あてがわられたベッドに身を沈める。
予想外の出来事の数々で身体に思った以上の負担を強い、腕一本を動かすことさえもだるく感じる。ベッドへ身を委ねると自然と瞼は閉じられたのだが、それ以後が訪れない。
体を休ませろと心は言うのに、頭はまだ考えるのをやめるなと告げているようだった。
興奮のせいで寝れないことは何度も経験があった。
明日が修学旅行などで楽しみで眠れない夜や、人生を左右する受験に緊張で眠れない夜。早く寝たいのにと焦燥はあるのに、はやればはやるほど脳は活発していった。
同じ眠れなさを感じているのに、今までのそれと全く違う冴え方をしている。
楽しみがないとは言わない。異世界へ来て、見慣れぬ光景を見て、ファンタジーを体感すれば、夢見る男子なら血が騒ぐのは止められない。
だが、それが理由で眠れないわけではない。
緊張は当然ある。自分の部屋以外で寝る行為自体がそもそも異空間におけるそれで、手馴れない以上に違和感を禁じ得ない。眠れない大きな理由ではあるのだろう。いつもと違う枕では寝付きにくいのと一緒で。
だが、それが頭が冴えている理由ではないのだ。
心が不安によって摩耗し、体は疲労感を拭えなくても、冷えすぎた頭がまだ休まる時ではないと叱咤している。
素直に寝れないならいっそのこと、考え尽くすのも一興かもしれない。
判断材料は、色々と手助けしてくれたノアから得ている。
(何を考えるべきってまずは自分の家に帰る方法だとは思うんだけど)
帰る方法は以外にも簡単に知ることが出来た。あとはその手段をどのようにして得るかであるが、それもどうやら『お金』が必要になりそうな雰囲気であった。
方法の一つは、魔導師と呼ばれる、所謂魔法使い。それもとびきりに上級な魔法使いじゃないと異世界への扉は開けられない。運良く知り合うことは、現状では不可能と見る。
方法その二は、まさしく金銭問題。ノアの言った『皆さん忙しいの意味』の意味は何となく察するからに、現状は煉夜のような次元漂流者──迷子の受付はやってないとのこと。時限装置自体は買うことも、幾つかの条件さえ満たせれば不可能ではないとのことなので、煉夜としては『世の中は金が正義か』とぼやくのも致し方ないことだ。
今すぐに帰れるなら帰りたいと思う反面、ちょっとはこの世界を満喫してみてもいいのではないかと思う心は当然ある。言うなれば、強制的に今すぐ帰ることが出来ないこの立場は好意的に見ることも可能でもある。
(ネガティブよりはマシなはず)
実に都合のいい落とし所。
かくして帰ることは不可能ではないと結論付けた所で、更に根深いところに問題があることを放置してはならなかった。
むしろ、ここまでの思考はある前提を基に建てられている。
当たり前であり、煉夜にとっては無くてならならない前提であるそれは。
(地球が無くなってる可能性……だよね。考えたくはないな)
思う言葉は軽くとも、のしかかってきた不安は想像以上に重たい。
家族もろとも、自分以外の全てが消えてしまっているかもしれないと思うと不安は募るばかりで、悲しみは一向に湧き出ない。おそらく、実感が伴わないからだろう。
意味合いは理解できるし、どういうことになってるかも想像はつくのだが、目の当たりにしていないだけで、こうも感情に違いが出るものなのか。
ノアに可能性を示唆されただけで、事実として認識していないのも大きいのかもしれない。これが新聞の一面にでも確固たる物として取り上げられた後、死亡者一覧に家族の文字があればまだ実感も出てくるというものだ。
言うまでもく、そんなことは想像するのも嫌であるが、最悪を想定して、今後の身の振り方を考えなくてはいけない境遇では、考えないことこそが現実逃避と言える。
順序が逆。帰れる場所がないなら、帰るための方法を思案しても意味が無いのだ。帰れない事も考えて、行動するにはやはり…………
「先立つもの? つまりあれですか、お金を要求してるんですか? 私に?」
ノアはちゃんちゃらおかしいとせせら笑った。下卑た笑いとも取れるそれは、明らかに煉夜に対する見下しと蔑みが混じる。
「待ってノアちゃん、君は大きな勘違いをしている」
罵声が飛びかねない彼女の態度から、慌てて手を振り、二の句を告げる前にノアの認識が間違っていることを訂正しようとすれば、その静止にも関わらず彼女は鼻で笑う。
「勘違い? 勘違いなんてしてないですよ」
と、今度は椅子の上に立って、物理的に見下してくる。言葉は丁寧でも含むニュアンスに優しさの欠片はなかった。
しかし、どうにも椅子の上に立ったことで、背の小さが余計に露見しているように連夜には思える上に、どうにもノアのその必死な行動が、ちっちゃい子供の背伸びのように見えて仕方ない。
煉夜とノアの関係がノアの一方的な早とちりで悪化しそうな局面だというのに、ノアの行動に可愛いと不覚にも見惚れてしまった。
自分に幼女趣味はない……はずである。
「あ、今、私に対して失礼なことを考えましたね」
「な! 言い掛かりはやめてくれよ!」
「いいえ、私の勘違いじゃないです。ぜっっったいに思ってました!」
ノアは侮蔑を含んだ表情から一転、頬を膨らませ怒りへと変わる。
話をそらすことに成功したが、進めることには失敗してしまったようだ。
怒り心頭といったノアの怒りが完全に沈下するまで、ただ待っているだけでは日が暮れかねない。今もまた、どうしたもんかと頭を悩ませる煉夜を頭上から「ねえ、聞いてますか」とかなり強い口調で怒りを顕わにしている。
何故そこまで怒るのか、イマイチ納得しきれない連夜はノアに疑問を直接投げれば。
「大体予想がついてしまうんです。私に対して、幼いだとか考えてたってことは!」
「予想だけでこんなに怒られるなんて、そんなのあんまりだ!」
心外だ。八つ当たりだとあくまで連夜は身の潔白を表情を全面に押し出して主張する。
本当のところは有罪であるからして、少女の勘の鋭さに驚愕を禁じえない。驚きを表情に出しては、自白しているようなので、驚きを表情に出さないように内心のみで抱く。
にらめっこを続けてもなんも利益を得られないので、煉夜がため息を付いた。
「しょうがない。俺が悪かったから、機嫌を直してくれ」
仕方ない雰囲気を出しつつそう言って大人の対応をとれば、ノアが小さく「……そういうのは、ずるいと思います」と呟いて、縮こまりながら椅子に座った。
「職を探そうと思うんだ」
「…………はい」
煉夜の真剣な表情に押されて、ノアもその言葉の重みを分かってるからこそ思いつめた表情で返す。
「別に帰ることを諦めたとかじゃないんだ。昨日、ノアちゃんに言われたように自分の星、帰る場所が無くなってる可能性は確かにあると思う」
無くなってる可能性のほうが高いのも分かっている。
未曾有の大災害になってると考えるのが妥当なのだ。いくら震災に強く、慣れている日本という国であっても、原因が科学的に解明されている以外のものであれば、解決するのは難しい。魔法なんて概念は表沙汰には認められていないのだから。
こうやって異世界が存在したのだから、実はオカルト的な機関も裏にはあるのかもしれないが、常識的な判断としてはやはり手遅れになっていると思うのが普通なのだ。
日本だけの問題ではなく、そもそも世界の危機に瀕してる可能性だって否定しきれない。
「それでもやっぱり、俺は帰りたいんだ。家族だっているし、友達だっている。昨晩さ。借りたベッドで考えたら家っていいなって思い始めちゃってさ」
「軽々しく言えないですけど、気持ちは分かります。私も、お姉ちゃんもお父さんもお母さんも好きですから」
物憂げに、歳相応とは思えない悲観的な表情でノアは答えた。
「あー、ごめん。別にノアちゃんに辛いことを言おうとかそんなんじゃないんだ。だから、その……泣きそうな顔は出来ればやめて欲しいかなって」
ノアは「すみません」と消え入りそうな声で言い、指で軽く目尻を拭った。
「ポジティブに、そう、ポジティブに捉えることにしたんだ」
「前向きに考えたってことですか?」
不思議そうな視線を煉夜は受ける。
実際、事ここに至って自身のこの考え方は意外と特殊なのだろうと自覚はあった。塞ぎこむのは性に合わない。それもあったが、それ以上にこの少女の前では見栄を張りたい自分が居た。
「向こうに居たっていつかは就職するのだし、就職先が国内か国外かの違いか、早いか遅いかにすぎないんじゃないかってね」
今すぐにはどちらにしろ家族には会えないとなれば、機会をじっと待つか、己で掴むようにするしかないと煉夜は考えたのだ。可能性はあくまで捨てない。希望を捨ててしまえば、平常を保っていられる自信もない。
今はただ単純に、どうすれば生き残ることが出来るかだけを考える。
それでいて、煉夜の望みを叶えられそうな仕事といえば。
「だから、俺は管理局員になる」
「……道理、ですね」
一石二鳥だろ、と煉夜は会心の笑みを浮かべる。
元々は、向こうの世界でも公務員になる予定だった。しがない地方公務員でそつなく仕事をこなし、適度にお金を稼げて、などと甘い蜜を吸う夢ばかり見ていた。
それが、そんな面白げもない未来予想図に予想外な色が混ざり、少々面白いとさえ煉夜は思っていた。魔法の存在するこの世界で、例え自身は魔法を使えなくても、触れる機会が増える。たったそれだけで、胸が踊るのを感じている。
理にも適っている。
ノアの言う通りならば帰る方法は二つしか無く、それぞれの方法が人脈とお金と権力で事が済むものでもある。
それらが手に入るのは商業か管理局になるだろう。
単純に次元移転装置か管理局に深く携わっていたりすれば商業でも使える機会は巡ってくるだろうと思えるし、あとは金策的な意味合いを多く含む。
管理局はもっと直線的だ。局員になれば使う機会は、自ずと現れるはず。
その考えをノアに打ち明けると、彼女も否定はせず、局員になるのは手っ取り早い方法であると頷いた。
──もう一度だけでいいから家族や友人と顔を合わせたい。
偽りのない煉夜の本音。
春先には大学生になる予定だった彼は、上京を決意し、それを実行する程度には自立心は高く。今更、親元や旧知に会えないからと泣き喚くわけではなかったが、それでも安否を確認したい想いは強い。
生きているか死んでいるか。それがはっきりするまでは、涙一粒を零すのすら惜しい。
「勉強が必要ですよ」
「そら、公務員なんだから試験があるわな」
当たり前だ。すでに鬼のような勉強が必要な覚悟はできている。
「魔力のないあなたでは役職が限られますよ?」
「魔法のある世界なのだから、魔力無しには辛い世界なのは、なんとなく察してる」
よくある話だと煉夜は思う。
ないよりはある力。魔法がこの世界でどれだけ優遇されているかはまだ煉夜には分からないが、最初からない力よりは、何かしらの力がある方がいいに決まっている。
「本当に分かっては……やっぱりいいです。あなたが本当に目指すのであればそのうち分かることですから」
ノアは言葉を濁し、何かを含めた言い様ではあったが、特に煉夜に追求せずに息を吐く。
中途半端なノアの態度に、煉夜がむっとして「なんだよ」と聞けば、ノアは首を横に振り「いいえ」と答えるのを避けた。
「それで結局は、どうしたいんですか? 管理局に入るにしても、目指すものをもっと具体的に決めないと」
「ああ、それなんだが」
煉夜は溜め込んでいた考えの全てをノアに包み隠さず話した。
彼女の協力は煉夜の目的を達成するのに必要であったし、これが一宿一飯の恩義でもあると思ったからだ。殴って気絶させたから、という理由の割りには十分以上にもてなしてくれているし、何よりこの家を追い出されれば、行く先はない。
管理局の庇護下に入るのはもちろん視野に入れたが、それは煉夜の自由を保証するものではない。体よく元の世界へ返してくれるなら、笑ってそれも出来るのだが、戻る世界を失ったとしたら、どうなるか分からない。
孤児院のようにどこぞの里親に出されるのかもしれない。煉夜の年齢的にはそれも厳しい。なら、管理局員としてしごかれる未来も想像したが、魔力のない煉夜ではただ事務員としてこき使われる未来しかない。
それでも悪くない、と思う反面、野心が異世界という地に来て沸々と湧いてくるのを感じていた。
帰りたい気持ちと、ここで何かをしてみたい願望。相反し、交わらないような複雑であって単純な二重螺旋のような心境だが、不思議と煉夜の中では矛盾してると思わなかった。
「それで先立つ物ですか」
「俺への投資だと思ってさ」
「会ってから二日しか経ってない人に投資しろと言うのですね」
「将来、俺がノアちゃんを雇ってあげるからさ」
この通りとお決まりのポーズをして、お願い倒す。
小さい女の子に必死に懇願している青年の図は、ひたすら情けないものであったは、煉夜にはこれしかなかった。
「しょうがないですね。拾ったものには責任を持ちなさいと言われて育ちましたから」
「ものって……」
「今のあなたにはその程度の価値でしょう。あなたの境遇には同情するものがありますが、それ以外の選択肢だってあったのですから」
管理局員になるだけであるなら、今の管理局においてそれほど難しいものではない。それを、それでは物足りないからと贅沢を言ったのは紛れもなく煉夜なのだ。
ノアの了承の言葉に、何度も感謝の礼をする煉夜。
「──あなたに期待してもいいのですね」
それは煉夜の耳にも届かず、彼女が手元に小さく出現させた異端(ベルカ)の魔法陣は、そっと消えた。
7ヶ月ぶりの更新(震え声)
待ってる人が多ければ、もう少し頑張って執筆しようかなと思ったり思わなかったり。
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