数年前、帝国で行われた武道大会。国中の腕自慢達が集うこの日、三名の子供が大会に参加していた。
一人はオールベルグ次期首領として鍛え上げられた少女。メラルド・オールベルグ。腕試しとして軽く変装し、並み居る屈強な男達を退けていた。
メラルドは外の世界、特に男の弱さに失望していた。自身は強いという自負はあった。だが、外界の戦士達がこれほど弱いとも思っていなかったのだ。
───私より強い敵なんていないんじゃないかしら
そう思ってしまっても、無理ないことだったのかもしれない。
しかし、その自負は次の準決勝で打ち砕かれた。それがこの大会に参加していた二人目の子供だった。
燃えるような緋色の長髪に、紅玉の瞳を宿した少年。どこか特徴的な民族衣装に身を包んだ中性的な美男子。名はヴァリウスといった。
一目見て強いとわかった。男相手に容赦するつもりもなかった。素手とはいえ、本気でやった。
そして格の違いを思い知らされた。男に組み伏せられ、命を握られたのは、後にも先にもあの一度だけだった。
審判の敗北宣言の後、首元に突きつけられた手刀の鋒が引かれる。決着がついた後、彼は一瞥もくれず背を向けた。
あの時の屈辱は未だに残っている。敢え無く倒されたことではない。いや、それはそれで屈辱だったが、それ以上の屈辱があった。
───まるで私のことなんて見ていない…
ルビーを想わせる紅い瞳はメラルドの姿を反射していたが、自分の事など完全に意識にない目だった。ただ自分は作業の一つとして打ち倒されただけだった。彼の目に写っていたのはたった一人。
そのまま決勝戦となり、対面から次の対戦相手が闘技場に上がる。その姿を認めた紅い髪の少年は不敵に口角を上げる。大会に参加していた最後の子供も挑戦的に笑っていた。
碧空色の髪に氷を思わせるアイスブルーの瞳。少年とよく似た民族衣装に十字が刻まれた紋章が特徴的なカチューシャをした美少女。名前はエスデスということをメラルドが知ったのは少し後になってからのことだった。
審判の開始の合図とともに二人がぶつかり合う。二人の戦士が見せた戦いは見た目から受ける印象とは対照的だった。氷を連想させる美少女の戦い方は火のように苛烈な攻め。彼女は防御すら攻撃のために行う。
対して炎が人の姿になったかのような少年の戦い方は氷の冷たさを思わせる冷静な守り。烈火の猛攻の一つ一つを見切り、反撃を繰り出すカウンター。まさに暴力と武力のぶつかり合い。その凄まじさを目で追えたのは闘技場の傍らで二人の戦いを見ていたメラルドだけだった。
この戦いを通して、メラルドは知った。エスデスが相手ととことん戦いたい戦士とすれば、彼と自分は無駄な戦いをしない暗殺者なのだと。そして人間には必ず届かない壁があるという事を……
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「おいおい、何をそんなにブチギレてんだよ、アンタ」
ターゲットの護衛を務めていた紅い長髪の男は困惑していた。襲撃者の相手をするということに関しては戸惑いはない。だが、自分の姿を認めた途端、こいつはターゲットなど目もくれず、こっちに殺気を向けてきた。
「覚えてないか……ないでしょうね。アンタは」
剣を構えて困惑する男の様子を見て、更に苛立ちが増す。変装していたからわからないという理由では絶対にない。自分など彼にとっては眼中にない路傍の石だったからこそ、覚えていない事をメラルドは知っていた。
「今度こそ殺してやるわ。あの時みたいにルールはなしで、容赦なくね」
「あの時?どこかで会ったか?」
蠢く黒い何かの大群と剣から溢れた炎がぶつかった。
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「まさか、あいつを助ける日が来るとはねぇ」
処刑当日の深夜、牢獄の前で憂いに沈む美女に牢獄の門番を務めていた男たちは見惚れてしまう。しかし傘を差した美女は息を吐いていた。これまでの事を思い返し。
仕事柄、彼と鉢合わせになる事は何度かあった。その度に殺してやろうと戦いを仕掛けたが、結果は全敗。命からがら逃げ出すのがやっとだった。
恨み重なるこの男を救う為に自分達が動く羽目になるとは。
「でもしょーがねーじゃねーですか。あのナジェンダ将軍からの依頼じゃ」
ゆくゆくは国の中心になるであろう傑物だ。恩を売っておいて損はない。
「そう、この依頼の良いところはそこよねぇ。あの男を牢屋から出せとは頼まれたけど、命を守れとは言われてない。つまり出してしまってからは私の自由にできるって事」
酷薄な笑みを浮かべる。その顔だけでメラルドが何を考えているかはわかった。
「ナジェンダに恩を売りつつ、て事ですか?メラ様キツぅ」
「私が男相手にキツくなかった事なんてあったかしら?」
ないけど任務にまで持ち込んでくるとは思わなかった。これではどのみちあの男の命は明日まで持つまい。
───ん?
さて、牢獄に突貫しようと監獄の様子を見てみると、違和感がある。宮殿内で既に騒ぎが起こっている。いつものように完璧な監視体制ではない。
───誰かが何かをしている?それともあの気にくわない男が最後の足掻きでもしているのかしら?
なんにせよ、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「行くわよ」
『はっ!』
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───ん……
意識が覚醒する。聞き覚えがあるような無いような足音が彼の意識を目覚めさせた。
───シェーレ、じゃないな。処刑当日の明け方に客?一体誰が…
紅い髪の男、ヴァリウスは身体を起こす。もう手枷はされていなかった。昨晩エディに邪魔だと破壊されている。まあこんな物なくても今更逃げやしないが。
牢獄の扉が開く。鍵まで持っているのかと驚いたが事実とは異なる。鍵は見事に一刀両断されていた。早い話が檻を斬っていたのだ。
「随分……乱暴な……客だな」
声が掠れる。昨日から何も食べていないどころか、水一滴飲んでいない。そのうえ、昨夜は体液という体液を奪われている。もちろん彼も彼女から色々と奪ったが、消費量で言えばこちらの持ち出しが圧倒的に多い。
竹筒が転がってくる。中には水で満たされていた。
「土産だ。飲め」
顔を上げる。来客は思いがけない人物だった。自分とよく似た、けれど異なる紅い瞳に闇よりも濃い黒髪を腰まで伸ばした少女。
「…………アカ……メ」
「久しぶり、だな。ヴァリウス───いや、フェイル」
闇の中で紅い瞳がこちらを捉えていた。
「お前……なんでこんな所に」
「明日の処刑まで、貴方の護衛を命じられた」
桐一文字をそのまま彼の首元に突きつける。
「護衛にしては……随分物騒だな。俺を殺しに来たの間違いじゃないのか」
「間違いじゃない」
「なら夜這いか?2晩連続は勘弁してほしいところだな」
「っ──違う!!この剣が目に入らないのか!」
「刃物持って女が寝所に忍び込んで来たのは初めてじゃないからな」
頬を赤くしながら金属音をわざとらしく鳴らす。脅しているつもりなのだろうが、殺気がまるでないので脅されている感覚はフェイルにはない。それに、暗殺にしろ、夜這いにしろ、武器を持ってくるということは多い。暗殺が日常の帝都で活動していれば、こういう機会は腐るほどあった。
「で?俺を殺しにきたっていうならそれでも構わないが、どうせ明日の昼には死ぬ身だ。軍規違反を犯してまでヤる価値はないんじゃないか?」
「貴方を、他人の手で殺させたくないんだ。フェイル」
「よく言われるな、そのセリフ。お前で5人目だよ。女の中で流行ってんのか?」
「くだらない事を言ってないで、死ぬ前に答えろ」
桐一文字の鋒が首筋に触れる。これ以上軽口を言ってはホントに斬られそうだ。
「貴方は何で帝国に逆らった?」
「……それ聞いてどうする?俺が言うこと信じるのか?」
「信じる」
迷いなく断言してきた彼女に驚く。まさかここまで俺を信頼しているとは思わなかった。
───この子に迷いを与えるようなことは、言わないつもりだったけど
「──いいだろう。土産に持ってきてくれた水の礼だ。俺はあくまで軍人だから、政治に関しては門外漢だが、知っている限りのことは話そう」
「帝国中で貧困をたくさん見てきた。あの人たちは何でずっと苦しんでいる?」
「帝国が国として機能していないからだ。肥大化しすぎたこの国は辺境まで手を回せないでいる。それに、大臣が意図的に財を辺境から搾り取って帝都に集めているからな。貧困が解決するはずが無い」
「…………大臣が腐敗の原因ということか?」
「まさに。まあそれだけが原因と言う気はないがな。奴は腐敗の中心に座することは間違いない」
真実の一端を聞いたアカメは彼の言葉に逆らう事なく、黙して聞いていた。頭の中で揺さぶられていることがフェイルの目にも分かる。この話を出来たのが自分で良かったと心から思う。もし悪意ある人間がこの話をしていては、虚実交えた作り話で騙され、精神的に堕とされていたかもしれない。
「驚きはしないんだな」
「聞いた事はないでもない話だったから」
オネストほど大手を振って悪事を働いている悪党もいない。情報量の多寡はあるが、真実は誰もが知っているだろう。
「あと、これは前から思ってた事だから、先達として、一つアドバイスしてやろう」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヴァリウスは動き始めた。突きつけられた刀に噛みつき、捻りあげる。思いがけない反撃にアカメは武器を失った。
間髪入れずに蹴りが下段に振るわれ、体制を大きく崩す。そのまま足で組みつかれ、馬乗りになった。
「悩んでいるのも分かるし、俺の両腕が拘束されていると言う状況もあるんだろうが、油断しすぎ。あと暗殺者にしては感情にムラがあり過ぎ」
「父さんにも指摘されてる……私はプロ失格だって」
「ああ、大バカだ」
「お、大バカ?!」
流石に普通ではいられない。犯罪者にここまで貶される覚えはない。キッと睨みつけると、アカメの思考はそこで止まってしまった。
「──俺と一緒だ」
傷だらけになりながらも朗らかな笑顔を見せる。その笑みはずきりと胸を痛めるほど魅力的だった。足の拘束が解かれる。
「プロ失格だとは思う。長生きできないともな。現に同類の俺は明日殺される。それでも俺は機械みたいなプロの暗殺者より、お前みたいなポンコツの方が好きだよ」
「す、好きって……」
「ああ、身勝手を許されるのなら、お前はそのままで強くなって欲しい」
イタズラ小僧のようにニシシと笑う。戦場で見た彼と目の前で歯を見せる男が同一人物とはとても思えない。それ程までにあの時と今とではオーラに差がある。
けど、その差がアカメの心を強く締め付けた。そんな所も堪らなく魅力的だ。
取り落とした刀を拾って今一度彼の眼前に突きつける。もう今度は油断しない。妙な動きを見せればすぐ斬るつもりで刃を向けた。
「へ、変な事を言うな!貴方と話しているといつもおかしくなる。いつもいつも……何で私の心をいつも乱す!?何で私の心にいつも貴方がいる!」
「しっ!」
再びアカメの手を握り、こちらにグイッと引き込む。倒れこむようにこちらの胸の中に飛び込んできたアカメの体をを足で挟み、寝具がわりに渡された薄布で自分の体ごと覆った。
そして十ほど、数える時間が経った時、闇の中で足音が響く。重厚感ある鉄靴の音が3人分。おそらく軍人だろう。鍛えられた足運びをしている。
「へぇ〜、こいつが僕たちの前任者かぁ」
ボーイソプラノの声が闇の中で響く。続いて2メートルはあろうかという巨漢が現れ、最後に壮年の男性が姿を見せる。3人とも立ち姿だけで相当の手練れと分かる。そして何より……
「久しぶりだな、ヴァリウス君」
「これはこれは…リヴァ将軍。変わった衣服を召されていますね」
来訪者の1人はヴァリウスも知っていた。かつて帝国で知勇兼備の将と称えられた勇将、リヴァ。仕事上、顔を合わせたことも何度かある。
「こいつがヴァリウスかよ。ずいぶん優男じゃねえか。ホントにエスデス様に匹敵するほど経験値持ってんのか?」
「私は三年前の彼しか知らんが、その時でさえ、お前より遥かに強かったぞ、ダイダラ」
「でも今は殆ど死にかけって感じだね。ねえ、ヴァリウスさん。あんたが死んだら顔の皮、貰っていい?」
「良い趣味してるな少年。まあ、死ねば無言さ。好きにすれば良い。名前は?」
「あ、ニャウって言ってね。今はエスデス様の僕をやってまーす。まあ、貴方の後輩だね」
後輩?そういえばエディ、俺の後釜は複数でやってるって言ってたっけ。という事はこいつらが…
「ところであんた、さっき誰かと喋ってた?鍵も壊れてるし」
「さあ?地下牢は呻き声でしょっちゅう響いてるからな。間違えたんじゃないか?あと、鍵はエディが壊したんだ」
エディというのが誰か、分かったのだろう。面白くなさそうな顔をしてフン、とそっぽを向いた。敬愛する将軍を愛称で呼んだことが気に入らないらしい。良くも悪くも、あいつは人を夢中にさせるのが上手い女だ。
「驚きましたね、リヴァ将軍。貴方ほどの方がエスデス軍の副官で収まっているなど」
「今の身分すら過ぎた光栄だ。私はエスデス様に救われてからは、あの方の僕だ」
なるほど、あの女の為なら死ねるペットを三匹作ったか。しかし将軍まで虜にするとは…相変わらず大したカリスマだ。
「で?今日はどう言った用向きだ」
「べっつにー。エスデス様に逆らった愚か者の顔でも見にきただけだよー」
「副官の仕事がそんなに楽になったとは驚きだ。俺の時は超ブラックだったのに。羨ましいね」
「ニャウ、適当な事を言うな。明日の護送は我々が務めることになったから、その挨拶に来たのだよ。ヴァリウス君」
「それはそれは……わざわざご足労、痛み入ります。将軍」
「私は、君のことを認めていた。勇猛で理知を備え、民を思える、君のその手腕に私は尊敬を覚えたものだよ」
「買い被りです。俺は必要があったから動いていたに過ぎない」
「こちらに戻る気は無いかね」
またその話か、と若干ウンザリする。その気はないと伝える事すら面倒だった。
「貴方のことは俺も聞いています。官僚に嵌められ、罪人に身を落とした」
「そして、私はあの方に救われた」
「あいつの副官を務めるのは大変だろう。俺が一番よーく知ってる」
「苦労などと思った事はない。薄汚い連中すら媚を売ってくるほどの力を、私はあの方から頂いた。君も今の国に絶望する気持ちはわかる。だがエスデス様なら君の罪さえも」
「別に、俺は官僚達がどうなろうと、どうでもいいのさ、昔っから」
眼中にあったのは己の主人だけだった。彼女の右腕であることが、かつての俺の全てだった。それは今も恐らく変わっていない。俺はあいつを愛しているからこそ、敵対する道を選んだ。
「官僚に絶望した貴方にとって、今のポジションは心地いいのだろう。だがそんな事に俺は興味がないね。俺が戦う理由はあの頃と何一つ変わっていない」
「今も、エスデス様の為に虜囚に甘んじている、と?」
「そうだ」
10数える程の時間、無言で睨み合う。諦めたように息を吐いたのはリヴァが先だった。
「挨拶は終わりだ。行くぞ、ニャウ、ダイダラ。それとヴァリウス君。私はもう将軍ではない。あの方の下僕だ。その事を忘れないでいてくれたまえ」
「じゃあな炎狼。明日はせいぜい、暴れてくれや」
「べー」
ヒラっと手を振る巨漢の男に続いて、中性的な少年が舌を出して闇の中へと消えて行く。足音が聞こえなくなってようやく、フウと息をついた。
「アレが俺の後釜か……俺と違って従順そうだな」
エディも鍛え甲斐のある事だろう。リヴァは微妙だが。
「おいアカメ。もういいぞ。危なかったな」
「危ないのはお前の命だろう!」
鼻先に剣が掠る。斬れはしなかったが、冷ややかな感触が肌を撫ぜた。
「ああ、そういや忘れてた。俺暗殺されそうになってたんだっけ」
「………………」
鋒が落ちる。アカメの両腕も力なく落ちた。
「最後に、二つ聞きたい」
「何なりと」
「何で私に文字を教えた?」
「んー、特に理由はないな。趣味?」
あるいは職業病。
「プトラの墓場で何故私を助けた!何故私に生きろと言った?!貴方1人ならこんな事にはならなかったんじゃないか!コレは趣味とは言わせないぞ!答えろ!」
───趣味もなくはないんだがなぁ
1番の理由はもちろん違う。
「お前に、この国の未来を見たから」
死にゆく俺とは違う。帝国が崩壊すれば、エディはきっと自分が第二の帝国になろうとするだろう。その時、俺が戦えればいいが、恐らくそれは叶わない。ならば、かつてあの魔神に仕えた炎狼として、何より、あの雪の夜に約束を交わした友として、あの魔神を倒せる人材を1人でも多く残さなければならない。
「お前の目が俺とよく似てたから」
「……私の目は貴方ほど綺麗じゃない」
「そんな事はないさ。見事な真紅だ。綺麗だよ」
息を呑む。眼前に死の刃をつけつけられながら、彼はまた笑った。自嘲でもなく、冷笑でもない、心からの笑みを彼は浮かべた。
カランという音と共に刀が手から滑り落ちる。
「───……もう、やめた」
「いいのか?」
「私にお前は……殺せない」
うるさいほどに胸がまだ鳴っている。布団の中に引き込まれた時からずっとだ。あのとき、無防備にさらされた彼の心臓が目の前にあったというのに、アカメは微動だにできなかった。ほんの少し、力を入れれば刺せたというのに……
───私の方が、壊れそうだ……
高鳴る胸を握りしめる。一度だけ頭を振るとアカメは立ち上がった。
「さようなら」
「ああ、待て」
去ろうとする背中を止める。黒髪の少女は視線だけ後ろに向けた。
「あの3人のこと、知ってるか?」
「……エスデス将軍直属の部下、リヴァ、ニャウ、ダイダラ。3人で副官を務めていると聞いている。通称は三獣士。凄腕の軍人だ」
なるほど、あの3人がエディが鍛えた戦士達か。それにしても三獣士とは……俺への皮肉か、単にあいつが獣が好きなだけか……
「アカメ」
止まったままの背中にもう一度声を掛ける。言うべきか迷ったが、小狼のその頼りない背中を見てしまっては言わざるを得なかった。
「何もするなよ。絶対に誰とも戦うな。俺のことは全力で見捨てろ。お前の命の使い道はここじゃない。いいな」
心を読まれた小さな狼はビクリと一度、肩を震わせる。返事をすることなく、黒髪の少女は闇の中へと同化した。
▼
『前段作戦の内容を話す』
闇の中を掛ける三匹の狼達は前日まで練りに練られた作戦の内容を思い返していた。
『いいか、処刑当日は獄中の監視の数が少なくなる。一般市民も多く集める彼の処刑の警備に獄中の兵隊達も回されるからだ』
その言葉は正しかった。牢獄の入り口にすら警備の人数は数える程。制圧するまでに彼女達であれば2秒かからない。
『帝都内部へのルートは私が構築する。侵入自体は容易にできるだろう。問題は入ってからだ』
1人だけ生かし、地下牢の地図を手に入れる。まさに地下迷宮と呼ぶにふさわしい様相だ。ナジェンダから渡された資料だけでは間違いなく迷っていただろう。
『隊長がどこに入れられているかは私にもわからない。恐らく最深部だとは思うが、そこまで波風立てずに事を進めるのは不可能だろう』
「ここ、かな。見取り図の中で不自然に空白になってる区画がある。万が一この地図が奪われた時のことを考えて、先生の居場所をわざと空白にしたなら…」
『中は恐らく、少数精鋭が守っているはずだ。各所で脱獄を促せば対応に追われ、後手に回る。隊長の居場所の検討がついたなら、出来るだけの檻を壊せ!派手に暴動を起こさせろ!』
「みんな!鍵は壊したよ!どんどん逃げろーーーー!!」
そんな叫び声と同時に鍵が壊れた囚人達が一斉に檻から飛び出す。地下に囚人達の怒号が響き渡った。
数分後、警報音が地下牢に鳴り響く。伝声管越しに、牢獄長の叫び声が轟いた。
「ぜ、全区画に通達!非常事態発生!何者かの手により、第0階から地下一階の独房が解放された!総員、戦闘配置!コレは演習ではない!繰り返す!コレは演習ではない!!」
時代が激動する運命の日が、始まる。
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