「よう、お前だな。最近スラムで暴れてるっつう不良女は」
若い男の声が背中から聞こえる。振り返ってみるとやはり若い……というより幼い。第一印象は紅いか綺麗のどちらかだろう。確実に自分より年下の少年。それなのに纏う軍服は彼によく似合っている。
「誰だキサマは」
「この区画の警備を担当しているお巡りさん。君のような目つきの悪いオネーさんの相手も俺の仕事」
栗色がかった黒髪の美少女は眉をひそめ、息を吐く。つまりいつもの警備とは名ばかりのくだらない軍人という事だ。自身の階級を免罪符に、近づいてくる輩は何人もいた。自分で言うのもなんだが、整った容姿と男を引き寄せる体つきをしている自覚はある。そういう相手は会話を返すだけで調子にのる事を知っていた。黙って構える。叩きのめせばいいだけの事だ。
「へえ、拳法家か。聞いてるぜ。人を効率的に壊す方法を知ってる女だって。医者の娘かなんかなのかな?」
差している剣を腰から外す。そのまま遠くへと放り投げた。
「何のつもりだ。言っておくが私は手心など加えないぞ」
「ああ、そうするがいい。俺は手加減するけどな」
侮辱とチサトは受け取ったが、事実はそうではない。相当の使い手だと認めたからこそ、素手の勝負を挑んだ。
皇拳寺以外の拳法家と拳を合わせる機会は稀だ。放っておいても強くなる相棒に負けないように、少しでも多くの技術を体感しておきたい。
「行くぜ」
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「おい!聞いたか?例の話!」
「ああ、ついに捕まったんだろ?あの人」
号外を手に、民草たちは様々な話をしている。帝都では今、この話題で持ちきりであった。
それもそのはず。帝国軍の威信を大いに傷つけ、軍の基盤を盛大に揺らした大罪人の逮捕。威信を取り戻すためと、敵対勢力への脅しの意味も込めて、必要以上に大げさな情報伝達を帝国は行っていた。
仲間殺し、帝国へのクーデター計画、敵前逃亡、新聞に載っている彼の罪は数え役満だ。しかし、それを見ながら、都民達は皆不思議に思っていた。
「けど未だに信じられないねぇ。副将軍様がそんな事をしただなんて」
そう、ヴァリウスは帝国で唯一と言っていい、親民派の将軍だった。軍が行ったボランティアや炊き出しにはほぼ確実に彼の名前があった。彼の恩恵を受けた者達はそれなりにいる。
「しかし、恐らくこれから軍は割れるぞ」
目端が利く者はこれからの未来を予想していた。この新聞の内容が真実なら間違いなく極刑。けれど人材としてこれほど有能な人間もいない。良識派の文官や将軍は彼の死刑を止めようとするだろう。
「でもこんな事ができる人を帝国が生かしておこうと思うかねぇ」
青い顔をしながら新聞の写真を見る。そこにはこの号外の中で唯一脚色されていない真実がある。
崩壊した巨大なピラミッド、周囲一帯焼き尽くされた焼け野原に、不自然な氷だけが不規則に残されている、まるで天変地異でもあったかのような映像だった。
▼
「認めない」
「なんで!」
チェルシーが新聞を机に叩きつける。直接的な行動に移してはいないが、他の二人も思いは同じだった。
「このままじゃ先生は殺される!多分もうそんなに日は残ってない!こんな所に隠れてないで、私達も……」
「それをお前達にはさせないと私はヴァルと約束した」
帝都に行って彼の奪還を敢行しようと主張する弟子達。本音でいえばチサトも今すぐ帝都に飛んで行きたかった。あの魔神と再び戦ったのだ。きっとたくさん怪我をしているはずだ。きっと酷い拷問を受けているはずだ。すぐにでもあの人を助けたい。それが無理なら、せめて治療がしたい。
けれどそれを実行するわけにはいかない。彼は自分達に生きろと言った。
「チサトは悲しくないの!先生のことこんな有る事無い事めちゃくちゃ書かれて!こんなにボロボロにされて悔しくないの!」「そんなわけがあるか!!」
チェルシーの怒声を上回るチサトの怒声が掻き消す。
「悔しいに決まってるだろう。悲しいに決まってるだろう。だがだからといって向こう見ずに突撃してどうなる。貴様は本物の頂点を見て、戦って、何も思わなかったのか!」
黙り込む。何一つ言い返せない。3年という月日をあの人にみっちりと鍛え上げてもらった。それなりに実力つき、自信もつきつつあった。実戦でも自分達の力は通用した。最前線であろうと戦えるという自負が彼女達にはあった。実際に確かな結果と力が伴ってきたからこそ生まれた僅かな慢心。
しかしそんなものはもう消し飛んでしまっている。逃げながらの遠目からではあるが、師とエスデスの戦いは少し見た。今まで見た事がないヴァリウスの姿だった。あのバトルウルフと戦っていた時より、遥かに強く、激しい戦いだった。
「貴様らごときが帝国に突っ込んで何になる!あのヴァリウスでさえ敵わなかった相手なんだ!貴様らの惰弱な牙では傷一つ付けられはしない!台風の中に虫が飛び込む様なものだ。吹き飛ばされて、叩き付けられ、終わる!そんな事をさせるためにヴァルはお前達を鍛えたわけではない!」
「…………でも……でも」
「宮殿には私も何度か入った事がある。内部の警備を務める近衛の強さはヴァルの折り紙付きだぞ。あのエスデス軍と比べても遜色ない程にな」
警備態勢の監督を行ったのはブドーとヴァリウスの2名だった。腹心の部下であったチサトは彼の手伝いをしていた時に彼が漏らした言葉を聞いた事がある。
侵入者対策の罠もドッサリとある。保身にだけは長けた連中がここに居れば大丈夫と創り上げた城。突破は自分でさえ困難だと言っていた。
「…………私のせいだ」
ずっと俯いていたファンが小さな声で呟く。後悔の色が強く残った涙まじりの声は全員に聞こえていた。
「私が、あいつにクラムで仕掛けたから…」
「違う、ファンのせいじゃない。あの場面ではもう戦闘以外の選択肢はなかった。元はと言えば私が師父の命令を無視して墓なんかに向かったから」
「やめろ、誰のせいとか言うな。あの場にいた全員がヴァルの指示を無視してあそこに向かう事を決めたんだ。誰のせいでもない。責任を取るのは指揮官の仕事だ。お前らなんかが私からそれを取り上げるな。私はその件でお前達を責めることはしない。罰しもしない。楽になろうとするな」
自己を責めることで、誰かに罰を与えてもらう事で、救われる事もある。しかしチサトはそれを弟子達に許さなかった。悩み、苦しみ、後悔する。それこそが狼の教育方針だったからだ。克服するのも自分の手でなくてはならない。
チェルシーが自分の荷物を纏め始める。といっても旅の途中であったため、それほど多くはない。バッグを幾つかとガイアファンデーションだけだ。
「チェルシー、どこに行く?」
「止めても無駄よ。私は行く」
背を向けたまま答える。続いた。
「確かに私の力なんてあの人達に比べたら足元にも及ばない。私一人が楯突いたところで木っ端微塵にされておしまいかもしれない。先生が私にそんな事を望んでいない事も分かっている」
いつかこの国のために、お前達の力が必要になる時がきっと来る。
この言葉が師の口癖だったから。
「けど私はこの国や、帝国の民のために戦う気なんてないよ。私が戦いたいと思った人も教えを受けたいと思った人もこの世でたった一人だけだから」
昔は地位や名誉、お金がチェルシーにとって最も大事なものだった。それらの力は凄い。人を奴隷にする事も、人殺しや人狩り何て事をも可能にする。かつて働いていた太守の非道に唾棄しながらも、その力の凄まじさは認めざるをえなかった。
だがあの日、彼女は出会ってしまった。そんなくだらない、誰かに与えられた権力など一笑に伏すような、圧倒的な個の力。壊すのではなく、守るための強さ。人を初めて美しいと思った。
金や権力の力を今も否定する気はない。この乱世が終わったら、それを求める事もきっとあるだろう。今は無理だけど、平和になれば豊かな、そして暖かな時を過ごしたいという願望はある。
しかしそれは、ここにいる家族達が全員揃っていなければ意味がない。
『お前は少し見切りが良すぎるなぁ。悪いとは言わねえがそれだけではいけない時期が必ず来る。もっと足掻けよチェルシー。人間ジタバタしたっていいんだ。誰もが諦めるような状況でも、この俺すらお前の前で諦めていたとしても、お前だけはそれでも、と立ち上がれる人間であれ』
ごめん、先生。もう一度だけ、貴方の教えに背く。でも、私は貴方の弟子であり続けたい。貴方の教えに背いても、貴方に教わった魂にだけは背きたくないから。
「この世に100と0はない。あの人を死なせない可能性はまだ残っている。なのに私はまだ何も足掻いてない。ジタバタしてない。それを叶えられる可能性がまだ1パーセントでもあるなら、私は諦められない」
ーーーーコイツ……
こちらを見返すその瞳を見て、チサトは息を呑んだ。あまりに似ていた。あの紅き狼の目と。
『俺が残る』
いつだったか、まだエスデス軍が今ほど主戦力として扱われていなかった時、捨て駒役の殿を命じられたことがあった。その時、最後まで残ると言ったのが彼だった。
『比較的狭い峠道だ。ここを使えば勝算はある。エディは撤退の指揮を頼む。最後方は俺がやる』
『わかった。頼むぞ副隊長』
当たり前のように男の提案を受け入れる。本当なら自分も残って戦いたかったが、撤退戦は超攻撃型の彼女にはあまり向いていない。どちらかというと守りの戦いを得意とするヴァリウスの方が適任だ。
『無理です!相手はただでさえこちらの隊の10倍以上の数なんですよ!最後方などほとんど兵力は回せません。実質副隊長一人でこちらの10倍の戦力と戦うようなものです!』
『だがこれが最も被害が出ない』
『ご再考してください副隊長。あなたの命は兵卒のモノとは違うんです。他の誰が死んでも、貴方だけは生きなければならない!』
それが指揮官の……大将の責務だ。その事をこの男が知らないはずはない。
『お前の言っていることは確かに真実だ。命は何にだって一つだが、その重さは全く違う』
『でしたら……』
『だが誰も死なせない道が今、確かに目の前にある。そして俺はまだその道でもがいてもいなければ何も試してもいない』
べっ、と舌を見せる。戯けたような仕草だが、目は違う。その紅玉の瞳の奥には決意の炎が燃えている。
『これは俺の持論だがな。この世に100と0はない。可能性が1パーセントでもある内は、いや、そんなものがないとしても、俺は諦められねえな』
そして彼は残り、千人以上の敵をたった一人で足止めし、見事に生還を果たした。限りなくゼロに近い。だがゼロではない可能性に彼は勝ったのだ。
他の二人も荷物を纏め、自身の得物を引っさげ、隠れ家から出ようとする。
「行こう、チェルシー。他の誰が諦めたとしても、私達はあの人の命を諦めちゃいけない」
「私も行く。今度こそ守るんだ。私に残った最後の家族を」
全員があの時のヴァリウスと同じ目をしている。もう言葉で止める事はできない。力ずくでなら出来なくもないだろうが、それはしたくない。
「待てお前達」
「だから止めても無駄だって。安心しなよ、貴方にこんな無茶な決死行に付き合わせる気はーーー」
遮るようにパラリと投げられたのは一通の書状。宛名にはナジェンダと書かれていた。
「帝都にいる私の唯一の知り合いの将軍だ。彼女宛に書状を送る。獄中の様子や情報を彼女から得る」
「チサト……」
「私だって、あいつの命を諦めるつもりはない」
ーーーすまない、ヴァル。私達はお前が思っていたよりバカらしい。けどわかってくれ。お前にもあるだろう?
初めて出会った頃の事は思いだす。
私たちにも世界より大事なものがあるんだ。
「行こう、帝都へ」
そして狼達は向かう。この時代の激動の渦の中心へと。
▼
帝国宮殿、その監獄区域。表では地獄と言って差し支えない状況が繰り広げられていた。
アイアンメイデン、四肢の断裂、熱湯の釜茹で。痛みに嘆く声、もう殺してくれと懇願する声。様々な多くの阿鼻叫喚が上がっている。
そんな場所の地下では多くの人間が牢の中に繋がれている。その中にいる人間もまた様々。ゴロツキに軽格。大臣に逆らった文官、賄賂などに手を染めず、罪を着せられた軍人、囚人の地位や危険度が上がれば上がるほどその牢獄は地下深くへと向かっていく。
その中でも最深部、表に出せないような罪を犯した大犯罪者や危険人物が繋がれている場所、その中でも最も深い場所で閉じ込められている人物がいる。
地下深くへとつながる螺旋階段を一人の武官が降りていく。体格は筋骨隆々、まさに軍人といった風格の壮年の男性。
彼の名はブドー。名実ともに帝国軍頂点に立つ男だ。
「大将軍?なぜこのような場所へ?」
獄卒の一人が彼の姿を見て驚愕する。彼のような地位にいる人間がここに来る事はほとんどない。たった一回、将軍が来た事があるが、それはここに繋がれている囚人との関係を考えればまだ理解できた。
しかしまさか、現在帝国の武において頂点に座する男が来るとは思わなかった。
「あの男はどうしている」
獄卒の疑問には答えず、ここに来た目的の人物の動向を聞く。
「お、奥に繋がれています。今のところ大人しくしていますが」
「そうか……ご苦労」
奥へと向かう。概ね予想通りだ。ここまで来て無様にジタバタする男ではない事は知っていた。
ーーーーっ……
厳重な柵の向こうに見えた男の惨状を見て息を呑む。血みどろの四肢は頑強な鎖で繋がれており、両手は上に吊るされている。全身で怪我をしていない場所はなく、一見すれば死んでいるのではないかとさえ思う。しかし聞こえる荒い息遣いと闇の奥で光る紅玉の瞳がそれを否定した。
「また随分と手酷くやられたな」
檻に向けて声をかける。意識はあるらしく、音に反応し、顔を上げた。
「息はあるのか?ヴァリウス」
「これはこれは……ブドー大将軍」
最奥に繋がれている特級手配犯罪者の名はヴァリウスといった。
新章オリジナル突入しました。5・6話で纏める予定です。感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。