トマス・ニコラ・ブラヴァツキー。
彼は元々由緒正しい家系の生まれだ。
嘘か誠か神智学の祖、エレナ・ブラヴァツキーと血縁にあると言われる家系の長男として生まれ、しかも一族きっての優秀な魔術回路を持っていた。
妹と弟がいるが、二人が力を合わせてもトムには遠く及ばなかった。
更に都合の良いことにトムは長男であり、ブラヴァツキー家は安泰と思われていた。
トムは物心ついたから魔術の英才教育を施された。
ほぼ何の疑問を持つこともなく、またそれを考える暇もなかった。
18歳になると自然な流れとして時計塔に進むことになった。
天体科に進み、早々に頭角を現した彼は「いずれロードになる」という将来設計を思い浮かベるようになっていた。
そんなある日だ。
トムはいつものように魔導書を読み漁っていた。
その文書は古いギリシャ語で書かれていた。
古文書にはよくあることだが、ラテン語にもギリシャ語にも習熟していたトムにとって古代ギリシャ語で書物を読むことはさして難しいことではなかった。
だが、その日。
その書物の内容はトムの頭に全く入ってこなかった。
代わりに彼の頭にある疑問が浮かび、こびり付いていた。
「僕の人生に魔術以外の選択肢は無いんだろうか?」
彼は自分という存在について反芻した。
「僕には友達と呼べる存在が居なかった」
彼の心に出来たほころびは大きくなっていった。
「家族とも魔術以外の話をしたことが無い。趣味もない。
恋人もいない。名家の長男だからいずれ結婚はさせられるだろうけど、それは恋とも愛とも違う。
そう、気づいてしまったんだ」
彼は疲れてしまったのだ。
「それで、自分でも意外なことだけど……僕は魔術から逃げたんだ」
特に何がしたかったわけでもない。
特別に行きたいところがあったわけではない。
ただ「ここではないどこかに行かなければならない」し、「魔術以外の何か」をしなければいけないと思った。
トムは英国とアイルランドの地図を置き、目をつぶって指さしたところに行こうと決めた。
彼はそれを実行し、目を開けた、
トムの人差し指が指していたのがマン島だった。
長期的な視野があったわけではない。
さしあたって彼は金勘定からはじめた。
時計塔時代に実験への協力や商売人への知識の提供でそれなりの貯えを作っていた。
錬金術も嗜んでいたトムは廃屋同然になっていた古い一軒家を格安で買い取り、改修して住めるようにした。
植物科を副専攻にしていたこともあり、庭でハーブを栽培し始めた。
そして日がな一日庭いじりをし、本を読み、時々家を空けて島を旅し「自分は本当は何をしたいのか」という命題について思索を続けた。
そのうちマン島の文化に興味を持つようになった。
手始めにマン島語を学ぶことにした。
マン島語の現在の話者数は2000人程に過ぎない。絶滅が危惧される言語だ。
もともと勉強は得意だったトマスはマン島語を独学で覚え、マン島の伝承を収集し民俗学者などに提供することで生計を立てるようになった。
トムは全くの一人だったが、初めての自由を噛みしめていた。
島の生活にも慣れてきた。
そんなある日のことだった。
その日は雨だった。
カッスルタウンのパブに伝統音楽のセッションを聞きに行った帰りだった。
いつもは早く帰るところだが、セッションの開始時間が遅かったため既に辺りは暗かった。
フェアリーブリッジに通りがかる途上で車窓から見えた一軒の廃屋に目が留まった。
トムは車を停め、廃屋に近づいた。
廃屋に一人の少女が佇んでいた。
少女は十代の前半に見え、悲壮なものを感じさせた。
もともと魔力的勘に優れるトムはその少女が人間ではないことに気づいた。
これは後で知ることだが、少女は憑いていた家が滅んでしまい居場所を失ったフェノゼリーだった。
少女は誰かが自分を見ていることに気づいた。
少女とトムは目が合った。
目が合った瞬間、トムは自分でも思いがけないようなことを言っていた。
「行くところがないなら……住むところが無いなら、一緒に来ないか?」
こうしてトムは一人暮らしから一人と一妖精暮らしになった。
程なくして憑りついた相手が死んでしまったラナンシーを家に上げた。
一人と一妖精の暮らしは一人と二妖精の暮らしになった。
フェノゼリーは憑りつく家が必要だった。
ラナンシーは憑りつく男が必要だった。
彼らが共に居るのは必要からだった。
トムにとっても勝手に家事をしてくれる妖精が同居しているのは悪いことではなかった。
ラナンシーには吸血はさせなかったが、彼女はいい話し相手になった。
トムはフェノゼリーの事をマーサと呼ぶようになり、ラナンシーの事をブリギットと呼ぶようになった。
共にいるうちに彼らは互いの存在がごく自然に日常の一部になっていた。
もはや「同居人」と言えるような無味乾燥な関係ではなかったし、「友人」というには互いへの距離が近すぎた。
彼らの関係は敢えて言うなら「家族」だった。
〇
結局一晩お邪魔した。
我々は暖かいもてなしを受けた。
トムの話が終わるころには既に辺りは真っ暗で「泊まっていったら?」という彼の提案に従うことにした。
夜になるささやかな酒宴になった、
濃厚で旨い地元産のエールとツマミにスパッズ・アンド・ヘリンが出た。
茹でたジャガイモに魚の燻製を載せただけの英国的な雑な料理だが、信じられない程旨かった。
士郎を連れてこなくてよかったと改めて思った。
悔しさの余り歯ぎしりが止まらなかったに違いない。
酒宴になるとマーサとブリギットも会話に加わっていた。
妖精はその地で生まれその地に縛り付けられる。
凛が「日本から来た」と知ると日本の事を知りたがり、私が世界中を回って仕事をしていることを知るとそのことを聞きたがった。
ブリギットは次から次へとジョッキを空にしながら、マーサは申し訳程度に口をつけながら私たちの話を聞いていた。
トムは博学で、興味深い伝承について幾つも教えてくれた。
元より魔術の探求心が強い凛は熱心にその話を聞いていた。
ブリギットは「話のお礼」と歌を披露してくれた。
地元の伝承歌らしい。
あまりにも陳腐な表現だが魔法のような美声だった。
彼女の歌を聞いたらサイモン・コーウェルは感動のあまり気絶するに違いない。
彼らは――一人の魔術師と二人の妖精は、良く笑い、良く語った。
彼らの自然に寄り添う姿は、やはり敢えて表現するなら「家族」が相応しいように思えた。
翌朝、魔法のように旨いフル・イングリッシュ・ブレックファストを食べ終わり、さすがに我々も辞去することにした。
帰り際、車まで見送りに来てくれたトムに「自分のしたいことの答えは見つかったのか」と聞いた。
彼は小さく頭を振り「もうそんなことを考える必要はない」と言った。
そしてさらに毅然とした口調で語った。
「ここには何もないけど、すべてがある。
語らう相手がいて、温かい食事があって、広くはないけど居心地のいい家がある。
僕にはそれで十分だよ」
〇
行きとは逆の方向からフェアリーブリッジを渡る。
本物の妖精と会ってきたばかりなので胸に来るものがあった。
行きと同じく私がハンドルを握り、凛はどこか遠い眼をしていた。
これを年の功と言うのだろうか。
彼女が何を思っているか私には何となくわかった。
「君が今何を思っているか当てて見せようか?」
凛がこちらを見た。
「聖杯戦争の事……より具体的には
彼女は驚き、そして呆れた。
「あなたって……ホント、嫌味なくらい察しがいいわね」
彼女は聖杯戦争の勝利者で、英霊を使い魔として召喚し使役していた。
英霊を使い魔として使役するサーヴァントは破格の存在だが、それ故に自我も強いと聞く。
過去五度行われた聖杯戦争ではサーヴァントに裏切られた例もあるという。
しかし以前の口ぶりから、凛とセイバーのサーヴァントとの関係は友好的なものだったのだろうと想像がついていた。※
彼女は言った、
「士郎とセイバーと私でデートしたことがあるの」
私は言った。
「士郎は全世界の男性諸氏から呪詛を集めそうだな」
彼女はクスリと笑って言った、
「あの人たちを見て、妖精と人間が一緒にいたらきっと大変なことも多いだろうけど、それでもあの人たちはこれからも一緒にいるんだろうなって思ったの。
だから、もしセイバーが現界し続ける選択肢があったなら……大変なこともあっただろうけどきっと楽しかっただろうなって……」
私は英霊を使役したことも妖精と同居したこともない。
よって何か教訓めいたことを言うことはできなかった。
なのでただ一言「そうかもしれないな」と答えるに留めた。
※エピソード『アルトリアを偲んで』をご参照ください。
という訳で完結です。最後までお読みいただきありがとうございます。
何でこういう話にしたかという、最後の部分がほぼすべてです。
このシリーズはUBWのトゥルーエンド後の設定なんですが、番外編としてセイバーが残るグッドエンド後のやつもやってみようかと。共著者が「アイディアがある」言っていたのでパスを出すつもりで書きました。
ちなみに、基本的にこのシリーズはほぼ私一人で書いてます。共著者が書いてくれたら二年ぶりの登板になります。
よろしければ下記もどうぞ。
寄稿してる映画情報サイト
https://theriver.jp/author/scriptum8412/
一時創作
https://mypage.syosetu.com/490660/