地方都市の冴えない街並みが過ぎ去り、幹線道路沿いの退屈な光景が過ぎ去り、人家すら見えなくなった。
途中で一度運転を変わり、幹也がハンドルをにぎって一時間ほど経ったころ。
明らかに風景が変わった。
それまでの生活感を感じさせる光景は消え去り、空気も変わった。
ここは東海地方にある山岳地帯だ。
観光地としては全く整備されておらず、よほどコアな登山家でもなければ寄り付かない。
だからこそ神秘性が保たれているのだろう。
ここが霊地であることは魔術師なら踏み込んだ瞬間にわかるはずだ。
――それも神の住む霊地だと。
日の本の国には
八百万とは非常に数が多いことを意味し、アニミズム信仰から出発した神道の「万物に神が宿る」とする信仰を表している。
我々が向かう先に居るのはそのうちの神々のうちの一柱ということになる。
"S村まであと10km"の標識が見えた。
かろうじて道路は整備されており、曲がりくねった山道への入り口が見える。
この先は異界だ。
曲がりくねった薄暗い山道を進み、速度を落として慎重に車を走らせた。
針葉樹林に囲まれた薄暗い山道を抜けると、やがて開けた里が見えた。
ポツリポツリと人家が立ち、人影は殆ど見当たらない。
モバイルフォンを見ると頼りなさげに微かに一本アンテナが立っている。
遠くまで来たことを実感する。
駐車場の指示は特にない。
土地には余裕があるので、村の入り口当たりで勝手に泊めて構わないと聞いていたので素直に従った。
風宮経由で村に到着するおおよその時間は知らせてある。
迎えが来るはずだ。
我々は時間より二十分ほど早く到着していた。五分もすると六十がらみの老紳士がこちらに近づいてきた。
老紳士は"カンバラ"と名乗り、我々二人に日本人らしく深くオジギをした。
〇
例えどんなに技術が先進した国でも迷信深い者はいる。
技術大国の日本であってもそれは例外では無い。
これといった産業のないS村はもちろん観光客とも無縁で、コアな登山客用に小さな民宿が一軒あるだけだった。
風宮からの指名で来訪している我々は賓客であり、村長の家に通された。
迎えに来たカンバラ老人はこの村の村長だった。
茅葺屋根の伝統建築で、村でもひときわ目立って立派な建物だった。
わが国でいえばマナーハウスのようなものだろう。
村長の家には村のお偉方が集まっていた。
村長に加え副村長や助役など村のお歴々が一堂に会したそうだ。
全員が老人で、全員が男性だった。
まるで横溝正史の小説に出てきそうな光景だ。
違うのは起きた事件が殺人事件ではなく生き神の行方不明であることだ。
「死んだ村だ」と私は心の中でつぶやいた。
幹也が魔術師でないことは風宮から聞いて知っていたのだろう。
村人たちは歓迎の意を表明しながらも、幹也のことを軽んじているように見えた。
私に対しては敬意を見せていたが、恐らく私がガイジンであるせいだろう。
軽んじてはいなくても、積極的に距離を取っているように見えた。
熱いグリーンティーを供され、まるで友好さを示されない息苦しい雰囲気の中、カンバラ村長は事の次第を語った。
〇
日本は古代より稲作を行い、農耕社会として発展の礎を築いた。
多くの先進国がそうであるように、農耕社会から王政が生まれ、封建社会になり、封建社会の元に生まれた諸侯がやがて資本家として力を持つようになる。
革命が起きて王政が倒れて民主主義になり近代国家が誕生する。
日本は西欧諸国以外で唯一この過程をたどった国であり、革命に変わって明治維新を起こしたことで近代国家になった。
S村の歴史は判然としておらず、恐らくは日本が狩猟採集から農耕社会に切り替わったどこかのタイミングで人が定住するようになったのだろうと考えられている。
ただし、村に伝わる生き神の伝説は別だ。
生き神の始祖が登場するのは十四世紀。
鎌倉幕府が倒れ、室町幕府が誕生する南北朝時代のことだ。
江戸に幕府が開かれ、太平の世が訪れるまで、日本は戦乱の時代が続いた。
殺人や略奪は日常の光景だった。
南北朝時代のS村も度々野武士の略奪に苦しめられていた。
深い山の中にあるため、他の村に比べれば略奪される頻度は低かったものの、山中で開墾された土地にも限りがあったため、食糧生産性の低いS村にとって略奪は命にかかわる問題だった。
クロサワ映画ならば侍を七人雇って解決していたところだが、村人たちにそのような大胆な発想は無かった。
ただ略奪に怯えながら嵐が過ぎ去るのを待っていた。
死と隣り合わせの日常を送るある日。
村に一人の行者が立ち寄った。
静かに修行の出来る場所を探していた行者にとって山深いS村は格好の拠点であり、彼はS村のはずれに庵をたてて定住するようになった。
行者は村はずれの粗末な庵で熱心に修行に明け暮れた。
しかし、修行で腹は膨れない。
村人に許可をとって山菜や川魚を取り、時には村人から農作物を分けてもらっていた。
村人たちと行者の心温まる交流の物語――と言いたいところだが、残念ながらこの物語はもっと現実主義者向けだ。
行者は村人から食料を分けてもらう代わりに知恵を授けていた。
村の防備を固める方法、より効率の良い農作物の作り方、また望む者には読み書きを教えていた。
時に雨乞いの儀式で雨を降らせることもあった。
行者が村に不思議な陣を書くと、野武士が寄り付かなくなった。
ここは皮肉屋で現実主義者の私の推測だが、恐らくその行者は元々武士で、何かしらの理由で身分を捨てたのだろう。
鎌倉時代の武士には自ら畑で鍬を振るう者も多かったという。
読み書きができるのも農業の知識があるのも、防備の方法を知っているのもその行者が元々武士だったのであれば説明がつく。
そしてもう一つ大事なことだが、その行者は恐らく魔術師でもあったのだろう。
雨乞いが魔術ならば、その男が書いた陣は人除けの結界だったのだろう。
村は野武士たちに怯えることが無くなった。
しかし人は定命の生き物だ。
行者が村に定住してから二十と数年が経つ頃、行者が亡くなった。
村人たちは行者を手厚く弔うと、社をたて、行者を神として崇めるようになった。
それ以降、数年おきに村に行者と似た面差しの子供が生まれるようになった。
子供は例外なく不思議な力を持っており、村人たちは経験から他の子どもたちと交わらせる、満年齢が八歳を超えると力を失うことに気付いた。
生き神は村に豊穣をもたらした。豊かになれるほどの豊穣ではないが、小さな村が生きていくには十分なものだった。
もはや生き神を生活から切り離すことはできなかった。
以降、村の新生児は村長の家で生き神の条件を満たしているか検分を行い、七歳までは他の子どもたちから隔離するようになった。
行者の素性は以降も不明のままだったが、行者の書いた陣が風宮の家系の術と同系統だったため、室町時代には風宮の系列として庇護下に入るようになった。
これが生き神信仰の始まりだ。
そして今代の生き神がある朝、突如として姿を消した。
この国では突如、人が姿を消すことを「神隠し」と呼んで畏怖しているが、今回は外ならぬ神自身が隠れている。
言うなれば「神隠れ」というところだろうか。
〇
「今日でちょうど七日になります」
七日は人を衰弱しさせるのに十分な時間だ。
生き神とは言え幼子だ。
生きていても相当に消耗しているのは想像に難くない。
「生き神様のことは我々も心配です。ですのでこの通り、一刻も早く見つけ出していただきたい」
カンバラ村長は深々と頭を下げた。
この老人たちは「幼子」ではなく「生き神」のことを案じているように私には感じられた。
気に入らなかったが、これも仕事だ。
「最後にその子の姿を見たのはどこですか?」
魔術師ではない幹也の発言は明らかに軽んじられていた。
私が問い直すと、村の神職だという人物が案内してくれることになった。
〇
神職の老人に案内され、私と幹也は村からさらに山頂へと続く道へと案内された。
伝承によるとこの道の先に件の行者が生活していた庵があり、そのさらに先は山の神の住む場所と伝わっているとのことだった。
日本には山伏または修験者と呼ばれる種類の行者が存在する。
彼らが信仰する修験道は山岳信仰から出発している。
伝承では断片的にしか語られていないが、例の行者は修験者だったのだろう。
生き神の子供は毎朝、この先の霊験あらたかな滝に向かい、真言を唱えることを習慣としていると神職の老人は語った。
「それは何故ですか?」
幹也が問うと「それが伝承の行者様の習慣で、生き神様のお務めだからです」と老人は答えた。
幹也は明らかに浮かない顔をしていた。
生き神は神秘性を守るために隔離されて生活している。真冬の滝行は大人でも苦痛だ。
この村は生き神の神秘を守ることには積極的だが、生き神の人権を守ることには消極的なようだ。
人の親である幹也は相当に複雑な感情を抱いているに違いない。
神職の老人は今のところ生き神を最後に見た人物だ。
老人によると、朝の滝行に行く途中に突如として生き神は姿を消したそうだ。
凍えるように寒い朝だったらしい。
「アンドリュー、僕には魔術的なことはわからない。君はどう思う?」
「子供が山中で姿を消したのだから、普通ならば山中で迷っただけと判断するところだがな――この山の魔力はかなり濃いし、生き神の能力は山岳信仰と根本部分で密接に結びついてると思われる。となると、この山の中では生き神の子供は全能では無くともかなり多くのことが可能になるのだろう。例えば、姿を自分の意志で消す、とかな」
「それでどうする?」
「魔力を探知しながら粘り強く山中を探すしかないな」
幹也の提案で神職の老人は村に帰らせ、我々二人だけで先に進むことになった。
老人は渋ったが、幹也が粘り強く頼むと引き下がった。
わざわざ老人を帰らせた理由はわからないが、幹也には何か意図があるようだった。
〇
神職の老人を帰らせた私と幹也は地図を片手に山道を歩いていた。
時折コアな登山客が訪れるとあって、かろうじて山道は整備されていたが、地元の人間でも時折迷うことがあるらしい。
誰かが道に迷うことがあると「狐に化かされた」と村人は考えるそうだ。二十一世紀の日本にまだこのような場所があることに驚きを禁じ得ない。
幸いにして冬の見事な快晴で、山の天候は変わりやすいというが悪天候になるような気配は感じられなかった。
私と幹也は地図を見ながら、整備された山道からは決して外れないように歩みを進めた。
私の魔力探知は残念ながらあまり役に立っていなかった。
山自体の魔力が濃く、この中に魔物や魔術師が紛れ込んでいてもよほど近くまで来なければ探知は難しそうだった。加えて、生き神はこの山の魔力と非常に相性がいいと考えられる。山の魔力に紛れ込んでしまっている可能性が高い。
私は淡々と苦しい状況の考察を述べた。
幹也は彼らしく一つ一つに丁寧に相槌を打っていた。
しかし、その後の彼と私の会話は長年の友人がするただの雑談になっていた。
幹也が務めて他愛ない話題を選んでいるように聞こえた。
幹也の話は主に式と未那――妻と娘の話だった。
他愛ないが微笑ましい話だった。
私は幹也にせがまれて旅先の話をした。
この一か月の間に私はポルトガルに仕事で赴いていた。
ポルトガルの南国的な明るさと鄙びた素朴さを私は気に入っている。
スペインの陰に隠れてあまりイメージは無いが、なかなかの美食の国でもある。
幹也は興味深そうにそれを聞き、いつか家族で言ってみたいと語った。
そんな他愛のないやり取りをしていると、次第に日が暮れてきた。
結局成果は挙がらなかったが、そろそろ戻らないと遭難の危険性がある。
我々は双方同意の上で、村へと山道を引き返すことにした。
踵を返し、反転する。
すると、背後に気配を感じた。
この山の魔力と似た気配を持ち、それでいて確固たる存在を感じさせる気配だ。
私は振り返り、私につられて幹也が振り返った。
それは小さな少女だった。
年は七歳ほど――行方不明の生き神と同世代――で、生き神としか思えない魔力を放っていた。
私は様々な"仕事"を経験してきたが、さすがに神を見るのは始めてだ。
見た目には年端のいかない子供だが、存在そのものが魔的に格上であることが嫌というほどわかる。
本物の神が二十一世紀の日本に存在するなど、実のところ半信半疑だったが、ここにきて私は"生き神"が本物であることを悟った。
――対して幹也は――魔術回路を持たない彼は、私と違うことを思ったようだ。
「寒くない?」
腹の底までお人好しの旧友にとってはそこが今一番重要な問題だったようだ。
少女は薄衣を一枚まとっているだけだったが、凍えているようには見えなかった。
小さく首を振った。
「僕は幹也、そっちは僕の友達のアンドリューだ。君は?」
少女は何も答えず後ずさった。
その顔には感情らしきものがうかがえなかった。
幹也は残念そうに頭を掻いた。
「うん……今日はもう日が暮れそうだし、また明日くるよ。じゃあね」
言い終わらないうちの子供の姿は消えていた。
〇
翌日も同じような天候で、同じような一日だった。
幹也は友達のレジャーに来たかのような調子で私と山道を歩きながら他愛もない話をし、そろそろ帰ろうかという段階になると前日と同じように生き神の少女が姿を見せた。
私は根本的な部分を見誤っていた。
生き神は生き神であると同時に、幼子でもあるということだ。
特に聞かなかったが、幹也はとことんなまでに普通に考えてここに行きついたのだろう。
生き神の少女は、その日頃から生活を村の大人たちに厳格に制限されている。
だから村の大人たちのことを怖がっている。
よそ者の自分たちだけで行った方が、姿を見せてくれる可能性が高い。
子供は好奇心旺盛だし、自分たちが外の世界の話をしたら興味を持って近づいてくる。
彼はおそらくそう考えたのだろう。
そしてそれは正解だった。
とことん普通の幹也にとっては「生き神がどう」という前提よりもそちらの方が大事だったようだ。
幹也が東京の話や、妻と娘の他愛のない話をし、私は旅先や仕事先で見たものの話をした。
少女は日毎、突如姿を現しては、我々から数歩離れた距離で話を聞いていた。
少女が姿を現している時間は日ごとに長くなり、我々の話を聞いている時間も長くなった。
能面だった表情は日毎に柔らかくなり、畏怖を感じる生き神の顔から幼子の表情へと変わっていった。
並行して、我々は可能な限り生き神の資料を集めた。
文書化されているものは少なく多くは口伝だった。
その中の一つに、生き神は世代によって能力の強さが違い、十代ほどの間隔で特に力の強い生き神が生まれることがあるというものがあった。
特に優れた素質を持つ生き神は山の神と同調する能力を持ち、強力な術を使う場合があるらしい。
あの少女は幸か不幸かそういう存在なのだろう。
断片的な伝承しか無いが、過去にも姿を消す術を使った生き神の記録があったが、その時は二、三日で勝手に戻ってきたようだ。
しかし、今代の生き神はすでに十日以上姿を消している。
このまま少女が山にこもり続けたらどうなるかわからない。
あまり愉快な想像ではないが、私は山の神と一体化するのではないかと予想した。
日本人にとって神と人の距離は近い。
山の神と近い位置に居続けたら、そう遠くないうちに此岸から彼岸の存在になってもおかしくない。
私は、その愉快ではない予想を幹也に述べた。
「魔術的にはどうすればいいんだい?」
「あの少女は僕らの話を聞くとき、常に距離を取っている。生き神としての本能が僕ら俗世の人間と一線を引かせているんだ。人の側に戻すにはとにかく人の近く――僕らに触れられるくらい近くに来させればいい」
村長に生き神を見つけた話はせず、目下調査中とだけ答えた。
無理矢理に連れ戻す行為が適切と思えなかったからだ。
しかし、あまり時間をかけることも好ましくない状況だ。
我々は翌日のやり方を少し変えることにした。
〇
翌日も同じような気候で同じような一日が始まった。
私と幹也は山に踏み入り他愛もない話をして、生き神の少女を姿を見せるとまた他愛もない話をする。
西に日が沈み始め、暗くなりかけるころ、我々は帰る前に持参した魔法瓶の蓋を開けた。
「君も一緒にどうだい?」
大人げない子供だましの策略。
魔法瓶には湯気をあげるホットチョコレートがなみなみと注がれている。
何の変哲もない量産品のチョコレートと牛乳だけで作ったありふれた嗜好品だが、好奇心旺盛な幼子相手に効果は覿面だった。
その洗練された甘い匂いは外界を知らない生き神の少女にとって山の神よりも神秘的な――そして魅力的な物に感じられたのだろう。
いつもならふとした拍子に姿を消している少女が、こちらに近づいてきた。
一歩、二歩、距離が縮まり、ほんの一フィートほどの手が届く範囲に来た。
ここまで少女が近づいてきたのは初めてだ。
触れられるほど近くまで来たことで、今まで気付かなかったことに気付いた。
おそらく外出が制限されていて、あまり日の光を浴びていないのだろう。
間近で見る少女は不健康なまでに色白だった。
瘦せていて、年頃にしても小さく、健全に発育しているように見えなかった。
私は初めて対面したとき、少女が能面なのは生き神という人でありながら人ならざる存在であることが理由だと思っていた。
そんな風に考えていた私は大馬鹿だった。
少女の表情が乏しい理由は至極単純――隔離された生活のせいで情緒が発育していないのだ。
日毎に表情が和らいだのは幹也が根気強く、優しく語りかけ続けたからだ。
加えて、幼子の手足には赤く腫れあがった霜焼けが散見された。
小さな傷もあった。
私は何も言えなかった。
幹也も何も言わなかったが、彼は何か言う代わりに手を差し出し、男性としては華奢なその手でそっと幼子の頭に触れた。
「……はじめて」
少女の声を聞くのは初めてだった。
消えそうなか細い声で言った。
「あたまをなででもらったの、はじめて」
幹也は絶句した。
彼よりもいくらか現実主義でドライな私は、努めて優しい口調で少女に言った。
「村に帰ろう。ここは人がいるべき場所じゃない」
〇
生き神を連れ戻した我々を感謝の言葉が待っていた。
私と幹也は「どういたしまして」も言わず、完全に暗くなる前に村を去ることを選択した。
この村には嫌悪の感情しか無かった。
捨て台詞の一つでも吐こうと思ったが、風宮とのしがらみから堪えた。
暗くなる前に複雑に曲がりくねった山道を下りきり、何の面白みもない幹線道路に出ていた。
こんな何の面白みも無い光景でも、死にかけたあの村よりはずっと価値あるものに思えた。
あの少女はきっと、こんな何の面白みも無い光景でも猫を殺すような好奇心で食い入るように見ることだろう。
「――あの子は」
車内で続いていた無言の行を幹也が終わらせた。
「――あの子はただ、イヤイヤをしてただけなんだ。子供だから嫌なことは嫌に決まってる」
救いはある。
少女がかろうじて人間の側に帰ってこられたこと、生き神としての務めはそろそろ終わるということだ。
「心の傷を癒してくれるのは時間だけだ」
ずっと無言だった私の口から慰めになっているかいないのか、よくわからない言い訳がましい何かが飛び出していた。
わが友は丁寧に、悲しそうに、「そうだね」相槌を打った。
〇
翌日、依頼主である風宮の神宮に報告のため再び赴いた。
風宮は特に面白くも無さそうに私の報告を聞いていた。
なので、私は私なりに自分たちが指名されたことへの推理を披露することにした。
「貴方には敵わない。最初から真相の見当がついていたのでしょう?」
「ほう」と、彼は少しだけ身を乗り出した。
「ミキヤを指名した理由は三つだと踏んでいます。一つ目は身内であること、これは大前提ですね。二つ目はもともと魔術と無縁な一般人で一般感覚があること。もう一つは――ミキヤが人の親だから。違いますか?」
彼は口の端を少しだけ持ち上げ、微かに笑った。
「その通りだ。君はシャーロック・ホームズではないが、メグレ警部程度の推理力はあるようだな」
――まったく。
〇
いつもならそのまま帰路に就くところだが、幹也の帰宅まで付き添った。
式はいつよりもいくらか愛想よく私を迎えた。
幹也と別れの挨拶を交わし、玄関口を出ると、式だけが外までついてきた。
「風宮のことだから、どうせ最初から真相なんてわかってたんだろ」
彼女はそう言った。
「やはり君は聡いな」
私は肯定した。
「幹也が性格的に断らないことも含めてなんだろうな――本当に嫌な奴だ」
彼女は吐き捨てるように言った。
「幹也も幹也だ。まったく、あの莫迦お人好し」
彼女はまたも吐き捨てるように言ったが、私にはそれが惚気にしか聞こえなかった。
――ところで。
私の知る彼らの娘、両儀未那は驚くほど素直で聞き分けのいい子だ。
あの生き神の少女は年頃の子供らしくイヤイヤをしただけだったのだろう。
私には未那がイヤイヤをしている光景が思い浮かばなかったが、仮に彼女がイヤイヤをするとしたらどのような理由だろうか。
私は最初に思いついたことを不用意にも口に出していた。
「マナは弟か妹を欲しがっているか?もし、イヤイヤをするほど欲しがっているなら作ってやれ。まずは幹也と相談だろうが、特別に僕がコウノトリさんに頼んでもいいぞ?友達なんだ」
彼女は眉一つ動かさなかった。
「面白い」
彼女は少しも面白そうでは無かった。
うーん、イメージ通りに書くのは難しいですね。
伝統ホラー風味にしようとしたんですが・・・
というわけで最後までお読みいただきありがとうございました。
また会いましょう。
『階段下は××する場所である』は10/1まで上映してます。
最後にひっそりとお知らせしておきます。
http://www.cinemarosa.net/lateshow.htm