劇場公開とかいろいろあったものですいません。
後編です。
エディンバラ観光案内みたいになってしまった。
エディンバラ。
スコットランドの東岸、フォース湾に面するこの都市はグラスゴーに次ぐスコットランド第二の都市で人口はおよそ四十六万人。
イングランド併合以前のスコットランドの首都であり、現在はスコットランド議会が拠点を構える政治の中心地だ。
街の中心地は大きく二つの地域に分かれる。
我々はまず中心地の一つである新市街に車を走らせた。
ここにエルメロイが所有している控えめなフラットがあるという。
事件解決までの我々の拠点だ。
新市街は人口過密の問題に対処すべく十八世紀の後半から建設が開始された計画都市で、ジョージ王朝風のシンプルな建物が整然と並んでいる。
ライネスが「控えめな」と表現したフラットもジョージ王朝風だった。
それほど大きくは無いが均整の取れたデザインで、シンプルな機能美と歴史的建造物の風格が同居している。
貴族趣味は好きではないが、いい趣味だと思った。
私のささやかな荷物とライネスの「必要なものだけ持ってきた」という大型トランクをフラットの部屋に収納し(エレベーターは無かった。言うまでもなく私が運んだ)申し訳程度の休息をとるとエディンバラ旧市街に向けて歩き始めた。
スコットランドは雨の多い土地だ。
「雨はどの時期に降るか?」と聞かれれば「一年中いつでも」と答えるしかない。
今日も御多分に漏れず、どんよりした雨雲がかかり霧雨が風に舞っていた。
新市街を南下し、プリンスィズ・ストリートに突き当たる。
19世紀の区画整理で出来たプリンスィズ・ストリートは高級デパートやブランド店がならぶショッピングストリートだが建物が通りの北側にしかなく、南側には緑豊かなプリンスィズ・ストリート・ガーデンズが広がっている。
さながら吹き抜け状態になった通りの南側からは旧市街が見渡せる。
白で統一され、高さや形状もジョージ王朝様式で一貫して整えられた新市街に対して旧市街は雑然としている。
建物は茶色く鄙びて、高さの異なる建物が複雑な凹凸を生み出している。
ウェイバリーブリッジを南下すると、聖ジャイルズ大聖堂の威容が見えてくる。
その先は中世そのものだ。
古びた煉瓦やかび臭い匂いは歴史の匂いであり、我々魔術師にとっては神秘の匂いでもある。
「おっといけない」
私の隣を静々と歩くライネスが漏らした。
彼女の方を見る。
その瞳は従来の碧眼から焔色に変色していた。
彼女は慌てて目薬を取り出して点眼した。
ライネスは魔力に反応する魔眼を所有しており、その副作用により魔力の存在する場所では目の色が通常時の鮮やかな青色から燃え立つような焔色へと変わる
目薬はその症状を緩和するためのものだ。
「古都はこういう時に良くないね。まるで
彼女は実に如才無い。
エディンバラは古都であると同時に市井の人間が暮らす普通の街でもある。
市井に中にあって焔色の瞳は目立ちすぎる。
これからその市井に聞き込みに行くのだ。
その慎重さはありがたい。
我々はさらに通りを南下し、賑やかなロイヤルマイルに辿り着いた。
バグパイプの音が聞こえてくる。
路上パフォーマンス中のようだ。
エディンバラは英国内ではロンドンの次に観光客の多く訪れる街でもある。
早朝に出発したためまだ夕方の早い時刻だ。平日だが、旧市街のメインストリートであるロイヤルマイルは観光客で溢れかえっていた。
「さあ、行こうかグルミット」
彼女は優雅で軽やかな足取りで最初の目的に歩き出した。
エルメロイの姫君の前では私はお利口なビーグル犬に過ぎない。
私はその後ろを愚直についていった。
〇
「ロンドンの私立探偵さんですか」
私の偽名刺No.11を手に取ったガイドの青年――名札によると名前は「ショーン」らしい――は興味深そうにそれを検めていた。
私立探偵という言葉は便利だ。
「私は私立探偵です」というと大抵の相手は協力的になる。
ライネスの事は「調査会社のインターン」と紹介した。
加えて「こう見えて彼女は21歳だ」と言うのも忘れなかった。※
我々が最初に目指したのはウォーキングツアーを受付しているインフォメーションセンターだった。
ウェイバーが幽霊病を患った理由はまず間違いなく柄にもなく参加したウォーキングツアーだろうと双方一致で踏んでいたからだ。
こういったツアーは突然ツアー内容が変更になることが多々ある。
当日のガイドに行先を聞くのが最も確実だ。
それで私はいつものように私立探偵を名乗り、当日のガイドに行先を訪ねたわけだ。
「少し待ってくださいね」
青年は愛想よくカウンターに置かれたラップトップを操作し始めた。
〇
深夜。
パブのラストオーダーの時間も終わり、本格的に街が寝静まる時刻。
私とライネスは再びエディンバラ旧市街に赴いていた。
通り沿いに並ぶ観光客向けの店は閉まり、それらを目当てにした人々もいない。
昼間の長閑な観光地は静寂と神秘、そして霧雨と暗雲に包まれていた。
鄙びた焦げ茶色の建物を街頭が照らし、霧の中にぼうっと浮かび上がらせている。
我々は辿るべき道を再確認していた。
ウェイバリーブリッジを出発して、エディンバラ城、グラスマーケットにグレイフライアース墓地、ロイヤルマイル、メアリー・キングス・クローズに立ち寄って終着はホリルードハウス宮殿。典型的な観光客ルートだ。
しかし、だから逆に厄介だ。この土地は幽霊単に事欠かない。エディンバラ城とホリルードハウス宮殿はスコットランドの血塗られた歴史そのもの、ロイヤルマイルはこの街の歴史そのものだし、グラスマーケットは連続殺人鬼が暗躍した場所だ。メアリー・キングス・クローズは貧民街で、残りは墓地。
幸いなのはエディンバラ城とホリルードハウス宮殿は除外していいことだ。夜間は開いていないから前を通っただけと当日のガイドから言質も得ている。
我々はロイヤルマイル東端のホリルードハウス宮殿から出発し、西端のエディンバラ城を目指して二人だけのウォーキングツアーを開始した。
しんと静まり返った石畳の道をゆっくり魔術回路に神経を集中させながら歩く。
冷たい深夜の風に乗ってこの古都自体が帯びた魔力が流れてくる。
今回の敵はおそらく大した相手ではない。
それでも注意は必要だ。
だというのに、ライネスには恐ろしく緊張感がなかった。
慎重な彼女らしくない。
ポイントで神経をとがらせている私に対し、彼女は自慢の自律型礼装を出そうとすらしない。
彼女は昼間中断された「英国ロック史上最高のドラマーは誰か?」議論の続編として「英国ロック史上最高のギタリストは誰か?」という議題を持ち出していた。
彼女はジミー・ペイジを推し、私はエリック・クランプトンを推した。
議論は白熱し、「ペイジ時代のヤードバーズよりもクランプトン時代のヤードバーズの方が上だということを『ファイブ・ライブ・ヤードバーズ』が証明している」と私が主張すると、彼女は「デレク・アンド・ザ・ドミノス以降のクランプトンは中身の無い音楽をアルマーニで包んでいるだけだ」と主張した。
コツコツと靴底が石畳をたたく音が深夜の街に響く。
セント・ジャイルズ大聖堂が見えるあたりまで進んだところで――私は彼女が諧謔的な笑みを浮かべていることに気付いた。
ある程度の付き合いがあるから分かる。
「全く。道理で緊張感がな過ぎると思った。
この事態、すでに見当がついてるんだな?」
彼女はまるで悪びれることなく言った。
「君とのおしゃべりと散歩が思いのほか楽しくてね。引き延ばしを計ってしまった。
それで、私の見当だけど……言明するのは止そう。面白くないからね。代わりにヒントだ。君の解析結果の『小さい存在』についてよく考えてみるといい」
私は考え、そして答えに至った。
「人ではなく小動物か?」
「そう。動物だよ。エディンバラで動物霊。これで答えは絞れただろう?」
〇
セント・ジャイルズ大聖堂を背にロイヤルマイルを西に進み、ジョージ四世ブリッジを左に折れる。
ヴィクトリア・テラスを横目にヴィクトリア・ストリートを進むとロイヤルマイルとは違うエディンバラの姿が見えてくる。
ヴィクトリア・ストリート沿いに立ち並ぶ建物はくすんだ茶色ではなくカラフルな装飾で彩られている。この先に広がるグラスマーケットは二十世紀後半の地価高騰により今ではエディンバラで最も活気のあるエリアになったが、"こちら側"の側面から見ると、ここには別の顔がある。
中世の貧民街で、公開処刑上で悪名高いバークとヘアが暗躍した場所だ。
深夜のグラスマーケットは静寂に包まれ、土地の怨念のようなものが渦巻いていた。
グラスマーケットを南に向かう。
そこに我々の目的地グレイフライヤーズ墓地がある。
幽霊嫌いのグレイからしたら
ガイドの青年によると客からのリクエストで当日、急遽付け加えられたらしい。
グレイフライヤーズ墓地は豊かな緑があふれ、目に優しい墓地だ。
夏の昼間ならベンチで転寝してみたいほどに。
今は冬で、深夜。
墓地には濃厚な魔力が漂っていた。
魔術回路を励起させ、漂う魔力を解析する。
種々の魔力に混ざり、知っている魔力――幽霊病に罹患したウェイバーから感じたのと同じものが漂ってきた。
間違いない。ここに元凶がある。
「いい記念碑だね」
グレイフライヤーズ墓地の入り口にあるモニュメント。
ライネスはその前にたたずんで暢気につぶやいた。
赤い御影石で作られたモニュメントにはこう刻まれている。
「グレーフライヤーズ・ボビー - 1872年1月14日死去 - 16歳 - 彼は、主人への忠誠と愛情とは何かということを、私たちに教えてくれる」
モニュメントにはスカイ・テリア犬の彫像が並んでいる。
「三年ほど前だったか?兄上が呪詛をかけられたことを覚えているかい?」
ライネスに言われ、私はそのことを思い出した。
三年ほど前。
ウェイバーは誰かから命を狙われ、呪詛をかけられた。
本人も知らない間に一匹の猫が身代わりで犠牲になった。
「そのことを兄上は自分が思っていた以上に気に病んでいたんだろう。それが幽霊の『共感』を呼んだんだ」
グレイフライヤーズ・ボビーはエディンバラ市警に夜警として勤務する主人のジョン・グレイに先立たれ、自身が世を去るまでの十四年間を主人の墓石で過ごした忠犬だ。
ボビーは一個の怨念であると同時、動物霊を象徴する存在でもある。
私が解析したところ、この墓地のこの場所にはありとあらゆる動物霊が集まっていた。
ウェイバーに取りついたものがそのうちのどれなのか、本来はどこのモノなのかわからない。
確かなのは、彼の幽霊病の原因はここに集まった動物霊であるということだ。
「アンドリュー。君が兄上から感じたものと同じものがここにある。間違いないね?」
彼女ははっきりした口調で私に念押しした。
「ああ。間違いない」
私ははっきりした口調で答えた。
「静かにおやすみ」
ライネスは夜霧に消えそうな声でつぶやくと祈りの言葉を口にした。
「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。
また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている」
祈りは夜霧に乗り、深夜の暗闇に消えていく。
「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である」
ライネスの唇が動きを止めた。
後には深夜の静寂があるだけだった。
〇
ロンドンに連絡すると、電話口からグレイが元気な声で「師匠がすっかり良くなりました」と答えた。
私とライネスは念のためもう一日エディンバラに滞在することにし、昼間は観光を楽しんだ。
ライネスは「私のようないたいけな少女とどう見ても親戚には見えない君が並んでいたら警官にはどう見えるかな?」とにやりと笑った。
私は「あくまでも保護者だと主張するよ。君のオムツを変える重要な任務があるとも主張するね」と返した。
夜は流行のレストランに予約を入れムール貝とシーフードチャウダーのディナーを味わっていた。
加えて私は水割りしたラフロイグを、ライネスはトワイスアップしたボウモアを傾けた。
ムール貝はスコットランドの名産で、同じく名産品であるスコッチウイスキーと合わせると1+1が2ではなく、10にも20にもなる。
よく英国の料理は不味いと言われるが、スコットランド人とウェールズ人は「英国料理が不味いのではなくイングランドが不味いだけだ」主張する。
彼らの主張を全面的に肯定する気はないが、今一時はスコットランド人の主張を受け入れたい。
ライネスが多めのチップを払い、レストランを出るとそのまま新市街ローズストリート沿いのパブに向かった。
パブに入ると「彼女は21歳だ」と忘れずに主張し、私はベルヘイブンを。ライネスはイニスアンドガンのパイントとショットのグレンフィディックを注文した。
平日の夜だがパブは賑わっていた。
奥の席では団体客が陽気に騒いでいる。
会話の内容に耳をそばだててみたがあまりの無内容さに意識を向けるのを止めた。
テレビではレンジャーズとセルティックのグラスゴーダービーの試合が流れていた。
セルティックはシュンスケ・ナカムラがゴール前絶好の位置でフリーキックを得るという絶好の機会を迎えていた。
シュンスケの左足から放たれたボールは無情にもゴールポストにぶつかって跳ね返った。
テレビに近い席では熱心なセルティックファンと見える若い男の二人組がしきりに「ファック」を連呼していた。
「さて、今回の総括は?」
パイントグラスの半分ほどまでに減ったビールを観ながらライネスが言った。
私は所見を述べた。
結果論だが私は謎解きのパートナーに最適に相手を選んでいた。
今回の謎解きはライネスの術者としての能力以上に「ウェイバーという人物をよく知っている」ことがキーになった。
彼としてはライネスに自分をからかう材料をさらに増やしてしまったことになるが背に腹は代えられまい。
ライネスは悪戯な笑みを浮かべて「うんうん」と聞いていた。
私はさらに加えた。
「これは僕の私見だが、ウェイバー君が憑りつかれたのは、グレイが一緒に居たのも関係あるかもしれない」
「へえ。拝聴しようか?」
私は続けた。
「グレイは常にウェイバーについている。僕らは見慣れているが年端もいかない少女が長身の中年に片足突っ込みかけた男に常時ついているのはある種異常だ。親族でも何でもない、関係上は師匠と弟子に過ぎないのにな。
そこから忠犬とご主人を連想するのは意地の悪過ぎる連想か?」
彼女は珍しく眉をしかめた。
「君は本当にいい性格してるな」
私は「君ほどじゃないよ。レディ」と答えた。
「しかし意外だったのは、ウェイバー君があの猫のことをそんなに気に病んでいたことだ。おそらく、無自覚にではあるのだろうがな」
魔術の世界は時代遅れな権謀術数の世界だ。
必要とあらば身内であろうと嵌めるし、毒殺しようともする。
本来ならばそんな甘さが介在する余地もない。
私がそう言うと、さしもの彼女も少しアルコールが回ったか。
うっかり口を滑らせた。
「だけど、まあいい。そういう兄だから、私もエルメロイを任せてみようと思ったのだから」
そして即座に口を滑らせたことを悟った。
真っ赤になって私を睨んでいる。
私はニヤリと笑っていた。
どうやら彼女の癖が
「まったく。素直じゃないな、レディ」
その後、「そんな恥ずかしいことは言っていない」「言った」で口論になり、なぜか飲み比べで決着をつける流れになった。
ライネスは未成年であることが疑わしくなるほどの凄まじい酒豪だった。
翌朝、私は完全に記憶を失っていた。
これも悪霊の仕業に違いあるまい。
〇
事件は容易く解決し、ロード・エルメロイ二世は何事もなかったように教壇に復帰した。
若輩者の彼にとって幽霊病に罹患するなど致命傷になりかねないが、その辺りはどうやらライネスがうまく腹芸で切り抜けたらしい。
本当に抜け目がない。彼女との仲が良好で良かった。
〇
数日の後。
私はウェイバーに呼び出され、彼のフラットを訪れていた。
部屋は元の二階の、雑然としたごみ屋敷寸前レベルの部屋だった。
彼は私にスコッチと葉巻を勧め、そのまま居心地悪そうに黙っていた。
グレイはおらず我々は二人きりだった。
呼び出された理由は見当がついていたが、面白そうなので私は彼が何か言うまで黙っていることにした。
やがて意を決したらしく、深いため息をついて彼が切り出した。
「お前に言うのは極めて遺憾な言葉だが……ありがとう」
私はニヤリとして何も言わなかった。
彼は長身を居心地悪そうに縮めて深くソファに身を沈めている。
私が無言で居続けるので、所在なさげにボサボサになった長髪を掻き始めた。
このぐらいにしておいてやろう。
私は言った。
「兄妹揃って素直じゃないな」
彼は吐き捨てるように言った。
「うるさい」
※イギリスの法定成人年齢は18歳ですが、1960年代の法改正まで21歳が成人だったので現代においても21歳という年齢は特別な意味があるらしいです。
私は21歳の誕生日をイギリスのオックスフォードで迎えたのですが、現地の人が「21歳の誕生日は特別」と言っていました。
というわけで、今回はレディ・ライネスの事件簿番外編みたいな感じになりました。
7月から「ロード・エルメロイ二世の事件簿」のアニメも始まりますので楽しみですね。
一週間公開された拙作「11月19日」ですが、インディーズ映画でお客さんを集めるのは難しいですね。人にものを見てもらう難しさを改めて痛感しました。
というわけで今後もよろしくお願いします。