50話
焙煎とスキズブラズニルがコントをやっている間、川内はどうやってこの場を収めるか思い巡らせていた。
妹と同じくケッコンカッコカリ艦でありながら、神通と違い川内が冷静なのは彼女が自身の提督とのリンクがまだ途切れていないからだ。
艦娘は提督との相性や適性によって共に戦う相手を選ぶが、特に深き絆を結んだケッコンカッコカリ艦ともなれば、例え離れていても常に互いを感じることが出来最高練度まで極まれば正に一心同体と言うべき能力を得る。
そして件の神通は改二であり、尚且つケッコンカッコカリ艦であった。
皮肉な事にそれ程までに積み上げた練度がために、彼女は今現在絆を失った事で己が半身を失ったに等しい喪失感を得ているのだ。
(神通は今自分でもどうしたらいいか分からないんだね)
(でもその痛みは誰かにぶつけたって解決するものじゃない、自分で答えを見つけないといけないんだ…)
普段は夜戦忍者や夜戦馬鹿と周囲の者に笑われる川内であるが、その実三姉妹の長女として下の者の事をよく見ていた。
だからこそ姉妹だとか戦友だとか関係なく、川内は神通の胸の内が手に取るように分かるのだ。
そうこうしている内に、スキズブラズニルは漸く焙煎の望む物を探し出しあてた。
「あ〜りま〜した〜、これ〜です〜よね〜焙煎〜さん〜」
「やっとかスキズブラズニル、お前もうちょっと荷物の整理した方がいいぞ」
と言いながらも、綺麗にファイルに納められたそれを焙煎は受け取り中から一枚の紙切れを出す。
これはこの作戦に参加する前に、高野元帥と交渉した際に得た物だがまさか渡した方もこんな使い方をするとは夢にも思うまい。
そしてまるで御隠居さまの印籠のように、委任状を神通と川内に見せた。
「控えろ、これは高野元帥閣下から賜った委任状である」
「つまりは私の意に逆らう事は高野閣下の、ひいては海軍に逆らう事と同義だぞ」
と自分が海軍を裏切る事を棚に上げて、完全に虎の威を借る狐となった焙煎。
しかも何故か某ドラマの様な仰々しい口調と態度もオマケで付いてくるのだから、その滑稽さ具合に益々拍車がかかる有様である。
そしてその反応はと言うと…
「「コイツ、何言ってんだ⁉︎」」
と口には出さないものの、艦橋にいる焙煎を除いた全員が全員心の中で強くそう思ったのだ。
川内はここに来て、あの時何としてでも艦橋に上がるのを阻止していればと後悔した。
まさか、これ程までの凡愚だとは彼女も思いもしなかったのだ。
(何やってんのよこの人〜⁉︎そんな物見せびらかしたって止まるんわけ無いじゃないの〜)
(あ〜も〜、最初見た時から嫌な予感はしたけどもやっぱり期待するんじゃなかった〜⁉︎)
と川内が頭の中で思いっきり頭を抱えていると、一人ゆらりと幽鬼の様に神通が立ち上がった。
「…ふ…で…」
「…ふざ…い…」
そしてブツブツと小さな声で何事かを呟いているではないか。
明らかに様子がおかしい神通に、周りにいた妖精さん達は「ひぇっ!」と皆腰を引いた。
次の瞬間バッと顔を上げたかと思うと、クワッと目を見開き焙煎に向かってこう叫んだ。
「ふざけないでよ‼︎」
「そんな紙切れ一枚見せたからって…⁉︎私達をどうにか出来ると思っているの」
「馬鹿にしないでよ‼︎私が…私達が提督と一緒にどんな気持ちで戦っていたか…知りもしないで」
「海軍だから元帥だか知らないけれど、そんなもので私達に言う事を聞かせられるとは思わないで‼︎」
「この無能、クズ、馬鹿、ハゲ‼︎」
神通の次々と捲し立てられる言葉の数々に、「おお」と驚く焙煎。
彼の乏しい対艦娘経験の中で、こうも艦娘自身の生の感情をぶつけられたのは初めてだからだ。
だが彼が何よりも傷ついたのは…。
「う、煩いまだハゲてはない!」
と深く被った帽子を庇うように、焙煎は手で頭を押さえる。
最も周囲の者から見れば、「今更〜」とか「気にする所はそこかよ!」と内心でツッコミを受けていた。
「ちょ、ちょっと〜焙煎〜さん〜⁉︎怒っちゃい〜ましたよ〜。どう〜するん〜ですか〜」
とスキズブラズニルも流石に慌てたように…口調は全く普段と変わらないが焙煎の肩を揺らした。
「いや、どうするったって…」
焙煎とてこれまで幾つかの修羅場は潜って来たが、しかし忘れてはならない。
古来より男が怒った女性に対して勝てた試しはなく、そもそも彼は単なる凡人である。
事態を解決する所か、火に油を注ぐ結果となってしまったのだ。
怒れる神通は、そのまま一人でも出撃する勢いで一歩踏み出そうとした瞬間。
「っ⁉︎」
脇腹に突如として感じた痛みに思わず片膝をついた。
表面上は治ったとはいえ、興奮した結果また傷口が開いてしまったのだ。
「神通⁉︎」
妹の急変に川内も慌てて駆け寄り、スキズブラズニルも事態をよく飲み込めていない焙煎(バカ)を放っておいて神通に駆け寄る。
「神通、しっかりして⁉︎」
片膝をつく神通を川内は助け起こしながら、妹の顔を見てハッとした。
神通は苦しそうに脇腹を押さえ額には脂汗が滲み、息も荒く今すぐ手当が必要な状態だと直ぐに見て取れた。
「大丈夫です…これくらい…」
自分の顔を見て神通がそう強がりを言うのを聞いて、川内はいたたまれない気持ちで一杯になった。
彼女の瞳には明らかに死相が浮かび、それを承知の事で神通は戦いを求めたのだ。
スキズブラズニルは直ぐに担架を呼んで搬送しようとするが、しかしそれを神通は断る。
「どうせ…長くはないんです…ならせめて…一人でも多くの敵を…」
神通の悲痛な覚悟を、川内や妖精さん達は黙って聞いていた。
愛する者を喪い、最早共に同じ海で散るしかないと悲しい決断をした女の叫びだ。
しかし、ここに空気を読まない事にかけては焙煎に次ぐ艦娘がいた!
パシン、と乾いた音が艦橋内に響く。
その音を聞いて誰しもがギョッとした、何故ならスキズブラズニルが大きく手を振り抜いていたからだ。
「いい加減に〜して下さいよ〜⁉︎どうして〜直ぐ〜命を〜捨てられるん〜ですか〜‼︎」
スキズブラズニルは眦に涙を溜めながらそう叫んだ。
「意味〜分かんないですよ〜、何で〜相手が〜死んだからって〜自分も〜死ななくちゃ〜ならないんですか〜⁉︎」
「死んだ〜人は〜そんな〜事を〜しても〜帰って〜来ないん〜ですよ〜」
スキズブラズニルの叫びを、川内に担がれた神通は頭をダラんと俯けて唯黙った聞いていた。
彼女達は知らないが、スキズブラズニルは元の世界ではそれこそこの世界と引けを取らない程の激しく厳しい戦いをくぐり抜けてきた。
ドック艦として新しく艦を建造しては戦いに送り出し、傷つけばまた戦えるように治し送り出す。
自分自身が戦えない分他の艦に願いを託して、しかしだからと言って彼女は出航した艦が戻らない事を望まない日はない。
どんな艦も無事で自分の所まで戻って欲しい、本当は誰も傷ついては欲しくはないのだ。
誰よりも彼女は平和を祈って、送り出していた。
しかし戦争は彼女に厳しい現実を突きつける。
出撃する度に減っていく艦、二度と戻っては来ない乗組員。
戦争が激化し、戦いが激しさを増す一方でスキズブラズニルとその周りはどんどんと人や艦が減り寂しくなっていく。
そして運命のあの日、ウィルキアに最後に残された最強の艦を送り出した日を迎えた彼女は…。
「それで〜自分は〜満足〜しても〜残される〜ヒトは〜どんな〜気持ちで〜⁉︎」
スキズブラズニルは何処まで行っても送り出し、そして待つ艦である。
それはこの世界でも変わらず、超兵器と言う絶対的な暴力と破壊の化身を送り出すも、しかし心の内では彼女達の無事を祈ってやまないのだ。
それがドック艦としてなサガと言ってしまえばそれまでだが、しかし彼女の真摯に命を守る姿勢だけは紛れも無い本物である。
川内もスキズブラズニルの心の奥底からの叫びを聞いて、何も思わずにはいられなかったがしかしふとそこで肩に担いだ神通の様子がおかしい事に気付く。
「あの〜」
「なん〜です〜か〜‼︎」
川内が話の腰を折るように手を挙げ、スキズブラズニルの目がキッとなる。
「神通…この娘気絶しちゃってるみたいなんだけど…」
とバツが悪そうに頬をかく川内、よく見れば神通は頭を項垂れて話を聞いているのではなく気絶して体から力が抜けている事に気付く。
ここで話を少し巻き戻し、スキズブラズニルが神通の頬を叩く所まで巻き戻る。
あの時神通の頬を叩く瞬間、実はスキズブラズニルの大きな掌は彼女の頬だけではなく顎まで捉えていたのだ。
と言うのも、身長2mを越す身体は当然の事ながらその手足も大きい。
しかもこの時スキズブラズニルは感情が爆発し、勢い余って大きく振りかぶってから神通の頬を叩いた。
これが単なる平手打ちや或いは神通が正気でいあれば防げたであろうが、この時運の悪い事が偶然にも折り重なってしまったのだ。
つまり、巨大ドック艦の質量×振り抜く速度分の衝撃が、そのまま神通にぶつかりしかも、顎にモロに入った事で彼女の脳を揺らす自体も引き起こした。
その結果、神通は全くスキズブラズニルの話を聞いていない所か白目を向いて今すぐ病室に搬送しなければならない程危険な状態だったのだ。
この後スキズブラズニルが慌てて脳震盪を起こした神通を担架で搬送し、何とか一命はとりとめたものの結果としてこれが変なふうに伝わり、談判に行った神通を焙煎達が暴力で押さえつけたのだと誤解を生んでしまった。
そして暴走してた艦娘達が、神通の解放を求めて病室に立て籠もると言う自体に発展してしまうのである。
ここに来て焙煎も等々決断しなければならない事態に陥った。
つまり、彼女達艦娘を実力で排除するのか否か…彼の最も長く苦しい決断が下されようとしていた。