「ロード・エルメロイ二世の事件簿」のアニメに思い切り触発されました。
特別講義の後。
私はロード・エルメロイ二世を主とする講師室の椅子に腰かけていた。
私はゲストスピーカーとしての役割を終え、エルメロイ教室の生徒たちからの散発的な質問に答え終え、そのまま帰ろうと思っていた。
(一人、「ロード・エルメロイ二世の愛人になるにはどうしたらいいか?」という質問をする学生がいたが突発的な難聴になったフリをして切り抜けた)
そこを呼び止められたのだ。
呼び止めたのは私の向かいに座る色素の薄い男である。
「アンドリュー!アウトサイダーだった君が時計塔で講義まですることになるとはね!学友として誇らしいよ!」
彼は興奮気味にそう語ると、徐に吐血した。
私の心は不動だった。
部屋の主であるロード・エルメロイ二世も不動だった。
彼の吐血は日常の一部だ。
「誇ってもらえるのは嬉しいが、君とは学友だった覚えも友人になった覚えもないぞ。メルヴィン」
当たり前のように吐血している彼はメルヴィン・ウェインズ。
私の時計塔時代からの知己だ。
ロード・エルメロイ二世の自称「親友」であり、彼のことを本名の「ウェイバー・ベルベット」と呼び続ける数少ない存在。
そしてあのライネスから「このクズ」と眼前で罵倒されるほどの人格者。
私は彼に会うたび、縁を切ることを真剣に検討する。
そして結局、縁を切らない選択をする。
メルヴィンは人格はともかく調律師としての腕は一級品であり、時折仕事を紹介してくれる。
おまけに金払いが良い。
結局、ズルズルと交流が続いている。
このような人間関係を世間では「しがらみ」と呼ぶ。
「つれないな!アンドリュー!私と君は、君が時計塔で睡眠学習に励んでいた頃からの仲だろ?ならば友人でいいじゃないか?」
「どうやら君と僕とでは友人の定義が異なるようだな。付き合いが長いだけで友人になるなら終身刑の重罪犯と看守だって友人だろう。僕にとって君は『しがらみ』か良く言って『腐れ縁』だ」
私がはっきり告げるとメルヴィンは「素直じゃないな」と笑った。
十年以上の付き合いなのに彼の御し方が全くわからない。
「それで、報酬の件だろう?」
我々の有意義な会話にロードエルメロイ二世が割り込んだ。
「要らないよ。僕は君のことを何度か助けたが、僕が君に助けられたことはもっと多い。友情出演で構わない。友情出演と呼称するのが嫌ならボランティアでもいい」
「ならば、これは私からだ」
メルヴィンが不健康な白い手を差し出した。
手には封筒が握られている。
封筒には手が切れる程新しい五十ポンド紙幣が十枚入っていた。
「まったく。これでは君と縁が切れなくなるな」
私は遺憾の意を表明しながら五十ポンド紙幣十枚が入った封筒をそっと懐に収めた。
彼は私が封筒を懐に収めたのを確認すると言った。
「久しぶりなのだし、冒険談を聞かせてくれないか?」
この男にとって人との交流の価値は「面白いかどうか」だ。
虚弱体質であるメルヴィンにとって私のヤクザな体験談は価値があるものらしい。
私は懐に収めた五百ポンドの厚みを感じながら、記憶から彼が喜びそうな話を引き出した。
〇
ロンドンを思わせる曇天の空の下に、荒涼とした大地が広がっている。
極寒地獄のヨーロッパと比べれば穏やかなものだが、それでも寒さは身に染みた。
「シロウ、大丈夫か?」
初めて中東の大地を踏む相棒に声をかけた。
「大丈夫さ。鍛えてるからな」
「そいつは心強い」
ここはシリアだ。
首都のダマスカスでピックアップした車を降りた私と衛宮士郎は荒涼としたシリア北西部を歩いていた。
シリアはペルシャ、ローマ、モンゴル、オスマン帝国といった大国に支配されてきた国だ。
この国で歴史的な遺跡が発掘されることは珍しくはないが、とりわけアレッポからイドリブに跨る北西部は発掘が現在も進行中の遺跡が数多く残されている。
そのほとんどは八世紀から十世紀ごろに打ち捨てられ蹂躙と風化を免れたものだ。
荒涼とした大地にポツリポツリと石造りの建物が見える。
「恐らくローマ帝国支配時代の村落群だろう」と私は解説を述べた。
士郎は静かに頷いた。
「では、行くか」
「ああ」
打ち捨てられた遺構にまざって一編的な家屋が見える。
ひどい荒れ具合だ。
アサド政権の成立以来、この国は不穏な気配が漂っている。
シリアに過酷な運命が迫っていることを感じさせる。
一軒のあばら家の前で少年がバイクと格闘している。
バイクは思わせぶりな音をさせながらエンジンに点火せず、少年を苛立たせていた。
踏み込むたびに彼の努力は空回りし、さながらそれは賽の河原の終わらない苦役を思わせた。
これを見逃すのは良心に反する。
何よりも相棒が放っておかないだろう。
私が何か言う前に士郎は少年の元に歩みを進めていた。
当然の帰結として私もそのあとを追った。
ここはシリアでアラビア語圏だ。
私はアラビア語をかじった程度にしかわからないし、士郎は全くわからない。
だが、この無鉄砲で異常なまでにお節介な青年にとって言葉が通じるかどうかは歩みを止めるに値する問題ではなかった。
士郎が英語で話しかけると幸い少年は英語が話せた。
私が「どこで英語を覚えたのか?」聞くと「ダマスカスでタクシードライバーをしている叔父から教わった」と少年は答えた。
「それで、どうしたんだ?」
本題を問うと、少年は勢いよく答えた。
「弟を病院につれていかなきゃいけないのに、バイクが死んじまった!」
少年の狼狽した様子は明らかだった。
士郎は私に目配せした。
私はアイコンタクトで「いいぞ」と告げた。
「君から見たら御臨終でも俺から見たら仮病かもしれない」
士郎はそっとバイクに手を触れ小さく詠唱を口にした。
「
士郎の魔術回路が励起したのを感じる。
魔術師としては恐ろしく不器用な彼だが、限られた分野によっては優れた能力を発揮する。
その一つが構造解析だ。
幼少期から暇さえあればガラクタの解析、修理をしてきた彼にとって壊れかけのバイクを解析するなど造作もないことだった。
「点火プラグが故障してる」
彼は日本語で私に耳打ちした。
「何とかなるか?」
私も日本語で返した。
「応急処置なら」
士郎が魔力を流し込むとエンジンの点火音がした。
「応急処置だ。戻ったら修理に出してくれ」
士郎は忠告をし、少年にバイクを戻した。
少年は礼を言うと、一度家の中に入り、弟らしき人物を連れて走り去って行った。
「で、次はどうする?」
「そうだな。まずは宿探しだ。さっきの少年に聞いておくべきだったな」
「アンタらしくもないミスだな」
「ごもっともだ」
ひとまずここに宿はなさそうだ。
近隣の住民に聞いてみるか。
我々はひとまず荷物を背負い、歩みを進めようとした。
「お前ら、魔術師か?」
浅黒い肌の青年が立っていた。
士郎よりいくらか年永で私よりいくらか下だろうか。
その青年は明らかに魔力を漂わせていた。
この男は魔術師だ。
そう認識した瞬間、体が動かなくなった。
「拘束系の魔眼か」
私の言に対し、男はアラブ訛りの英国英語で答えた。
「ああ。時計塔ではちょっとばかり名の知れた存在だったんだぜ。拘束のアフマドってな」
「知らんな。ヨークシャーのマスカキ男の方が有名だぞ」
男はついさっき童貞を捨ててきたような笑みを浮かべた。
「ホテルを探してるんだろ?ウチに泊まっていけ」
〇
我々は乱暴に連れまわされると、乱暴にゴツゴツした空間に放り込まれた。
そこは岩山に作られた洞窟のような場所で入り口には鉄格子が嵌め込まれていた。
端的に表現して牢屋だ。
「俺たちをどうするつもりだ」
鉄格子の向こうで下卑た笑いを浮かべる魔術師アフマドに士郎が問いかけた。
「俺はここで工房を作っててな。お前らは種火だ。あんたの方は中々上等な魔術回路だ。いい種火になるだろ。ボウヤの方は三流だが多少の足しにはなるだろ。じゃあな」
アフマドは背を向けて去っていた。
傍から見たら危機的状況だ。
我々は全く動じていなかった。
「こういうのを日本では『アヒルがネギを背負ってやってきた』と言うんだったかな?」
士郎が訂正した。
「『カモがネギ』だ」
「惜しいな」と私は思った。
「では、反撃と行くか」
〇
「一応忠告するが君の行いは神秘の隠匿を旨とする魔術師の原則に反している」
声を張り上げて警告しながら私は周囲を確認した。
成程、睨んだ通り。
ここは古代の遺跡のようだ。
おそらくアッシリア時代まで遡るのでは無いだろうか。
覆面をした男たちがいる。
そのうち数人はテロリスト御用達の武器AK47を抱えている。
何らかの交換条件でアフマドに協力している反政府組織だろうか。
それ以外は手にシャベルやツルハシを持っていた。
脅されたか暗示で協力させられている一般人だろう。
「今すぐ発掘を止めてその人たちを開放しろ。力には訴えたくない」
私に続いて士郎が言った。
アフマドは状況が理解できていないようだ。
呆然としていた。
「……どうやって出てきた?こんな短時間で結界は破れないはず。
武器も奪ったのにどうしてだ?」
実のところ最初から我々の目的はこの男、アフマド・ファーリスだった。
時計塔から「神秘の隠匿に反する行いを大々的に行っている人物がいる」と依頼を受け、我々はシリアを訪れていた。
どう探すか考えた末、我々は自ら囮になる方法を選択した。
アフマドの目的は大規模な工房の設置。
魔術師は絶好の種火だ。
魔術を行使すればそのうち網に引っかかると考えた。
魔力抵抗が弱い士郎はともかく、私はこの程度の魔眼なら自力で突破できる自信があったが敢えて捕まり、まんまとアジトに潜り込んだ。
アフマドは我々を牢に閉じ込める際に、ボディーチェックをして武器を奪っていたがそれは大した問題ではなかった。
牢には結界が張ってあり、これは少しだけ厄介だった。
そこで我々は結界を解くのを止め、物理手段に訴えた。
いかにも魔術師的な思考であり、堅牢に作られた結界に対して牢は物理的にはひどくお粗末だった。
士郎の投影魔術で武器を手にした我々は錆びた鉄格子を破壊しまんまと脱出した。
私が長広舌を奮うとアフマドの表情がひどく険しく、そして余裕のないものに変わっていた。
「……俺の目的もわからぬ愚か者が」
「どうせ時計塔に認められたいとかそんな程度の目的だろ?恐ろしく低次元な発想だな。
古代から続くここの霊脈を使えばそれなりの工房は作れるだろう。それでも君の才能ではそこで行き止まりだ。時計塔の腹黒いジジイたちが鼻で笑ってお終いさ」
男は何も答えず、ただ歯噛みした。
「なんだ。図星か。呆れるほどの小物だな」
アフマドが手を挙げた。
合図か、それとも暗示魔術の起動か。
AK47を持った男たちが銃口をこちらに向けた。
「シロウ」
「ああ」
AK47の銃口が光り、弾丸が発射される。
野外演劇が確実に中止になりそうな夏の通り雨のように銃弾が降り注ぎ――それらはすべて我々の足元に落ちた。
士郎の手に二振りの中華剣が握られていた。
干将・莫耶。
伝説的な中国の名刀は、衛宮士郎の特異な投影魔術で実体化したものだ。
弾倉の切れる音がするや否や、士郎は武装した男たちに飛び掛かった。
男たちは音もなく意識を刈り取られその場に倒れた。
「見事だ。こういう時は日本のジダイゲキだと何と言うんだったかな?『エチゴヤ、お主も悪よのう』か?」
「俺たち悪役かよ」
戦場での小粋なユーモアは場を和ませなかった。
諦めの悪いアフマドがこちらを睨んだ。
拘束の魔眼を発動させようとしているのは明らかだった。
私はブーツに隠してまんまとボディチェックを掻い潜った二十二口径を引き抜くとトリガーを引いた。
魔術の発動よりもトリガーを引く指の方が早い。
二十二口径は三流悪徳魔術師の膝を的確に射抜いていた。
膝は人体急所の一つだ。
激痛にアフメドは呻き、そのまま気絶した。
「シロウ。これが肥大化したエゴの末路だ。セイギノミカタとやらを目指すならこういう輩と山ほど相対することになる」
「わかったな?」と念押ししようと思ったが野暮に思えた為に止めた。
彼はただ「ああ」と小さく頷いただけだった。
〇
「また危険なことを。お前なりの計算あってのことだろうが、あの少年に何かあったらミス・トオサカにどう言うつもりだった?」
私の冒険譚にウェイバーは眉を顰めた。
今回は凛も同意の上で士郎のお説教も兼ねていた。
結局効果は無かったようだが。
そう告げたがあまり納得していない様子だった。
思ったよりも彼はしっかり後見人の立場を意識しているようだ。
「相変わらず君はエキサイティングな仕事をしているな!」
メルヴィンの反応は対照的だった。
そして私にもう五十ポンド、紙幣を握らせた。
紙幣には誰かの落書きがあった。
「君とのイラクでの冒険を思い出すな!ウェイバー!」
私の知らぬ事実を口にした。
「まったく。君はつくづくクズだな。……拝聴しよう」
ウェイバーは「やめろ」と制止したがメルヴィンは興奮気味に話し始めた。
この男とはまだ縁が切れることはなさそうだな。
私は思った。
というわけでアニメ第一話の完全焼き直しです。
二次創作だし許してください。
なお、シリア情勢ですが本シリーズの舞台が2006年から2007年ごろの想定なのでシリア内戦が起きる前です。
中東でも特にシリアとイエメンはすごく行ってみたい国なんですが、どっちも内戦中なので入国すら不可能でしょうね。
ところで、つい先月トルコに行ってきましたが、テロ頻発のイメージと裏腹に穏やかなものでした。
行ったのはイスタンブールとカッパドキアだけですが、また行きたいと思えるぐらい魅力的な国です(ちょいちょい日本語通じるし)
では、またお会いしましょう。