チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~   作:被る幸

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今回から、本編再開です。
内容は3話と4話の間のオリジナルとなっています。

11月12日、加筆修正しました。


アイドルへの大いなる一歩は満足なる胃にあり

どうも、私を見ているであろう皆様。

島村さん達の初舞台を終わらせ、ほっとしているのも束の間、息をつく間もなく次の仕事に備える必要があるアイドル業は多忙を極めます。

余裕を持ったプロデュースを心掛ければ、そんなことにはなったりはしないのですが、私の場合アイドル業に加えて係長業務等を平行して行っているため超過密スケジュールで日々を過ごす嵌めになっているが現状ですね。

まあ、武内Pに黙ってあっちこっちに首を突っ込んでいる所為なので自業自得といわざるを得ないのですが、チートがあるから問題ないでしょう。

それに、こうしてアイドルとして活動しているのは楽しいですし。

これからの始まる大仕事を前に、衣装の伸張性やら耐久性にベルトの装着具合を軽く確認し、このチートボディが最高のポテンシャルを発揮できるようにしっかりと解しておきます。

監督から『今回は自重というのをやめてみた』と言われ、脚本家や演出家からは『貴女の身体能力を最大限発揮できるような舞台を整えました』ととてもいい笑顔でサムズアップされました。

期待されると言うのは嬉しい事ではあるのですが、台本やらを確認したら一流の人間でなければ難しいレベルのアクションではありませんか。

甘く見ていたわけではありませんが、周囲から信頼が重いというのを改めて実感させられましたよ。

極限の生身のアクションを見逃すなという歌い文句を入れてはどうかと言っていた、うちの部下には広報系の先見の明があるのでしょうか。

普通とは違う特殊な呼吸法で心を穏やかにし、全身に喝を入れます。

 

 

「渡さん、そろそろ出番です」

 

「はい、わかりました」

 

 

どうやら、出番が来たようです。

戦闘シーンをこなさなくて良い為別撮りなちひろ達はちゃんとできているでしょうか。

少し心配にもなりますが、今は私自身の緊張からくる胃の重さに悩まされているので、あまりそちらに気を割く余裕はありません。

人類の到達点と呼ばれ、どんな事でも完璧にこなす超人と思われている私が撮影で緊張を感じているとは誰も思わないのでしょうね。

チートで表情を隠すことには慣れていますし、実際始まれば何て事のないようにいつも通りにこなせるのでしょうが、それでも前世から引き継いでいる小市民的な性格だけはどうしようもありません。

ここに4人の誰かが居てくれたのなら、この不安も和らぐのでしょうが、前世を含めるとあの昼行灯と同じくらいの年齢になるのに子供のような泣き言を言える訳ないでしょう。

転生してから付けた自分の理想を形とした面は、長く付け過ぎて肉付きの面と化してしまい、もう付けているのが普通となってしまいました。

人の期待を決して裏切れず、またそれをできるだけの能力があるからやってしまうという面倒くさい生き方をしているとは思いますが、私にはテンプレや踏み台的な転生者のように開き直る事なんてできません。

 

不快極まりない胃の重さを抱えながら、心中で愚痴をこぼしていると撮影現場に辿り着きました。

特撮でお馴染みな崖のある開けた採石場の各所には演出用の火薬等が大量に仕込まれており、巧妙に隠されていてもトラップ設置系のチートで嫌でもわかってしまいます。

自重という言葉を無くしたとは言っていましたが、少々多すぎやしやしませんか。

火薬類取締法に定められた基準ギリギリを追及しましたといわれても納得しそうなくらいの量です。

これって最新の特撮映画の撮影ですよね。1発あたりの予算も掛かるので、最近では爆発とかもCGが主流になっていると聞いたことがあったのですが。

どうしてここだけ80年代並の火薬セットが配置されているのでしょうか。

ほら、先輩ライ○ーである竹○さんも今までにないやばさを漂わせるセットに緊張して、冷や汗を流しているではありませんか。

本当に昼行灯も含め、自重をなくした大人ほど厄介な存在はいないという証明ですね。

 

 

「本日はよろしくお願いします。先輩」

 

「いえ、こちらこそよろしくお願いします!」

 

 

深々と頭を下げると先輩ラ○ダーを務める竹○さんは、少々戸惑いながらも頭を下げ返します。

竹○さんの方が芸暦的には先輩なので、礼儀は尽くすべきでしょう。まあ、年齢的には私のほうが断然上ですがね。

1年近く○イダーとして過ごしていただけあり、貫禄に近い安定感といったものがあります。ですが、やっぱり自然体でも溢れ出す若さのエネルギーが感じられました。

やっぱり、私がライダ○を務めるなんて間違っているのではないでしょうか。

そんなことを思いつつも監督や演出家といったスタッフや竹○さんといった共演者の皆さんと撮影の最終確認を進めていきます。

今回の撮影は火薬を大量に使用する為、事故等が発生するリスクが高く慢心する事などできません。

ミスをしたら再設置に時間も掛かりますし、それだけ費用をかさむという事ですから、本社から経費削減をしろと突かれる製作側の世知辛い部分を知っている身としては、一発で最高のものにしてあげたいと思います。

最終確認も終わり、私と竹○さんは定位置に付きました。

並んだ私達に対峙するように立つのは、今回の映画のラスボスであり物語の主軸となす事件の元凶であるパラレル・ロイミュードとセーフティ・エゴロイトです。

パラレルは銀塩式フィルムを身体中に巻き付けており、セーフティは致命的なまでに全体のバランスが崩れた燕といった姿をしています。

 

今回の映画のシナリオは、都内で原因不明の盗難や行方不明事件が多発し重加速反応が検出された事から特状課が捜査を担当することに。

そして、主人公である進ノ介は捜査の途中でロイミュードと遭遇し戦闘になるのだが、止めを刺そうとした所でパラレル・ロイミュードが乱入し瀕死だったロイミュードを不思議な門を開き何処かへ消し去ってしまいました。

何故か死んだ筈の自分の父親の姿をしているパラレル自身もその門を潜って消え、進ノ介はベルトさんの制止の声を振り切りトライドロンでその門へ突入します。

門を潜った先にあったのはロイミュードと人間が共存する理想郷ともいえる優しい世界でした。

最初は現実とはあまりにも違いすぎる世界に進ノ介とベルトさんは色々と戸惑うのですが、そんな中ロイミュードによる犯罪が発生し、現場に居合わせた進ノ介は変身しそのロイミュードを倒します。

しかし、ロイミュードのコアを破壊してしまうそれは共存するこの世界においては殺人に相当し、進ノ介たちは逮捕されることになるのです。しかし、それも次の日には無かった事になって平和な世界が始まる。

そんな理想的で優しい平行世界で、正義とは、罪とは、本当に守るべきものとはと思い悩むものとなっています。

 

そして、今から撮影するのは答えを得た進ノ介がパラレルの能力で呼び出された私達(次期ラ○ダー)と共に最終決戦に臨む最高に熱いシーンなのです。

長々とあらすじ語りをしていたら撮影が始まったので集中しましょう。

 

 

『進ノ介、何故理解してくれないんだ。この世界では人も、ロイミュードも互いに傷つけあう事の無い真の理想郷じゃないか!

この世界では罪など存在しない、全て代わりを持って来よう。1秒毎に無限大に産まれる並行世界に干渉できる私ならそれができる!

誰も哀しむことのない安全で、安心して、その存在らしく過ごせる‥‥お前も、その1人になって欲しい』

 

 

パラレルがこの世界が如何に素晴らしいかを語り、進ノ介を勧誘します。

確かに幾らでも代わりが用意され、悲しみなんてない世界なんて素晴らしいと思いますが、私はごめんですね。

そんな甘やかされた世界では、誰も輝こうと努力しなくなってしまうかもしれません。

『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である』という名言もあるくらいですし、誰かの悲しみは決して無駄になることなく別の誰かのためになっていると思うのです。

そして、その悲しみを越えた先にこそ、今まで見えていなかった新しい楽しみや幸せといった輝く希望が見えるのです。

 

 

「確かに人とロイミュードが共存できる、この世界は理想だと思う」

 

『そうだろう!なら‥‥』

 

「でも、それは皆で作り上げなきゃならないもんなんだ!理想の世界っていうのは、決して誰か1人の思うままになる世界なんかじゃない!」

 

『そうだ!たった1人の感情で動かされる世界など、独裁国家と何ら変わりはしない!』

 

 

流石といいますか、本当に進ノ介になりきっているのがわかる迫真の素晴らしい演技ですね。

先輩がここまでやっているのですから、私もその襷を渡される者として恥じない姿を見せなければ申し訳ないでしょう。

 

 

『安全‥‥みんなの理想‥‥みんな喜ぶ‥‥優しくしてくれる‥‥』

 

「ふぇいず4、けいとう『じっこうしゃ(エグゼキューター)』です」

 

「貴方は、誰かに優しくされたいだけだったのね」

 

 

見るだけで嫌悪感を覚えさせる醜悪な異形が、誰よりも平和を求めて悩み、努力する。

それはとても尊い行動ではあると思いますが、その先にあるのがこんなエゴに満ちた閉じられた箱庭世界であるというのなら私は認めるわけにはいきません。

 

 

「ですが‥‥貴方は夢みたいな理想を追い求めすぎて、過激な事をし過ぎました」

 

 

作中では、この世界に不適合だと判断された存在はセーフティによって殺されたり、破壊されたりし、パラレルの力でまた別の世界から異世界同位体を連れてくるのです。

不適合と判断される理由は様々で、その中でライ○ーではない別の世界から連れてこられた私達は、実力差で他のアイドルの心を折ってしまったことや、ミスで番組を台無しにしたといったことで殺されてしまいました。

いくら平和を求めていたとはいえ、これは許される事ではありません。

 

 

「「だから‥‥俺(私)は、戦う(います)!!」」

 

『そうか‥‥ならば私は、この理想を理解してくれる別の進ノ介を探そう』

 

『危険要素‥‥掃除、排除、駆除‥‥』

 

 

パラレルとセーフティがこちらに手を翳すと私達の周囲に仕掛けられていたナパームやセメント爆弾が盛大に炸裂します。

私も計画段階で参加し風等の状態に関係なく安全が確保され、また特撮としての見栄えを追及した最適解な配置にしているのですが、それでも実際に感じる爆発の熱風や視界に広がる粉塵は脳に恐怖を訴えかけてきました。

ですが、ここで恐怖に顔を歪めてしまえば取り直し確定なので、チートをフル動員して表情を保ちます。

セメントの粉塵が服とかに纏わりついて不快ですが、そんなことは無視してIdドライバーを展開し、ポケットの中に入れておいた劇場版専用フォームのI Diskを構えます。

隣にいる竹○さんも同様のシフトカーを構え、準備は万端なようですね。

粉塵の煙が晴れ、ここからがクライマックスの開始です。

 

 

「変身ッ!」「変‥‥身!」

 

 

互いに変身プロセスをとります。

見栄えが大事とはいえ、敵を前にしてこうした複雑な動作を経るのは隙だらけで大問題な気もしますが。

まあ、カッコよければ全てオッケーでしょう。

I diskをセットし、ベルトを壊さないように注意しつつ力強く装填します。

 

 

『DRIVE type Starlight Stage!』『Play SURPRISE-DRIVE!』

 

 

本当に変身できるわけではないのでベルトからの電子音声だけですが、それでも場の空気に呑まれるというか、何というか、自分の意識が切り替わったような感覚があります。

違和感を覚えないわけではありませんが、それよりも爽快さが勝るので気分がいいですね。

これが子供たちから憧れの眼差しで見られるヒーローとなるということなのでしょうか。

 

 

「今から始まる俺達の輝く舞台に!」「一っ走り、付き合ってもらいますよ!」

 

「はい、カット!2人共、最高だよ!演技もタイミング文句なしだ!!」

 

 

決め台詞を言ったところでカットが入りました。

ここからは変身しての最終決戦ですから、生身の演技はここまでです。

さっさと着替えたり、シャワーを落としたりしてさっぱりしたいところではあるのですが。

 

 

「じゃあ、渡さんが着替えてきたら撮影を再開するぞ!全員、さっさと準備するように!」

 

「渡さん。この後も大変かもしれませんが、頑張ってください!俺、応援してますから!」

 

「‥‥はい、ありがとうございます」

 

 

変身前の主人公を務めるだけの竹○さんとは違い、何故か変身後のスーツアクターも務める事になっている私の出番はまだまだ続くのです。

それに、凄いいい笑顔で年下先輩に応援されてしまっては、年上後輩としては頑張っていい所を見せなければならないでしょう。

まあ、これから高○さんと極限のアクションを要求されるので、否が応でも全力を尽くさなければならないのですが。

現場近くに設営された簡易更衣室で一気に衣装を脱ぎ捨て、用意されていたライダ○スーツに着替えます。

早着替えは曲毎に衣装を変えることもあるアイドルとしての必須スキルですが、こういった全身を覆うタイプを着る事は滅多にないので少しやりにくいですね。

仮面の所為で視界も制限されますが、聴勁とかがあるので問題はありません。

備え付けられた鏡でおかしい部分が無いかや、軽く身体を動かしてスーツの調子等を最終確認します。

私が動きやすいように制作会社と数日かけて調整を重ねた特別製のスーツは、最高の仕上がりをしており、これならこれからのアクションも十全にこなせそうですね。

 

 

「さて、久しぶりに本気を出してみましょうか」

 

 

あの火薬量が気になるところではありますが、本気を出した私なら問題なく平和に終えることができるでしょう。

 

 

 

 

 

 

今日分の撮影を終え、別撮りだったちひろ達とも合流し、美城の社用車に揺られながら本社への帰路につきます。

私が運転するつもりだったのですが、ちひろ達やスタッフの強い反対を受けて諦めました。

車体を揺らさない快適なドライビングテクニックと経路選択で、乗っている人を快適な睡眠へと誘うことができるというのに。

まあ、最も盛り上がるクライマックスシーンの戦闘というだけあって、なかなか楽しめましたね。

爆発した瞬間のナパームの炎の壁を突き破りながらキックを決めるのは、筆舌しがたい達成感で心が震えました。

スーツとかは一応耐火素材でできていますし、念の為にスタントマン御用達のジェルを塗っていましたから火傷の恐れはありません。

それにチートをフル活用して、加速しましたから炎の熱を感じる間もありませんでした。

アイドルのすることではありませんが、そもそもの原因はテンションが上がり過ぎて打ち合わせ以上の速度で駆け抜けた事による自爆だったので何も言えません。

監督にも、『次、あのような危険な行為をするのであれば、申し訳ないがアクターを降りてもらう』と厳重注意を受けましたから気をつけましょう。

 

 

「あっ、今の時間帯なら次の信号を左折して迂回した方が混まないですよ」

 

「わかりました」

 

 

仕方ないので助手席に座り、最短経路で本社に戻れるように運転手を案内(ナビゲート)します。

ちひろ達も、銀幕デビューとなる今日の撮影で疲れたのか後部座席からは4つの規則正しい寝息が聞こえてきます。

変身後の戦闘は大半を私が務めるのですが、ラ○ダーでは変身前の生身での戦闘シーンというのもありますから馴れないアクションでいつも以上に消耗したのでしょうね。

本社につくまでは、まだまだ時間が掛かりそうですから寝かせておいてあげましょう。

しかし、そうなるとラジオや音楽をかける訳にはいきませんから、暇を持て余してしまいそうです。

 

 

「シンデレラ・プロジェクトの事は、ほっておいていいんですか?」

 

 

当分の間は道なりを進むだけですから、運転手と他愛ない話でもしていたら暇も紛れるでしょう。

他に適当な人員がいたでしょうに、わざわざ迎え役を名乗り出た武内Pは困ったような表情を浮かべています。

普段だったらいつものように右手を首に回すところでしょうが、今は運転中だからでしょうか両手をハンドルから離すことはありませんでした。

直進する間だけであれば、少しくらいなら片手で運転しても大丈夫なのではと思うのですが、律儀というか、融通が利かないというか、相変わらずの堅物ですね。

 

 

「本日の予定はレッスンのみでしたので、青木さんに任せても問題ないと判断しました」

 

 

正直言わせてもらえば、意外の一言です。

武内Pは口や行動こそ不器用ではありますが、自分の担当するアイドルのことを誰よりも大切にしていて、暇さえ見つけてはその様子を窺いにいったりしていたのに。

一体どういった風の吹き回しでしょうか。

 

 

「それに‥‥」

 

「それに?」

 

 

初期の関係構築が重要な今の時期にシンデレラ・プロジェクトよりもこちらの現場を重視する理由があるというのでしょうか。

特撮方面の関係者へのあいさつ回りと言う理由なら、迎え役ではなく最初から同行した方が効率的ですから違うでしょう。

シンデレラ・プロジェクトの関係構築に失敗したのなら、意外と動揺といった表情は極端に表に出やすいので絶対にわかるはずなので違いますね。

 

 

「渡さんや千川さんも、私の担当アイドルですから」

 

「‥‥律儀ですね」

 

 

そういえば、そうでした。

P(プロデューサー)と呼んでいるのに、いつの間にかそれを含めて呼び名みたいな感じになっていました。

いや、完全に忘れていたわけではないですよ。ただ、アイドル部門においてわりと重要な新規プロジェクトであるシンデレラ・プロジェクトと比較して優先されるとは思わなかっただけです。

 

 

「それがプロデューサーの務めですから」

 

「全く、もう少し肩の力を抜いて生きたほうがいいですよ」

 

「‥‥失礼かもしれませんが、それは渡さんにも言えるのでは」

 

 

私の場合はチートで作業中に身体を休めたり、アイドル達との交流や愛でたりして適度に力を抜いています。

傍から見たらそんな風には見えないのかもしれませんが、力の抜き方なんて人それぞれですし、それをとやかく言われる筋合いはありません。

 

 

「今、こうして抜いているじゃないですか」

 

「そうですか」

 

 

シートも少し倒していますし、運転に集中するわけでもない。

行きかう人々や過ぎ行く建物等を眺めつつ、時折チートで算出した最速ルートを指示し、こうして他愛ない話を交わす。

日頃のアイドル業や係長業務に比べれば、何と力の抜けている事か。

いつも如くちひろにタブレット端末を没収されていなければ、シンデレラ・プロジェクトに関する各種処理やら、下半期におけるアイドル部門の企画計画書やらを済ませたりするのですが。

最近、私よりもちひろ達の方が持っている時間が長いのではないでしょうか。

力を抜いていると自覚したら、きっちりと着ていたスーツが鬱陶しくすら思えてきましたね。どうせ、誰も見ていないのですから少し着崩しても問題ないでしょう。

首もとのボタンを2つ程外すと、撮影の余韻ともいえる熱が一気に放散されるようで心地よいです。

 

 

「あの‥‥渡さん」

 

「はい、何でしょう」

 

「力を抜く事を勧めた自分が言うのもなんですが‥‥今度は無防備すぎます。

渡さんは女性なのですから、あまりそうやって開けさせるのはやめておいたほうがいいかと」

 

 

移動している車内なのですから、注視していない限り見られることはないでしょうし大丈夫だと思うのですが。

それに、女性らしい身体つきをしている後部座席の4人ではなく、エロさとは無縁のこのチートボディに欲情するような特殊な趣味の人なんて早々いないでしょう。

ちひろに甘えられたり、楓のボディタッチを受けたりして頬を染めているので武内Pは、女性的な柔らかさと起伏のある方が好みのはずです。

 

 

「いいじゃないですか、どうせ誰も見ていませんし。それに見られても、誰も何とも思いませんよ」

 

 

今の時代、ネットを漁ればいくらでも性的欲求を満たすための画像や動画がゴロゴロ転がっているご時勢ですから、こんな胸元を少し開けさせたくらいで興奮なんてしないでしょう。

 

 

「‥‥」

 

「右手にコンビニが見えますから、そこを右折してください。そうすれば、見知った道に出ますから、後は大丈夫ですよね」

 

「はい」

 

「まあ、わからなかったら言ってください」

 

 

のんびりとしていたら小腹が空きましたね。確か、鞄のこの辺にお菓子をストックしておいたはずです。

鞄の中からプリッ○を取り出し、早速咥えます。

塩気より甘味のほうが好みなのですが、ポ○キーだとこの春の陽気でコーティングしてあるチョコレート部分が溶けてしまうと袋の中が大惨事になってしまうので諦めました。

サラダ味という癖に、野菜やドレッシングの味がしないではないかと思っていた時期もありました。

この仕事に就きお菓子業界の人共繋がりができたので質問してみたのですが、業界ではサラダ油を吹き付けて塩を振り掛けたものをサラダ味と呼ぶそうです。

塩味ならちゃんと塩味と表記すればいいのにと思うのですが、長い年月親しまれたネーミングを変更するのはハイリスク・ローリターン過ぎるからでしょうか。

プレッツェルに付いた程好い塩気が、派手なアクションシーンをこなした後の私の身体には丁度いいです。

細いスティックタイプなので軽く、口に咥えたままでも疲労感がないので楽なのが、またいいですね。

美味く操作すれば咥えた後は一切手を使うことなく最後まで食べられるので、両手が空いて色々できるので就業中の一休みにも最適でしょう。

行儀が悪い事この上ないですが。

 

 

「武内Pも食べますか」

 

 

自分が運転している隣で1人だけお菓子を食べられたら腹が立つでしょうから、お裾分けをする気遣いも忘れません。

 

 

「いただきます」

 

 

武内Pは、食べることが好きですし、基本的に人の誘いを断れないタイプですからそう言うと思っていました。

運転中なのでハンドルから手を離さないでしょうから、1本手にとって武内Pの口元に近づけます。

 

 

「はい、どうぞ」

 

「‥‥いただきます」

 

 

咥えるまでにプ○ッツを見て逡巡がありましたが、何かあったのでしょう。

もしかして、サラダ味が嫌いだったのでしょうか。私は○リッツならこのオーソドックスなサラダ味が一番好きなのですが。

嫌いなものを食べさせてしまったのなら申し訳ありませんが、一定のペースで短くなっていく様子を見るとどうやらそうではなさそうですね。

なら、気にする必要はないでしょう。

 

 

「渡さんは、お疲れではないのですか?」

 

 

プリッ○を食べ終えた武内Pが、そんな質問をしてきました。

確かに今日のアクションシーンはなかなかに派手で濃密なものでしたが、それでもチートボディを疲弊させるまでには至りません。

あれくらいで疲れていては、人類の到達点なんて恥ずかしくて名乗れませんから。まあ、もともと私が好きで名乗っているわけではありませんが。

 

 

「問題ありません」

 

「他の皆さんのように、おやすみになられても大丈夫ですよ」

 

 

それもいいかもしれませんが、流石に寝顔を見せる勇気はありません。

女性として色々捨て去ってしまった部分がありますが、そういった羞恥心というのは欠けることなく残っています。

武内Pが邪な企みで言ったわけではないのはわかっているのですが、バックミラーを使うか振り返らなければ見えない後部座席と違い、助手席では少し視線を横に動かせば見えてしまう為、その好意を素直に受け取ることはできません。

優しさから出た言葉を傷つけずにどうやって断ろうかと頭を悩ませ、気まずい沈黙が支配しはじめます。

さて、この雰囲気を打開する方法を灰色の脳細胞を十全に活用して考えなければ。

急がば回れ、悠々閑々、自重自愛

平和に場の空気を元に戻せる選択肢は何でしょうか。

 

 

 

 

 

 

例え酔わなくて、1人だったとしても飲みたくなる日が人間にはあるものです。

ということでやってきました妖精社。隠れ家的な店なので、所謂お一人様でも利用しやすいので知っている人なら重宝します。

結局本社に戻った後もちひろ達は疲労でダウン状態でしたから、そのまま武内Pに社用車で送らせました。

あの状態では電車の中で寝たりして、面倒くさい事になるのは目に見えていましたし。

私は余裕があったので自分のデスクに戻り、余計な手間をかけさせてしまったお詫びとして武内Pの残務を処理したり、シンデレラ・プロジェクトの様子を愛でたりしていたら、結局終業時間まで社内にいました。

本当なら、もう少し仕事をして帰ろうと思っていたのですが、部下達の強い反対に押し負けて久しぶりに定時で帰ることになり、夕食と早めの晩酌を兼ねてここに立ち寄ったわけです。

今日はアクションシーンでかなり動きましたし、1人ですので全額自己負担なので遠慮せず食べることができるという訳です。

さて、そうと決まれば何を食べるか決めなければ。

とりあえず、串焼きをいくつかと月見うどん、コロッケも美味しそうですから頼みましょう。

うどんは違いますが味の濃いものや揚げ物があるので、これなら飲み物はビールが最適でしょうね。

もはや顔見知りなんてレベルじゃないくらいの店員に注文を伝え、運ばれてくるのを待ちます。

お冷でせっかくいい感じに温まってきているお腹を冷やすのは勿体無いので、周囲の客の会話にでも耳を傾けましょうか。

無秩序な様々な業種の人達の喧騒は座敷ではなく、カウンター席だからこそできる居酒屋の楽しみ方の1つだと思います。

 

 

「で、そこで部長がさぁ!」「まあまあ、落ち着けって」

 

「今期のアニメってどう思います?」「豊作と言わざるを得ないですな、特にオススメは‥‥」

 

「すみません。かき揚げそばにハーフカレー、ハムカツ、後ビールをください」

 

 

本当に色々な人がいますね。

会社の愚痴を溢す人や熱く趣味を仲間と語らい合う人、私と同じようにお一人様の食事を楽しむ人、十人十色楽しむ声は聞いていて飽きません。

 

それにしてもハムカツですか、薄っぺらくて軽視されがちですが、分厚いトンカツにはない美味しさがあるのです。

薄い分だけカラッと揚がってくれる為、あの揚げたてサックリとした程好くハムの味が染み出していている衣は本家トンカツすら凌駕する味わいがあるでしょう。

そして、その弱点とも思える薄さを最大限に生かした、軽い食べ応えは一皿でもたれそうになってしまうこともあるトンカツとは違い、いくらでもいけそうになってしまうのです。

この卑劣なカロリーの罠に引っかかって体重計に涙した人も多いのではないでしょうか。

さらに付け加えるのなら、庶民の味方である加工肉ハムはソースやマヨネーズ、醤油、ケチャップ等の殆どの調味料に適合する万能選手で、ハムカツになってもその万能さは健在であり、かける物を変えるだけで別の顔を見せます。

よし、最初に注文したものが届いたら私もハムカツを頼みましょう。

 

 

「此処が女教皇(プリエステス)の隠匿されし拠点か!(ここがあの隠れ家的なお店なんですね!)」

 

「蘭子ちゃん、他の人もいるんだから騒がないの」

 

「素敵なお店‥‥お人形のお家みたい‥‥」

 

 

入口からもの凄く聞き覚えのある声がします。

 

 

「ミナミも、ここに来たことがあるんですか?」

 

「ええ、七実さんと楓さんに連れられて」

 

 

前川さん、カリーニナさん、新田さんの3人は妖精社に連れてきたことがありましたね。

ここは値段も安く、それでいて味は最高ですし、あまり遅くない時間帯ならお酒の飲めない未成年達だけで訪れても問題はありません。

コンクリートジャングルの中に隠された食の聖域、しばし煩わしき俗世から切り離されてお腹を満たす事にのみ没頭するといいでしょう。

私もやっと届いた品物を食べるとしましょうか。勿論、ハムカツを頼む事は忘れていません。

まずは、牛の串焼きからですね。

 

 

師範(ニンジャマスター)♪」

 

 

串焼きを頬張ろうと口を開けた瞬間に、カリーニナさんが背中に抱きついてきました。

入口からは見えにくいカウンター席の端に座っていたというのに、こんなに早く見つかってしまうとは思ってもいませんでしたよ。

まあ、こうして大人に甘えたいお年頃と言うのはわかりますが、もう少し時と場合を考えて欲しいです。

これが私じゃなければ、串の先が口の中を突き刺して大変な事態になっていましたよ。

恐らく、私なら大丈夫という信頼からの行動なのでしょうし、実際は大変な事になっていないので、今はとやかく言うのはやめておきましょう。

そんな事しても食事が美味しくなくなるだけですし。

 

 

「アーニャ!他のお客さんに迷惑を‥‥って、七実さま!」

 

女教皇(プリエステス)!(渡さん!)」

 

「こんばんわ、七実さん」

 

「こ、こんばんわ‥‥」

 

 

カリーニナさんを追ってきた残りの4人にも見つかりました。

今日はかなり食べる予定だったので、上品な大人のお姉さんの威厳を保つためにもあまり見られたくはなかったのですが仕方ありません。

 

 

「こんばんわ。皆さんも、夕食ですか」

 

「はい。今日の寮の夕食が魚尽くしだったから、みくちゃんがここに行こうって誘ってくれたんです」

 

 

前川さんは魚が苦手ですから、魚尽くしのメニューは地獄のようなものでしょうね。

転生前は好き嫌いが激しかったので、その気持ちは良くわかります。

 

 

「み、美波ちゃん!ばらさないでよ!」

 

「あら、私はそんなみくちゃんのこと可愛いと思ったのに」

 

はい(ダー)』「ミクはかわいいです!」

 

「うぅ~~、可愛くても恥ずかしいの!」

 

 

弄られて赤面する美少女の姿は、萌えますね。

許されるのなら今すぐ抱きしめて頭とかを頬ずりしたいです。そう、今カリーニナさんが私にしているように。

首に手を回されているので串焼きを食べようにもできません。

このままでは、頼んでいた品物が冷めてしまいます。妖精社の料理は冷めても十分に美味しいのですが、やっぱり料理は出来立てが一番なので、早く食べたいのですが。

 

 

「白き妖精の行動は瞳を持ってしても予知できぬ(アーニャちゃん、いいなぁ‥‥)」

 

「アーニャちゃん‥‥そろそろ七実さんにご飯食べさせてあげよ?」

 

「そうでした。すみません、師範(ニンジャマスター)

 

 

緒方さんの言葉でカリーニナさんからようやく開放されます。

さて、冷めない内に食べてしまいたいところではありますが、5人の事をどうしましょうか。

 

 

「アーニャ~~~!!」

 

痛い(ボリーナ)!!』「や、やめてください、ミク!?」

 

 

何故かわかりませんが、怒りを顕にした前川さんがカリーニナさんのこめかみに拳を当ててぐりぐりとします。

こめかみ部分の骨は薄いので、あそこを攻撃されるとかなり効くんですよね。

カリーニナさんも脳に響く痛みに悲鳴をあげて、必死の抵抗をしてなんとか前川さんぐりぐり攻撃から脱出します。

ここは公共の場ですからあまり騒いではダメと大人として注意すべきでしょうか。

とりあえず、前川さんも考えがあっての事でしょうから、少しの間静観しましょう。

 

 

「アーニャ‥‥七実さまは何を持ってる?」

 

「えと、串焼きですね。美味しそうです」

 

「そうだね、美味しそうだね。‥‥串焼きの串って尖ってるよね?

もし、アーニャが飛びついたりした拍子にそれが刺さったら、どうなると思う?」

 

 

歳はそんなに変わらないはずなのに、何だか前川さんが凄いお母さんをしています。

何で危ないかをちゃんと自分で考えさせようとする叱り方なんて、無茶をやらかした私達姉弟を叱る時のうちの母親そっくりですね。

やっぱり、この2人のコンビを強行的にも推し進めるべきだったのではないでしょうか。

 

 

「‥‥怪我をしますね。師範(ニンジャマスター)」『ごめんなさい(イズヴィニーチェ)

 

「気にしなくていいですよ。何も起きてませんし」

 

「今度から、気をつけます」

 

 

私はそこまで気にしていないので、別にそこまで畏まって謝る必要はないのですが。

寧ろ、そんな切なそうな瞳や悲しげな表情をされる方が私の精神衛生上よろしくないくらいです。

いつも明るいフリーダムキャラが落ち込んだりするとギャップで、破壊力が通常の倍くらいありますし。

食事の時は、そんなマイナスな感情は舌を鈍らせるだけなのであまり引きずって欲しくはありません。

 

 

「本当に気にしなくていいですから、そんな顔せずにご飯を食べて元気を出してください」

 

 

妖精社のご飯は絶品揃いですから、今の事なんて美味しい食事で上書きしてしまいましょう。

美味しい食事を食べたり、暖かいお風呂に入ったりすれば、大抵の事なんてちっぽけな事に思えるとうちの25歳児も言っています。

カリーニナさんの場合、前川さんに抱きついて頭を撫でられているのでその必要はないかもしれませんが。

前川さんに大人としてやるべき事を全て持っていかれてしまった気がしますが、2人の仲が深まったなら、それで良しでしょう。

 

 

「そうだ!七実さん、よろしかったら一緒に食べませんか?」

 

「大人が混ざっていいんですか」

 

 

場の雰囲気を一新する様に新田さんが誘ってくれていますけど、メンバー同士の交流の場にサポート役とはいえあまり大人が入り込むのはよくないような気がするのですが。

それに、今の件で少々混ざりにくいですし。

この天使のようなシンデレラ・プロジェクトのメンバー達ならそんなことは気にしないないでしょうが、それでも気が引けてしまいます。

それに職業柄、流行の物は逐一チェックしていますが、それでも仕事と言う視点で見てしまっている為に若い世代とは考え方にずれが生じてしまうのです。

そのジェネレーションギャップみたいなのを感じてしまう瞬間に、否が応でも自分の老いを思い知らされてしまい、心にクリティカルダメージをくらう事になるのです。

一度くらえば十二分なので、私にはそれを芸風にしている菜々のような勇者にはなれません。

 

 

「勿論です。ねえ、皆?」

 

「大歓迎です!」『賛成です(アダブリエーニイ)

「は、はい」「愚問である(賛成でぇ~す)」

 

「だそうです」

 

 

これはもう断ることなんてできませんね。

というか、私が頼んだハムカツを持った店員さんがこちらではなく、誰もいないいつもの座敷席のほうに運んでいます。

いや、確かに移動するからいいんですけどね。

さっさと移動して、料理達が冷え切る前に食べてしまいましょう。細かい事を考えるのは、それからでもできます。

そんな私の今の気分をとある暴君の幼少期の家庭教師も務めた政治家でもあり詩人でもある人物の名言を改変して述べるのなら。

『アイドルへの大いなる一歩は満足なる胃にあり』

 

 

 

 

 

 

 

後日、残りのアクションシーンを撮影する為に現場を赴いたところ、私の身体能力を甘く見過ぎていたと反省したらしい監督達によってアクションのレベルが更に向上するのですが、それはまた別の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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