横須賀鎮守府にある荘厳な雰囲気漂う元帥府の廊下を2人の男女が歩いていた。
すれ違う者皆足を止めて振り返り、声を潜めて噂し合う。
男の方は身長180センチ位かでがっしりとした体型では無いがひょろ長いノッポさんと言うよりも、全体的に均等の取れた体躯をしている。
それだけ見れば殊更興味を引く存在では無く容貌もそれ程際立ったものでもないが、男の一歩後ろを歩く女性が道行く者の興味を誘った。
長い腰まで垂れる銀髪をたなびかせ、整った目鼻立ちに鋭い眼光が映え2メートルを超える身長としなやかな体躯を友邦ドイツ海軍風の軍服に身を包んでいる。
男ならずとも同性でも思わず見惚れてしまう程で、知らぬ者はこの異邦の美女を連れ回すには少し見劣りする男に、若干の嫉妬と羨望が入り混じった視線でその背中を見つめた。
しかし、誰ともなく呟かれた『銀狼』の二つ名で漸く2人の正体に気づいたものは、今度は畏怖と得体の知れないものを見る様な目つきで2人の背中を見るのである。
曰く、その艦娘は先日の演習において単艦で前線帰りの猛者達3個艦隊の内二個艦隊を壊滅させあの赤城を討ち取った。
曰く、その艦娘は韋駄天もかくやという程の神速で持って海上を旋風の様に駆け巡りる。
曰く、その艦娘の他にもそれ以上の速さを持つ戦艦、小国に匹敵する航空機を持つ空母、戦艦並みの火力を持つ巨大潜水艦がいる。
曰く、それら超兵器を操るのはたった一人の男の存在。
どれも荒唐無稽な噂話にしか過ぎないが、先の演習の内容については戒厳令が敷かれていたが、最も人の口に戸は立てられないもので、どこからとなくこの手の話は漏れるものであり、口を重く閉ざす関係者達のそれがかえって人々の想像を掻き立てる事となり、この噂に一定の真実味を与えていた事はいたしかたなかった。
そうと知らずに、元帥府の赤い絨毯の柔らかい感触を足裏に感じながら、長い長い廊下を進んでいる焙煎は人々の好奇の視線に晒されているのを気にする事なく歩いていく。
が、その内心は穏やかでないのは明らかであり、焙煎の後ろを歩く女性 ヴィルベルヴィントは煩わしそうに少し早めに歩く男の背中を見つめていた。
その眼差しはやはり機械的印象を受けるが、その瞳の奥に信頼の光が灯っているが、もう一つの感情については本人もまだ気がついてはいなかった。
目的地に着き扉の前に立つ真面目実直な歩哨に誰何され用件を伝えると、既に連絡がいっているのか確認が終わるとそのまま直ぐ中に通された。
中には秘書官らしき人物が立っており、こちらにペコリと頭を下げると「どうぞこちらです」と言って案内された部屋で、「少しお待ち下さい」と紅茶とお茶請けを手早く準備すると部屋を出て行き、暫く焙煎とヴィルベルヴィントは柔らかいソファーに座りながら紅茶の香りを楽しんでいた。
部屋の中は豪華だが落ち着いた調度品と雰囲気が少しだけささくれていた焙煎の心を癒した。
ふと焙煎は目の前に座るヴィルベルヴィントを見てここ最近の変化について思う。
演習の時、ヴィルベルヴィント達超兵器が抱える思いと言うものに気がついき、共に進む事を決めた。
それ以来彼女達が何を思い何を求めているのかと思い、何気ない事でも気づいた事は記憶に留め注意深く観察している。
特に最近のヴィルベルヴィントは良い意味で雰囲気が変わった。
相変わらず機械的な印象は超兵器全般に言える事だが、その中でふとした感情の揺らめきや機微の変化を捉えたり笑みを浮かべる事が多くなった。
特に笑顔だ。
以前のように口角を釣り上げる獰猛な物ではなく、ほんのちょっと口と目元に浮かべるそれは、微笑みという程でも無いが、何故かそれを見ると焙煎はホッとした気持ちになれた。
艦娘は皆美人で非常に整った顔立ちと、中にはモデル顔負けの抜群のプロポーションを持つ物もいて、ヴィルベルヴィントはその中でも中々の肉体美を持っていると、密かに焙煎は思っている。
思ってはいるが噂に聞く変態提督?のようにそれを口に出す様な事は決してなく、また決してやましい肉欲的なそれでは無い。
ある種のスポーツ選手の肉体に宿る神聖さや敬意に憧憬と言った感情であり、内面の充実ぶりが外見の印象も健全な方向に変える好例であろうと思う。
艦娘とはいえそんな素晴らしい女性を連れ歩ける栄誉に服する焙煎は、多少のやっかみ等歯牙にも掛けないがある意味で有名人税の様な物だと思ってはいる。
思ってはいるがまるで珍獣や猛獣を見る様な目で見られるのはやはり納得しがたい。
いやそもそもの前提条件からして間違っているのだ。
この世界や今の俺の現状に対する不満や苛立ち、疑心などが一気に噴出しそうになるのを抑えつつ、本質的には異邦人である焙煎がこの世界に馴染め無い。
いや馴染んでは駄目なんだと強く意識する。
あちらとこちら、元の世界とこちらの世界を何の因果か知らぬ間に迷い込んでしまった焙煎にとって、帰還こそが至上の命題でありその方法が超兵器であり世界を飛び越える力こそ必要なのだ。
だが今の自分はどうだろう?と自問する。
何処かでこの世界に後ろ髪を引かれる様な気持ちになってはい無いか、情が湧いたか、それとも唯この世界で振るえる力に酔ってしまったのか。
超兵器達の変化を歓迎する一方で、この世界に強く引き込まれている感じがして、焙煎は途端身震いをした。
ああ、俺は失うのが怖いのだ。
この世界で元いた世界の全てを失い、ただ惰性で生きていた俺が得たたった一つかつ強力無比な力。
短い間に目まぐるしい変化と、幾多の勝利に航海の日々、そして知ってしまった艦娘の思い。
それら全ては前の世界には無く、この世界だからこそあった物。
一度失った男が再びそれを失うかもしれ無いことを恐れているのだ。
何と臆病で凡庸で意気地のない、あれ程帰りたかった故郷を捨てるのか。
全てを忘れこの世界で生きていくのか?
その覚悟さえ無いのに、失うことを恐れ現状に足踏みする自身に苛立つ。
あの演習以来ヴィルベルヴィントは変わった。
それは改装を受けての外面の変化では無く心の変化であり、今の彼女は焙煎の一歩も二歩も前にいるように思えた。
共に進むと言っておきながらこのザマとは、全く度し難い愚か者だな俺はと心の中で自嘲する。
こんな俺に海軍元帥は一体何をさせようとしているのか?
それを思うと暗澹たる気持ちに尚更身が沈んだ。
そんな俺を見ていたヴィルベルヴィントは不思議そうな表情で首を傾げた。
「如何したのだ?さっきから機嫌が良かったと思ったらいきなり沈んで、何かあるのか」
「あ、いや何でもない。そう何でもない」
そんな曖昧な返事に不満なのかヴィルベルヴィントはずいっと身を乗り出し顔を近づけてこちらの目を心配そうに見つめながら「本当か?」と言った。
「っ⁉︎」
いきなり美女の顔が目の前に来て心配してくれるなんて、考えたこともなかった事が此処で起きている。
俺は慌てて顔を横に向けてしまった。
いやこれは余りに子供っぽ過ぎる反応だな、まるで母親に心配されて顔を背けるのと一緒だ。
気分を落ち着かせて顔を戻し、改めてこちらを見つめるヴィルベルヴィントの顔を見る。
「ヴィルベルヴィント、その…」
と言いかけて扉をノックする音が聞こえ、てそちらを見ると扉を開けて固まっている秘書官がいた。
今の俺たちの姿を客観的に見てみよう。
顔を付き合わせる男と女、なぜか女の顔が潤んでいて男がこれから大事な事を言いそうな所で秘書官が入ってきてフリーズした。
うん間違いなく誤解される。
しかもかなり艶っぽい方向に解釈されて明日には俺に対する嫉妬と殺意の視線がかなり増すであろう事は疑いの余地もない。
「コホン、焙煎少佐どうぞこちらに。お連れの方は今しばらくこちらでお待ち下さい」
わざとらしく咳をして仕事をこなすとは流石は秘書、でもヴィルベルヴィントを艦娘とも秘書艦とも言わずに連れと言うのはかなり含みがあるように聞こえてしまう。
ヴィルベルヴィントに「行ってくる」とだけ言い、部屋を出るとき秘書官の
「時と場所をわきまえてください」という視線が痛かった。
さて、この先如何なる事やら。
元帥の執務室に一人通された焙煎は今元帥とお互い向かい合う形で座っていた。
部屋の内側は元帥の権威を示す程豪華ではあるが過度ではない。
それがこの部屋の主人の意向である事は部屋の雰囲気と元帥とがマッチしている事から見て取れる。
高野元帥はゆったりとくつろいだ様子でソファーに深々と腰を下ろしてはいるが、決して威圧するそれではなく寧ろ客人を迎える主人の相手を緊張させないようとする気遣いにも見えた。
焙煎の方も元帥の意図を感じ若干緊張を緩めるも気を許す事はなく、相手を伺っている。
「さて焙煎少佐、貴官にはまず謝らなければならないな」
高野元帥はそう切り出した。
「貴官を元帥府に呼んだのは査問会なんぞにかけるためではない。ましてあのようなあからさまな演習などこちらの本意では無かったと知ってほしい」
よくもまあいけしゃあしゃあと、焙煎は内心の思いをこの時は表情には全く出してはいない。
先ほどヴィルベルヴィント相手に見せた百面相とは大違いだ。
「元帥のお気持ちは分かりました、しかしそれならば一体何故私を召還したので?」
「ははは、君がその理由を分かっていないとでも?」
笑いながら、元帥は暗に知っているのだぞ、と伝えてくる。
「少なくもこのご時世で、わざわざ二式大艇と一個艦隊を出して深海棲艦の領海に来た理由など皆目見当がつきません」
「そもそも現鎮守府は基本聯合艦隊を組むなど特別な作戦以外基本フリーハンドが原則では無いのでは?」
しかし焙煎はあくまでもしらを切り通すつもりだ。
例えそれが無駄な抵抗だとしても、心情的に上の都合で自分やヴィルベルヴィント達が振り回されるのは御免だと、あの軟禁生活でつくづく思い知ったからだ。
「確かに状況は厳しいな。だが以前程でもない、それについてはこちらは君達に感謝しているのだよ」
「?」
訳がわから無い、といった表情を焙煎が作るのを見て高野元帥はイタズラが成功したと笑みを見せる。
「貴官らだろ、深海棲艦の後方を脅かしその結果敵の有力な機動部隊を全滅させてくれた。おかげで崩壊しかかっていた前線は一息つけた」
「あの後一部だが限定的な反攻に出てな、領海を取り戻す事が出来たのだよ。その結果貴官らを探す事ができた」
ああ、つまりは全てが自業自得かと焙煎は悟った。
超兵器を使っての通商破壊によって大量の資材を得たが、それが結果的に自分の首を絞める事になったとは。
「貴官にはこちらも大分世話になった。海軍を代表して感謝したい」
「それを態々伝える為に呼び出した、だけならば有難いのですが」
無論そんな事はない、わざわざ海軍元帥が呼び出したのだ。
それだけである筈がない。
「聞くに貴官らは南を目指していたらしいな。しかもわざわざ危険な深海棲艦の領海を突っ切って。予想するに南方資源、或いは今は無人のオーストラリアかな」
「どうしてそうお思いで」
「あのスキズブラズニルという巨体ドック艦、あれを建造するのにと相当資材が必要な筈だ。それに君が演習で見せた巨大艦、それ以外にも大型巡洋艦に巨大艦と同タイプの戦艦、爆撃機さえ運用可能な巨大空母、戦艦の主砲を搭載した巨大潜水艦」
「あれらを建造するのには並大抵の事ではない。違うかね?あれらは一隻だけでも今の戦局を一変する力を持っていると私は思う」
鋭い、今の高野元帥の言葉は裏付けのない憶測ばかりだが少ない情報でこちらの意図を読みに来ている。
流石に元帥まで登りつめただけの事はある。
「教えてくれないかね、焙煎少佐あれらはそして君は一体なんなのだ」
高野元帥は直感的に超兵器は自分達とはまるで違う存在だと気付いていた。
そしてそれを今の所唯一建造し運用出来ている目の前の男も又異質であると。
一方の焙煎も高野元帥がこちらに探りを入れてきている事を感じた。
ここで素直に全てを話す事はできないが、しかし話さない事には始まらない。
焙煎は思い切って全てを話そうと決断した。
その結果がどうであれここでこちらの事情を話さなければ今後も同じような事が繰り返され、その度に言い訳を考えるのも面倒くさいと思ったからだ。
「あれは『超兵器』という存在です」
「超兵器?」
「そうです、かつて世界を二分した列強が生み出した超兵器機関よって動き既存の兵器を上回る究極の兵器。その力は時に天候を操り、万の艦隊を沈め、大陸を割くとも言われます」
「そんな話聞いた事もない、もしや君は⁉︎」
「そうです。私は超兵器がいた世界から来ました」
驚愕の事実に暫し呆然とした高野元帥だが直ぐに落ち着きを取り戻し、それを見計らって焙煎は話の続きをした。
「何故私が世界を渡ってしまったのかそれについては私にも分かりません。ただ一つ言えるのは私が言った事そしてこれから言うことは全て事実です」
それから焙煎は自分が元いた世界の事を話し始めた。
超兵器を開発した列強が互いに争い、未曾有の大戦となり世界全土に戦火を広げた事。
そして南極において新独立国家が最終的に全ての超兵器を沈め、世界は平和になった事。
自分の目的はあくまでも元の世界への帰還であり、その為には世界を超える力を持つ究極超兵器を建造しようとしている事。
建造には莫大な資材が必要で、その為に南を目指した事。
「うーん俄かには信じられんが、しかしこれで漸く合点がいった」
「信じて頂けるので?正直私自身でも正気を疑いますよ」
「いや何、日独共同の秘密研究所で開発された秘密兵器と言われるよりは信じられる」
ははは、と高野元帥は笑った。
しかし焙煎は苦笑するしかなかった、最上達を助けた時についた嘘が巡り巡ってこう来るとは予想だにしなかったのだ。
「とにかく君の腹の中を話してくれてよかった。実を言うと不安だったのだよ、君がもし超兵器の力をこちらに向けたらと思うと。だが話を聞く限りその恐れは無さそうだな」
改めて高野元帥は焙煎に向き直り、相手の雰囲気も変わった事から焙煎も居住まいを正し正し。
「君には多くの兵と艦娘の命を救ってもらった恩もある。それにこちらには何かと負い目もあるしな、如何だろう君が元の世界に戻る間たけでもいい、我々に協力してくれないか」
ふー、と息を切って元帥は続けた。
「無論タダとは言わん、私の出来る範囲でだが君の望みを叶えるしつもりだ。必要なら超兵器建造の資材もこちらで便宜を図ろう」
どうかね?と高野は焙煎に問いかける。
その内容は破格と言って差し支えなかった、わざわざ一介の少佐でしかない焙煎にここまでの譲歩をする元帥の懐の深さと同時に何が何でもこちらを取り込もうとする意図が見えた。
欲しいのは超兵器の力と鍵である焙煎の身柄。
それさえ得られるならばどんな対価を支払っても良いとさえ相手は思わせているし、しかも受けた恩に報いるという体裁のため断り難い。
だがしかし、やはり首輪をつけられるのは御免だと焙煎は思った。
「私にはもったいないお話です。ではお言葉に甘えて…」
「!受けてくれるか」
「その前に私の叶えて頂きたい望みなのですが、これまで通り我々は独自でやらせていただきたい。資材援助もありがたいのですが我々で独自に解決出来ますのでどうぞお気遣いなく。具体的にはそうですね、一鎮守府と同等の扱いで結構です」
焙煎の返答に大きく出たな、と高野元帥は呟いた。
「成る程な、余りこちらには干渉して欲しくないのだな君は」
現行の鎮守府制度は複数の提督が麾下の艦娘と共に生活する拠点であり、その運営は鎮守府内の組織で行われている。
例えば提督どうしの合議制であったり、最高位者がその運営を委ねられたり或いは艦娘がその運営に深く関わるなどその形態は様々だが、基本現場には介入しないのが暗黙の了解であるが、それを一個人に与えるとなるとなかなか無い。
「その代わりと言っては何ですが、元帥の御用命とあらば何時でも駆けつける所存です。対外的には元帥麾下の部隊として扱ってくれても構いません」
焙煎もそれなりの譲歩は見せた、あとは相手の返答を待つ。
高野元帥は暫く考えてから。
「分かった、それでいい。このまま返答を後日に回して、逃げられたらこちらは手も足も出ないからな」
「我儘を聞いていただきありがとうございます」
焙煎は深々と高野元帥に頭を下げた。
「構わんよ、少なくともこれで誰も君には手出しはできんな」
最も高野元帥の目的はある程度は達成されていた。
最低限焙煎を自分の影響下に置き、他の者が手を出す前に先手を打てたのだ。
実はあの演習後、呉鎮守府を実質的に支配する君塚提督が急遽ここ横須賀鎮守府に乗り込んで来ようとしていた。
この行動を察知した高野元帥は、焙煎と直接交渉することで君塚を牽制したのだ。
焙煎の処遇を巡って各鎮守府では水面下での駆け引きや様々な工作が行われており、無用な混乱や争いを嫌った高野は、半ば強引とも言える方法で彼を囲い込んだその代償は大きかったのかそれとも相応か破格だったのかは、今後の焙煎の働きにかかっていた。
「でだ、俺の当初の考えとは違うが少なくとも当面の行動の自由は保障された」
元帥との会談の後スキズブラズニルに戻った焙煎は、作戦室に集まった者達に話したことを伝えた。
「本当ならあの時招集を無視して南極にでも逃げ込めば、相手は手出しができなかった」
それを何故行わなかったのか?その疑問をヴィントシュトースは焙煎に問いかけた。
「焙煎艦長、では何故そうしなかったので?そうすれば私やお姉様方、アルウス、ドレッドノート、それに艦長ご自身が軟禁される、なんてことなかったんじゃ無いですか」
「ヴィントシュトースの言うことは最もだがそれをしなかった理由から言おう。俺が考えていた以上に戦局に影響を与えてしまった事だ」
焙煎は一度全員を見回し今言った事が伝わったのを見てから言葉を続けた。
「知っての通り海軍は深海棲艦に対し劣勢だった。全く減ら無い敵に対して、海軍は人も資材も艦娘も有限だ。その中で何とか前線を保っていたのだが」
「だが我々がそれを崩してしまった」
シュトゥルムヴィントが焙煎の言葉を受け継ぎそのまま先を話し始める。
「通商破壊をした結果、深海棲艦により優先すべき目標を与えてしまったと」
「?つまり貴方達が原因と、まあそれはそれは」
アルウスはわざとらしく口に手を当ててシュトゥルムヴィント達を見た。
「何か言ったか?蜂女」
シュトゥルムヴィントも険のある声と目でアルウスを睨んだ。
一触即発、アルウスとしては自分が加入する前の話であり直接知っている訳では無いが、それでも前の世界ではお互い敵対陣営であった事から色々と含む所が双方にはあり、少し言葉にトゲトゲしいものがあった。
「よせ、命令をしたのは俺だ。その結果お前達に負担を強いてしまったのは俺の見通しの甘さにある」
焙煎が素直に謝ったため、矛先を逸らされたアルウスは少し目を細め。
「艦長がそう仰るのなら、私からはこれ以上ありませんわ」
「ふん、まあいいだろう」
ひとまずこの場は治まったが列強間の確執は根強いなと、焙煎は思った。
嘗て世界を二分し覇権を争いあった仲だ、その時の記憶があるのなら今は俺の指示に従っていて大人しくはしているが、俺がいない所で衝突があれば目も当てられ無い。
人間の姿形をしてはいるが、中身は世界を滅ぼしかけた悪魔だ。
艦娘形態でも小島一つ簡単に消し飛ばせる。
今はいいが、これは時間をかけてでも解決しなければならない問題だ、出来なければ帰る前に世界が滅んでしまう。
「話を戻すが俺たちは言うなればジョーカーでありとんでもない爆弾でもある。確認されているどの艦娘、深海棲艦よりも強く、圧倒している」
それのどこが悪いのか、超兵器達は不思議そうな顔をした。
「余りに強すぎたんだ。強すぎる力はそれだけで周囲を惹きつけ巻き込んでしまう。今の状況がそれだ、横須賀にきてよく分かった。いまどこの鎮守府も、いや世界中がお前達の力を狙っている。そのためならどんな手段も選ばないだろうし、どこに逃げたって必ず見つけ出されるだろう」
力を求めて互いに争い、遂には世界を滅ぼしかねない兵器を作ったあの世界以上に逼迫しているこの世界は、人間同士で深海棲艦そっちのけで戦争さえ起こすだろう。
その先にあるのは破滅だとしてもだ。
「だからそうなる前に誰にも手出しされない明確な地位をえる必要があった。もっと言えば後ろ盾だな」
「質問がある。艦長はその考えをどの時点で持っていた?」
シュトゥルムヴィントは手を挙げて言った。
彼女から見ればこの男は戦闘以外のことを何でも自分一人で決めてしまうところがある。
自分たちは兵器だ、超兵器として戦えさえすればそれでいいが上の考えを知ると言うのも戦いにおいても重要なのだ。
「呼び出され軟禁されている間に少しな。結果として海軍元帥というこれ以上ない後ろ盾を得ることが出来た」
だからあの演習は決して無駄ではなかった。
交渉の前に力を見せつけ優位に立つのはよくある手であり、実際高野元帥には高く売り込むことが出来た。
最も相手が元帥でなくとも良かったと焙煎は思っていた。
そう例えば今回黒幕として仕組んだ君塚提督など、彼が元帥の地位を欲しているのは周知の事実でありだからこそ漬け込む隙もある。
元後方勤務の焙煎にとって前線よりも派閥争いは身近なものであり、風を読み、舵を切り、時に嵐を避け、耐え抜くには相手の事をよく知る必要がある。
伊達に身元住所不定で少佐まで昇進して派閥の海を泳いでいたわけではない。
焙煎は、ことこの手の生存に直結する案件には頭の回転が速く、だからこそ君塚提督が面子よりも実をとりにくる相手だと知っていたし、高野元帥はどちらかといえば争いを回避する為に原因となる物を首輪を付けて遠ざける相手だと分かっていたからこそ焙煎は交渉で余裕を持って当たる事が出来た。
最もその前のちょっとした事で大分慌ててしまったが。
「焙煎艦長、考えは分かったがそれでは貴方の目的からは遠く離れるのでは?」
今までずっと沈黙を保っていたドレッドノートが初めて口を開いた。
「貴方の目的は元の世界への帰還だ。それならば何故わざわざこんな回りくどい事をする」
「確かに回りくどいな。だが、世界中が敵になったあと深海棲艦の相手をするのは正直面倒くさい。それを考えるとあって無き首輪を付けられるくらいどうって事ない」
「うわ〜、艦長って腹黒かったんですね」
ヴィントシュトースの言葉に全員がウンウンと同意した。
俺はそこまで思われる事をしたか?正直この程度の事などよくある事だ。
「オホン、兎に角ここで海軍と元帥に恩を売っておけば色々とやり易くなる」
「具体的には今まではほぼ自給自足で賄っていたのもこれからは補給が受けられるし、今まで見つからないように派手に動けなかったがこれからは気にする事なくこれまで以上に戦い易くなる」
「つまり俺たちは大手を振って誰の目にも憚られる事無く、何処へ行こうとも何をしようとも俺たちを止める事はできなくなる」
それは鎮守府制度の盲点を突いた考えであった。
近代国家の枠組みの中で作られた軍事制度だが、海軍を一つの国と考えれば鎮守府はそれに従う領邦であり、その関係は極めて封建領主と国王のそれに近い。
別な言い方をすれば鎮守府制度は常に軍閥化の危険性をはらんでいるのだ。
ある意味現在の状況は深海棲艦に対抗するために、提督という個人的な資質と艦娘という不可欠の要素から成り立っている。
それを支えるのは膨大な資材と妖精さん達なのだが、戦争が長期化するにつれ必要とされる資材と予算は膨れ上がり、辛うじて保っている資源地帯と諸外国とのか細い交易では到底賄いきれなくなってきた。
だから提督達は少なくない戦力を割き、遠征と領土拡大による資材確保に奔走し結果としてその広大な支配領域を治める為に権限の拡大を招いた。
焙煎自身は領土や支配など考えていないが、ようは南極さえ手に入ればそれで十分なのだ。
態々他人の土地から深海棲艦を追い出し、インフラを整備して現地組織や政府とお互い持ちつ持たれつやりながら戦争するなんて正気を疑う。
その点まだ誰も“公的に認められる形”で領土となっていない南極にちょっと鎮守府を作りに行く程度など、なんと謙虚で慎ましいことか。
深海棲艦の脅威に対抗する為にはやはり拠点作りは重要。
焙煎達は才覚さえあればこの実質的に切り取り放題な中、誰よりも抜きん出てそして安全確実にこの制度を悪用することが出来る立ち位置に今いる。
「成る程、急がば回れ、ですね」
ドレッドノートは納得したと頷き、他の超兵器艦娘達も焙煎の考えを理解し、その様子を見た焙煎は次なる指示を出した。
「さあ、お前達。南極に行こうか」