こうして私と士郎はその人物、ザンダー・グレゴリウスの張り込みを始めた。
犯行は常に夕方から夜間にかけて起きていた。
昼間は士郎には普段通りに凛の助手として時計塔に行ってもらい、夜は士郎と二人体制で張り込みをしつつ交代で仮眠をとった。
報酬は出るが、彼らの生活に負担をかけている負い目から、私は雑談ついでに魔術の基礎の関して士郎に話をした。
彼は熱心に聞いてくれたが、理解度はイマイチだった。
固有結界の一点特化型という特殊な性質が理解の邪魔をしているのだろう。
ニュー・ソサエティは連絡役を寄こしていた。
可能な限りリアルタイムな情報が欲しいのだろう。
中年のほっそりとした女性でフルネームを名乗らず「ミス・テンプル」と呼ぶように要求した。
ミス・テンプルは一日に一回乃至二回、我々の様子を伺いに来た。
サボっていないかどうか確認にきているわけだ。
彼女の方は我々の監視以外にも仕事があるらしく、監視の合間に外に出ては誰かと連絡を取っている様子だった。
その眼は分厚いレンズの奥で鋭い光を放っていた。
タダものではないと感じた。
この五日程の間、グレゴリウスには何の動きもなかった。
彼は仕事を終えると外食すらせず真っすぐに帰宅する生活を繰り返していた。
つまり成果はゼロだ。
我々の勤勉な仕事ぶりにミス・テンプルは満足している様子だが、結果が出ていないことに変わりはない。
「連続殺人事件という性質上、一般世間では騒ぎになっているのだから増員する気はないのか?」とミス・テンプルに尋ねたところ、
「ごく少人数で片づけたい」という素っ気ない返事が返って来た。
凛の方は時計塔の研究の合間を合間を縫い、アリバイの検証をしてもらっていた。
この事件の最大の謎、それは一件目の犯行の際、「グレゴリウスが現場から遠く離れたオフィスにいた」という確固たるアリバイがあることだ。
しかし、状況から見てこの事件は投影魔術の使い手の仕業だ。
ロンドンかあるいはその周辺地域に存在する魔術使いで投影魔術が使えて尚且つ動機があるのはグレゴリウスしか居ない。
ロールシャッハ事件最初の被害者であるノーラン・マクレモアはグレゴリウスの妻を路上で襲撃、殺害し金品を奪った強盗殺人犯だ。
しかし、警察のミスで証拠の採取に不備があり、決定的な物的証拠が採用されなかった。
それで無罪放免になっている。
マクレモアは射殺されたが現場には発射残渣も空薬莢も存在せず、代わりに魔力の残滓があった。
そして、グレゴリウスは魔術使いだ。
グレゴリウスがマクレモアを殺したという仮説を否定するにはあまりにも状況証拠が揃いすぎている。
マクレモアを殺し、復讐を果たしたグレゴリウスはこの件をきっかけに悪党たちの死神になろうと思ったのだろう。
これらはあまりにも妥当な推測だ。
ところが、よりにもよって一件目のマクレモア事件に対し、グレゴリウスは確固たるアリバイがある。
トップクラスの魔術師である凛にアリバイ工作の方法を検証してもらっているわけだ。
「参ったわ……悔しいけど全然見当がつかない」
五日後の監視が終わった後、凛はワトフォードの我々の元を訪れ経過を報告してくれた。
「遠隔から人を殺す手段なら呪いか召喚術が妥当なセンだと思うんだけど、銃殺されたっていう状況を考えると誰かが実際にその場にいたとしか考えられない。
でも、転移魔術の形跡は無し。理屈に全然合ってないのよね」
才能も知識も魔術に関しては私より凛の方がはるかに上だ。
凛は私と議論すれば何か見えるのではないかと思ったようだったが遺憾ながら私は期待外れだった。
戦闘に関しては頼りになるが、魔術理論に関してはからっきしの士郎は話にならない。
監視役のミス・テンプルは不在にしている。
私は誠に気が進まないが一人の人物にコンタクトを取ることにした。
本来なら我々の知己でこういった問題の相談ならロード・エルメロイ二世が最も適切だ。
だが、今回は違う考え方をする人物の意見を聞いた方がいいと直感した。
その人物に電話をすると――彼にとってロンドンはエシュロンよりも高い精度で監視できる。きっと全てわかっていたのだろう――
ワンコールも鳴らないいうちに相手は電話に出た。
「僕の見解を聞きたいか?」
生きながら魔術会の都市伝説となった男、サマセット・クロウリーは「ハロー」の挨拶すら省略して切り出した。
私は「わかっていると思うが」と念押ししたうえで今回の件を説明した。
凛は自分の検証結果について考察を述べた。
「では、僕の見解を述べよう」
彼は言った。
「そんなことが可能だと思うか?」
素っ気なく言った。
「以上だ。僕の言葉の意味についてよく考えてみると良い」
凛は何も結果が得られなかったことに落胆し、「ちょっとごめん……明日また考え直してみる」と肩を落として帰って行った。
ここ数日、まともに睡眠をとれていないが、議論のせいで頭がさえてしまった私と士郎は仮眠をとるのではなく、
濃いブラックコーヒーを入れて夜を明かすことを選択した。
士郎と二人きりで長時間過ごすのは、そういえばパリに向かったとき以来か。
年の割に落ち着いた成熟具合を見せる凛に対して、彼はどこか危ういところを残している人物だ。
私はそんな彼の狂気とも言える程の正義感を好ましく思う一方で、常に目を離せない危うさを感じている。
相も変わらずグレゴリウスはいたって静かに夜の時間を過ごしていた。
娘との食事を終えたグレゴリウスはいつものように書斎でアナログレコードに聞き入っていた。
今日はチェット・ベイカーの奏する『レッツ・ゲット・ロスト』だった。
ウエストコースト・ジャズが好みらしい。
今日も何も起きそうにないな。
我々はブラックコーヒーで余計に冴えた思考を持て余し、雑談に興じ始めていた。
いつもは私が率先して話すが、今日は士郎が積極的に自分のことを話し始めた、
そういえば彼も片親だった。彼らの境遇に何がしかの共感を感じているのだろう。
士郎が最初に養父の衛宮切嗣から教わったのは「魔術回路を作る」という根本的な理念だったそうだ。
その理念が根本的に間違っていることも、養父が魔術の世界から士郎を遠ざけるためにあえて間違ったことを教えていたことも彼がそれを知るのは大分後の話だ。
それでも亡き養父から得たものはあったらしい。
「俺の詠唱、『トレース・オン』も親父が言った一言がヒントになったんだ。親父は俺に魔術を教えるのを渋ったし、結局、ちゃんと教えてくれなかったけど、
親父から教えて貰ったのものは俺の中で生きてる。魔術を使うとそう感じるんだ」
良い話だ。素直にそう感想を述べようとして、私は士郎が明らかに何かの天啓を得たような顔をしていることに気づいた。
「シロウ?」
彼は言った。
「……そうか。そういう意味か」
××××××××××××
真相は単純明快だった。
クロウリーの問いかけの答えは「不可能」だ。
一件目の犯行に関してグレゴリウスのアリバイは完璧。
それを崩す方法などない。
つまり、一件目の犯行に関してグレゴリウスは無実だ。
グレゴリウスには血のつながった娘がいる。
ザンダー・グレゴリウスに動機があるのと同じく、アンネ・グレゴリウスにも動機がある。
そして、グレゴリウスが魔術使いであるように、娘も魔術使いの筈だ。
二人は血のつながった親子なのだから、魔術系統も同等のものを受け継いでいておかしくない、
士郎が養父の言葉から詠唱を受け継いだように。
二件名以降の犯行はグレゴリウスの物で間違いない。
だが、我々は動機を見誤っていた。
二件目以降の犯行は、歪んだ正義感に目覚めた故のものではない。
娘から疑いの目を逸らすためのカモフラージュだ。
私と士郎は連絡役のミス・テンプルの目を盗み、話し合いの場を持った。
実のところ、魔術を使って私刑を実行した魔術使いにニュー・ソサエティがどのような対処をするか私にもわからなかった。
ニュー・ソサエティは魔術協会と違い、俗世との繋がりを重要にしている組織だ。
おそらく秘密裏に現実世界での量刑と相応するものを司法機関とすり合わせして決めるものと思われるが、量刑がどんなものになるかは
私にもわからなかった。
「実際、この国で13歳の女の子が復讐のために人を殺したらどうなるんだ?」
士郎が当然の疑問を呈した。
私は近年の英国で起きた最悪の少年犯罪のことを思い起こした。
「ジェームス・バルガー事件の際に、検察は殺人を犯した十歳の少年二人に十五年を求刑したが、動機が全く違う。
情状酌量は認められるだろうから、十五年を要求されることは無いと思うが、結果は分からない」
私の言葉に士郎は黙り込んだ。
その後も議論を続けたが、空が白み始めることになっても 私も士郎も良案は思いつかなかった。
しかし、「私刑行為は止めるべきだ」という点で意見は一致し、とりあえず張り込みを続行することにした。
次回、完結編です