終焉のクラーウィス   作:涼ノ宮 透夏

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第一空  空間を総べる二者の紡ぐ物語 ~tranquil encounter~

*

目が覚めてから、魁利(かいり)の思考は(しばら)く闇の(もや)にかかったままだった。朝陽の白に照らされて、(ようや)く覚醒する虚ろな意識。あの特異な夢のせいだろうか? 空間の歪みが引き起こすような禍々しい()じれを、現実のものと錯覚してしまうくらいに。

しかし、今日も講義が入っているので布団から出ないわけにいかない。単位を落とすことだけは、最優先で避けなければならなかった。春の暖かさは凄まじくて、それはもう狂気的に心地良い。一生もふもふに(くる)まれて生きていたっていい。

さりとて本気で時間が押してきたので、魁利は気怠い足取りで部屋を出て階下に向かい、喧騒としている普段とは打って変わって違う一室をスタスタと通り抜ける。開店前だから人の気配はないが、騒がしさが最もよく似合うこの空間が黙りこくっているのも、何だか気味が悪いというものだ。娯楽場を通過しなければリビングに行けないのは、些か不便であった。

魁利の家は娯楽施設だ。所謂アーケード施設。ビリヤード、ダーツ、ルーレット、スロット、卓球、ボウリング、カラオケなど──有り触れた遊戯施設の豊富な店舗である。金持ちというわけでもないのだが、祖父の開業した店が意外にも大流行。海外のカジノのような施設だということで、色んな層の客が訪れた。日本では賭け事を行う施設が少なく、何よりこの辺で唯一のアミューズメント施設だということもある。バーのカウンター奥からリビングに入ると、既に母親と父親がいた。

 

 

「今日は起きるの遅かったじゃない。何かあったの?」

 

 

朝食の支度をしながら、魁利の方を振り向かずに答える母・三縁(みより)。今朝の朝食はトースト、ベーコンエッグ、シーザーサラダ、珈琲(コーヒー)。それぞれが(かも)し出す匂いは鼻腔を(くすぐ)り、昨晩あまり食べていなかった腹の虫を鳴かせるには十分な材料だった。

 

 

「別に……。変な夢を見ただけさ」

「ふうん? 夢、ねえ……。あたしは久しく見てないかな。深くは追及しないけれど、簡単には目覚められない程の、強い夢だったのでしょうね」

 

 

実際、三縁の推断は間違っていない。あの夢には筆舌に尽し難い強制力があり、途中で目覚めることを期待したものの、彼女──レウの視線が、存在が、魁利をそこに縛り付けていた。

 

 

「夢なんて非科学的なもの──俺は信じん」

 

 

そう苦々しく吐き出したのは、父親の蒲生(がもう)。彼は科学者でもないくせして、非科学的な現象を嫌う。新聞をバサリと広げて朝食前に読む姿は、どこの作品にもありがちな、テンプレ姿の父親といったところだった。

 

 

「親父だって、若い頃に見たことくらいあるだろう。何言ってるんだよ」

 

 

魁利が至極真っ当なことを言うと、蒲生は黙り込んでしまう。図星を突かれて、返す術を失ったらしい。負けたのが余程悔しいのだろうか、唇を小さく噛み締めているのが視界の端に映った。

 

 

「それより、間に合うのか? その夢のせいで起きるのが遅くなったんだろうが。確か今日は、一限からだったか……?」

「ッ⁉ や、べ……!」

 

 

古びたアンティークの掛け時計に目を向けると、針が指すのは午前八時五分。講義が始まるのは九時、電車に乗るのが約三十分、駅を降りてから徒歩で約二十分。いつもは講義開始の十五分前には教室に入っているのだが、今日はどう急いでもギリギリに到着することは確定だった。(せわ)しなくサラダをかき込み、トーストを口にし、それらを食べている間に三縁の出したベーコンエッグをほぼ噛まずに胃の中に強制的に送り込む。早食いしたために痛んだ腹部を珈琲でどうにか押さえつけ、テーブルの下に無造作に置いた通学(かばん)を掴み──裏口である玄関から飛び出す。

 

 

駅から全速力(換算すると自転車くらいの速度)で急いだおかげで、何とか一限目に間に合った。集中できたか否かは言うまでもない。昨晩の夢のせいで、朝から散々な目に遭っていた。

(──レウの奴。考えさせるような意味深発言なんかを提示して……俺に何を考えさせ、そして実行させようとしたんだろうか。俺も俺で、なんでレウコンなんて名付けたんだろうな? 適当な横文字を当てるあたり、まだ中二病が抜けてないって証拠なのかもしれん……)

 

 

講義中、何度か首が傾いて落ちてしまいそうになったが、定期試験のない講義で居眠りを決め込むわけにもいかない。もっとも、学生一人一人など到底見れるはずもないが。如何(いかん)せん油断は禁物なのである。甲斐あってか、魁利は何とか頬杖だけに留めることに成功。

(ああ、次は日本文学だったか。移動に時間がかかる──面倒だ)

睡魔が未だに(むしば)体躯(たいく)を無理矢理に動かして、構内でも隔離されたように遠い館へと足を運んだ。

 

 

 

 

**

二限終了のチャイムが、狭き館内に鳴り渡った。それと同時に腹の虫が鳴ったが、幸いチャイムの音によって掻き消される。今朝胃袋に詰め込んだ食物は、駅からの疾走ですべて運動エネルギーに変換されてしまった。

魁利は人混みが苦手なので、食堂は極力避けている。自宅から弁当を持ってこれるなら持ってきて、残り物が出なかったときや材料不足のときは、コンビニか売店で買ってテラスで食べている。今日は何も作っておらず、売店でおにぎり二つとパン一つを購入した。趣味やサークルなどに時間を割いている魁利は、アルバイトをしていない。よって生活費は両親持ち、その中には勿論(もちろん)食費も含まれる。自分に支払い義務がないのは気が楽なもので、今までは金額を気にせずに食べていた。だからといって無駄遣いするわけでもなく、大食漢でもない魁利が昼食代に大金をはたくことは滅多にない。

腹を満たせる必要最低限のものを胃の中に押し込み、飲み物に買ったエスプレッソを飲みながら、テラスから一望できる蒼穹(そうきゅう)に目を向け──ようとしたのだが、それは一人の人物によって妨害をされた。青空の代替として、夜空を思わせるような美しい濃紺のワンピースに身を包んだ女子大生が映り込む。

 

 

「まーたぼっちで食べてるんだっ? 部室に行くなり、星雫を呼ぶなりすればいいのに~」

 

 

彼女の名前は天鈴星雫(あまりせいな)。魁利と同じ大学に通う、理学部宇宙学科の一年生、所属サークルは天文部。学部も違えばサークルも違う二人がどのように出会ったかといえば、それはつい三週間前の出来事まで遡る。

 

 

魁利は()(かく)本を愛しているため、入学前から文芸部に入ろうと決めていた。無ければ作ろうと思ってさえいた程だ。この大学の文芸部には、大した実績はないものの──図書館そのものの規模が半端ないため、部員は執筆などの作業をする以外は図書館に籠っていた。全員が口を揃えて言うには『図書館はオアシス』。部室は一応存在するが、在って無いようなものだ。部員が持ち寄った数十冊の本、そして机と椅子が並んでいるだけである。入部したてでも構わない、すぐに図書館に入り浸ろう──そう固く決意していた魁利は、偶然にも天文学の資料を探していた星雫と出くわす。低身長の彼女がシェルフ上部の書物に触れるのは中々に困難を極めるらしく、脚立のない不親切な状況で孤軍奮闘していた。

取ろうとしていた本を取ってやった、それが始まりで。読み物の内容は違えど、天文に関する文献を読み漁る星雫と、純文学から文庫本までオールマイティに読む魁利。それぞれの本が持つ良さを語り合ってから、親睦を深めるのに時間は掛からなかった。

 

 

そんな彼女は神出鬼没で、魁利が連絡をせずとも前触れなくひょっこりと姿を現す。

行く先行く先でやたらめったらに現れるので、ストーカーか何かかと疑ったものだが、魁利は星雫に自分の組んだ時間割を公開していなかった。

 

 

「……今日は何の用だ」

 

 

別に星雫を嫌っているわけでもないのだが、驚かされたことへの(ささ)やかな仕返しをする。

 

 

「用事って……何か用がなければ、会合は許されないだなんてルールは存在しないんだよっ? そんな、大昔の恋人じゃあないんだからさ~。逢引きってやつかな? ……はっ、でも星雫は別に、魁利くんと逢引きしてると思ってないからっ! ツンデレとかでもないんだからねっ?」

 

 

星雫は開口一番、ぺらぺらと饒舌(じょうぜつ)に言葉を紡ぐ。魁利自身、自分に恋情で会っているとは思っていなくても、テンプレートな言い回しをされては返しに困る。思い出したように付け足さなくても、言われなければ思いもよらないことだった。

 

 

「──こほん。そんなことは置いといて……っ。さぁ魁利くん、今日も星雫の惚気(のろけ)を聞きたまえよっ」

「惚気って……お前の恋人は宇宙なのか? 随分と壮大な恋人なんだな。器も大きそうだ。お前みたいな奴が相手でも、十分に受け入れてくれそうだな」

「そうでしょっ? いや~、やっぱ星雫の相手は宇宙しかないと見たっ。抽象的事物と婚約を結べないのが残念なくらいだね」

 

 

冗談でかまされた盛大な皮肉は、軽々しくスルーされていった。

(どうしてこの女には、皮肉が通じないんだ……。天体への愛が尋常じゃないんだろう)

星雫の話す内容は、大方が天文の話だ。会うたび同じようなことを聞かされるのだろうと覚悟していた魁利だったが、これが驚くことにかぶらないのである。流石は宇宙科学科・天文部の学生──といったところか。桜色の唇から語られるは、数多(あまた)の星々。各星座の成り立ち、逸話、観測時期など──知らない知識が入ってくることを、楽しいと言わずして何と言おうか?

毒のあることを言うときもあるが、基本的には楽しんで耳を傾けている魁利。素直になるのがこっ恥ずかしいのか、話の頭から嬉々とした態度は見せない。今日も星の話なのだろうと思っていた推断は、予想だにしない形でひっくり返された。

 

 

「いや、さ? 今日も今日とて星座について語りたいんだけど、その前にちょっと話したいことがあるの」

 

 

(──こいつが、天体より優先して話したいこと?)

出会い頭から天文大好きっ子なオーラを全開にしていた彼女を見てきた魁利からすれば、この状況では違和感しか働かない。

 

 

「何だ? その話って」

「実はね──夢を、見て。それも、とっても非現実的で──非日常的な夢。ああ、だからって完全なるファンタジーではないよっ? で、それはあまりにも長くて、途中で無理に目覚めようと思っても起きれなくて──不思議だった。いや(むし)ろ、不思議なのは夢を夢だと認識できている方かもっ……。抜け出すことの不可能な空間には一人の女の子がいて、その子は星雫に『君は空整者(アブラストハモナー)だ』って告げたんだ。いきなりこんなことカミングアウトされても、自分自身のことだからって流石に驚いたっ……」

 

 

 

衷情(ちゅうじょう)をはっきりとさせた分かりやすい表情で、簡潔に夢の中身を説明する星雫。偶然か必然か──双方の夢に出てきた女の子は、どうやら一致しているようだ。白い女の子本人の意思の元での現象なのか、意図せずして──誰かに操られて現れたのか。非科学的なものに対してこう表現するのもあれだが、現実的に考えると恐らく前者だろう。意味を理解しかねる話な上、更なる第四者がいるとは考えにくい。

魁利と星雫は、出会うべくして出会ったのかもしれなかった。まったく同じ人物が、寸分(たが)わぬ異空間で、甚だつきづきしい話をされるなど──必然という言葉以外では表現のしようがない。腹の内に居座る違和感を追い出したく、魁利はゆっくりと口を開いた。

 

 

「……なぁ、星雫? 実は俺も、その白い女の子に似たようなことを言われたんだ。勿論夢でな。で、その子は『空歩者(ラウムソウォーサー)』と呼んだ。…………この現象、お前はどう捉える?」

「え~、どう、と言われてもねぇ……。偶然と言い切ってしまいたいけれど、ここまで来ると、そう言い表すのも如何(いかが)なものかと思えてくるしっ」

 

 

返ってきた反応にはやはり渋りのような迷いが含まれており、予想と合致する。それはそうだろう──いくら才色兼備な彼女でも、理解できないものはある。

 

 

「もう一度その子に会えればいいんだけどね~……。そうにもいかないのが現実。……さ、魁利くん? 場所を移ろうかっ?」

「へ? どうしてだよ。星雫も次の講義、確か無かったような……」

「うん、空いてるよっ。でも、ただでさえ浮いている君がこんな馬鹿げた話をしているのを聞かれたら──もっと浮いてしまうんじゃないかと思って」

「余計なお世話だ。まぁでも、移るのは賛成だよ。人が多いのは好まない」

 

 

何だかんだ星雫の提案に乗ってこくりと頷いては、立ち上がって『図書館裏の林へ行こう』と述べる。虫が多そうだから嫌だと首をブンブン横に振る星雫だったが、今日は寒いから虫も地中に埋まっているだろうとのことで納得してくれた。

 

 

 

 

***

図書館裏の森林は、いかにも神秘的を体現するかのような厳かな雰囲気で、人の近寄りがたい場所だった。時期によっては訪れたくない人もいるだろうが、秘め事を打ち明けたり他人に聞かれたくない話をするには打って付けの場所である。最深部に近づいては戻るのが面倒になると考えた二人は、中間の距離を保つ位置で話すことにした。魁利は、そこにあった手頃な切り株に腰を掛ける。

 

 

「星雫。お前と女の子は、どこまで込み入った話をしたんだ?」

「ほへ、覚えてないよ~そんなの。自分が何者なのか──そしてあの空間が何だったのか、それくらいしか教えられてないっ」

「──そうか。俺、実を言うと……余計なことまで話したんだよ」

「余計なこと?」

「ああ。彼女、名前がないらしくってな。あの子が何者かも知らないし、名前がないことで不便するかも判らないままに名付けた」

「ふぅんっ……? 折角だから、付けた名前教えてよ」

 

 

あの中二病全開な横文字を公開するのには若干気が引けたが、引き()った笑みを浮かべながら、女の子の名前を唱える。

 

 

「あー、一回しか言わんぞ。ヴァイス・レウコン………………だ」

 

 

魁利がそう呟いた刹那、周辺の木々がざわめき出した。風が吹き荒れ、木の葉が舞う程度に収まるなら、ただの自然現象で済む。しかしながら──驚きで一瞬瞑目(めいもく)し、次に開眼したときに見えた光景が、二者の常識を吹き飛ばした。

眼前に出現したのは、あの(もや)の掛かったような世界。後ろに映るのは先程までいた森林であるのに、この網掛けのせいで現実味が失われている。当然ながら、例の少女──レウがいた。

 

 

「やぁ、魁利、星雫。久し振り──でもないかも知れないけど、夢以外で会うのは初めてだね」

 

 

全くもって理解し得ないこの状況に、二人の目は丸くなる。

 

 

「レ、ウ……お前、どうして? 俺達は寝てもいないし、寝惚けてもいない」

「やだなぁ、どうして──だって? 魁利、君は僕の名前を呼んだじゃないか。だから呼応した。それだけだよ」

 

 

知らなかったのだ、魁利は。彼女の名を口にすれば、本人に声が届いてしまうことを。それが、異空間に来る条件になり()るということを。

 

 

「呼んだ。確かに呼んだが──所詮夢程度にしか思ってないし、まさか声がお前に届くなんて思わないだろ普通」

 

 

それもそうか、とけらけら笑い出すレウ。

 

 

「ごめんね、ちゃんと伝えておけば良かった。それと……伝えたいことがもう一つ。それは君達の能力のことだ空歩者(ラウムソウォーサー)空整者(アブラストハモナー)であることは、それぞれ伝えたね? で、だ。それが何なのかを説明しないまま、二人の目は覚めてしまったってわけ」

「その能力って……?」

 

 

矮小(わいしょう)体躯(たいく)で腕を組んで、態度だけは尊大に話すレウを見ながら。星雫は緊張感のない気の抜けた声音で、恐る恐るといった様子で尋ねた。対蹠(たいしょ)して、白の少女は勿体ぶる。少し間を開けてから、子供が両親へプレゼントを渡すような──効果音を付けるなら『じゃーん』というのが最も相応しい(てい)で答えた。

 

 

「まず魁利から。空歩者(ラウムソウォーサー)は──端的に言ってしまえば、時空を操作する能力。空間だけじゃない、ってところがポイントね。工具で建物を組み立てるように、(はさみ)で紙を切り取るように。簡単に簡素に安易に、時空を切り貼りできるんだ」

「…………………………」

 

 

信じられない、といった風の色を表面へ滲ませる魁利。自分達は一般人で、異能の力なんて遠い存在で。アニメや漫画の中だけと思っていた特殊な潜在能力が、現実離れした少女に告げられた。最早人間でなくなってしまったのではないか? そんな寂寥(せきりょう)が脳裏を(よぎ)る。

 

 

「そ、それはっ……星雫達が、この世界の不適合者だってこと?」

 

 

同じことを思っていたのか、魁利の不安を星雫が代弁した。

 

 

「まさか! そもそも人間はね、古来から魔術の心得があったんだよ。もっとも、これは魔術と呼べる(たぐい)の力じゃないけれど。超能力、程度に思ってくれればいい。そういう星雫の能力は、空整者(アブラストハモナー)──字を起こせば解ると思う。空間を調整する者、と書くんだ。要するに、君は何かをするわけじゃあない。空間を、体外で流れる磁波・電波・音波などの波で調和する──だから、存在だけで世界の均衡が保たれているんだ。創造主の使徒、みたいな感じだと僕は捉えてる」

「じゃ、じゃあ──星雫が居なくなったら、世界のバランスは保てなくなって……崩壊するってことっ?」

「ご名答♪」

 

 

知識をひけらかすのが余程楽しいのか、レウは先程から上機嫌だ。衒学(げんがく)主義なのかもしれない。真実を告げられた星雫は、ただただ呆然としていた。無理もない。今まで星雫が、病魔に侵されたり風邪の一つもしなかったりしたのは──すべてこの能力のおかげだった。

 

 

「なぁ……。こんなこと、信じられるかよ?」

「うん、そうくるだろうと思っていたよ。それが正しい反応だ。力が本当か知りたいなら、実際に試してご覧? やり方は簡単だ。二本指を空中で横にスライドさせ、時間軸のパネルを展開する。そして切り取りたい時間に一本指でマーキングし、指を鋏に模して切り取る。最後にその時空をどこに挿入したいかを考えて、インサートする。……本当に、工作みたいな作業だろう? 因みに、ゴミ箱へ捨てることも可能だよ。デリートされた時空に存在していた人間の記憶は消える。その辺は能力側がオートで上手く調節してくれるから、君は動かすだけで大丈夫さ」

 

 

想像以上のハイスペックさである。魁利は説明のままに、人差し指と中指を小さく横に薙ぎ。現れた淡黄色(リュミエールゲルブ)のパネルに指を這わす。時軸(じじく)が出現したのはいいが、どの時空を切り取りたいか即答できなかった。(しば)し迷っていると、星雫が真剣みを帯びた双眸(そうぼう)で魁利に詰め寄る。

 

 

「だ、だったらっ──初回は、星雫のためにその力を使って欲しいのっ。や、この言い方だと語弊があるかな……切り取る世界を、消し去る世界を、星雫の要望に沿えて欲しいんだ」

「……レウ、他人の時間軸を展開することはできるのか?」

「勿論だとも。自分のだけしか切り取れないだなんて、そんなロースペックなものじゃないよ空整者(ラウムソウォーサー)は。他の人の時間軸を選択したいときは、その人の前で指を一振りすればいい」

 

 

自信満々で、嬉々として──レウは返答する。

自分自身が能力保持者でもないし、作成者だという証拠もないのに、だ。それを聞いて、魁利は『じゃあ』と星雫の前で二本の指を振り(かざ)す。時間軸を展開するということは、魁利に自分の人生を曝け出すということで。レウに聞くまでもなく、星雫自身、これは解っていた。承知の上での選択──それ程までに固く結ばれた決意なのだ。

 

 

「さて、じゃあ詳細を聞こうか。誰の、どの辺りの時軸なんだ?」

 

 

どこまで見越しているのかまったく予想もつかない魁利の視線は、ディープな遠慮を知る彼女の内側を這いずった。眼光に押し負けて諦めがついたのか──喉に詰まったものを吐き出すように苦しそうに、天鈴星雫は続きを紡ぎ出す。

全容はこうだった。時はちょうど、高校時代に遡る。星雫は成績の学年順位が一位で、その妬みか否か、クラスの女子が嫌がらせをしてくるようになった。無視するとか、グループを組まないとか、自分自身に対する陰口を叩くとかならまだ可愛いものだろう。星雫自身、内心で彼女達の内心を嘲笑えていた。無論、人間性も。

しかし、この時世の人間にしては珍しく、物理的攻撃ではなく精神的口撃(こうげき)だった。女子達は本人ではない──星雫の好きなものを愚弄(ぐろう)したのだ。星雫が、自分より天体を優先していて──天体を(けが)されることを、何より嫌っているのを知っていながら。

 

 

「だから、今回はその女の子達の一人の学生時代を奪いたい」

「なるほど、な。……だが、人生そのものを奪わないのはどうしてだ?」

「そんなのっ! 宇宙(そら)に還っちゃうからに決まってるでしょ? 神聖な夜空に、あの子達の陳腐な命を咲かせたくない。夜空は星雫の庭なんだからっ」

 

 

熱っぽく雄弁するところを見ると、どうやら彼女の天体愛は底なし沼のようだった。本気に本気を重ねたらこうなるのだろうか。魁利は真剣に頭を悩ませた。

 

 

「さて、そんじゃやりますか……天体オタクさんよ」

 

 

半分程いつもの調子を取り戻した星雫に軽口を叩き、空中でスワイプして、星雫の前でパネルを展開し直す魁利。自分のために能力を行使するのではないという文字列が脳内に浮かんだことによって緊張が募ったが、逆にそれが動作を精巧にさせた。

 

 

頼軸者(らいじくしゃ)、天鈴星雫。被軸者(ひじくしゃ)三矢儀晴湖(みつやぎはるこ)。時軸は小学生から高校生まで」

 

 

星雫にはパネルが見えていないため、自分のしている操作を実況する。正確には、タップしている文字の読み上げだ。すると一瞬間を置いて、パネルの方から応答があった。形態のガイド音声で聞くような機械音だが、人間をアンドロイド化したようにも聞こえる。訛りはない。

 

 

観海魁利(みうみかいり)様ノ指紋ヲ確認、認証。三矢偽晴湖ノ学生時代ヲ滅却──奈落ノ闇底(あんてい)モ受ケ入レヲ開始。演算ヲ起動シマス。御指(みし)デ切断ヲ施行シテクダサイ》

 

 

ガイドに従って、先程レウが言った通りに指を鋏の形にし──七歳となる四月と、十八歳を迎えた年の三月に切り目を入れる。時軸は案外柔らかいもので、紙のように流れるそれは()()()()の感触に似ていた。無闇に切り刻んでしまいたい衝動に駆られたが、入力情報と異なった行為をするわけにもいくまい、と何とか踏み止まる。

 

 

《デハ、切リ取ッタ時軸ヲスワイプシテゴミ箱ノ上マデ運ンデクダサイ。真上デ指ヲ離ストデータガ完全ニ消去サレマス》

 

 

流れる二度目のガイド音声。魁利は指示通りに指をカーソルのように動かし、デスクトップ上でショートカットをゴミ箱へ移すようにして消却を行う。すると最後にガイドが完了とだけ告げ、時軸滅却の所作はすべて終わった。

 

 

「終わった……のっ?」

「……らしいが。本当に消えたかどうかは、まだ解らない」

 

 

時軸を消したからといって、本人の消滅を確認したわけではない。自分周りの状況だけでは、あまりにも不明瞭すぎた。

 

 

「何を言っているのさ。ちゃんと、三矢偽晴湖という学生は消えたよ? 星雫、彼女の連絡先は知っているかい」

「え、うんっ……高校のときの連絡網が、多分実家に残ってたはず」

「じゃあ、そこに電話を掛けてみるといいよ。学生時代を迎えた彼女は、もうどこにも居ないから」

 

 

電話を掛ける。それはすなわち、上手くいっているのであれば──呼び出した電話口で応答するのは、僅か六歳の幼女、ということで。居ても経ってもいられなくなったのか、星雫は実家にいる母親に電話をし、少し用事があるからと晴湖の番号を聞き出した。若干の猜疑心(さいぎしん)を抱く母親を他所(よそ)に、伝えられた番号へと電話を掛ける。──その場に張られるは、暫しの緊張の糸。細く震えたそれが千切れてしまわぬよう、精神を保ちながら。

 

 

「も、もしもしっ……三矢偽さんのお宅ですか。──はい、私、高校時代の晴湖さんのクラスメイトで──って、…………………………え?」

 

 

どくり、と。星雫の心臓が、逆方向に波打つと錯覚する程に締め付けられる。額から、嫌な汗が流れ落ちた。そしてもう二言三言交わし、戦慄する両手で通話を切り、端末を胸に抱く。

 

 

「…………ない」

「は?」

 

 

彼女の顔に浮かぶは驚愕。初めて心霊体験をしたときのような驚きを(もっ)てして、小さな震え声で口を開く。

 

 

「いない、の。成長した三矢偽さんが。いたのは──幼稚園生の三矢偽さんだけだった」

 

 

小学生以降の彼女が存在していない、ということは。それは、特定時軸消去に成功したということに他ならなくて。頼軸者の星雫より、能力を行使した魁利の方が遙かに驚いていた。

 

 

「ほらね、言った通りだろう? これで、星雫を揶揄(からか)った三矢偽晴湖の存在は無効となった」

「……………………………………………」

 

 

言うなれば、これは殺人未遂のようなものだ。生命を奪ったわけではないが、部分的に傷をつける。この場合は、浅い傷をつけるよりもっと深いものを抉ってしまったわけだが。しかも、物理的外傷は治れど時間は修復が不可能。殺人未遂よりタチが悪い。

一方で、星雫は既に嬉々としている。それもそのはず──なぜなら、忌々しき人間の人生を大幅に奪えたのだから。それを見つめる魁利の表情は複雑だ。己の手で見ず知らずの人間の時間を奪取した罪悪感と同時に、友人の衷情が晴れやかになった──。非常に天秤に掛けがたい。簡単なことで、どちらにも揺らめきそうだった。

 

 

「──なぁレウ。これは、一日に何回でも使えるのか?」

「勿論さ。ただ、使う度に疲労していく。使いすぎると体を壊してしまうし……そこは、自分の体と要相談だね。疲労は、切り取る時軸の長さに比例しているよ」

 

 

なるほど、言われてみれば、手足がそこはかとなく怠い感覚がする。魁利は両手首両足首を回して確認した。たったの一回で自覚できる程の疲れを感じるということは、この時軸の長さは中の上くらいだと言えるだろう。その人の時軸すべて──すなわち人生の丸ごとを奪って殺してしまったら? 自分へと返ってくる代償を考えるだけで身の毛が弥立(よだ)った。

 

 

「実は俺も、奪い取りたい時軸があるんだが──今日はやめにしておこう。どれだけの負担になるか解らないしな」

「ふふ、それが懸命だよ、魁利。……さて! それじゃ、長く束縛しておくのも迷惑だろうからね。能力テストも終えたことだし、元の空間に転移させるよ。──アインス・ツヴァイ・ドライ」

 

 

レウがドイツ語で一二三(ひふみ)を数えると、今までの空間が嘘のように消える。二人の視界に広がるのは、陽の落ちた真っ暗な雑木林。最深部へと覗く小道が、あの少女とこの能力による世界システムの深淵を物語っていた。




なっがい。
10,966文字とは、こはいかに……
普通に書いてたら収拾つかなくなっちゃいました(てへぺr
ラノベ一冊くらいの長さになりそうで怖いですね。
いやー要約する能力がないって恐ろしい!
文章を纏める程度の能力が欲しいな。


次話以降も、長さは未明です。
極端かもしれません。


因みに、あの狭間世界からの脱出方法はあのドイツ語じゃなくてもいいんですよ。
レウの気紛れであり、彼女がそうしたいと思ったらいつでも二人を元の世界へ送り出せる仕組みとなっています。
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