「こくかが居なくなった?」
その話を聞いて、美樹さやかは酷く怪訝そうな顔をしていた。当然だ。警戒していた相手が行方知れずになったのだから。
「うん、一緒に寝たんだけど、起きたらもう居なくなってて」
言うまでもなく、鹿目まどかはその様な事情を知らない。ただ、消えてしまった友人を心配そうに語っている。
心の底から案じているのが彼女の優しさといえるだろう。他の者達は、また別の心配をしている風だ。特に、美樹さやかと佐倉杏子は目配せをして考え込んでいた。
「帰ったとかじゃないの?」
「そう思ったんだけど、電話しても出ないの。学校にも来てないし……」
鹿目まどかは紅茶に手をつけず、溜息を漏らす。
「ほむらちゃんも知らないんだよね?」
「ええ。見ていないわ」
「だよね……」鹿目まどかは肩を落とした。
暁美ほむらは嘘を吐いていた。こくかの居場所は知らないが、姿を消す前の挨拶を忘れた訳ではないからだ。教えなかったのは、単に、困惑が勝ったからだった。
鹿目まどかに強く惹かれている彼女が、そう簡単に行方不明になるなど、本当にある事なのだろうか。あったとして何処に行ったのか、そして、何が起きたのか。全てが不明なのだ。
「探してるんだけど、さやかちゃんも心当たりはない?」
「ごめん、まどかが知らないならあたしじゃ難しいかも」
両手を挙げ、美樹さやかは無力さをアピールした。
元々期待はそう深くなかったのか、鹿目まどかも軽く落胆する素振りを示すだけだった。
「そもそも、あいつはどこに住んでるんだ? まどか、知らないのか?」
「ごめん、こくかちゃんって、自分の事はあんまり話したがらなかったから」
「そうかー……あたしも知らねえんだよなぁ。探すくらいなら手伝ってやれるけどさ。消える前に何か無かったのか?」
「特に無いと思う。ほむらちゃんは?」
暁美ほむらが首を振って答えると、鹿目まどかは同意して言葉を途切れさせた。
「あいつにも用事ってのは有ると思うが、その辺りはどうなんだ? それらしい事を言っていたとか、覚えてないか?」
「ううん、こくかちゃんは何も言ってなかったよ?」
「そうか……あー、参ったな、そりゃ」
頭を掻き、佐倉杏子は困り顔となる。片手にケーキを掴んで口にしているが、味を楽しむ余裕は無いのだろう。
監視対象が居なくなったのだから、当然だ。ただ、そんな事を鹿目まどかが知る筈もなく、この場で一番に不安そうな様子で、背中へ壁を押しつけている。
「どうしちゃったんだろう、まさか、何か悪い事に巻き込まれたんじゃ」
「どうだろう。先生に聞いてみようかな……」
「あんまり話を大きくすると、後からこくかが困るかもよ?」美樹さやかが口を挟んだ。
納得する所があったのか、鹿目まどかは相槌を一つ打って俯いた。やはり、心から彼女を心配しているのは、鹿目まどかだけらしい。
普段であれば、鹿目まどかが弱々しい顔をしていれば、こくかは慌てて現れるであろう。そして必死で慰められないかを考える。それが現れないということは、やはり、何かしらの大事が有ったと考えられた。
「……まどか、とりあえず、本格的に探すのはもう少し待ちましょう……」
「どうして?」
「あまり大げさにしすぎたら、彼女が戻ってきた時に苦労するからよ」
そう言いながらも、暁美ほむらは心当たりがあった。あの夜、こくかが何やら不審な挙動を示していたことは、決して忘れてはいない。
ただ、それを鹿目まどかへ教える気がないだけだ。
「そうなのかなぁ……」
「そうよ。心配しすぎても彼女が困ってしまうわ」
「うーん」
鹿目まどかは、今も戸惑っている。まだ、それほどの大事だとは考えていないのだろう。
話が纏まりかけている。その中で、佐倉杏子が首を傾げた。
「ん、おいマミ、さっきからどうしたよ?」
話が止まりかけている中で、巴マミの様子がおかしくなっている。
佐倉杏子が気づけば、他の全員も、巴マミの異常に気づいた。彼女は服を強く握り締め、紅茶にもケーキにも手をつけていなかった。
「マミさん、どうかしたんですか? こくかの行き先に心当たりとか」
「……いいえ、そういう物は無いの。ただ、もしかしたら体調を崩して寝込んでいるのかもしれないと思って」
取り繕う風に話し、巴マミはまた俯いた。
巴マミの顔色は明らかに悪かった。ただ、それは不自然でもない。友人が行方不明なのだから、調子が悪いのは当たり前だ。
「病気になっちゃったなら、お見舞いもしないと……」
「それにしたって、あいつの家が分からねえんじゃなあ」
腕を組み、佐倉杏子が考え込んでいる。ただ、目だけは剣呑に光っている。こくかの身を案じているのではない。その行方を考えているだけだ。
やはり、心からこくかを心配しているのは、鹿目まどかを除いて他にはない。
「……」
暁美ほむらもまた、こくかの行き先を探ろうとした。ただ、この場で、鹿目まどかの居る場では話せない。
だが、美樹さやかは違った様だ。気づかれない程度に暁美ほむらへ距離を詰め、声には出さないまま、ひっそりと話しかける。
「ほむら」
「何」
「あいつ、ついに動き出したのかも。今まで以上に注意して」
「……」
本当にそうなのだろうか。
こくかの行方や過去の話を交わす周囲の中で、暁美ほむらはただ一人、静かに首を捻っていた。
+
鹿目まどかが丘の上で周囲を見回し、こくかを探している。その姿を視界の中に入れながら、暁美ほむらはまだ疑問に首を傾けていた。
他の者達はこの場に居ない。こくかが一日姿を見せなかったくらいでは、本気で探す者もいない
……というのは、建前だ。美樹さやかと佐倉杏子は、既にこくか探索とこの結界の捜査に動いている。
「ここにもいないね。もしかしたら、と思ったんだけど」
丘から降りると、鹿目まどかはとても残念そうに首を振った。ここで三カ所目だが、こくかの痕跡はまるで見当たらない。
最初から存在しなかったのではないか、そう疑われるほどだ。
その姿を不安そうに探す背中を、暁美ほむらは困りつつも眺めた。
「そこまでして探さなくても、きっと明日になれば学校に来るわ」
「そうかもしれないけど……なんだか、凄くイヤな予感がするの。言葉にはできないんだけど」
振り向くと、鹿目まどかは不安げに目線を下げる。
土の中にこくかが潜んでいる、などとは考えていないだろう。単純に落ち込んでいる風だ。ただ、少し行方が分からないだけだというのに。
自分が居なくなっても、彼女はこうして探してくれるのだろうか。
「探していないと、不安なんだ」
「そう……こくかは幸せ者ね」
暁美ほむらは自嘲気味に笑った。
すると、鹿目まどかは首を横へ振り、彼女の肩を掴んだ。
「ほむらちゃんが黙っていなくなったら、やっぱり探すと思うよ?」
「そう? 改めてそう言われると、照れるわね」
内面の喜びを抑え込み、暁美ほむらは顔を逸らす。
まだ空は暗くなりきっていない。むしろ、明るいとすら言える。日の光が眩しく、思わず手で遮った。
「こくかは本当にどこへ行ったのだか……」
「うん、本当に体調が悪いだけならまだ良いんだけど……ほら、こくかちゃんって、無理をしてそのまま死んじゃいそうな、そういう雰囲気だから」
「……まあ、そうとも言えるかもね」
鹿目まどかが見ている詐襟こくかは、弱々しい生き物の様だった。
そう思えないのは、彼女のおそろしい部分を多く知るからだろうか。暁美ほむらは自分と鹿目まどかの間にある溝を感じ取った。
「でも、ここにもいないなら、やっぱり家で寝込んでるのかも。電話にも出ないから、かなり重い症状だと思うんだ」
「なんで?」
「いや、あの。こくかちゃんって、わたしの電話には絶対出るんだ。繋がらなかったのは、今日が最初なの。だから……って、ちょっと変かな、あはは」
「いえ……そうね。あいつなら、きっとそうするでしょうね」
こくかは、どこに居ても、いつであっても鹿目まどかの呼び声には気づいたのだろう。
まるで人間とは思えなかった。少なくとも、人間として生きなければならない暁美ほむらでは、出来ない事だ。
「あれは友達と話すのが好きそうだもの。きっと、いつでも通話できる様にしていたのでしょうね」
「うん……だからね、はじめて電話に出なかった時、おかしいなって思ったの。それで何度か連絡したんだけど、やっぱり返事が無くて、ちょっとずつ不安になってきて……」
「だから、探しているのね」
鹿目まどかは頷いた。
随分と、大切に思われている。羨むべきか、警戒するべきか、暁美ほむらには判断がつかなかった。
「……私達に心配をかけさせて、会ったら怒ってやらないといけないわね」
「あはは……」
反応に困っているのか、鹿目まどかの笑い声は取り繕った様な物だった。
「……ここにはいないみたいだし、今日はもう帰ろっか」
「そうね。あんまり頑張ると、それこそこくかに心配されるわよ」
「こくかちゃん、ちょっと心配性だもんね」
「ええっ」
手を繋ぐと、鹿目まどかは少し前を歩いた。
指の感触と暖かさに包まれ、暁美ほむらは緩みがちな心を抑制する。追いつく様に鹿目まどかと並び、その表情を眺めた。
すると、鹿目まどかは暁美ほむらへ視線を送り、首を傾ける。
「あの、ほむらちゃん?」
「どうかしたの?」
「ごめんね。なんか、付き合わせちゃって」
「……いえ、気にしないで。まどかがやりたいのなら、幾らだって付き合うわ」
どこか安心した様子で、鹿目まどかは「そっか」と呟く。手を握る力は程良く強まり、離れない様に指が絡んでいた。
何か思いついたのか、彼女は不意に空を見上げた。暁美ほむらがその変化に気づいたのは、彼女が口を開いてからの事だった。
「わたしが居なくなったら、ほむらちゃんは探してくれる?」
「……ええ」
探したとも、微かな痕跡でもないかと、必死で探したとも。そして、リボン以外は何一つ残されていないと思い知り、泣いたとも。
ただし、暁美ほむらはこれを決して口にしない。言う必要もない。その内面を察する事はできない筈だ。
だが、鹿目まどかは何度か頷き、明るく優しく微笑んだ。
「やっぱり、ほむらちゃんは優しいね。こうやって、一緒になって探してくれるし」
「……そう」
だが、それは決してこくかへの優しさではない。もっと、打算的な物でしかないのだ。それでも、鹿目まどかに感謝されるのは、強い喜びを呼び覚ます。
繋いだ手を離さない様に、暁美ほむらは注意した。見透かされているのでは、という疑念は拭えなかったが。
鹿目まどかは、あくまで素の表情を見せていた。笑顔も本物であれば、声や言葉も本物だ。手の感触すらも本物でしかない。
「うん、ほむらちゃんとも仲良くなれてよかった」
「まどか……」
だからこそ、暁美ほむらはその言葉を真摯に受け入れた。思わず心が騒ぎ立ってしまう程の喜びで、声が上ずっってしまった。
怪訝そうな顔をされてしまい、小さく首を振る。暁美ほむらは、内面の鋭い部分を鹿目まどかに察せられたくはない。
暁美ほむらは喜びの中で機嫌を良くしながらも、鹿目まどかの優しい言葉から離れようと口を開けた。
「そういえば、まどか。最初にこくかと会った時、もう仲が良かったわね。どんな事を話したの?」
「ごめん、あんまり覚えてないかなぁ。こくかちゃんが道に迷ったみたいで、声をかけたんだ」
自然と空を見上げ、「ああ、そういえば」と彼女は口にした。
「変な事を聞かれたんだよ」
「変な事?」
「えっと、確か」少し考え込むと、鹿目まどかは小さく手を叩いた。「うん、そう。あなたの家に、パパとママは住んでいるの? だったかな」
「変だよね」笑い混じりに、そんな事を言っている。
「でも、話している内にね。お友達になって欲しいって言われたんだ。そういう風に言われちゃうと、嫌いになんかなれなかったし……ほむらちゃん?」
暁美ほむらは固まった。その言葉の意味を理解する事を、あらゆる身体が拒んだ。唐突に停止してしまったためか、鹿目まどかは首を傾げていたが、ほとんど意識に留まらない。
鹿目まどかが毎日自作の弁当を作って登校する? 泊まったその日には両親が居たか? 弟の声が一つでも聞こえたか? 居ない。居なかった。見滝原の外へ出た時、彼女は観覧車で何をした? こくかは誰の側にいた? いやそもそも、こくかは本当に結界の主だという証を立てたのか? なら誰かを庇っていたのか? 守っていたのか? 誰を? 誰? 誰を……彼女を? 彼女が、どうして?
鹿目まどかが何かを言っていた。しかし、その柔らかな声すらも、暁美ほむらの耳から全て通り過ぎていく。
「まさか……!?」
「ふぇ? ほむらちゃん?」
両肩を掴んでも、それは単なる人間の、鹿目まどかの身体だ。その小柄な体型も、戸惑いがちな立ち振る舞いも、暁美ほむらの手を拒まなかった所をも。
彼女は鹿目まどかであり、鹿目まどかそのものだった。ただ一点、違いが有るとすれば、きっと。
「まどかが、あなたが、魔女……なの?」
「……? ……ほむらちゃん。魔女って」
暁美ほむらは、鹿目まどかをひたすらに凝視した。そもそも武器を取り出す事すら出来なかった。魔女だのという話ではない。
彼女は鹿目まどかだ。幸せそうに生きて、沢山の人に囲まれて、嬉しそうに過ごしている。そんな鹿目まどかなのだ。
撃てるだろうか。不可能だ。
そっと顔を上げると、鹿目まどかが僅かに顔をしかめていた。腕に力が入り過ぎたのか、暁美ほむらは慌てて力を緩める。
「ご、ごめんなさい」
「う、ううん。気にしてないよ。でも、急にどうしちゃったの?」
「あ、あなたが、あなた」
「うん」
「あなたが、その、あの……私……ごめんなさい、何を言いたいのか分からないよね」
暁美ほむらは乱れた呼吸を直した。が。地の底からせり上がってくる様な不安が、落ち着かせてはくれなかった。
どうすれば、鹿目まどかが魔女ではないと証明できるのか。頭を回すも、何一つ分からない。あるいは、本当に魔女なのか。
「ほむらちゃん。魔女って何?」
思考の中に鹿目まどかの言葉が入り込んだ。途端に暁美ほむらは顔を上げて、彼女の瞳を凝視した。
そこには、暁美ほむらの激烈な感情を秘めた顔が写っていた。だが、それは関係無い。鹿目まどかの疑問に満ちた表情。それだけが問題だった。
「知らないの?」
「うん」
「本当に?」
「ごめんね、もしかして、知らなきゃおかしい事だったり……?」
知らない方が自然だ。だが、鹿目まどかが知らない筈がない。
だが、鹿目まどかは現実に何一つ違和感を覚えていない様子で首を傾けている。
「ま、まどか。なら、魔獣は?」
「うーん」
「じゃ、じゃあ。円環の理は!?」
鹿目まどかは無言で首を振った。
知っている筈の言葉を、彼女は何一つ知らない。暁美ほむらは口を閉じ、身を乗り出した。
「……なら、ならっ! まどか。あなたはどうやって魔法少女になったというの!?」
「どうやって、って。普通に……んー……ほら、普通にだよ。ほむらちゃんだって魔法少女なんだから、多分同じだと思うんだ」
何一つ、明確な答えがない。鹿目まどか自身も、自分が魔法少女になった瞬間を覚えていない風に見える。
であれば、と暁美ほむらは拳を握る。魔法少女なら絶対に知っている筈のもの。それを、彼女は知っているのか。
「……キュゥべえって、知ってる?」
「えっ、何かのキャラクター?」
首を傾げ、彼女はまるで知らないとばかりに首を振る。
嘘は吐いていない。少なくとも、暁美ほむらの目には彼女の嘘は見抜けない。
「どういう事……?」
呆然としてしまい、彼女は膝を崩す。心配そうにこちらを覗き込む鹿目まどかの存在だけが、唯一の光に見えた。
だが、その光を捉えた瞬間、暁美ほむらの記憶の中から、忘れていた何かが沸き上がる。
暁美ほむらは思わず頭を押さえた。痛みは無かった。しかし、動揺が精神を痛めつけていた。
「ほむらちゃん?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと、立ちくらみが……さ、先に、先に帰ってもいい?」
「大丈夫? 送っていくよ?」
「だ、大丈夫。少し苦しいだけ……大丈夫だから」
心配そうに手を伸ばされるが、それを振り切り、暁美ほむらは逃げ出した。
その記憶があまりにも生々しく脳裏に浮かび、衝撃が鹿目まどかへの気遣いを忘れさせた。
……そう、暁美ほむらは、魔獣との戦いで命を落としていた。つまり、もう生きていないのだ。
ならば、この場に居る暁美ほむらは誰なのか?