗り越える方法が一つある、そう核動力である。
超兵器ヴィントシュトースも超兵器機関の他に原子力を搭載しているが、原子力単独でも戦闘は可能であり、つまりは核動力さえ手に入れれば準超兵器になりうるのだ。
そして深海棲艦は海軍よりも早く核兵器を実用化し、同時にそれの動力化にも着手したのだろう。
その成果がいま目の前にいる相手だとすれば、深海棲艦は驚くべき速度で進歩している事となる。
(戦争は技術を飛躍的に進歩させる。もし仮に我々超兵器の登場によってそのスピードが上がったのだとすれば…)
とヴィルベルヴィントが焙煎と同じ様なことを考えていた時、それを中断する様にレ級から再び攻撃が繰り出される。
ヴィルベルヴィントはそれをブースターを併用した巧みな操艦により回避すると、牽制がてら主砲を撃ちながら今は目の前の敵に集中する事にした。
レ級の爆心地、高濃度の放射能が渦を巻き周囲の海を一瞬にして死の海と化したその場所に、何と播磨は立っているではないか。
「けほ、けほ、ほんま煙たいのは堪忍なぁ」
と核爆発に巻き込まれたというのに、播磨はまるで普段と変わらぬ様子でそう言った。
いや口調だけではない、彼女の着ている着物も袖の部分が多少焼け焦げているだけで、他は身体も艤装も全くの無傷だったのだ。
しかしよく見れば、身体と艤装の表面を覆う様に水銀の様な薄い膜が蠢いているのが見える。
「まあ、それでもあちらさんの覚悟、見してもらいましたからな。此方もそれ相応の物、出しても惜しくはないでっしゃろ」
播磨の身体を覆っていた薄い膜は、潮が引く様に着物の袖の中へと戻って行く。
焙煎や他の超兵器にすら秘密にする播磨の隠された能力が、彼女を核爆発から身を守ったのである。
最も当の本人は核の一つや二つで沈む程ヤワではないのだが、今回は自分達の艦長のことを思って切り札の一つを切ったのだ。
(ウチらの艦長はんはホンマ吝嗇家でんからなぁ。ウチらがほんのちょっと傷を負うただけでも、「資材が〜資材が〜」と小言が五月蝿くてかないまへん)
ここで焙煎の弁護をするつもりはないが、しかし以前にも述べた様に超兵器の服一つとってもかなりの資材が使われている。
いわんやその艤装や、或いは大破した日などには天文学的な数値になるだろう。
だから焙煎が吝かと言えば、そうとも言い切れない面もある。
さて最後がレ級の自爆というなんとも呆気ない幕切れだったが、この先どうすべきか播磨は思案した。
現在自分以外の超兵器達は交戦中であり、今の所フリーなのは自分一人のみ。
このフリーハンドをどう生かすべきか、播磨にとって中々面白いところである。
(折角自由に動けれるんなら、単に艦長はんの指示を仰ぐのは芸があらへんなぁ)
超兵器達の目的が敵拠点の破壊及び核施設の排除であるならば、それは播磨単独で事足りる。
実際播磨なら核兵器はそれほど脅威ではないのだ。
例え無数の敵が待ち構えていようとも、そもそも事艦隊決戦において無類の強さを発揮する彼女にとって数は殆ど意味をなさない。
だがここで播磨はもう一つの方法も考えていた。
(他の超兵器はんらに、“恩”を売っておくのも面白いかもしれまへんなあ)
播磨は恩を売ると言ったが、超兵器と言うのは兎角プライドが高い存在である。
特にプライドが高いアルウスやドレッドノートを筆頭に、超兵器達は皆大なり小なりプライドや拘りがあり、あの命令に従順なヴィルベルヴィントですら、横須賀での演習では逃走を拒否した程だ。
しかし単に手を貸すのではなく、恩の売り方を考えれば超兵器相手にも通じない事はない。
相手によっては例え恩に感じなくとも、積み重なれば軈て楔になると言うもの。
こう言った考え方が出来るのも、彼女達が単なる兵器では無くヒトの血肉と感情を持つが故である。
焙煎が知らぬ所で、しかし確実に彼女達は人間味を身につけ始めていた。
それが一体どう言う事なのかは、今はまだ誰も分からない。