Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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あれ……後編の方が短い。


郷愁

 迪化街(ディーホアジエ)は清朝末期にその基礎が形作られた、台北で最も古い問屋街だ。

 日本統治時代に整備が行われ、当時の流行だったレンガ造りの建物が良好な保存状態で残されている。

 崗からの耳寄りな情報を凜に届けると、当然、彼女は興味を示した。

 迪化街は土産物屋も多い。「桜と藤ねえに何か買っていきたい」と士郎も同行を同意した。

 

 永楽市場は三階建ての古い建物を利用した商業施設で、紹介のあった魔術使いは二階の奥で知る人ぞ知る店を開業している。

 崗から知らされたプロトコル通りに合図をすると、「門」が開き中に通された。

 

 秘密の商店を開業しているレスリー・イェンは香港の出身で私と同郷だった。

 香港の中国返還を機に英国に渡り、その後、台湾で開業したそうだ。

 彼も私と同じ英国との混血で故郷の話で盛り上がった。

 

 レスリーの商店で扱っているのは彼が自身で魔術を織りこんだ布製品だ。

 特に東洋の呪を刻んだ生地はなかなかの技ものであり、彼の職人・魔術師としての腕を物語っていた。魔術師としての性能も探求心も高度な凜はその価値がよくわかっている様子で価格表とにらみ合いながら葛藤していた。

 良き商売人である彼は凜が名家・遠坂の当主であることを知ると「今後も御贔屓に」と大幅にディスカウントしてくれた。 

 さらに気前のいいレスリーは「人から沢山貰ったから」と最高級の凍頂烏龍茶を土産に持たせてくれた。

 同行した二人が喜んだのは言うまでもない。

 

  〇

 

 永楽市場の外に出ると、陽は高く風は穏やかだった。

 なかなか良質な魔道具が手に入り、思いがけず土産までもらった。

 短い休暇は最高の結末を迎えそうだった。

 

 後は夕方のフライトまで時間をつぶすだけだ。

 我々は迪化街の端から端まで半マイルほどの道を歩いてみることにした。

 さして珍しい品物があるわけではないが、この街路は趣がある。

 買い物もせず写真も撮らず、そぞろ歩きをするのは旅人の特権だ。

 

 八角のスパイシーな匂いや名状しがたい臭豆腐の匂いをバックに商店の店員たちがアグレッシブに話しかけてくる。

 しかも彼らは的確に日本語を選択していた。

 台北の観光業関係者はモンゴロイドから日本人だけを選別する特殊技能を持っているようだ。 

 

 私にとって思考する言語は英語だが、広東語と日本語は大事な文化的ルーツで格別の親しみを持っている。

 それに加えてきっと私の中のアジアのDNAがそう錯覚させるのだろう。

 歩きながら体中を優しく包み込まれるような感覚を覚えていた。

 それがノスタルジーだと気付くのにそれほどの時間は必要なかった。

 

 とても心地よいノスタルジーだった。

 そして強烈なノスタルジーだった。

 脳を揺さぶり体を触れさせ、魔術回路を侵食しそうなほどに……

 

「……士郎、アンドリュー」

 

 異常事態に最初に気づいたのはやはり最も魔力的な勘に優れた凛だった。

 この感覚は明らかに異常だ。

 特に縁が深いはずでもない土地で強烈なノスタルジーを感じる理由が無い。

 魔術でも関わっていない限りは。

 

 君子危うきに近寄らずと言う。

 得体の知れない魔力を辿るのは明らかに推奨される行為ではない。

 

 だが、不思議なことにその魔力からは敵意を感じなかった。

 大規模な結界を張って獲物を巣におびき寄せるでも、トラップで不意を打つでもない。

 その「誰か」か「何か」はアフタヌーンティーにでも招待するかのように、まるで敵意を感じない、限りなく無防備な状態で魔力を流して誘っていた。

 

 夜の盛り場でウィスキーの匂いに誘われるように魔力を辿っていくと、道を一本入った場所の赤茶けたレンガ造りの建物にたどり着いた。

 アンティークショップのように見える。

 

 敵意は感じなかったが魔術への対応能力が最も高い凜を先頭にゆっくりと中に入った。

 

 ドアを開けると懐かしい調べが聞こえてきた。

 ノスタルジックな日本の歌……日本人なら誰でも知っている。

 「上を向いて歩こう」だ。

 

 日本語はルーツであり得意な言語の一つだが、よく知るその曲の歌詞はダイレクトに私の脳を刺激していた。日本語が母語の彼らにとってはもっと強力な刺激だっただろう。

 

「いらっしゃい」

 

 声がして、ふわりと香ばしいコーヒーの匂いがした。

 その元の方を向くと、若い――少なくとも若く見える女性が座っていた。

 女は豊かな銀髪で、ラピスラズリを思わせる鮮やかな青い目をしていた。

 

「コーヒーを入れたばかりなの。歩き疲れたでしょう?一休みしていきなさい」

 

  〇

 

 我々三人は不思議な雰囲気の女性に誘われるまま濃くて美味いコーヒーを飲んでいた。

 耐熱グラスの底に練乳を沈ませたベトナムスタイルのコーヒーだった。

 

「いいかしら?」

 

 コーヒーを飲みながら彼女はタバコのパッケージを取り出し、吸っていいか許可を求めた。

 彼女が取り出したタバコのパッケージには見覚えがった。

 不味そうな紫煙の匂いにも覚えがあった。

 以前、蒼崎橙子が「台湾の職人がつくった不味いタバコ」と不味そうな匂いの紫煙をくゆらせながら言っていたのを思い出した。

 これで繋がった。

 

 またしてまんまと橙子の手のひらで踊らされたことに忸怩たる念を感じつつ、私も喫煙した。

 

 部屋は物で溢れていた。

 誰かが使い古したと見える人形、古い写真機、サッカーボール、ベースボールのグラブ、トロフィーのような何か。

 そして部屋には絶えず古い音楽が流れている。

 曲は「上を向いて歩こう」から「見上げてごらん夜の星を」に変わっていた。 

 

「『懐かしい』と感じるでしょう?」

 

 彼女は出し抜けに言った。

 

「この部屋に置かれているものはただの品物じゃない。通りがかった人たちが置いて行った追憶なのよ。それを私が魔術で保存しているの」

 

 女はさらりと言った。

 

「失礼なことを伺うようですが、貴女は人間?」

 

 凜がそう問いかけた。

 女はからからと笑って答えた。

 

「お嬢さんは魔力的勘が鋭いようですね。御明察、私は夢魔と人間の半妖よ。人に近いけど人になり切れないヒトモドキでね。私は――人間の感情が好物なの」

 

 追憶を保存する魔術などそう実現できるものではない。

 人ならざる者ゆえに使える魔術という事か。

 

「半妖とは言っても伝説のマーリンのように千里眼を持っているわけではありませんから、こうやって時々お客様にお越しいただいて感情――大事な栄養をいただく必要があるのですよ」

 

 鳴っていた音楽が止んだ。

 ジージーとレコード針が空回りする音がする。

 

「貴方たち三人ともとても美味しそうな感情を持ってるわね……でも、そう。特に、今回お呼びした理由は――貴方よ」

 

 女の視線が向いた先は士郎だった。

 我々の戸惑いをよそに、女は灰皿でタバコをもみ消すと後ろの棚に向かい何かを小さなものを取り出した。

 それが前の机に置かれ、存在を認めたとき、我々は驚愕した。

 

 見た目はただの銃弾――より正確には.30-06スプリングフィールド弾だが、間違いなくこれは魔術礼装だ。

 加えて私と士郎は同じものを以前に見ている。

 間違いない、士郎の養父、衛宮切嗣が生前に使っていた礼装だ。

 

「これを置いて行った人の追憶が保存されているわ……さあ、触れてみて」

 

  〇

 

 何を思って橙子が我々を誘導したのかはわからない。

 だが、少なくとも士郎の人生にとって意味のある寄り道だった。

 激しく心を揺さぶられるほどに。

 

 不思議な店の外に出ても士郎の涙は止まらず、凜が寄り添って宥め続けていた。

 

 空港に着くころ。

 さすがに士郎の涙は止まったが目が赤くはれていた。

 心の動揺はまだ止まっていない様子だった。

 後は凜に任せようと思った。

 私は努めて優しく士郎の背中を撫でた。 

 

「泣くなとは言わん。だが、上を向いていろ。涙がこぼれないようにな」 

 士郎は小さくうなずいた。

 私は寄り添う若いカップルに背を向け、一足早い飛行機に乗るため搭乗口へと急いだ。




というわけで唐突に思いついたネタをお送りしました。
しつこいようですが台湾が舞台であることに特に理由はありません。
ただ、この前行ってきたからです。

橙子さんと店の関係、切嗣と店の関係は想像にお任せします。

次は日本を舞台にしようと思ってますが、予定変更するかも。
また、更新がいつになるかは不明です。
ちなみに最近、こんなのを書きました。

【コラム】『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』解説・古代メソポタミアの文明と生活
https://mirtomo.com/fate-mesopotamia/

タイトルまんまの寄稿記事です。
では、また。

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