チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~ 作:被る幸
どうも、私を見ているであろう皆様。
積極的な介入を昼行燈に控えるように言われ、武内Pや他のメンバー達のフォローに回っているのですが、意外とフラストレーションが溜まりますね。
私が積極的に動けば、解決できるとは言いませんが昨日の武内Pのように『会いたくない』とただ追い返されるだけにはさせませんでした。
不法侵入罪覚悟でチートをフル活用して本田宅に突入、拉致紛いの事をしてでも話し合いの場に持ち込ませたでしょう。
強制的に話し合わせると余計意固地になってしまう可能性もありますが、2人も根は素直で他人のことをきちんと思いやれる人間なので、しっかりとお互いの本音を話し合えばわかってくれるはずです。
そんな状況においても武内Pが口を閉ざして最悪の事態になり得そうな場合は、私が悪役となってでも語らせてやるつもりだったのですが、それはできなくなってしまいました。
昨夜の前川さんの心情吐露を聞く限り、今回の件で武内Pに対する不信感は私が思っていた以上に深刻化している可能性があります。
前川さんでこれなのですから、同じユニットであの事件を間近で見ていた島村さんや渋谷さんはこれ以上なのは間違いないでしょう。
2人共、本田さんに会いに行こうと武内Pに住所を教えてくれと直談判したそうですが、本田さんの事を考えすぎてしまいそれを断るという最悪に近い選択をしてしまったそうですし。
これだけのことが起こって、ユニット解散の危機すら見えつつある現状で我慢せよというのは精神的にかなり応えます。
昼行燈の眼は信頼していますから、今はチートによってそれは心の奥底に鎮め込んでいますが、これ以上最悪な展開に進みそうになるのであれば我慢など辞めて即行動に移すでしょう。
「あの‥‥お風呂、ありがとうございました‥‥」
昨日は泣き疲れて寝てしまい、お風呂に入れていなかった前川さんがおずおずと現れました。
制服の隙間から覗くお風呂上りの上気した肌は、平均的な女子高生より発育の良い前川さんの肢体をより色っぽくしています。
こんな少女がクラスメイトに居たら、男子生徒達は少なくとも一度くらいは様々な妄想をしたことがあるに違いありません。
「いえ、お気になさらず。下着のサイズは大丈夫でしたか?」
七実アイによる3サイズ計測の誤差は0.1cm以内なので問題ないと思うのですが、それでもチートを過信していると痛い目を見るかもしれません。
「はい、大丈夫です」
「そうですか、良かったです。朝食はもうできていますが、寝坊助2人を起こしてくるので少し待っていてください」
「わかりました」
慣れない私の部屋で居心地の悪そうにしている前川さんの初々しい反応は、今や第二の我が家のように悠々自適に振舞い私物が家主のものよりも多くなりつつあるいつもの4人に思い出させたいものですね。
許可はしたものの本当に買ってくるとは思わなかったベッドや、各メンバーの私物がまとめられ完全にお泊り用となった洋室の扉を開けて中に入ります。
定期的に私がチートを駆使して掃除をしたり、ベッドメイクしたりしている為、下手なホテルよりも快適で清潔感あふれる空間を維持しているのですが、ものの見事に荒れていました。
特に楓の寝ているベッドなど枕元に読みかけで伏せられた漫画、同じく枕元に置かれていたが落下して飛散と思われる飴の袋、スマートフォンの充電器等が刺さった延長コード、足元には昨夜の内から用意していたと思われる着替えセット等物の置き過ぎで寝るスペースがかなり侵食されており寝難そうです。
しかし、当の本人はその侵食されている状態がベストだというのですから、世の中わからないものですね。
窓際に位置する楓のベッドの手前には、布団の上で胎児のように丸くなって眠る菜々がいます。
物で溢れている楓とは違い、菜々の布団の上には充電中の携帯電話とお気に入りのうさぎのぬいぐるみ『ピーター君』しかいません。
今年で2Y歳のはずなのですが、うさぎのぬいぐるみを抱きしめて眠る姿がとても似合っているあどけない幼さは羨ましい限りです。
私がぬいぐるみを抱いて寝ていたら、きっと見た人全てが苦笑するしかないはずですから。
「2人共、朝ですよ。起きなさい」
これまであった朝の攻防による経験上、起きるはずがないと確信していながらも一応声をかけます。
無駄だと分かっていても最終警告というものは、自らを守る為にも重要でありますのでしておかなければなりません。
案の定返ってきたのは、規則正しい寝息でした。
予想通りの反応に軽くため息をつきながら、まずカーテンを開けます。
日光には覚醒を促す作用があるのですが、本日の天気は生憎の雨模様でありその効果は望めないどころか、穏やかなリズムで打ち付ける雨音は逆に睡眠へと誘いかねません。
次に2人が包まっている布団をしっかりと持ち、一気に引きはがします。
下手に優しさを出してしまうと引きはがされまいと抵抗されて2人の手を痛めてしまいかねないので、情けも容赦も一切なく一瞬で完了させます。
「うぅ‥‥」
布団を引きはがされたことで、雨の日の少し冷たい空気が首筋等を撫でる刺激で菜々が目を覚ましました。
いつものメンバーにおいて良心枠に所属する菜々は、私の部屋に入り浸るようになるまで美城本社から電車で1時間ほどの場所にあるウサミン星(築30年)に住んでおり、一人暮らし歴も結構長いので寝起きは比較的良いです。
「あれ、もう朝ですか‥‥おふぁひょうほはいます」
「はい、おはようございます」
寝惚け眼を軽く擦りながら身体を起こした菜々は、その焦点の定まりきっていない目で周囲を見回して首を傾げました。
寝起きは良くても起きてから完全覚醒するまでに時間は長く、それまでの間は設定年齢よりも幼いとても可愛らしい菜々を見ることができるのです。
着実に増加傾向にある菜々のファンからすれば血涙を流して見たいという光景かもしれませんが、これは家主の特権という事で諦めてもらいましょう。
「朝ご飯ができてますから、顔を洗ってきましょうか」
「ふぁ~い」
まだまだ寝惚けているのか時折ふらふらと左右に揺れながら洗面台へと向かっていく菜々を見送り、強敵との戦いに備えて気合を入れなおします。
「すぅ‥‥すぅ‥‥」
布団を引きはがされたというのに穏やかな寝息を立て続ける楓の寝顔は幸せそのもので、ベッドの上が散らかった状況であってもその美しさと魅力は損なわれることがないどころか、逆に際立っていますね。
流石は現役トップアイドル、自ら意図せずに片付けられないというマイナス要素ですら自身のプラスに変えてしまうとは。
世に多く存在する片付けられない女性達が知れば、嫉妬に狂う事でしょう。
「楓、起きなさい」
「あと、5分‥‥」
身体を軽く揺らして覚醒を促しますが、返ってきたのは起きる気のない寝坊助が宣う定番文句でした。
ここまでテンプレ的な反応をされるとこんな時にどういう顔をすればいいかわからなくなります。
とりあえず、笑っておきましょう。
さて、身体を揺すった程度でこの寝坊助25歳児が起きるとは思っていませんが、今日はどういった趣向で起こすことにしましょうか。
前回は擽り地獄で、前々回は耳元で延々と般若心経(サンスクリット語)を唱える等遊び心を忘れない起こし方を心掛けていますが、そろそろ本気を出さないといけないのかもしれません。
しかし、こんな寝坊助なのによくこれまで一人暮らしをやっていけたものだと感心します。
担当である武内Pに聞く限りでも遅刻をしたことは片手で足りる程度しかないそうですし、必要に駆られればできるのかもしれません。
そう考えるとこうして甘えられているのは嬉しいような、少しは人に頼るのを辞めて自立しなさいという、相反する気持ちが生まれ複雑ですね。
楓の鼻を痛みは感じはしませんが、鼻腔は完全に塞がれる絶妙な力加減でつまみます。
「‥‥」
塞いだ当初は何の変化もありませんでしたが、鼻からの酸素の供給が絶たれ次第に苦悶の表情へと歪んでいきました。
それを見て、少しだけ心が躍ってしまうのは黒歴史の封印が順調に解かれているからなのか、それとも私の元から持つ嗜好なのかはわかりません。
ただ、一般的ではない
「ぶはっ‥‥な、何!?何が起きたの!?」
「おはようございます。朝ご飯はできてますよ」
楓が覚醒したタイミングで
ばれても問題はありませんが、こういった悪戯はどこまで隠蔽できるかに挑戦するのが楽しいので最大限努力させてもらいましょう。
「‥‥七実さん」
「はい?」
「何しました?」
「寝坊助を起こしましたが、何か」
爽やかとは程遠い目覚めに楓がジト目で睨んできます。
楓のファンであればご褒美であり、魅了されて全て語ってしまうくらいの破壊力がありそうですが、私はどこ吹く風と受け流します。
普通に起こそうとしても起きない25歳児が悪いのですから。
ジト目に全く効果がないことに頬を膨らませて抗議してきますが、ここまで意識が覚醒すれば二度寝はしないでしょうから大丈夫でしょう。
思いの外時間を食ってしまったので、食べずに待っていてくれているであろう前川さんには悪いことしてしまいました。
朝食メニューの1つである雪虎竹虎も少し冷めてしまったかもしれませんので、温めなおさなければならないでしょうね。
雪虎竹虎、焼き目をつけた厚揚げに大根おろしまたは青葱を振りかけて醤油を垂らしたお酒のあてです。
厚揚げに入った焼き目の茶色が虎の模様に見え、大根おろしを雪に、青葱を竹に見立て昔の人達は粋な遊び心を持ってそう呼んだそうです。
その出汁も旨味も関係ない飾らない素材を活かした味わいは、酒のみにならずご飯のお供としても優秀であり、決してメイン格にはなれないでしょうが助演役としてはこれ以上の存在はないでしょう。
「七実さん」
「はい」
朝食を温めなおすためにキッチンの方に向かおうとしたら、楓に呼び止められました。
「おはようございます」
「はい、おはようございます」
振り返った私の目に飛び込んできたのは、先程までの不機嫌そうな様子は微塵も感じさせない眩しい笑顔でした。
同性であっても見蕩れ、認めざるを得ない楓の笑顔には嫉妬という醜い感情が入り込む余地などないでしょう。
プロデューサーとして働き出した最初にこんな笑顔を浮かべるアイドルを担当したのなら、武内Pがああも笑顔の力にこだわる理由がわかる気がします。
島村さんもそうですが、本当に笑顔1つで人の人生を大きく左右させてしまうような逸材という存在は凄いと思いますね。
「さっさと顔を洗ってこないと、先に食べ始めますからね」
「はぁ~~い」
何故小学生のように手をあげて答えるのか理由はわかりませんが、どうせ聞いたところで首を傾げられるだけなので流してしまいましょう。
さて、今日も平和な渡家朝食の献立は
ご飯、ワカメと豆腐のお味噌汁、鶏肉の塩麹焼き、雪虎竹虎、自家製漬物(きゅうり、なす)となっています。
○
朝食を終えた後、自慢のスポーツカーで法の範囲内で世界を縮めて前川さんを寮に送り、そのまま出勤しました。
私の愛車は2人乗りなので、楓と菜々には徒歩で出社してもらうことになりましたが、私の部屋から美城本社までの距離は一般人レベルで考えても苦も無く徒歩通勤が可能な距離なので大丈夫でしょう。
私が出た後で二度寝なんかしていたらその限りではありませんが。
出社した私は、他に出演するアイドルのスケジュール上今日はMV撮影がないので部下に任せて置いた仕事の進捗状況確認と新たに振り分ける仕事の選定を済ませた後、今日も今日とて武内Pへのフォローへと向かいます。
昼行燈に止められているので積極的な介入をするつもりはありませんが、あまりにもうじうじと悩み過ぎているようであれば少し喝を入れる位は許されるでしょう。
そんなことを考えながらシンデレラ・プロジェクトのプロジェクトルームを目指していると、何故か帰り支度をしてエレベーターの方へと向かう渋谷さんの姿が見えました。
怒りと絶望が入り混じった、話しかけるなと言わんばかりの負のオーラを漂わす様子は、明らかにただ事ではないことが起こったと確信させます。
また、武内Pが不器用過ぎる対応で年頃少女の地雷を思い切り踏み抜いたのでしょうね。
相手のことを慮る気持ちは無くしてはならない大切なものではありますが、それに固執し過ぎて周囲との不和を生み出すのは良いことではありません。
ちひろの方は今日1日オフをもぎ取ってきたそうなので、本田さんと少し話してくるとメールが入っていました。
島村さんは体調不良でお休みのようですから、武内Pが未だ踏み出す勇気を持てていないのならば現在の渋谷さんのフォローは私の役目でしょう。
「渋谷さん」
「‥‥何?」
元々クール気味な容貌をしていましたが、それに不機嫌さが加わると余程面の皮が厚いような人間でなければ話しかけにくい威圧感がありますね。
私が本気で発する威圧感に比べれば、子犬の威嚇程度の凄みしかありませんが一般人であれば十分に通用するレベルでしょう。
折角綺麗な顔立ちをしているのに、そんなオーラを漂わせては魅力も半減ですね。
数々のシンデレラ・プロジェクトメンバーから相談を受けてきた私の腕の見せ所でしょう。
「少し、お話しませんか?」
「‥‥別にいいけど」
てっきり最初は断られると思っていたのですが、あっさり了承されました。
言葉数は少なく容姿で誤解されそうですが、渋谷さんは意外と素直で心に色々と熱いものを持っているのかもしれません。
若干、神崎さんと同類のような言葉選びをする時がありますし。
「では、立ち話もなんですし場所を移しましょうか」
「わかった」
今回の話はあまり聞かれたくない内容ですから、人気のない場所が好ましいでしょう。
脳内でこの時間帯における美城本社内の動きから人が集まらないスポットを検索し、その結果から決めた一か所に向かう為エレベーターの上ボタンを押します。
渋谷さんがちゃんと乗ったことを確認してから扉を閉め、最上階のボタンを押して到着を待ちます。
エレベーターが上昇を続ける間、互いに口を開くことはせず沈黙が流れますが、別に気まずい感じはありません。
鈍感な私が気付いていないだけかもしれませんが、渋谷さんも武内Pに対する様々な感情でそんなことを気にする余裕もなさそうです。
屋上庭園のある最上階は雨模様の天気もあり、私の想定通り人の気配は一切ありません。
反響定位等の察知スキルで確認しても反応はないので、このフロアに私たち以外の人間はいないと考えていいでしょう。
さて、適当な場所に腰かけて相談開始と言いたい所ですが、まずは言葉滑りを良くするために飲み物を購入するのが先ですね。
「渋谷さんは、何を飲みますか?」
「‥‥ココアで」
「わかりました」
近くにあった自販機に小銭を投入しながら尋ねると、何とも可愛らしいリクエストを受けました。
そういえば、初舞台の時に好きなものを叫べばいいと言われ『チョコレート』と一番に言ったくらいですから、甘党なのかもしれませんね。
渋谷さんのココアと自分用のオレンジジュースを購入し、庭園を眺められるように配置されているベンチに腰掛けます。
「どうぞ」
「‥‥ありがと」
ココアを渡して、とりあえずオレンジジュースを飲みます。
酸味の強い果汁100%の味は、すっきりとしていて身体が目覚めるようですね。
隣に座る渋谷さんもココアをちびちびと飲んでおり、こんな状況でなければ頭でも撫でてあげたくなるくらい可愛らしい姿でした。
「さて、喉も潤ったことですし、何があったのか聞かせてもらってもいいですか?」
「うん。実は‥‥」
ゆっくりと語られた武内Pの対応の下手さは、思わず天を仰ぎたくなるレベルでした。
以前の事を鑑みれば今回の件でトラウマが触発され二の足を踏んでしまうことは理解できますが、それでも本当に的確に地雷を踏み抜いていくとは思いませんでしたよ。
これは、私が止めて話を聞かなければ本田さんに続いて渋谷さんまで辞めると言い出していたのではないでしょうか。
感情の振れ幅が特に激しい思春期少女の気持ちを完全に理解せよとは言いませんが、それでも大人であるのならいくら自身が精神的に不安定でも子供の不安を受け止めてあげなければ潰れてしまいます。
アイドルなんていう理想と現実のギャップが激しい職業では特に気をつけなければ、輝かしいステージに繋がっていると思った道が闇に閉ざされ、迷子になり不安に駆られるでしょう。
「迷った時に誰を信じたらいいかわからないなんて、嫌なんだよ‥‥」
「そうですね」
誰を信じたらいいかわからない、そこでフォロー役である私を思い浮かばないのは、他のメンバーとばかり交流していて渋谷さんや本田さんと関わる機会が少なかったという怠慢が招いた結果なのかもしれません。
きちんと話して信用してもらえるだけの関係が作れていれば、渋谷さんがこんな不安に悩まされることはなかったでしょう。
今回の件は武内Pだけの失敗ではなく、シンデレラ・プロジェクトに関わっていた大人全員の失敗なのかもしれません。
自分はちゃんとフォロー役としてするべきことをしていたと思いあがっていた自身を殴り飛ばしてやりたいですね。
「ねえ、何でアンタはあいつのことを信頼できるの?」
私達から逃げてるのに、呟くように言った渋谷さんの声は親を求める子犬のような弱々しさがありました。
「‥‥確かに武内Pは貴方達から逃げているのかもしれません」
「だったら!」
「でも、逃げ続けるだけで終わらないと信じています。何だかんだで、付き合いは長いですからね」
以前はただ去っていく少女を見送るしかできなかった武内Pですが、今回はきっと乗り越えてくれるだろうと信じています。
もし1人で立ち上がることは無理でも、誰かが傍にいれば違うかもしれません。
昼行燈もこういった事態を見越して私やちひろをフォロー役につけたのでしょうね。1つの目的を達成する為に100もしくはそれ以上の策を用意する人間ですから。
「まあ、渋谷さんにそれを理解しろとは言いませんよ」
私が信頼しているから、付き合いの短い渋谷さんにそれを強要するのは間違っているでしょう。
人間関係というものは時間をかけてゆっくりと形成していくものであり、第三者が口を挟んだところで好転することはなかなかありません。
「ですが、完全に見限るのは少し待ってくれませんか。きっと、武内Pは貴女の前に本田さんを連れて現れるでしょうから」
ちひろも動いていますし、後は武内Pが勇気を持って一歩踏み出して本田さんと直接話し合う機会さえ用意できれば解決するはずなのです。
問題はその勇気をどうやって出させるかですが、何とかしてみます。
私はシンデレラ・プロジェクトの全員にトップアイドルになってもらうと決めているのですから、こんなことで失うわけにはいきません。
「今日は心の整理がつかないでしょうから、ゆっくり休んでいてください。スケジュール調整は私の方でやっておきますから」
「‥‥わかった。私も、もう少しだけ待ってみる」
「ありがとうございます」
完全に信頼しているわけではないようですが、何とか猶予を引き出すことには成功したようですね。
数日もない短い猶予でしょうが、それでも全くないよりは遥かにましであり、上手く事が進めば今日中に解決できそうなので十分でしょう。
「こっちもありがと‥‥話を聞いてくれて」
「お礼を言われる程の事ではありませんよ」
元々は私がフォローを後回しにしていたことが招いたようなものですから。
そんなマッチポンプ的なことでお礼を言われてしまったら、罰が悪くて居た堪れなくなります。
「今回の件が片付いたら、また妖精社に行きましょう」
「うん、楽しみにしている」
先程まで纏っていた負のオーラが和らぎ、表情も少し穏やかになったことに安堵します。
妖精社に連れていった際には、食べるまでには勇気がいりますが意外に美味しいチョコレートを使った料理を教えてあげましょう。
その料理を前にして、渋谷さんがどんな表情をするかが楽しみですね。
暗雲低迷、自業自悔、一肌脱ぐ
シンデレラ・プロジェクトの平和の為に、ひと頑張りしましょうか。
○
渋谷さんと別れた後、私は早速武内Pの元へと向かいました。
まだうじうじと悩んでいるようであれば、そのお尻を蹴飛ばすくらいの事をして行動に移させるつもりです。
本田さんの離脱後新規ユニット案を提示して切り捨てるようなことを言えば、アイドルを大切に思う武内Pはきっと反論してやる気を出すでしょう。
それは私に対する信頼感を生贄に捧げる必要がありますが、その程度でシンデレラ・プロジェクトに平穏が訪れるのなら安過ぎる出費です。
覚悟を決めて扉を開けます。
「おや、渡君。どうしたんだい?」
てっきり渋谷さんの連撃によって落ち込んでいる武内Pが居ると思ったのですが、部屋にいたのは昼行燈でした。
ソファに腰掛け、暢気にお茶を啜っているおり自身の仕事はどうしたのかと尋ねたくなりますが、きっと誰かに投げたのでしょうね。
潰れるような量は投げたりしないでしょうが、哀れな犠牲となった人に心の中で黙祷をささげます。
「それはこっちの台詞ですが‥‥武内Pは何処に?」
「ああ、彼なら島村君の所にお見舞いに行ったよ」
「そうですか」
そういえば、渋谷さんがそんなこと言っていましたね。
最近は日中の寒暖差も激しいですし、今日みたいに雨が降って1日で最高気温もがらりと変わりますから体調を崩しやすい時期ではあります。
身体が資本なアイドルにとっては体調管理も大切な仕事なのですが、きっと今回の件で精神的な影響も関係あるでしょうから崩してしまったものは仕方ありません。
しかし、渋谷さんとの件があったばかりの武内Pに島村さんのお見舞いに行くということまで頭が回るはずがないので昼行燈の入れ知恵でしょうね。
「なら、今西部長は何故主不在の部屋でお茶を?」
飄々として何を企んでいるかわからない昼行燈ですが、無駄に見えてそれらが全て布石だったりするので、こうしてこの部屋でお茶を飲んでいるのにも意味があるはずです。
「そろそろ、痺れを切らせる頃合いだと思ってね」
「‥‥」
積極介入ではありませんが、実際に武内Pに勇気を出させる為に色々としようとしていたので痺れを切らせたと言われればその通りになってしまいます。
本当に嫌になるくらい私の事を熟知していますね。NTとかのように未来予知に近い特殊感覚でも備わっているのでしょうか。
悪戯が成功した子供のようなどや顔が鬱陶しいので、またデコピンで黙らせてやろうかと思いましたが、手を出してしまえば負けを認めてしまうのと同意義なので堪えます。
せめて、輿水ちゃんのようにうざかわいいどや顔ならましなのですが、うざかわいいどや顔をする中年男性というのはかなり気持ち悪いので今のままの方がいいかもしれません。
「沈黙は肯定と受け取るよ」
「別に積極的な介入をするつもりはありませんでしたよ」
どんな言い訳を並べても昼行燈は誤魔化されないでしょうから、両手を挙げて降参の意志を示し対面のソファに腰掛けます。
テーブルの上には昼行燈の湯呑以外何もないので、これではやけ食いもやけ飲みもできません。
孫悟空が色々と威張っていたことが全てお釈迦様の掌の上だったと気が付いた時は、きっと今の私のような気持ちを抱いていたのでしょうね。
「渡君は過保護だよ。もっと彼を信頼してあげてもいいじゃないかね?」
「信頼はしていますよ」
信頼はしていますが、私は我慢弱いので待てないだけです。
昨日の内に武内Pが本田さんとしっかりと話し合って、見解の相違による勘違いをきちんと解いていれば渋谷さんが困惑することもなかったでしょう。
最終的にそれら全てが解決され、このぶつかり合いも今後のプロジェクト進行において無駄にはならないと分かっていても、それでも傷つく人が少なくあってほしいと思うのです。
自身のエゴや偽善を押し付ける行為であると自覚はしています。でも、私は誰かが傷ついている姿を見て平静でいられません。
私自身が傷つくのは構いません。苦痛も悲しみも私が犠牲になることで他の人々が救われるのなら、喜んでこの身を捧げましょう。
だからといって、自分が傷つくことが好きなドMという訳ではありません。
私だって痛いのは嫌いですから、そうすることなく簡単に解決できるやり方があるのならそちらの方を選択します。
「でも、不安そうな他の子を見て黙っておくことなんてできません」
「だろうね。君は本当に優し過ぎる‥‥そして、解決策が自己犠牲のきらいがある」
「否定はしません」
きっと昼行燈は私がどうやって武内Pに行動に移させようとしていたか、だいたいの見当はついているのでしょう。
だからこそ、私より先んじて武内Pと接触して島村さんのお見舞いに行かせて、この部屋で私を待ち受けていたのでしょうね。
どれだけ私の行動が読まれていたのかを理解する度に、本当に嫌になります。
「まったく、君はいつも自分への被害を勘定に入れないね」
「その方が解決が早いので」
兵法は神速を尊ぶというくらいですから、物事の解決もそれと同じように素早く対応することで被害を最小限に抑え確定させる必要があります。
特に人の上に立つものとしては、そういった損切りできる判断力は大切でしょう。
その損失や被害を下の者に押し付けるならまだしも、私自身が引き受けているのですから文句を言われる道理はありません。
確固たる意志を示すようにしっかりと目を見ながらそう言うと、昼行燈は呆れたように大きな溜息をつきました。
「確かに、被害を無視するのなら取れる選択肢は多くなる‥‥けど、誰かを犠牲にして救われた者達は本当に喜べると思うかい?」
「‥‥」
「君の過保護さで救われている部分もあるから、それを否定はしないよ。
だけどね、自分を蔑ろにし過ぎることだけはもう一度よく考え直した方が良い。これは人生の先輩からのアドバイスだよ」
それだけ言うと、残っていたお茶を飲み乾して昼行燈は湯呑を持って去っていきました。
人生の先輩と言っていましたが、一応精神年齢は同世代くらいになるはずなのです。なのに、ここまで精神的な落ち着きに差があるのは何故でしょう。
精神は肉体に引きずられるということなのか、またはチートによってイージーモードな人生で経験が足りていない所為なのかはわかりませんが、勝てないと思ってしまいます。
昼行燈がプロジェクトルームから完全に出ていったことをスキルを使って確認し、大きな溜息をついてソファにもたれかかって天井を眺めました。
「‥‥考え直した方が良い、ね」
言いたいことはわかるのですが、人間一定数の年齢に達するとなかなか性格の矯正ができないものです。
だからこそ、昼行燈も矯正するような言い方ではなく考え直した方が良いというアドバイス的な形で言ったのでしょうね。
まったくチートを持っているのに人生儘ならないものです。
そんな人生の難しさについて悩んでいると、文学雑誌白樺を創刊したとある小説家の言葉が浮かびました。
『人生はむつかしく解釈するから分からなくなる』
武内Pは島村さんのお見舞いに行ったそうですが、彼女の笑顔の魔法で守りたかったものを思い出して、魔法使いとしてのかつての姿を思い出してくれれば良いのですが。