終焉のクラーウィス   作:涼ノ宮 透夏

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第四空  幻ワス珊瑚 ~a phantom that it affect us~

*

 深緋(カーマイン)の世界から帰空したレウと魁利(かいり)は、手に入れた猩々緋(カメリア)星雫(せいな)の傍に置いてすぐに次の世界の扉──甚三紅(クラレット)へと移空した。休んでいる暇はないのだ。間髪入れずに、移空しなければならない。

 甚三紅(じんざもみ)色の鉄扉を開いたそこは、日本史の教科書で見たことがあるような寝殿造だった。広々とした池にはお伝え橋が架かり、季節は春なのか枝垂れ桜が澎湃(ほうはい)と咲き乱れ、﨟長(ろうた)けていると表現するに相応しい日本庭園である。二人は思わず息を吞み、言葉を忘れ、暫し魅入ってしまう。

 

 

「寝殿造が、こんなに美しいだなんて……教科書の写真では分からないものだな」

「本当にね……驚いたよ。──あ、魁利、あれ見て」

 

 

 レウが指差す先には、一人の女の子がいた。歳は魁利よりも若く見え、十三、四くらいだろうか。身に付けている衣装は和装であり、十二単ではなく、時代錯誤をしたかのような対象を感じさせる袴だった。裏葉柳(うらはやなぎ)色のショートヘアに、シロツメクサで(かたど)られた(かんざし)を差している。その柔らかな髪色に、青竹色の瞳。若緑と千歳緑の袴がよく似合う。

 可憐な少女は、おずおずと声を絞り出した。

 

 

「あ、のう……お客さん、どすか……?」

 

 

 か細い声は何とか聞き取ることができ、京都弁で脆く儚く問いかけてくる。何かが不安なのだろうか──一瞬間を逃すまいと、凝然としたままこちらを見上げてくるのだ。

 

 

「客……まぁ、そうだな。案内をしてくれると助かる」

「お、おん。うちについて来てくれたらええ、よ。……残鶯(ざんおう)ーっ、お客さんやで……! そっち連れて行くさかい、準備したってやー」

 

 

 相変わらず細っこい調子で奥にいるらしい人物に精一杯の声量で続けると、魁利達は少女の手招くままに後をつける。

 部屋の中にいたのは、(そほ)色の髪を持つ涅色(くりいろ)の双眸の青年。こちらは少女とは違って大人っぽく見え、二十歳を少し超えたくらいだろう。彼は口を開き、そこへ掛けてくれと言う。

 

 

「……客人。お尋ねしたいのですが、ここは辺境の地なのですか? どうにも周辺に人間が見えないので」

 

 

 周りに何もないのは切り取られた世界──鍵穴世界(シュリュッセル)だからとしか言えないのだが、そう言ったところで信じられはしないに違いない。幽閉された(はこ)の中に収まっている事実は隠して、魁利は言う。

 

 

「ああ。俺は旅を続けてきたからここに辿り着いたんだが……今時旅なんてものをする物好きも減ってきてるからだろ、辺境と成り果てたんだろうな」

「そうですか……。でしたら仕方ありませんね」

 

 

 俺達、と言いかけて魁利は言葉を飲み込む。二人はレウを認識できていないのだ。男二人で会話が交わされる中、少女は鞠を転がして暇を紛らわしていた。幼く見えるもののそれに対して違和感は仕事をせず、(むし)ろ可愛らしく見える。

 

 

「ああ、そういえば名乗っていませんでしたね。自分は残鶯と言います。彼女は淡海(おうみ)──ここの姫に当たる人です。自分らは、兄妹のように過ごしてきました」

 

 

 残鶯によると、父母は生まれた時からいなかったそうだ。そして、児童期の記憶はない。意識を自覚した時から淡海を姫だという風に認識し、幼少期の彼女を育ててきた。

 話を聞いて魁利は、二人でさぞ心細い思いを胸に生活してきたのだろう──そう思った。恢々(かいかい)とした土地に、自分達以外の人間が存在しない。それは普通に考えれば異常な出来事であるが、生まれつき非常の世界で生きてきた常人に、現実世界の一般常識など備わっているはずもなかった。現時点で異常と気付いたのは、きっと書物による知識ではなかろうか。

 

 

「兎も角です、魁利殿。姫は大変寂しがり屋で……私以外との関わりを持ついい機会なので、相手をしてあげてくださいませんか。受け入れてくださればその旅の疲れ、癒すために尽力致しましょう」

 

 

 渋りたいところではあるが、手掛かりも無しにやたらめったらと動く事はできない。情報を得るためにも、魁利はまず淡海と仲良くなろうと思った。

 

 

「構わない。……淡海、ぼうっとしていては暇だろ? 遊んで紛らわそう」

「ええ、の……? せやったら構って欲しいわぁ」

 

 

 打ち解けようという試みが伝わったのか、素直な微笑みを見せてくれる淡海。まずは書庫を案内された。書庫には沢山の本でびっしり埋まっており、読んでも読んでも読み切れないのでは? と思ってしまうような量である。

 

 

「凄い量だな……」

「これ、全部読んだんやで」

「全部⁉」

 

 

 無数に積まれたこの本達を、いったいどんな速度で読み進めたのだろうか──想像するには(かた)すぎるので魁利は考えを放棄し、兎に角知識量が膨大になっているだろうとだけ予想した。

 

 

「うち、本が好きなんや……。飽きてこおへんし、知らん事を……取り入れるのは。楽しいもんやで。そやさかい……読み切ってしもた」

 

 

 にへら、と笑みを向けてくる彼女だが、凄いねと笑って済ませられるような量ではない。軽く数千冊はある。しかし、暇である時間を考えれば考える程、読めてしまうのではとも思えてくるから不思議だ。

ぱらぱらと捲って見ると、かな文字で書かれてはおらずに現代の言葉で綴られている。古典を現代語訳で読めるなら読んでみたいと、文学青年である魁利の心が揺れたが、既に読み終えてしまった彼女の事を考えると自然とその思いは封緘(ふうかん)できた。

 

 

「……さ、少し外に出えへん?」

 

 

 

 

**

 再び移空直後の庭園へと足を踏み入れると、二人して池の(ふち)に寄った。淡海は敷石の一つを手に取り、器用に遠くへと投げる。石はリズミカルに水面(みなも)を跳ねていき、中央付近でやっと沈んだ。滑らせるように水を切る石を見ると、何度も練習したのが見てとれた。

 

 

「上手いもんだな」

「近くで沈んでしもたら、何や悔しゅうて……遠くに飛ばそう思たら、気づいた時にはできてたんよ」

 

 

 そう告げる彼女の横顔は、どこか寂寞(せきばく)を漂わせていて。声色にさえ、寂寥(せきりょう)が滲んでいた程だった。──『何かに打ち込んでいた』。そういった内容を零す度に、淡海の曇り具合は色濃くなっていく。

 

 

「景色は確かに、陶然とするくらい美しゅうのやけど……何にもあらへんやろ、ここ。せやから、残鶯はうちに色々教えてくれた。庶民的な遊びも、女の子らしい事も、護身用の武術も。……最後のは、誰も攻めて来おへん限り……必要ないねんになぁ」

「武術……白打か? それとも、何か獲物を?」

「どないしてか知らへんけど、武器はぎょうさんあってな……? 弓、日本刀、木刀、忍具、薙刀。一通りは教わった。一番使いやすかったんは……薙刀やね」

 

 

 こんなに可愛らしい少女が物騒なものを振り回している姿は想像もできない──というか想像もしたくなかったのだが、思い直せばそれはそれで凛々しいのかもしれない。少なくとも、何の戦闘スキルもない魁利からすれば、戦える人間は格好よく見えるのだ。

 

 

「……ん、陽も落ちてきたみたいやんなぁ。そろそろ夕餉(ゆうげ)作らんと」

「残鶯が作ってはくれないのか」

「嫌やなぁもう……うちは女の子やで、これでも。料理くらいせんと、お嫁に行けへんわ」

 

 

 ふふっと花が開いたように楚々と口元を緩める彼女を見ると、魁利の心はみるみる弛緩されていくように思えた。

 

 

(──こんな子が現実にいてくれたらいいんだがな。可愛いし、料理できるし、方言だし……文句なしだ)

 

 

「じゃあ、頼むよ。俺はその辺を散策してるから、もし淡海の方が早かったら呼んでくれ」

「おん、了解。ほな……また後でなーっ」

 

 

 

 

***

 淡海が魁利の元から去った後、傍らで沈黙を維持していたレウがやっと口を開いた。

 

 

「あの子、君と話してから明るくなった気がするよ。籠から解き放たれた小鳥は、まさにあんな感じなのかな」

「……かもな。俺にも生き生きとして見えた。というか──レウ。喋れなくて辛かっただろ」

「うん? 別に喋る事が出来ないわけじゃないけれどね。話しかけても返答が返って来ないのだから、無理に話しかける必要も無かったかなと思ってさ」

 

 

 するりと零れ落ちる彼女の言葉は、遠慮をそれと感じさせない巧みな言い方だった。すとんと腑に落ちた魁利は、苦笑と微笑の入り混じったような笑みを表出する。

 

 

「しかし、長閑(のどか)だよね、ここ。ずっと暮らしていたら飽きそうだけれど……少なくとも、満たされ続けている状態だ。不幸せは感じない筈だよ」

「俺も思う。淡海は何だか、放っておけない感じもするし……」

「んん? 好きになってしまったのかい、彼女を」

「ばっ、……違う! 断じて!」

「ふぅん。にしては、顔が真っ赤だけれどね」

 

 

 くすくすと揶揄(からか)い続けるレウ。反抗する魁利は無意識に赤くなっていたようで、反論しても全く意味がなかった。

 

 

「もう結婚してしまえば良いのに」

「馬鹿言うな……。自分より年下に手を出す趣味はない」

「そっかそっか。まぁ、時間は十分にあるんだし考えなよ」

「だな……。焦って決める事でもないか」

 

 

 と、そこまで言って、卒然レウが『あっ』と何かに気付いたような声を上げた。

 

 

「何だ?」

「奥に滝が見えるよ。待ち時間で、行ってみよう?」

 

 

 魁利が目線をレウと同じ方向に配ると成程、ちらりと滝が見える。見ずとも音ははっきりと分かるので、退屈凌ぎに行こうと思い頷く魁利。

 二人が歩を進めると、そこには見事な滝が轟々と音を立てて溜りに落ちていた。水は沖縄の水質より透明度が高く、異国やファンタジーでしか見た事のないような透き通り具合である。こんなに美しい水だ、きっと味も美味しいに違いない。

 

 

「なあ、これ……飲んでもいいと思うか」

「良いんじゃないかい? 天然水だし、この甚三紅(クラレット)にはあの二人しかいないんだよ。土地の所有も何もあったものでは無いさ」

 

 

 レウから了承を得ると、魁利は地に膝を付いて手を水面に潜らせ、掬い上げて口へと運ぶ。水が喉を通っていくと、体の最奥に染み渡る──いや、水であるにも関わらず、スパイスを口内へ放り込んだような感覚がする。実際に辛みを感じるというわけでは無いのだが、何かが沈んでいた沼から這い上がってくるような──。内側から、忘却していた記憶に襲撃を受けた。

 

 

「──レウ! お前、物質や物体には触れられるか」

「な、何だい急に。うん、人間以外なら、世界との干渉は(ゆる)されているみたいだ」

「なら今すぐにその水を飲め」

「……? うん」

 

 

 焦燥に駆られっ放しの彼を見てたいそう怪訝そうに小首を傾げるレウだったが、これ程熱く訴えてくるという事は、その行為に何かしらのメッセージが込められているのだろうと予測。魁利と同じように跪いて、透明をこくりと喉を鳴らして飲み込んだ。

 すると彼女の体にも変化が起きる。ぴくん、とその肩が小さく跳ねたのを彼は見逃さない。

 

 

「この水って……」

「ああ。どうやら、ピンポイントで抜けている記憶を呼び覚ます作用があるんだろう。そして──(つい)になっていて、ピンポイントで記憶を消し去るのがあの桜だ」

 

 

 魁利が指差す先には、先程の枝垂れ桜。あの桜はその匂いを嗅いだ者の、最も忘れてはならない重要な記憶・目的を脳内から滅却する働きを兼ね備えているらしい。誰の策略かも分からぬまま、設置された魔の桜木。

 訪れる鍵穴世界(シュリュッセル)の先々で、今後もこのようなトラップ(もど)きが出現するのだろうか? 謎は色を濃くするのみだった。

 

 

深緋(カーマイン)の世界じゃ、こんな手の込んだものは無かったのに……。移空を繰り返す度に、黒幕が罠を張っている──という事なのかな。否、黒幕の存在さえ断定出来ないものだけれど。次の世界でも用心するに越した事はなさそうだね」

「だな。……さて、いつまでもここに滞在してると、また桜の香りに目的をデリートさせられちまう。水の効能が続いているうちに……立ち去らないとな。夕飯もそろそろだろうし、建物に戻ろう」

 

 

 この一言を引き金に、二人はその場を離れた。

 風など吹いていないのに、枝垂れ桜が揺れ続けているとも知らずに。

 

 

 

 

****

 寝殿造に戻ると、絶妙なタイミングで淡海が出迎えてくれた。丁度調理が終わったそうなので、居間の方で待っていて欲しいと言う。

 魁利は以前レウに『食わなくて腹は減らないのか』と聞いたところ、『大丈夫。何故か空腹は感じないんだ。ちゃんと人間なのにね』と言っていた。平気とは豪語していたものの、隣にちょこんと座って何もせずに食事の様を眺められていては魁利の心も苦しくなるというものだ。レウの為でも、目の前に作り手がいては残しておいて後で食べるなどと言う事は出来ない。それが歯痒かった。

 そんな懐古に耽っていると、料理を手にした淡海がひょこっと顔を出す。

 

 

「お待たせしてしもたやろか……?」

「大丈夫だ」

 

 

 机に並べられた料理は和食料理家顔負けの腕前で、まず見た目は完璧だと言える。献立は白米、中華粽、刺身の盛り合わせ、茶碗蒸し、若布(わかめ)(たけのこ)の煮物、長芋の酢の物、餡蜜。いただきます、と一声発してから箸を手に取り一口食べた。

 

 

「美味い……!」

「え、へへ……。せやろか? おおきにな」

 

 

 ふにゃりと柔らかな微笑みで嬉しそうに感謝する淡海も、魁利と共に食事を始める。期待を裏切らない味を心行くまで堪能した後──それからが本番だと、覚悟を決めた魁利だった。

 

 

 

 

 食事を終えたのち、魁利は淡海の部屋を訪れる。襖の外から声を掛けた。

 

 

「淡海、魁利だ。入っても良いか」

「んん~……? ええよ」

 

 

 うとうとしていたのだろうか、眠気を含んだようなとろんとした声を聞き届けると、魁利はその襖をゆっくりと開ける。中にいた彼女は、寝る直前だったのだろう──布団を敷いて寝転がっていた。正直、魁利の目には毒すぎる光景だったが──今はそうも言っていられない。時は一刻を争うのだ。

 

 

「話があるんだ」

「何やの、急に折り入って……?」

「単刀直入に聞く。桃色の石を知らないか」

「……! どないして、あんたはんが……石について知っとるんや」

 

 

 やはり、といった風貌で双眸を細める魁利。淡海も淡海で、一気に括目したようだった。眠気を含んだ声はもうない。

掘り下げて話を聞いたところ、彼女が石の存在を知ったのは、とある書物をいつものように書庫で読んでいた時の事だ。特に何が読みたいとも決めずに乱読していると、表題のない極めて異質な本を見つけた。中身が気になってぱらぱらとページを捲れば、真ん中の見開きだけに『此の石を永続さしたる者 委細が明らむ時に(まみ)えらん』と一言書かれ、桃花(ドラジェ)に色づいた宝石が添付されていたそうなのである。

 

 

「そやさかい、うちは……その石を手放したらあかんのやと思た。世界には……人間がうちら以外に居らんものやと、思てきたけど。もしかしたらそうや無いかも知れへん。石が導いてくれはると信じて。……せやから、これは渡せへんの」

「そう、か。それが……俺がお前達を救う手掛かりに必要なものだと言っても?」

「っ……! それ、は……」

「姫」

 

 

 (ようや)く淡海が折れるかも知れないというところで、襖が残鶯(ざんおう)によって開かれた。何やら神妙な顔付きをしている。恐らく聞いていたのだろう。

 

 

「残……鶯?」

貴女(あなた)は、何のために私から武術を習ったのですか」

「え。それは……」

「簡単に手放したくないのであれば、その力──今こそ振るうべきかと思いますが」

 

 

 そこで一旦言葉を失ってしまう淡海だが、別段言い返せないという訳でも無さそうだった。何かを考え、懸命に絞り出しているような──そんな印象を、魁利は受けた。

 そして、淡海は桜色の唇をゆっくりと動かす。

 

 

「そう……やったね。こういう時は、勝負事で決める人やった。──ほんなら」

 

 

 魁利はん、と。はんなりとした声で、彼の名を呼ぶ。正面から向き合った彼女の表情は、先程までのほわりとしたイメージではなく。とても真摯な眼光だった。

 

 

「石を掛けて、うちと勝負して欲しい」

「その勝負、受けて立とう。お前が勝ったら、何でも一つ言う事を聞いてやる」

「……言うたね。よし、外行こか」

 

 

 

 

*****

 全員で庭園まで移動すると、改めて今が深夜帯なのだと実感する。昼間には見られなかった妖艶さが、不気味さが、水面に映る満月の妖しさを促進させていた。そんな状況ではないと誰もが解っている中、心を動かされずにはいられない。それくらいの耽美な情景が、一人一人に訴えかけている。

 お伝え橋の付近に行くと、一行はそこで立ち止まった。残鶯は持ち出してきた武器を地面に並べ、お好きな獲物をお取りくださいと言う。淡海は使い慣れ使いやすい薙刀を、魁利はベーシックにも日本刀を取った。忍具や槍もあったが、脳内での戦闘シュミレートのしやすさは恐らく日本刀が一番だろう。そんな理由だった。

 淡海と魁利は、互いに橋の上に乗った。レウは近くの木の上に座っており、残鶯は邪魔にならなそうな位置で立ち尽くしている。

 

 

「ほな、いざ尋常に──勝負っ……!」

 

 

 残鶯から武術を習得したとは言えど、所詮は少女だからといって舐めていた。しかしその慢心は完全に誤算という形を迎え、器用に橋の縁に立っていた彼女は飛び上がり、魁利に向かって薙刀を物凄い速度で振り翳す。遊びの戦闘くらいに思っていたが、本気で掛からなければ案外死んでしまうかもしれない──彼女の温厚な性格から考えると有り得ない事だが、勝負に手を抜いては申し訳が立たないというもの。魁利も、全力で臨もうと思った。

振り翳された刃は寸手のところで避け、手の甲に掠り傷を負う程度で済む。そこからは魁利の反撃──戦闘のアマチュアながら、軽い身のこなしで薙刀の柄に日本刀を叩き込んだ。あまり上手い一撃とは言えないものの、淡海の手首に若干の麻痺を与える程度の力はあった。それが男女間に出る唯一明確な差だろう。

魁利がダン、と強く足音を鳴らすと、足元に力を込めていなかった淡海は思い切り尻餅をついてしまう。隙あり──そう思って彼が振り下ろした切っ先は、橋の木目へと刺さった。彼女がどこに消えたのかと思えば、当然消えたのではなく、瞬間移動のような速さで横に転がって回避したのだ。避け方も、上手い。残鶯にしっかり教わったのが痛い程に解る。

 

 

「やるやないの、……魁利はん」

「それは、こちらの科白(せりふ)だ。少女とは思えない動きだよ。正直、俺にはその速さ──真似る事は出来ん」

 

 

 ふっ、と両者は色濃く微笑む。戦闘を心から楽しんでいる様子は、レウの目からも残鶯の目からも判る程だ。

魁利は淡海を(おび)き寄せるため、橋を渡って池の中心に浮かぶ小島へ駆けた。罠に嵌ったように追いかけて来る彼女を後ろ目に確認して、島の(ふち)で急停止する。そして淡海と激突する寸前で回避しつつ足を引っ掛けて、池の中へと落した。落ちる前に薙刀でブレーキを掛ける咄嗟の判断は褒めるべきだが、勢いをつけて走りすぎた為、そのまま漆黒の水中へダイブする形となってしまう。

 魁利が淡海を池に落としたのは、単純な考えからではない。昼間彼女が池で石を滑らせていた中で『練習した』との事を思い出し、回数を重ねて練習したのならば、池の中に沢山の小石が落ちているはずなのだ。そんなところにこの勢いで真っ逆さまに落ちれば、無数の小石が体へ刺さる。戦闘を続行出来るかどうかの難しさは、少しだけ線を濃くするだろう。

 

 

「いッ、あ……!」

 

 

 予想が的中し、どうやら冷え切った水の中で痛みを伴うのは、かなり体に負担が来たようだ。

 

 

「悪いな、淡海。お前の負けだ」

 

 

 そう短く発露したのと同時に、水中で体勢を起こして座り込んだままになる彼女の顔の横を通過して水底へ刃を突き刺し、ゲームオーバーを知らせる魁利。

 

 

「……ははっ、完敗や。策士やなぁ、あんたはん」

「そうでもないさ。……ほら、立てるか」

 

 

 魁利は悔しそうに苦味ある笑みを浮かべる淡海に手を差し伸べると、月光に照らされる濡れた手を取った。

 

 

 

 

「ほな……約束の石や」

「ああ。ありがとう」

 

 

 戦闘を終えて、残鶯に介抱して貰いながら、淡海は桃花(ドラジェ)を手渡してくる。触れてしまったら、深緋(カーマイン)の世界のように瞬時に帰空となってしまうのだろう──そんな覚悟を胸に抱いて受け取った魁利だったが、

 

 

「…………?」

 

 

 触れても、何も反応しなかった。まだ桜の影響が、後遺症のように続いているのだろうか? そんな念に駆られた彼は、それは違うとすぐに首を振る。そして──とある事に気付いた。レウも気付いたのだろう、体を乗り出して魁利の手元を覗き込んでくる。

 

 

「これは……輝きが失われているね。生気を失っているようだ」

 

 

 輝きを取り戻すには、どうしたらいいのか。その考えは簡単には出て来なかったため、もう一度書物に立ち返ろうと魁利は思った。見落としているページがあったかも知れない。

 

 

「淡海、あの本、もう一回借りていいか」

「ん? ええけど……」

 

 

 彼女から了承を得ると、その場に落ちていた本に手を伸ばして焦り気味に開く。乱雑にぱらぱらとページを捲っていくと、例の見開きに新たな文字が刻まれていた。

 

 

『依り強き想いを込めし者の生命の代替として息吹を吹き込まんとせば ()の人々は救はらまし』

 

 

 その文字列を見て理解した時、魁利は戦慄して物も言えなくなる。彼の様子を見て訝しげに思った淡海は手当てが終わると黙って魁利から本を奪取し、同じ文字列を眺めた。

 

 

「……ふぅん。なぁ、これ。仮定条件で示されとる人物て、うちの事やろ。残鶯には石の存在を隠してきた……。──せやから」

 

 

 痩躯(そうく)を近づけて、彼女は言う。

 

 

「ええよ」

「──何が、」

「魁利はんが、魁利はんの救いたいものが、救われるなら」

 

 

 一息ついて──笑顔で。

 

 

「この命、大好きなあんたはんに、喜んで捧げるっちゅう事」

 

 

 そう言われた魁利の方が、余程死んでしまいたくなるような衝動に駆られた。確かに帰空しなければ星雫を救う事は一生叶わなくなる。しかし、自分にひどく懐いてくれている彼女を殺してまで──この世界から帰りたい、と。本当に思うのだろうか? 自問を繰り返しても、一向に自答が出来ない。

 

 

「姫、貴女は何を言って──!」

「残鶯」

 

 

 ぴしゃり、と。制止を掛けられた残鶯は、それ以上言葉を紡げなくなる。何としてでも止めたい、けれど、主の意思を尊重したい。葛藤に腕を巻きつかされて、押し黙ってしまう。

 

 

「大方……今から時間をかけて、自分がうちより石に想いを込めたかったんやろ? けど、そんなの何年かかるか知れたもんじゃあらへんわ。急いでいる様子の客人を、長く引き留めるもんでも無いで」

 

 

 こんな時に限って察しのいい淡海は、石を(てのひら)に持つ魁利の手首を掴み、心臓に石を押し当てさせる。石は彼女の胸元に張り付いて、次第に生気を吸い取り始めた。

魁利も魁利で、星雫の為を思うとこの手を振り解く事が出来ない。せめてもの反応として、熱い雫が頬を滑った。

 

 

「魁利はん。うちは……幸せ、やった。短期間でも、人と触れ合えた。……内気なのにも……かかわらず、積極的に、優しく……接してくれはった、ね。ああ、もう、思い残す事は──……」

「喋るな……ッ、吸い取る速度が速まる」

「意地悪……言わんとい、て……よ。最期くらい、喋らせて……?」

「……じゃあ、最後に一つ、聞かせてくれ。お前は、勝負に勝ったら何を得たかった?」

「ふは。そん……なの、決まっ、てるやろ……。それはな──」

 

 

 ここまで掠れたソプラノを響かせていた彼女の音声が、ぴたり、急に止まった。それを合図に、胸部の石が桃花(ドラジェ)に煌めく。

 声を殺して呻き泣く魁利に、残鶯が重い口を開いた。

 

 

「……魁利殿。遅かれ早かれ、私も世界と共に消滅するでしょう。ですから……姫の、淡海様の意思を。抱えて、帰るべき場所に帰り──私達を救うと、約束してください」

「勿論だ……。真相を突き止めて、必ず全員助けてみせる」

 

 

 魁利の答えを聞き届け、満足そうに頷く残鶯。魁利も、新たな覚悟を胸に桃花(ドラジェ)に触れたのだった。

 

 

 

 

******

 淡海の残した言葉。最期のあれは、レウにだけは意思として伝わっていた。

 

 

(狂おしい程に愛おしい魁利と、ずっとずっと一緒に居たい──か。淡海らしいお願いだよね、本当にさ。一途で、真っ直ぐで……惜しいにも程がある)

 

 

「……大丈夫さ、魁利。僕らで、必ず鍵穴世界(シュリュッセル)を攻略しよう。そして星雫も、扉の向こうで関わってきたすべての人達も。全員救って──元の世界に、帰るんだ。絶対に」

 

 

 レウは、隣で横たわって眠る魁利の涙で濡れた寝顔に、淡海の幸せそうな最期の微笑みを重ね合わせて見つめた。




遅れてしまってすみません!!
二ヶ月とか……大遅刻にも程がありますね。


さて、桜の香りが効いている事、文章を読んでいて伝わったでしょうか。
焦らなくていい。
時間は十分にある。
そんな科白を参考に、察して頂けたらと思います。


料理は袴に合わせて、大正以降──まぁ、大正以後はほぼ現代と変わらないので、現代の和食からセレクトしてみました。一部中華入ってるけど。
最初は平安の食事にしようと思ったのですが、あまりに貧相で不健康で不味いと批判されている故、あっこれは服に合わせた方が好都合……となりました。


戦闘で外に出ている時、水の効能は大丈夫なの? と思った方もいるかと思いますが、この水は丸一日効きます。よって大丈夫です。
終了のシーンは、誰か絵にしてくれないですかね……?
ていうか何方か、淡海ちゃん描いてください(真顔)


二話分の戦闘を踏まえて解る方もいますでしょう。
ノンリアリスティックなのはシュリュッセルの事、リアリスティックなのは戦闘形式の事です。
これだけ異質な世界なのに、掌から発火したり桜吹雪を操ったりは誰もできません。
そう、本当に魔法の概念がないのです。
高校生が実は魔導師だったとかそんな展開は見飽きていますが、逆ってあまりないですよね。他に存在するのかは知らないけども。
書いててとても楽しいです。


後書き長くなっちゃったなぁ……
よし、次回予告!
とある師弟と魁利達が交錯します。お楽しみに。
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