前回の続きです。
「ホーエンハイム家はアインツベルンの遠縁の親戚であり、ライバルともいえる存在だ」
ギュンターはゆっくりと事の次第について話し始めた。
「第5次聖杯戦争でアインツベルンがまたしても第三魔法の成就に失敗したことに、
ホーエンハイム当主のトマス翁は落胆しつつも欲を出した。自分にもチャンスがあるのではないかと」
そこで一度言葉を切り、そして隣のディアーヌを見て言った。
「彼女は・・・・・・ディアーヌは第6次聖杯戦争に向け優秀なマスターを生み出すための母体。そのプロトタイプだ。
彼女は本番の聖杯戦争に向けて更なる優秀な母体をつくるための足掛かりであり、実験材料。
それが彼女の一生だ」
士郎が今日、何度目になるかわからない驚きと共に私を見た。
何という因果だろうか。第5次聖杯戦争の当事者だった衛宮士郎が、聖杯戦争への妄執に取り付かれた魔術師の創造物と相対するとは。
「運命とは地獄の機械だ」という詩人の言葉が私の頭でリフレインしていた。
ギュンターの話はさらに続いた。
「兄のハンスが快楽主義に忠実に生きる一方、私は愚直にホムンクルスの生成に取り組んだ。
そして、試行錯誤の末、ほぼ計算通りにディアーヌが誕生した。トマス翁も結果には満足していた。
しかし、唯一、計算外の出来事として、彼女に自我が目覚めてしまった」
重々しくそういうと、ギュンターとディアーヌはお互いを見合わせた。
「当初は破棄を考えたが、精製には多大な時間と手間がかかった。
仕方なく、そのまま調整を始めた」
話はまだ序盤らしい、私は2本目の煙草に火をつけた。ギュンターの話は続いた。
「彼女は何というか・・・・・・好奇心の亡者だった。
私の工房にはありとあらゆる種類の図鑑と辞書がある。
ディアーヌは暇を見つけては図鑑と辞書をひっくり返し、そこに書かれているありとあらゆる種類の物ついてありとあらゆる種類の質問を浴びせてきた。
聞かれるたびに面倒と思いながら答えていた」
「面倒に思いながらイチイチ答えてやるとは。君も案外最初から彼女に気があったのでないか?」
私がそう聞くと、ギュンターは気難しい顔をさらに気難しくして答えた。
「面倒くさがって答えないとへそを曲げるからだ。余計面倒だ」
「へそを曲げたのではありません。あなたの意地悪を窘めただけです」
ディアーヌの返しは見事だった。
男は女に口げんかで勝てない。その心理は人間とホムンクルスのカップルでも変わらないらしい。
「・・・・・・そんな日々が1年続いた。
ある日だ。
別の魔術師がディアーヌの調整を行った日があった。
鬱陶しい思いから解放されると朝起きた時点では思った。
だが、昼が過ぎると物足りなくなり、夜になると彼女の声が聞けないことを寂しいと感じていることに気づいた。
いつの間にか彼女との面倒なやり取りは・・・・・・彼女の存在は・・・・・・私の一部になっていた」
ギュンターはいかにも無念といった具合にそう白状した。男には年貢の納め時がある。彼の場合はその瞬間がそれだったのだろう。ただ相手がホムンクルスだっただけだ。
「その日は私もとても寂しかったです。
ギュンターのお話が聞けなくて、つい1日黙って過ごしてしまいました」
ディアーヌはそう言った。皮肉屋でリアリストな私は言った。
「それは不幸中の幸いだな。
おかげで君とギュンターの気持ちが通じ始めていることが悟られずに済んだ。
1日黙っていたことで、感情のある生き物ではなく、ただの生きた実験対象と思われたんだろう」
ギュンターは尚も苦しげに言った。
「だが、私はその気持ちの持って行き所が分からなかった。
このままでいいのか、何かを変えるべきなのか。私はこの感情をどうしていいかわからず、
今まで通りに魔術師として行動しながら、常に心にささくれた何かが引っかかるような気持ちを抱えながら過ごしていた。
そうして、1年が経ったある日だ。
ディアーヌがいつもの図鑑でも辞書でもなく、一冊の雑誌を持ってきた。
兄のハンスがおいて言った通俗的な雑誌だ。ロンドンの行楽についての通俗的な特集だった。
彼女はそれに興味を示し、いつものように質問を浴びせてきた。いつものように質問に答えながら、
私の口から、自分でも思いがけない言葉が飛び出していた。
『そんなに気になるなら一緒に行ってみないか?』と。
彼女は当然、驚いたが、私の口から次に飛び出した言葉はさらに驚くべきものだった。
『この邸宅の外にも人生はある。どこか別の場所で、実験材料ではない別の人生を生きてみたくはないか?できれば一緒に』
そう、私は言っていた」
今度は私が驚く番だった。ギュンター・フォン・ホーエンハイムは典型的な堅物だ。堅物の見本市に並んでいそうな人物の口からそんな言葉が飛び出したとは。聖書にもあるがやはり「最も強きものは愛」なのだろう。
私は彼の隣に佇むディアーヌに聞いた。
「それを聞いて君はどう思った?」
「愚かすぎると窘めました。
主人の愚行を窘めたホムンクルスは長い魔術の歴史でも私が初めてでしょうね」
ギュンターはディアーヌに一度目線を向け、言った、
「そして、私とディアーヌは人目を忍んでザルツブルグの邸宅から抜け出した。
兄が馬鹿をやらかすのは昔からだが典型的な魔術師の私がそんな真似をするとは露ほども思わなかったらしい。
あっさり抜け出せた」
私は聞いた。
「それで、ディアーヌ、実際にロンドンに来た感想は?」
彼女は微笑んで言った。
「本当に沢山の人がいるのですね。高い建物もいっぱい。
空気もザルツブルグと全然違います。最初は戸惑ったけど来てよかった。
世界には他にもいろいろな国や街があるのでしょう?
他にも色々行ってみたいです。叶うなら、ギュンターと一緒に」
「僕は旅人だ。旅人として保証する。
世界には色々な美しい風景や、心躍る体験がある。
だが、一緒に歩く相手は本当にギュンターでいいのか?
世界には僕のような憎たらしいほどのハンサムも少なからず存在する。
心が揺れる可能性は?」
彼女はまたしても微笑んで言った。
「確かにあなたは魅力的だけど、私は人生のほぼすべての時間を彼と過ごしました。
今更、他の人の隣は歩けません。
それに、ギュンターは私に人生をくれました。
だから私の人生は彼に捧げたい。
等価交換です」
「君は実に魅力的だな。少々、いや、些か以上にギュンターが妬ましいな」
驚くべき話だ。そして、正直心を動かされた。
だが、私は皮肉屋なリアリストだ。まだ聞かねばならないことがある。
「ギュンター。彼女はホムンクルスだ。ホムンクルは概して短命。
彼女の余命は持って10年と言うところだろう。
長い人生のほんの10年と引き換えに、ホーエンハイムの家を捨てることができるのか?」
私がそう水を向けると、ずっと難しい顔をしていたギュンターは何かを悟ったような楽な表情になり、静かに語った。
「ここ1ヶ月ずっと魔術から離れていた。
不思議なことに工房が懐かしく思えない。
魔術の世界で名を成すことがすべてと教えられてきたが
・・・・・・今、私にとって一番大事なことはディアーヌの幸せだ。
彼女は私の価値観を変えた。
魔術しか知らなかった視野狭窄な過去25年の時間よりも、彼女と過ごしたこの1年の方が私にとっては尊い。
私のような堅物がこんな気持ちになるとは想像もしなかったが、今は何より、彼女に実験材料などではない本物の人生を生きさせたい」
彼の言葉が消えると、しばらく沈黙が続いた。やがて、となりでずっと黙って会話を聞いていた士郎が、私を懇願するように見て言った。
「なあ、アンドリュー……」
彼の言いたいことはその懇願する目でわかった。
そして、驚くことに私も同じ気持ちだった。
「シロウ、僕にはこの世に2つだけ許せないものがある。
ボンベイサファイアをジントニックのベースに使うバーテンダーと
愛し合う男女の仲を裂こうとする輩だ」
私自身にとっても意外なその発言は士郎にとってもやはり意外だったらしい。
彼は大きく目を見開いて言った。
「アンドリュー、あんた……」
「シロウ、僕は今まで何度か君の無鉄砲を窘めてきたが、今度は僕が馬鹿をやらかす番だ。
君も僕の馬鹿に付き合え」
腹は決まった。
最後に一つ質問だ。
「一つ、大事なことを聞きたい。とても大事なことだからちゃんと答えてほしい」
私はこのうえなくシリアスな話題を切り出すにふさわしい、このうえなくシリアスな表情でギュンターどディアーヌに問いかけた。
「彼女の体はナニが出来るようになっているのか?」
ディアーヌが明らかに「わからない」という表情で私に短く問いかけた。
「ナニ?」
私はシリアスな表情を継続させたまま言った。
「主に男女がベッドの上で性的快楽を貪りあう行為だ」
短い沈黙の後、士郎が困り顔で呆れながら言った。
「真面目な顔して何言ってるんだよ、あんた!」
「何を言っている。これは真剣な問題だ。
愛し合う男女ならシタいものはシタいだろう?
それができないのは不憫以外何物でもあるまい」
真剣な顔で考え込んでいたギュンターは心底呆れた顔に切り替え、私の問いに短く答えた。
「知らん」
次回はもう少々お待ちを。
バトルになる予定です。