Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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今回でエピソード完結です。
細切れですいません。


始点

 足の速い冬の陽は傾き始め、プラハ城を出た我々がカレル橋に達する頃には夕陽が差し込んでいた。

 真冬のプラハは盛況とまではいかないがこの街の観光人気は根強い。

 夕陽の差し込むカレル橋の景観は壮観の一言に尽きる。

 橋の上では行き交う観光客が橋のあちこちで記念写真の撮影に興じていた。

 

 初めての土地で情報量が多すぎるのかグレイは無言でひたすらあたりを見渡している。

 ウェイバーは平常運転の沈思黙考をしている。

 

 誰も何も言わないので消去法で私が口火を切った。

 

「他の魔術師とまったく交流が無い行方不明の魔術師か……ヒントにはなったが決定的な証拠とは言えないな」

 

 グレイは「……はい。そうですね」とだけ答えた。

 ウェイバーは「ああ」とだけ答えた。

 

 会話とはかくも難しいものなのかと私は思った。

 

「それで……次はどうする?」

 

 私が半ば自棄になって口にした問いにウェイバーは即答した。

 

ユダヤ人街(ヨゼフォフ)に行く」

 

 彼の口調は毅然としてある種の確信すら感じさせた。

 私に従わない理由は無かった。

 

  〇

 

 旧市街広場の聖ミクラーシュ教会脇から延びるパリ通りはネオバロックやセセッション様式の建物が並ぶ洗練された一画だ。

 ユダヤ人街(ヨゼフォフ)はこの通りを挟んだ両側に広がっている。

 その歴史は古く、この街に現存する最古の教会堂(シナゴーグ)は1270年頃に完成している。

 

 「秋の日は釣瓶落とし」という諺が日本にはあるが、秋の日が鶴瓶落としなら真冬の東ヨーロッパの日差しはバンジージャンプというところだろうか。

 カレル橋からヨゼフォフまで歩く間にすでに辺りには暗闇が忍び寄っていた。

 

 ヨゼフォフ最大の見どころである五つのシナゴーグは日の短い冬場には夕方早々の時間に閉まる。

 加えて現在はオフシーズンだ。

 元より閑静な一画であるヨゼフォフはシンとした空気に包まれていた。

 

 パリ通りからチェルヴェナー通りに入る。

 チェルヴェナー通りにはヨーロッパ最古のシナゴーグである旧新シナゴーグがある。

 旧新シナゴーグの屋根裏にはラビ・レーフによって作られたゴーレムが封印されいるという伝説がある。

 真偽は定かでないがユダヤの魔術系統にとって重要な場所であることに違いは無い。

 

 そして、どうやらここが「当たり」であることを私の魔術回路が告げていた。

 

「痕跡がある」

 

 私は言った。

 

「誰かが大分以前に結界を張り、それが崩壊しつつある痕跡だ。

目撃情報が相次いだのは結界の綻びで秘匿が不十分だったのが原因だな」

 

 魔術的知識に乏しいグレイはポカンとして「そうですか」と言ったきりだった。

 対してウェイバー、何も言わず「さも当然」という表情を浮かべて言った。

 

「行くぞ」

 

 私とグレイが「何処へ?」と聞く前に彼は歩き出した。

 どうやら彼には既に仮説があり、私にもグレイに一言も言わずそれを頭の中で固めていたようだった。

 

 旧新シナゴーグを右に折れるとパリ通を突っ切り東へと歩き始めた。

 どうやらヨゼフォフでも特に奥まった一画を目指しているようだった。

 私が簡易的な解析をしている間に辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 街頭に照らされ、通りの建物の白い壁がぼうっと浮かび上がる。

 典雅な光景だが、事情が事情なだけに「典雅」という感想を「不気味」という感情が上回っていた。

 

「何処へ行くんだ?」

 

 足早に歩く彼の後を追いながらウェイバー本人以外が知りたがっていることを聞いた。

 

「ヨゼフォフの観光客が好んで行かないエリアだ。今回の件が秘匿についていかに杜撰であってもわざわざ人目につく場所では襲撃しないだろう。それでは我々自身を囮にする意味が無い」

 

 だろうとは思ったが、自分たちをエサに吸血鬼もどきを呼び寄せるつもりのようだ。

 吸血衝動は魔力の補充と関係あるはずだ。

 であれば一般人よりも魔術師を襲撃した方が早い。

 我々自身が囮になるのは的確な判断と言える。

 だが、疑問がある。

 

「謎の女吸血鬼もどきの目撃情報は旧市街全体に渡っている。ここに賭ける(ベット)根拠はあるのか?」

 

 彼はただ黙って頷いた。

 勿論それだけで納得は出来ない。

 なので私は聞き方を変えることにした。

 

「ウェイバー、君に限らず頭の良い人間にありがちな悪い癖だが、いつも語りすぎが寡黙過ぎかどちらがだ」

「そうか?」

「ああ。それでは自他共に認める高機能社会不適合者のサマセット・クロウリーと同じだ」

 

 素晴らしき友人サマセット・クロウリーと比較され、彼の中で忸怩たる思いが芽生えたようだった。

 

「そうか。それは確かに私も悪かったな。では、そうだな……お前も馴染みのある日本の諺だ。『二度あることは三度ある』この場に最適な格言だ」

 

 その瞬間、私の中ですべてが繋がった。

 

 不完全な秘匿。

 ユダヤと人形遣いの魔術。

 一般人を襲撃する何者か。

 そして、ウェイバーとグレイと私が――よりにもよってこの三人が事にあたっているという現状。

 

 慎重なウェイバーからすればこの状況は「まだすべてを話す段階」では無いのだろう。

 だが、私の経験と勘が次の言うべき言葉を導き出していた。

 

 事態が呑み込めずフードの下で不思議そうにしている少女に私は言った。

 

「グレイ」

「え?はい」

 

 完全に不意打ちだったらしい。

 少女はフードの下で大きな眼を見開いた。

 

「来るぞ。君とアッドの出番だ」

「え?来るぞって何がですか?マクナイトさん」

 

 闇の向こうから何かが近づいてくる。 

 神秘を纏った気配と音と確かな質量を持って近づいてくる。

 

 街頭に照らされた暗がりから「ソレ」は飛び出してきた。

 「ソレ」は人間の若い女に見えた。

 

 だが、人間にあるべき生命の息吹を感じさせなかった。

 顔は青白く、唇は紫色に垂れ下がり、目には生気を感じなかった。

 

 「ソレ」はこちらに一直線に突っ込んできた。

 その動きには意志の力を感じなかった。

 まるでプログラミングされたAIのように感じられた。

 

 いつの間にか周囲には人影が無くなっていた。

 今、この場に相対しているのは「こちら側」の住人だけだ。

 

「……アッド」

「おうさ!」

 

 グレイの右袖に収まった箱から魔力が迸った。

 朧な燐光に包まれたちまちその形状は大鎌のそれへと変化していた。

 目くらましなどではない純粋な瞬発力。

 私の強化した視覚ですら捉えられない文字通り人間離れした一閃は突進してきた「ソレ」の片腕を切り落としていた。

 「ソレ」はどこかへと去っていった。

 

 私の予言めいた発言に余程驚いたようだ。

 グレイはアッドを元の形状に戻すと目を見開いて私をじっと見た。

 

 突き刺さる彼女の視線から顔を逸らし、私はウェイバーに言った。

 

「推理して見せよう。自分の魔力でマーキングできるようにあらかじめアッドに細工をしておいた。違うか?」

 

 彼は微かに笑った。

 

「お前は優秀な生徒になりそうだ。誘っても断られるのが確定的なのが惜しいな」

 

 そして再び先導して歩き始めた。

 

  〇

 

 シナゴーグ閉館以降の時間帯は一部を除きヨゼフォフは閑静なエリアになる。

 白やライトグリーンに装飾された建物で整然と区画された道を歩いて進む。

 

 変わらずグレイだけが話について行けていないようだった。

 ウェイバーは説明する気が無いようなので代わりに私が推理を述べることにした。

 

「そもそもの最初に気が付くべきだった」

 

 グレイが半歩後ろを歩きながら私を見た。

 

「グレイは君の内弟子でボディガードも兼ねている。彼女とアッドが君に動向するのはごく自然なことだ。……問題は、『なぜ僕を選んだのか』だ」

 

 ウェイバーは変わらず何も語らないが、この沈黙は恐らく私の推測が正しいことを意味しているのだろう。

 彼が自分で説明しようとしないのはある種、私への信頼の証なのかもしれない。

 

「君には凛とルヴィアという段違いに優秀な弟子が居る。調査を前提とするならカウレスも悪くない選択肢だ。なのに僕を選んだのは、君とグレイと僕という組み合わせが最適解である理由があるからだ」

 

 ウェイバーは沈黙している。

 グレイはまだ理解が追い付いていないようだ。

 なので私は確信に踏み込んだ。

 

「ここはワンズワースとグリニッジで起きた事件のゼロ地点だ※。神秘が不十分で露見するに至ったのはすでに術者が死んでいるから。他の二件から発見が遅れたのは秘匿の結界がほころび始めるのが一歩遅かったからだ」

 

 私は語り終えた。

 グレイはようやく追いついたようだった。

 ウェイバーが語り始めた。

 

「最初は『何かが引っかかる』という程度の勘だった。

その『何か』が知識に基づくものではなく体験に基づくものだということに気付き、仮説が浮かんだ」

 

 彼の足が止まった。

 五階建てでの白い建物で、ライトグリーンの尖塔にヘブライ文字の時計が設置されている。

 ウェイバーはためらうことなくドアを開けて踏み込んだ。

 彼の後を追う。

 階段を登っていく。

 

「目撃談は『銀色のマネキンみたいな動く人形』ではなく『白いドレスを着た虚ろな目をした人』だったが人型の動く何かが目撃された地区で人間が襲撃されたという点では同じだ。

そしてプラハにはユダヤの術と人形使いという事件の構成要素が揃っている。

『同一犯かもしれない』と思った。

だが、語るに足る証拠がない。

代わりに経験則から対応可能な人員を揃えることにした。

つまり、君たちだ」 

 

 三人の足が止まる。

 五階は異空間だった。

 

 フロア一つが丸々一部屋だったそれでもおかしいほどに空間が広い。

 明らかに空間を歪ませている。

 

 電灯はなく、ところどころにランプがかかっていた。

 魔術師は過去に逆行しようとする生き物だ。

 

 警戒心を持ちながら奥に進む。

 踏み込んでいくうち、奥で何かが動いているのに気づいた。

 

 私はグレイと目配せをし、ウェイバーの前に出た。

 荒事が苦手であることを自覚している彼は、前に出た私たちに対し、そっと後ろに下がった。

 

 慎重に足を進める。

 やがて目線の先に片腕を失った「ソレ」が居ることに気付いた。

 「ソレ」は我々を見た。

 我々も「ソレ」を見た。

 

 意外なことに「ソレ」には感情の片鱗が感じられた。

 

「殺して……」

 

 「ソレ」は言った。

 その声は苦し気で、切実さを含んでいた。

 

 この場で手を下せるのは私がグレイのどちらかしかいない。

 年長者が出るべきところだろう。

 私はグレイをそっと制すると懐から取り出した38口径の引き金を引いた。

 

 「ソレ」は動きを止めた。

 一呼吸遅れて響き渡った銃声が収束する。

 

「師匠、マクナイトさん」

 

 グレイが徐に口を開いた。

 

「拙に祈らせてください」

 

  〇

 

 我々は現場を後にすると空腹に気付いた。

 そういえばプラハ到着以来何も口にしていなかった。

 妥当な判断として旧市街中心部で飲食を提供する店に入っていた。

 

 チェコの料理はマイナーだが中々悪くない。

 濃いめの味付けで特に冬の寒い夜には沁みる。

 たっぷりのクネドリーキが添えられた熱いグヤーシュを平らげると幾らか気持ちは落ち着いていた。

 落ち着くとウェイバーが語り始めた。

 

「件の術師は朽ちない、老いない完璧な存在を本気で目指していたのだろう。

『アレ』はその成果だ。

研究を進めるうちにより多くのサンプル……より多くの魔力が必要になった。

魔術を探求するには歴史のある街で霊脈も必要だ。そして魔力を吸うために人口も必要になる。そうすれば自ずと辿り着くのはヨーロッパ最大の街、つまりロンドンだ」

 

 食事を終えた私とウェイバーの手元にはジョッキに注がれた琥珀色の液体、ピルスナービールが注がれていた。

 チェコはピルスナーの生まれ故郷であり、チェコのピルスナーは魔法の液体だ。

 仮にこの液体が錬金術史における至高の成果だと聞かされたら私はあっさり信じていただろう。

 グレイは経験から自分が酒に弱いことを悟ったのか炭酸水を飲んでいた。

 

「前回の件と時期が近いのは、ちょうど今頃が術式に綻びの出始める時期だったのだろう。おそらくあの一帯には住人や観光客から少しずつ魔力を吸い取る術式が構築されていた。魔力自動収集プログラムが破綻し、『アレ』が自ら吸血に走る必要が生じた」

 

 彼は琥珀色の魔法の液体を一息飲み、一呼吸置いた。

 

「とにかくこれで解決だ。

『あのワンズワースの一軒家で白骨化していた術師は何者なのか?』という一点は謎のままだが、ワンズワースとグリニッジパーク※、それに今回でさすがに打ち止めだろう。

その全てに関わるとは因果なものだがな」

 

 店は空いていた。

 敢えて人気の無さそうな店を選んで正解だった。

 これは賑やかな場所でする類の会話ではない。

 

「結局『アレ』は何者だったんでしょうか?」

 

 炭酸水をちびちびと舐めていたグレイが顔を上げた。

 

「最後の瞬間、確かに感情を感じました。人形ではあったのかもしれません。でも、確かに感情を感じました」

 

 ウェイバーは弟子の質問に答える代わりに私を見た。

 私は解析にはそれなりに自信がある。

 いつも思うが彼には上手く使われている気がする。

 私は解析結果を口にした。

 

「『アレ』は紛れもない魔術的に加工された自動人形(オートマタ)だった。

 だが、君がそう感じたように僕もあの感情は本物だと感じた。

 おそらく、あの人形にはオリジナルの人物が存在し、オリジナルの人物から蝶魔術(パピリオ・マギア)で記憶と人格をコピーしたのだろう

魔力不足による肉体の劣化に引っ張られ徐々に精神が劣化した。

それで凶行に至るようになったのだろう」

 

「そうだな。私も同意見だ」とウェイバーは同意した。

 

 グレイは頷きながら聞いていたが、彼女の頷きに物足りない感情を感じた。

 若者は無味乾燥な考察だけでは納得できないのだろう。

 それでいいと私は思う。

 この先はただの感傷だ。

 

「それで、その記憶と人格のオリジナルが何者か、という問題だが……この先は憶測ですらない。ただの想像だ。

人形で肉体を作り、蝶魔術パピリオ・マギアで記憶の移し替えをしようとしたほど大事な人物……そして女性。

となると母親か姉妹か妻だと思うが、僕は妻だと思う。

僕の知る限り、妻という存在に抱く感情は二種類だ。

主に保険金などの為にさっさと死んで欲しい。

自分より一秒でも長く生きて欲しい。

今回は後者だったのだろう」

 

 私はジョッキのピルスナーを飲み干しお代わりを頼んだ。

 店員は暇だったらしくすぐに琥珀色の液体で満たされたジョッキが戻ってきた。

 

 窓の外に通りを行き交う人々が見える。

 割合として白人の老夫婦が多かった。

 平日の日中に観光地を歩いているのは多くが老夫婦だ。

 世界中の観光地に行ったがこれは多くの観光地で一致する現象だ。

 

「深淵を覗き込むには勇気がいるが、その底に在る願望は思いのほか凡庸なのかもしれないな」

 

 ウェイバーがポツリと述べた。

 「そうかもしれないな」と私は答えた。

 

※「case.不完全な永遠」と「誘惑の砂」のご参照ください。




というわけで今回のエピソードは完結です。
今回は話ではなくプラハがロケーションとしてあまりにも魅力的だったのでプラハから逆算して話をでっち上げました。
前のエピソードと微妙に設定が矛盾してる気もしますがどうかご容赦を。
オマケのヨーロッパの風物は……明日書いてもいいんですが、どっかでまとめて披露でもいいかと思ってます。
無いとは思いますがリクエストがあればどうぞ。
これからも月一回ぐらいは更新したいと思っていますのでよろしくお願いします。
(相変わらず共著者が書いてくれないので多分また私が書きます)

よろしければ下記もどうぞ。

寄稿してる映画情報サイト
https://theriver.jp/author/scriptum8412/
一時創作
https://mypage.syosetu.com/490660/

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