今、リアルタイムで秋の気候になってますのでどうぞよろしく。
久しぶりにあの人が登場します。
前編・後編の二回です。
没入
秋は「芸術の秋」と極東の地、日本では言われている。
かの国で秋は美術展が集中的に開催される時期らしい。
私はこの大都市ロンドンでも有数の芸術の匂いがするエリアを目指していた。
地下鉄のノーザンラインに乗り換え、ハムステッド駅で降りる。
赤茶けた駅舎を出ると、その先にはヨーロッパ最大の都市には不似合いな閑静なエリアが広がっている。
ハムステッドは、ロンドン中心部カムデン・ロンドン特別区にある。
ロンドンの北郊広大な公園ハムステッド・ヒースとハムステッド・ハイ・ストリートを中心にした緑の多い地区で古くから芸術家や文人に愛されてきた。
現在は高級住宅地として知られるがヒースの南側には、かつてジョン・キーツやジョン・コンスタブル、D・H・ローレンスが居を構え創作活動に励んできた。
あまり来ないエリアだ。
一気の気温の下がる秋だが、寒さは真冬に比べればまだ穏やかで雲は多めだが概ね晴れている。
せっかくなので目的地に向かう前に寄り道をした。
十七世紀に建てられたクラシカルなフェントンハウスの前を通り過ぎ、さらに十八世紀の遺物であるバーグハウスを横目に見る。
露店で買った濃くて旨いホワイトコーヒーを味わうと、ヤクザな私でも何となく文化的な人間になった気分になる。
ケンウッドハウスで美術鑑賞するプランが頭をよぎったがさすがにのんびりしすぎだと思い、そのプランは廃棄しハムステッドハイストリートに向かった。
ハムステッドハイストリートはハムステッドに二本ある大通りの一つだ。
コーンウォールやヨークシャーあたりから出てきたお上りさんなら気絶しそうなほど洒落たショップが軒を並べている。
細い脇道が大通り沿いに何本か通り、細道には歴史のあるパブやアンティークショップがひっそりと佇んでいる。
目的地は脇道の一本にある。
「ペリンズコート」の標識を確認し、その脇道に入る。
ハムステッドはアンティーク好きの間でもよく知られるエリアだが、ここにはアンティークショップがならぶアーケードがある。
ひどく興味を惹かれるアンティーク店のショーウインドーの前を通り過ぎ、徒歩で数分。
無個性な赤茶けた二階建ての建物の前に辿り着いた。
住所を確認するとどうやらここで間違いないらしい。
このエリアの相場からして賃貸料は月額二千二百ポンドというところだろうか。
正面玄関前で呼び鈴を鳴らすとロックが開き、私は目的に部屋に向かった。
一階の角部屋だ。
部屋の前でノックをする。
ノック回数は二回でも、三回でも、ベートーヴェン式の四回でもなく、二回+三回の約束だ。
部屋の主は山ほどの権謀術数に巻き込まれてきた経歴の持ち主なので慎重になるのも仕方ない。
プロトコル通りの奇妙なノックをするとドアが開いた。
「アンドリュー。よく来てくれた」
「ああ、久しぶり……数日ぶりだな。ライネス」
「入ってくれ」というとライネス・エルメロイ・アーチゾルテは私を部屋に迎え入れた。
〇
ライネスから呼び出しを受けたのは今朝の事だ。
彼女の呼び出しが横暴レベルで急なのは今更驚くことでもない。
こうして急な呼び出しをするのは私の技量や人格への信用も含まれてのことであり、決して不快とは思わない。
都合の良い時に呼び出せる便利な存在と思われている可能性も否定はできないが。
部屋は白を基調にした清潔感のある作りだった。
エルメロイが持っている物件の一つらしい。
私は月の賃料を二千二百ポンドと踏んでいたが実際の賃料は二千二百と三十二ポンドだった。
「惜しいな」と私は思った。
部屋から魔術師のテリトリーに踏み込んだ時特有の違和感がする。
どうやらこの部屋はライネスの工房になっているらしい。
工房として不要なものは生活必需品以外排除されているらしく、部屋には箪笥が一棹と椅子と机、あとはブラックティーの香りがするポットとカップがあるだけだった。
そして椅子と机ではルネ・マグリットのシュールレアリスム絵画を思わせる奇妙な光景が展開されていた。
「まずはお茶でも飲んで落ち着こう。砂糖はいくつ要る?」
それは名状しがたい奇妙な光景だった。
ライネス自慢の変形型の自律思考礼装トリムマウが人型の形状で椅子に座ったまま、ただ虚空を眺めていた。
私は一旦思考を放棄し、ただ問いに答えた。
「一つ半で頼む」
〇
ティースプーンがブラックティーを攪拌し、ティーカップのフチにあたるカチャカチャという音が響いている。
あたりを静寂が包んでいるからこそ、その音がはっきりと聞こえる。
ティースプーンには本物のアンティーク品であることを示す認証マークがついている。
おそらく銀製なのだろう。
銀は錆びやすく、銀製品を持っていることは手入れをする召使を抱えていることを示す社会的地位のシンボルとしての役割がある。
ただの成金趣味ではない、シンプルだがとても良い趣味だ。
代々の高貴な家系だからこそこれは彼女によく似合う。
「こちらが何を言っても『お嬢様、これは凄いです』の一点張りだ」
私のアンティークに対する社会的考察……現実からの思考の逃避をライネスが遮断した。
人型の形態をとったトリムマウは相も変わらずぼんやりと虚空を見上げていた。
トリムマウは水銀の礼装に疑似人格を与えたものだ。
学習能力もある。
問題は的確な分別を持ち合わせないため、何でも吸収してしまうことだ。
今回はその「何でも」が相当な劇物だったと見える。
「原因は……ソレか?」
トリムマウが座っている椅子には椅子とセットで存在するのが不文律の存在であるテーブルがある。
テーブルの上には劇場のようなものを再現したミニチュアが載っていた。
その劇場のようなものを再現したミニチュアのようなものはただならぬ魔力をあたりに放出していた。
「近所のアンティークショップで見つけてね、あまりにも異様な存在感を放っていたから思わず購入したんだ。ほんの四百五十ポンドだった。店主の話だと1940年代にフランスで作られたものらしい。正確にはアンティークというよりヴィンテージだね。出所が不確かだからその制作年代も制作国も本当か怪しいものだがね」
私はその謎のヴィンテージ品にそっと近づき、触れないように検分した。
精巧な作りだった。
二百席ほどの座席が一つ一つ丁寧に並べられ、舞台の上にはスクリーンがある。
ぱっと見は劇場に見えたが映画館らしい。
「あまりにも異様な魔力を放っていたから解析してみようと思ったんだが、直接触れるのは不味いと直感した。だからトリムマウをバイパスして触れてみようと思ったんだ。そうしたらこのザマだ」
慎重な彼女らしい。彼女はその身を幾度となく狙われてきた経歴の持ち主だ。
話を聞く限りこのミニチュアは彼女が偶然見出したものだが、誰かの罠である可能性も否定できない。
トリムマウは何かに囚われているように見える。
すると、このミニチュア自体が極小の結界なのかもしれない。
「これは私の分析なんだがね。どうもトリムマウは夢を見ているらしい」
「夢?疑似人格しか持たないトリムマウがか?」
「夢……というか夢に近いナニカだ」
ライネスですらこの事象を正しく把握できていないようだ。
するとやることは一つしかない。
「それで、高貴なるレディ・ライネスに代わって下賤なるアンドリュー・マクナイトに解析させようと?」
「おいおい。そこまで自分を卑下するな。君は優秀だよ。だから君を呼んだんだ。兄上では触れた時点で囚われてお終いだろうからね」
「評価してもらって光栄だが、僕に解析させようとしてるのは事実だろ?」
「心配するな。君が戻ってこないようなら私も解析に加わろう。君を犠牲にするのは私の本意じゃない」
「犠牲にする気はないが実験台にするぐらいのつもりはあるんだろ?」
「実験台とは人聞きが悪いな。君は私の……そうだな、ビジネスパートナーでどうだ?」
彼女に腹芸で敵う気が全くしない。
ライネスは私にとって重要なお得意様の一人で権力者だ。
おまけに過去に何度か借りがある。
受けるしか選択肢は無いようだ。
「まったく光栄だね」と私は吐き捨てた。
「仕方がない。では、やるか」
私は酷く進まない気分で仕事にかかろうとした。
その時、ドアをノックする音がした。
二回+三回のプロトコル通りのノックだ。
私とライネス、双方に緊張が走った。
ライネスは唯一の戦闘手段であるトリムマウが使えない。
気は進まないが妥当な判断として、懐から三十八口径を抜きゆっくりとドアに歩み寄った。
ドアの向こうの人物は私が歩み寄る気配でも感じたのだろうか。
私がドアのすぐ前に辿り着くと声がした。
「アンドリュー、いるんだろ?開けてくれ」
声の主は日本語でそう呼びかけた。
私はこの声を知っている。
そして、その声は思いもかけない人物のものだった。
驚きのあまり、勢いよくドアを開けると声の主はやはり私の知る人物で、そして思いもよらない人物だった。
その人物の来訪はライネスにも驚愕をもたらしたようだった。
「……アオザキ……トーコ!?」
思いがけない人物、蒼崎橙子がドアの向こうに悠然と立っていた。
というわけでまたしてもオリジナル色のかなり強いエピソードです。
今回はfateシリーズ+攻殻機動隊へのオマージュです。
後編は二日ばかりお待ちください。