学園
私は渋面を浮かべた同年代の人物と向き合っていた、
彼は時計塔の名物講師であれせられるロード・エルメロイ二世で、私は華麗なるフリーの魔術使いアンドリュー・マクナイトだ。
何度も繰り広げられてきた既視感すら感じる光景だ。
今後も同じようなシチュエーションが繰り返されることだろう。
私が座ったのを確認すると、講師室の簡素な回転椅子に座った彼が何かを言いかけた。
私はそれを手で制した。
「ああ、わかっている。君が僕を呼び出す理由は一つ、おしゃべりを楽しむためだろ?」
彼は何か――間違いなく否定の言葉だろう――を口にしようとしたが私はおしゃべりの先制攻撃を繰り出した。
口を開いたら無駄なお喋りをする。プレースキックの機会を得たらジョニー・ウィルキンソンがキッカーを務めるのと同じぐらい当然のことだ。
「今朝、とんでもないことに
彼は呆れつつもとりあえず話を聞くことにしたようだ。
ひとまず静かになった。
「両者を両手に持つ。落とす。落として割れたら卵、割れなかったらキンタマだ」
彼は何も言わず、ピクリとも反応しなかった。
ユーモアを解する人物だ。
「不機嫌そうだな。肩こりが酷いのか?僕は腰が凝るんだ。何しろ、飛び切り大きなナニを持っているからね」
彼はやはりピクリとも動かなかったが、短く言葉を発した。
「戯言は以上か?本題に入るぞ」
私は答えた。
「ああ、本題だな。魔術協会と聖堂教会の対抗フットボールの話か?それとも対抗ラグビー?助っ人ならいつでも応じるぞ」
彼は鋭く答えた。
「妖精だ」
その言葉に私も真面目にならざるを得なかった。
〇
彼は彼らしく見事に要約された事件の内容を述べた。
魔術における学び舎の最高峰は魔術協会の一部門であるここ時計塔だが、そのほかにもいくつかの魔術学校が存在する。
そのうちの一校である名門と名高い魔術学校で一人の生徒が死亡した。
その生徒は飛び切りの名家の出身で、飛び切りに優秀だったため少々の騒ぎになった。
おまけに死因も死の状況もはっきりしない。
追い打ちをかけるように、その生徒の死後ほどなくして、ある噂が広まった。
「彼は妖精に殺された」
魔術師は一般社会の倫理が通用しない。
魔術師同士の殺し合いなどあってもさほど不思議ではない。
実際、極東の魔術儀式である聖杯戦争では過去に魔術師の殺し合いが勃発している。
問題は死者が名家の魔術師で、学び舎である魔術学校でそれが起きたことだ。
仮にその死んだ生徒が自らの妖精に殺されたのだとしたらこれは事故だ。しかし、妖精が妖精契約をした他の人物の物で、他の人物が殺しを命じたとしたらそれは大問題だ。世間ではそのような行為を殺人と呼ぶからだ。
少なくとも噂の真意を誰かが確かめる必要がある。
「なぜ僕なんだ?僕は妖精を見る目は持っていないぞ?」
私の反証に彼が答えた。
「ああ。だが、妖精を見ることができる道具なら持っているだろう?」
確かにその通りだ。
以前の事件で蒼崎橙子に再会したとき、「土産」として彼女お手製の視覚を強化する道具を贈られていた。
どこから伝わったのかと考えたが、橙子本人以外考えられない。
飛び切り高い能力と限りなく最低の性格を持つ彼女のことだ。
私は事件に巻き込まれることを見越して情報を流したのだろう。
これはどう見ても断れる状況にない。
私はロードエルメロイとは長い付き合いで仁義もある。
仕方がない。
応じる姿勢を見せながら私は要求した。
「では、一人助手を付けてくれないか?」
彼は表情を崩さずに言った。
「妥当な理由があるなら応じよう」
〇
その三日後。
私はヴィクトリアコーチステーション発のカンタベリー行き
バスは大都市ロンドンの喧騒を離れ南東部の田園地帯を走っている。
目的地であるカンタベリーに近づいていることを実感する。
カンタベリーはイングランド南東部のケント州に位置する。
人口五万人にも満たない小さな町だが、古くから巡礼地として栄えた。
七世紀に修道士アウグスティヌスが初代カンタベリー大司教に就任して以来、イングランドのキリスト教における中心地であり、十六世紀には
魔術師においても重要な土地の一つだ。
カンタベリーのアウグスティヌス魔術学校は魔術学校の中でも名門の一つとして数えられる。
事件はそこで起きた。
これからその学び舎に赴き「我々」は調査に当たる。
アウグスティヌス魔術学校は全寮制の男子校という極めて特殊な環境にある。
そのため、私は助手の選択にも配慮が必要と考えた。
「相手は思春期の少年たちだ。今時パブリックスクールぐらいしかないような男の園で育った多感な少年たちだからな。
まず君の教室の女生徒たち――もちろんライネスとグレイも含むぞ――は無駄に見目麗しすぎて論外だ。
かといって僕のような中年になりかけの渋い大人が一人で行くのもどうかと思う。
なので出来るだけ彼らに年頃の近い者を連れていきたい。
例えば――」
そこで名前を挙げた人物が私の隣に座っている。
二十歳ほどの眼鏡をかけた小柄な青年だ。
彼はカウレス・フォルヴェッジ。
エルメロイ教室の生徒の一人だ。
彼はフォルヴェッジという名門の出身だがエリート街道には程遠い道を歩んできた。
衰退の一途を辿っていたフォルヴェッジ家において、魔術師として将来を嘱望されていたはずの姉が突如魔術を捨て出奔。
後継者としての責務がそれまでスペア扱いされていた自分へとスライドしたことで、時計塔へ留学することになり、エルメロイ教室へと加わった。
そのため、彼は現在進行形で劣等感を抱えている。
しかしその分学習意欲は旺盛で魔術の知識は確かだし、自分でPCを組み立てる程に現代の技術にも通じている。
私は魔術の腕にもある程度の自信はあるが、機械を使った方が楽なことは機械を使う主義だ。
彼のような人物とは組みやすい。
カウレスの魔術知識も確かなのでその点でも頼りにしている。
道路を走る走行音と車両の揺らぎに乗せて、私はカウレスに彼を助手に指名しら理由をそう説明した。
彼はその説明に十分満足したようだが、引っかかるところがあるようだった。
助手に指名した以上、私には説明責任がある。
「気になることは遠慮なく言ってくれ」と彼の発言を促した。
カウレスは答えた。
「……自分で言うのも情けないですが、エルメロイ教室は戦闘能力でも魔術でも俺より上の奴がゴロゴロしてる魔境みたいな場所です。
俺が選ばれていいのかと思って」
やはり彼は私の思った通りの人物だ。
こんな常識的な謙虚さを見せられると改めて彼のことを評価したくなる。
なので私は評価と信頼の証として彼の質問に答えた。
「君は教室の備品を壊したことがあるか?」
私の唐突な問いに彼はポカンとした。
そしてポカンとしたまま短く答えた。
「いいえ」
私は矢継ぎ早に問いを繰り出した。
「君は同じ教室の学生と殴り合いの喧嘩をしたことがあるか?」
「いいえ」
「君は同じ教室の学生をストーキングしたことがあるか?」
「いいえ」
締めくくりに私は答えた。
「それが君を選んだ理由さ」
彼は苦笑して「なるほど」と答えた。
〇
バスストップに降り立つと聳え立つカンタベリー大聖堂の威容が我々を迎えた。
平日の昼間ながらバスを降車した人数はかなり多く、外国語を話す人間の比率が高かった。
大聖堂の外国人観光客への人気は根強いようだ。
カンタベリー中心部は大聖堂を中心にした地域に固まっている。
バスを降りた私とカウレスはファッションストアや土産物店、パブが立ち並び、観光客で賑わう大聖堂の周辺地域に背を向け歩みを進めた。
観光地特有の喧騒を抜けカンタベリーイースト駅を通り過ぎ、さらに十分。
人口十六万人に過ぎないカンタベリーはその中心部がコンパクトにまとまっている。
大聖堂周辺の喧騒ははるか遠くなり、閑静な一画に入る。
にわかに賑わいを見せる聖アウグスティヌス修道院跡を通り過ぎると目的地は間近だ。
「ミスター・アンドリュー・マクナイトとミスター・カウレス・フォルヴェッジですね」
閑静な住宅街の角に音も無く人が立っていた。
中年の男性でがっしりして背が高かった。
声をかけられるまで我々は気配すら感じなかった。
魔術師である我々二人に気配すら感じさせないこの人物は間違いなくタダものではない。
「寮監のチップスと申します。お二人のアテンドを担当いたします」
恭しいお辞儀付きの挨拶に我々もお辞儀を返した。
「では、こちらへどうぞ」
そう言うとミスター・チップスはなんでもないただの住宅街の石垣に手を触れ、何かをつぶやいた。
ささやき声と共に彼の姿は石垣の中へ消えていった。
秘密の入り口らしい。
聖アウグスティヌス魔術学校はカンタベリー大聖堂と聖アウグスティヌス跡、聖マーティン教会という三つの重要な遺跡を持つカンタベリーという霊地に根差した組織だ。
聖アウグスティヌスがカンタベリー大司教に就任した六世紀末に基礎が作られ、魔術協会も正当な教育機関と認定する名門として知られる。
入り口は魔術によって秘匿され、外部の人間はたとえ学生の家族であっても学園関係者のアテンド無しで入ることができない。秘密の入り口は定期的に変更され、変更は学園関係者以外には通達されない。
つまり、何かしらの事件が起きたのであればまず間違いなく内部の犯行だ。
まだ下手人が誰なのか目星もついていない。
事件なのか事故なのかすらわからない。
ただ一つ確かなことは事件はこの学園の中で起きたということだ。
私はカウレスに言った。
「ホグワーツ魔法魔術学校に立ち入る覚悟はあるか?」
彼は答えた。
「寮分けでスリザリンになったら嫌ですね」
一か月に一本ぐらいは出したいんですが、作者想像力の限界ですね……
やってみたいもののイメージはいっぱいあるんですが、具体的構想まで至らないのが多くて。
次回、たぶん後編です。