チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~   作:被る幸

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本編を進める予定でしたが、このまま進行させると6,7話期間の話が当分続きそうなので一度番外編を挟むことにしました。
なので、3月中は本編は進まないと思います。

今回は、26話後くらいのIFの話です。
なので、ここでの設定が今後の本編進行に関わることはありません。


番外編6 IF くぐった修羅場の数が違うんですよ

月に叢雲、花に風という諺をご存知でしょうか。

意味は名月の夜に雲がかかってしまい月が見えず、満開の花には風が吹いて花を散らしたりするということから転じた良いことにはとにかく邪魔が入りやすく、思い通りにいかないものであるという感じです。

しかし、私はこうも思うのです。

そうやって思うがままにならないからこそ、美しいものはより美しくその希少価値を高めるのではと。

加えて、こうして夜空の大半を覆い尽くしてしまった雲の切れ間から微かに零れる月明りを肴に一杯というのもなかなかに乙なものです。

僅かな月明りと傍らに置いた愛刀を肴にした。人からすれば侘しい晩酌も今の私にはお似合いでしょう。

最もこの姿を土方さんや近藤さん達に見られたら『空きっ腹にお酒はよくない』口煩く言われそうですが、これくらいの酒で酔えるほど弱くはありません。

1升100文にも満たない下酒は、これが風味なのか雑味なのか判断に困り、味も磨かれる所か汚されたと思えるくらいの酒と名乗ることすら烏滸がましいもので、近藤さんや沖田の前に出したら烈火の如く怒るでしょうね。

ですが、私にはこれくらいの味が丁度いいのです。

徳利を傾けて猪口に注ぎ、左手に持ったそれを少しだけ掲げて濁りの多い下酒に微かに差し込む月明り映してから、一息で呷りました。

 

 

「‥‥不味い」

 

「それは、(はじめ)さんがそんな下酒なんか飲むからですよ。新撰組の三番組組長さんなら、もっと上等なお酒が飲めるでしょうに」

 

 

そう言いながらも奈々は、咎める訳でもなく空いた徳利に下酒を補充してくれます。

奈々は所謂遊女ではありますが、自身の身体を売るのではなく芸を売って生きるきちんとした遊女であり、私のことを知っていても物怖じせず自分の意見を主張する珍しい女でした。

女はしおらしく男を立てるものだという世間の主張など何するものぞという態度は、見ていて清々しくもありそれ故に私は奈々しか呼ばないのでしょう。

 

 

「私の口には、これくらいの下酒で上等なのですよ」

 

「本当に一さんは変わり者ですよね。遊女にも芸をさせるでもなく、そばにいるだけでいいなんて」

 

「自覚はありますよ」

 

 

空になった徳利を奈々に渡して新しい徳利を受け取ろうとしたのですが、差し出した手がそっと奈々の手に包み込まれます。

奈々がこうして私に触れてくることは珍しくはないですが、それは私を揶揄う為などの冗談めかした時ばかりで、こうして無言で触れてくるのは初めてかもしれません。

 

 

「一さんは‥‥一さんは、どうして人を斬るんですか?」

 

 

包まれた手に奈々の微かな震えが伝わってきます。

あの気の強い奈々がここまでなるなんて、いったい何が起きたというのでしょうか。

 

 

「何があったんですか?」

 

「実は‥‥」

 

 

恐る恐る語りだしたのは、私にとってはなんてことのないことでした。

見回りをしていた隊士達が不逞な攘夷派の浪士を取り締まろうとしたが、相手が抜いた為に斬り合いとなり、最終的に浪士は斬り捨てられたという半月も京を回れば何処かで遭遇するであろうありふれた出来事で、正直拍子抜けしましたね。

そういえば、奈々は遊女ですからあまり今の京を歩くことなんてないのでしょう。

長州や薩摩といった攘夷派の浪人が増え、色々ときな臭い感じになっていますから、近々京全体を揺るがすような大きな事件が起きるかもしれませんね。

 

 

「奈々は遊女ですから、難しいことはわからないんですけど。意見が合わないと斬り合わなければならないんですか?

もっと別の手段で解決する方法ってないんですか?相手にも大切な人がいるかもしれないのに‥‥」

 

 

新撰組の隊士である私と遊女の奈々、立場が違えばこのように考え方も大きく違ってしまうのですね。

幾人も斬ってきた私の考えが普通であるとは言いませんが、それでも奈々の言葉は夢だけを追い求めている戯言でしかありません。

上目遣いで私の答えを待つ奈々に、私は大きな溜息をつきます。

 

 

「抜いた時点で終わりなんですよ。抜けば、もうそれは死合いです」

 

 

刀を抜くという行為は相手を殺めようとする意思表示であり、それは逆を返せば殺されることを肯定するのと同意義なのです。

一度死合いの場となれば、互いの主義主張など関係ありません。

互いが生き残る為に、正しく死力を尽くして相手を殺めることに夢中となって刀を振るうしかないのです。

そして、所詮人斬りになってしまった時点で人生の道筋は確定してしまったようなものですから。

人斬りは、何処まで行っても人斬りでしかありません。

 

 

「でも‥‥死んじゃったら終わりじゃないですか‥‥奈々は嫌ですよ、そんなの‥‥」

 

 

そういって童のように泣きじゃくりだした奈々の頭をゆっくりと撫で、置いていた愛刀を手に取り立ち上がります。

今日の晩酌は、このあたりが潮時なのでしょう。

もう少し酔いたい気分だったのですが、泣いている女性の前で飲み続けられるほど図太い性格はしていません。

 

 

「それでいいんですよ。きっと、私は慣れ過ぎてしまったのです」

 

 

人を斬ることは悪事である。それは、幼子でも理解している常識でしょう。

多くの骸と血の斑で汚れた道を歩き続けているとそんな簡単なことさえも忘れそうになってしまいます。

今更戻ることもできないでしょうし、戻るつもりも毛頭ありません。

19歳のあの日、真剣勝負を受けて相手を斬った瞬間から私の進む道はこうだと決まっていたのです。

 

 

「一さん‥‥最後に質問に答えてもらえますか?」

 

 

涙を拭いながら震える声で気丈に尋ねる奈々の姿は、この場から去ろうとする意志を揺らがしてしまいそうになりますが耐えます。

私が今も人を斬る理由なんて、一つしかありません。

 

 

「奴らが悪だと、私が判断したからです」

 

 

そう言い残して、奈々の言葉を待たずに私は部屋を出ました。

追ってくる様子もないですし、ああ見えて奈々は強い女です。きっと、私が何もしなくても自分で立ち上がってくるでしょう。

お金は先払いなので羽織を受け取って店を出ます。

曇天の為様々な店が明かりをつけていますが、それでも見通しは良いとは言えませんね。

この店は大通りから外れた裏の方にあるので、特にそう感じます。

さて、予定よりも随分早く出てしまったので時間が有り余っていますね。

予定のない気ままな帰り道ですから、丁度空きっ腹でしたし散歩ついでに何処かに寄って夜食と洒落込みましょうか。

この近くだったら、5町くらい行った先に美味しい蕎麦屋があったはずです。

風味と喉越しの調和が良い二八蕎麦で、昆布と鰹節を秘伝の調合比でとったつゆはあっさりとしていながらもその旨味はしっかりと主張し蕎麦を引き立ててくれるのです。

思い浮かべてしまった所為か、空きっ腹が一気に加速してしまいましたね。今日は、絶対に大盛りで食べましょう。

ですが、その前に片付けないといけない案件ができましたね。

 

 

「斎藤 一だな」

 

「ええ」

 

 

私の前を塞ぐように2人の浪士が現れます。

2人共既に刀を抜いており、話し合いで物事を済ませようという気は微塵もなさそうですね。

恐らくというか、十中八九攘夷派の浪士でしょう。

尊王攘夷という理想を掲げ維新を謳う彼らにとって、京を見回り同胞達を取り締まったり、斬り殺したりする私達新撰組は不倶戴天の敵でしょうから。

特にここ最近は、こうした敵討ちをしにくる阿呆な輩が増えてきて困っています。

取り締まるべき相手がわざわざ出向いてくれるので、飛んで火にいる夏の虫とも考えることもできるかもしれませんが、こうして個人の時間に水を差されるのは不快です。

 

 

「貴様に斬られた志士達の無念、ここで討たせてもらう!」

 

「尊王攘夷の意志を解さぬ、武家の飼い犬め!」

 

 

こうして自らの思想に耽って溺れた手合いは厄介なので、さっさと片付けてしまいましょう。

私もゆっくりと愛刀を抜きます。

そこそこの手練れなのか、抜いている最中に仕掛けてくることはありませんでした。

仕掛けてくれていたら1人片付いて楽だったのですが、そうそう思い通りに事は運んでくれませんね。

 

 

「御託は良い‥‥と言いたい所ですが、今日は少し気分が良いのでその戯言に付き合ってあげましょう」

 

「我らの維新が、戯言だと!」

 

「落ち着け、相手の挑発に乗るな」

 

 

挑発ではなく、本気で言っているのですが理想に溺れた浪士には届かないでしょうね。

 

 

「私は別に、貴方達の思想を否定する為に斬っているわけではありません。

この日ノ本の行く末を思い憂い、凝り固まった世の中を改革しようとする行動力は称賛に値するでしょう」

 

 

これは嘘などではなく、偽りのない本心です。

既存のものをなぞるのではなく、自ら考え行動するのは想像よりも難しいものですから。

 

 

「ならば、何故貴様は我々を斬る!武田さんや荒木田さんを斬った!」

 

「それは、貴方達が悪だからです」

 

「我々が悪だと!」

 

 

共感するような様子を見せながら、自分達を悪だと断言した私を浪人たちは殺意の籠った視線で睨みつけてきますが、涼風のような温さしか感じられません。

下酒と奈々の涙に思いのほか酔ってしまっているのか、滑るように言葉が出てきます。

 

 

「貴方達の思想は未来を思う尊いものかもしれません。ですが、その手段は過激なものが多いです。

未来の為、日ノ本の為、童の為、そういった大義名分の下に今を蔑ろにし過ぎたのですよ」

 

「しかし、今動かねば日ノ本の未来が危ういのだ!何故、わからぬ!」

 

「確かに人が生きる為に未来は必要です。未来という希望があるから人は不安なく生きていけるのでしょう。

ですが、尊王攘夷という夢みたいな目標の為と過激なことしかやらず、現在(いま)を蔑ろにする悪である貴方達に未来(あした)を生きる資格はありません。

だから、私は私の定める正義の下に貴方達を悪と判断し、斬ります」

 

 

言いたいことは言い尽くしましたので、そろそろ終わりにしましょう。

これ以上時間をかけてしまうとあの蕎麦屋が店を畳んでしまいます。

左手で愛刀を地面と水平に構え、より手練れな方の浪人との距離を一気に詰めて、そのまま肋骨の隙間を通り心臓を貫きました。

何が起きたかわからない驚愕と痛みによる苦痛に浪人の顔が歪みますが、死にゆく人間の顔をいつまでも眺めるという悪趣味は持ち合わせていませんから胴体を蹴り飛ばして愛刀を抜き、もう1人の浪人と相対します。

仲間が一瞬にして殺されたことに衝撃を受けたようですが、直ぐに立ち直って刀を構えました。

距離は1間くらいと中途半端にしか離れていませんから、迂闊に動いては手痛い反撃を受けてしまうかもしれませんね。

構えからしてあまり人を斬ったことはなさそうですが、これから成長すれば良い剣士になったでしょうね。

再び平突きの構えを取らせてくれるほど阿呆ではないでしょうから、さっさと斬り捨ててしまいましょう。

 

 

「ウオオォ!」

 

「遅い」

 

 

刀を振り上げようとした隙を見逃さずに踏み出し、がら空きとなった喉を突きます。

 

 

「‥‥カヒュッ」

 

 

喉を突かれ上手く呼吸ができなくなったことに取り乱した浪人は、刀を落とし喉を抑えてのた打ち回っていました。

どう見ても致命傷で四半刻も持たないでしょう。

ですが、手負いの獣が思いもよらぬ力を発揮するように、死に瀕した人間の爆発力というのは侮れないものがありますので、のた打ち回る浪人を足で押さえて心臓を突いて止めを刺します。

なるべく、血が付かないようにはしたのですが、全身に血を送る役割をする心臓を突いた為か鮮血が至る所に飛び散り顔も衣装も汚れてしまいました。

とりあえず、愛刀を錆びさせてはいけないので羽織から懐紙を取り出して丹念に血を拭います。

このままこの場を去って蕎麦屋に向かいたい所ですが、京を守護する新撰組の隊士としてその行動は許されないでしょう。

 

 

「で、そろそろ出てこられてはいかがですか。近藤さん」

 

「あらあら、流石は一ね。気づいていたの」

 

 

納刀しながら私がそう促すと、物陰から新撰組局長である近藤さんが現れました。

尾行していたことがばれたというのに一切悪びれる様子のないその豪胆さは呆れを通り越して、賞賛すべきなのかとも思えてきます。

 

 

「ええ、私が店から出たころからずっとつけていましたよね」

 

「あらら、その時点でばれてたのね。やっぱり私にこういうのは不向きね」

 

「私をつけて、何か収穫はありましたか」

 

「それが全然なのよ。一が通い詰めている遊女ちゃんの姿も見れなかったし、こんな面倒な場面に遭遇するんですもの」

 

 

普段の平隊士に対してはあれほど威厳有り気にふるまうというのに、今は気が抜け過ぎていますね。

まあ、私も近藤さんとの付き合いは長いですしそういった姿を見せても構わないと判断されるくらいには信頼されているのでしょう。

 

 

「しかし、相変わらず一は容赦なく斬るわね」

 

「彼らは悪ですので」

 

 

小さな悪事の芽を摘むことを怠ってしまえば、それらは成長してやがて大きなものへと成長してしまいます。

そうなってしまった時に一番初めに被害等の煽りを受けるのは、私達ではなくそこに住む悪事とは全く関係ない無辜の市民でしょう。

夢を叶えたい浪人達やそれを取り締まる為に居る私達だけが傷つくのならば、全て己の責任なので文句の言いようがないのですが、関係のない人達を巻き込むなど許容できません。

悪であるならば即刻斬り捨てる、それが人斬りである私の生き方です。

浪人を斬る為に動いた所為か、只でさえ空きっ腹だったのが更に加速されて腹の虫が鳴いてしまいました。

女人のようなか細い腹の虫の声に、近藤さんは夜だというのに憚ることなく大笑いします。

 

 

「流石の斎藤 一も腹の虫には勝てないようね。後は私が受け持つから、さっさとその可愛い虫ちゃんを満足させてあげなさい」

 

「ありがとうございます」

 

 

この場を受け持ってくれるのはありがたいですね。

今から急げば蕎麦屋が店を畳む寸前に滑り込むことが可能かもしれません。

見苦しくない程度に速足となって、蕎麦屋がある方面へと向かいます。

 

 

「一」

 

「なんですか、近藤さん」

 

「貴方は、悪を斬り続けるという生き方をいつまで貫く気なの?」

 

 

去ろうとした私に近藤さんがそんな質問をしてきました。

きっと盗み聞きされたあの浪人達とした会話が原因なのでしょう。

新撰組の組長が尊王攘夷を掲げる浪人達の思想に少しでも共感を示したというのは、あまり良いことではありませんからね。

特に私は、そういった内通者を粛正してきた身でありますから。

ここで変に誤魔化したりしても良い方向へと転がったりしないでしょうから、素直に答えるとしましょう。

できるだけ穏やかで、決意を込めた顔で私は答えます。

 

 

「無論、死ぬまで」

 

 

 

 

 

「はい、カット!」

 

 

その言葉と共に、意識的に纏わせていた人斬りオーラを霧散させました。

オーラと言ってもアニメのように視認できるようなものではなく、漂わせる雰囲気的な何かの事です。

習得自体は簡単だったのですが、最初の頃はあまりにも恐ろしかったらしく撮影見学に来てくれた仁奈ちゃん達幼少組に涙目で逃げ出された時には私の方が泣くかと思いました。

相方であるちひろの証言によると『斬られると考えるまでもなく理解させられる』だそうです。

アイドル相手には受けの悪いこのスキルでしたが、現場では監督や他の出演者の皆様には大受けで『本物の人斬りを相手しているみたいで演技にも気合が入る』や『次の瞬間に斬り殺されるかもしれないという緊張感が殺陣を引き立てている』と喜んでいいのかわからない称賛の声をいただきました。

美城という城のブランドイメージを重視したアイドル路線を追及すると言っていた美城常務、いや今は美城専務がこのような企画をよく許可したものですね。

あの舞踏会以降美城専務も少しは丸くなったみたいで、激務の中でも時間があればクローネの現場に顔を出したりして現場の意見というものも重視するようになったみたいです。

スタッフから受け取ったクレンジングシートで頬についた血糊を落としながら休憩スペースへと向かいます。

シンデレラ・ガールズとプロジェクト・クローネの共同企画の『シン撰組・ガールズ』が好評で、いろんなアイドルの演じる新撰組が見たいというファンレターやらが多く寄せられたからといって、今回はやりすぎではないでしょうか。

『大人向けのシン撰組』というテーマらしいのですが、シン撰組・ガールズとは正反対ともいえるような見栄えよりも本物の斬り合いを重視した殺陣や遊女との遊びと視聴率よりも現場のやりたいことを追及しただけのような気がしてなりません。

容赦なく相手の急所を突くシーンやのた打ち回る人間を踏んで止めを刺すシーンなんて、流してしまって大丈夫なのでしょうか。

最近では放送倫理がとか、子供に見せるには不適切な表現がと騒ぎ立てる母親が増えてきていますので、あまり残虐なシーンが多くなると放送できなくなる可能性もあります。

まあ、あの昼行燈が手を回しているそうですから、そうなったとしても何かしらの特典映像にしたり、あまり苦情の出にくい深夜に枠を取ったりと対応は万全でしょう。

休憩スペースに到着したので羽織をハンガーにかけ、コーヒーメーカーから1杯もらってパイプ椅子に腰かけてゆっくりと楽しみます。

 

 

「渡さん、お疲れ様です」

 

「武内Pこそ、お疲れ様です」

 

 

次の出番までは当分時間があるので、のんびりタブレット端末で業務でも片付けてしまおうとしていたら武内Pが休憩スペースに現れました。

現在ここにいるのは私1人なので、私に何か用なのでしょうか。

 

 

「何か用ですか」

 

「今回の撮影は殺陣シーンが多いので、皆さんがお疲れではないかと思いまして‥‥これを」

 

 

そう言って武内Pは手に持っていた紙箱を掲げます。

箱の隙間から微かに漏れてくる甘い香りと店名等が記されていない紙箱から察するに手作りのお菓子のようですね。

疲れてはいませんが、甘いものは好物ですし動いた後には欲しくなるので、この差し入れはありがたいです。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

箱を受け取り開けると中は二重構造になっており大きめの保冷剤が敷き詰められていて、これなら数時間は常温で放置されていても大丈夫でしょう。

保冷材に囲まれた内箱の中に詰まっていたのはエクレアでした。

チョコレートでコーティングされた姿は見るからに美味しそうであり、早速1つ頂くことにしましょう。

シュー皮のふわっとした軽さと麦のほのかな風味にシュー皮が破られた瞬間に口の中に落ちてくる重みをもった濃厚なカスタードクリーム、そこにコーティングしたチョコレートのほろ苦さが加わることによってくどくなりすぎることを抑制した黄金比を作り上げています。

しかし、このバランス崩壊一歩手前までたっぷりにカスタードクリームが詰まっていることから、このエクレアの制作者はかな子ちゃんでしょうね。

シン撰組・ガールズで言った『美味しいから、大丈夫だよ』というセリフがトレンドワードになって話題になり、すっかり腹ペコ系キャラというイメージが定着してしまったそうですが、こうしてお菓子のことを嫌いになっていないみたいで安心しました。

 

 

「立ちっぱなしもなんですから、座ったらどうですか」

 

 

食べている姿をただじっと見られているというのも落ち着きませんから、空いているパイプ椅子を指さして促します。

 

 

「そうですね。失礼します」

 

 

武内Pは促されたとおりに空いていたパイプ椅子に座りました。

なんだか、野良の大型犬を手なづけたような気分になりますが、言わないでおきましょう。

表情はいつもと変わらず威圧感のある仏頂面ですが、その瞳は何か思い悩むように微かに揺れていました。

まったく相談したいことがあるのならさっさと切り出してしまえばいいのに、私に負担をかけてしまうのではないかという遠慮があり言い出せないのでしょう。

仕方ありません。こういった時に、一肌脱いであげるのが年上の役目ですから。

ですが、話が長くなったりしたら大変ですので食べ掛けのエクレアを食べきって、残りも傷んでしまわないように隅にある冷蔵庫にしまっておきましょう。

 

 

「悩みがあるなら聞きますよ」

 

「‥‥すみません」

 

 

右手を首に回しながら頭を下げ、武内Pは悩みについて語りだしました。

プロジェクト1期生であるシンデレラ・ガールズ、シンデレラ・プロジェクトの2期生達、大半をセルフプロデュースしている状況ではありますが私達サンドリヨンと担当するアイドルが増え、武内P1人で担当するには難しくなってきているそうです。

まあ、1人で新人やトップアイドルを含む30人近くのアイドルをプロデュースするのは無謀過ぎることですから、いつかはこうなるのではないかとは思っていました。

一番早いのは担当Pを増やしてしまうことなのですが、シンデレラ・ガールズと武内Pの絆を考えればそれは逆効果にしかならないでしょうし、2期生も武内Pが担当することが確定していますから変更もできません。

私達はセルフプロデュースでも十分やっていけるでしょうが、ちひろが悲しむでしょうね。

 

 

「無謀なことだとは自分でも理解しているのですが、それでも私が皆さんをプロデュースしたいと思うのです」

 

「頑なですね」

 

 

もう少し肩の力を抜いて生きれば、このような茨の道を進むこともなかったでしょうに。

 

 

「それに、私は渡さんとの約束を果たしていません」

 

「約束ですか」

 

「はい。渡さんをトップアイドルという高みに連れていくとデビュー前にお約束しました」

 

 

そういえば、そんなこともありましたね。

もう1年以上も前になるので、すっかり記憶の片隅に追いやられていて言われるまで思い出せませんでしたよ。

そんな書面にもしていない、何ら法的拘束力もない酒の席での口約束を今も覚えていて律義に守ろうとしているとは武内Pの不器用過ぎる真面目さには脱帽です。

こういったところがあるから、ちひろのような母性を擽られるとまずいタイプが惚れていくのでしょう。

 

 

「わかりました。その件については、私の方でも何とかできないか考えてみましょう」

 

「‥‥すみません。結局、渡さんに負担をかけることになってしまい」

 

「いいんですよ。後輩を助けるのは、先輩の役目ですし。それに‥‥」

 

 

こうして口に出してしまうのは気恥ずかしくて今まであまり言えていなかったのですが、いい機会ですから言っておきましょう。

態度で伝わっているとは思いますが、それでも口にするという行為が重要なのですから。

 

 

「アイドルとプロデューサーは助け合うものでしょう?」

 

「‥‥そうですね、ありがとうございます。渡さん」

 

 

ちょっと気恥ずかしくて顔が赤くなってしまいそうになりますが、今言っておかなければ次言う機会がいつ来るかわかりませんからね。

正確には、私がその勇気を持てるようになるのがいつになるかがわからないと言った方が正しいでしょう。

 

 

「だから、もっと私に頼っていいんですにょ」

 

「にょ?」

 

 

噛みました。物凄い格好をつけているときに噛んでしまいました。

原作の七実も最期の七花に言葉を遺すシーンで噛んでいましたが、見稽古と一緒にそんなドジッ娘スキルまで特典として貰ってしまったのでしょか。

顔へ血液が集まってきて熱く、真っ赤になってしまっているのが鏡を見なくてもわかります。

どうして、よりにもよって武内Pの前でやらかしてしまうのでしょうか。

これがちひろや瑞樹達の前だったら、少しの間ネタにされるでしょうが笑い話で終わらせることができます。

ですが、武内Pだとこういった時にどういう風に対応したらいいかわかりません。

ちひろだったら顔を覆うでしょうし、瑞樹だったらかわい子ぶって誤魔化して、楓なら駄洒落に持っていき、菜々はおろおろと慌てふためくでしょう。

ですが、私はどうすれがいいのでしょうか。

とりあえず、頼れるお姉さんキャラというものを崩壊させてしまわないように事実の隠蔽に努めましょうか。

赤くなってしまった顔を背けて武内Pの顔に向かって人差し指を突き出します。

 

 

「き、聞かなかったことにしましょう」

 

「‥‥えっ」

 

「武内Pは何も聞かなかったんです。良いですか?」

 

「それは、先程の『にょ』についてでしょうか?」

 

 

当たり前のことを聞き返す武内Pに若干の殺意を覚えました。

なんですか、そうやって繰り返し口にすることによって私を精神的に辱めているんですか。もしかして、下剋上的な何かを狙っているんですか。

 

 

「だから、何も聞かなかった!」

 

「‥‥わかりました」

 

 

何だか武内Pが心なしか楽しそうな表情をしているように見えるのは気のせいでしょうか。

あの昼行燈に後継者として目を付けられたのか、最近では色々と人脈や統括者としての心得やノウハウを教えてもらっているようですが、それと同時にろくでもない部分まで引き継ぎかけているのかもしれません。

昼行燈1人でも厄介なのに、武内Pまでそうなってしまったら私がやりにくくなってしまうこと間違いなしでしょう。

次の現場に行かなければならない時間になったのか、時計を確認すると武内Pは立ち上がりました。

 

 

「では、私は次の現場に行かなければなりませんので、これで」

 

「はい、気を付けてください」

 

 

顔の赤みが取れそうにないので武内Pからは顔を背けたままで、手を振って送り出します。

この失態は当分引きずりそうでそうですね。

唯一の救いは、この場に私と武内P以外の人間がいなかったことでしょうか。

こんな様子を見られてしまったら、あらぬ邪推をされてしまいかねませんし、それがちひろや楓、凛といった武内Pに懸想しているメンバーに見られたら、ライバル視がさらに悪化しかねません。

私はそんなつもりは一切ないと言っているのですが、ちひろ曰く『状況証拠だけで有罪判決が下せるレベルですよ』だそうです。

弟子であるまゆもそうですが、恋する乙女の思い込みというのは時にあらぬ方向に跳んでしまうことが多いですから、ここは私が大人になって受け止めてあげるしかないのでしょう。

こういう時、あえて貧乏籤を引くことができるものが後で幸福を得るのですから。

熱くなってしまった顔を手で扇ぎながら、これから起こるかもしれない未来に対して今回私が演じた新撰組組長の登場する剣客漫画の言葉を少し改変して述べるのなら。

『くぐった修羅場の数が違うんですよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、無事放映された『シン撰組・大人版』は残虐なシーンも多かったりしたのですが、何故か変な人気が出てしまい美城プロアイドルによる新撰組のシリーズ化も検討されてしまうのですが、それはまた別の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今後の制作予定の番外編は

・みく視点での38話の裏側的話+α
・掲示板風
・IF もし七実が765に所属していたら
・七実 in HL

になっており、並行して進めて完成したものから投稿しますので、今しばらくお待ちください。

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