チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~   作:被る幸

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今回でMV製作編は一応終了となります。
なので、次話はCD発売編か番外編に移る予定です。


人生は、出会いで決まる

どうも、私を見ているであろう皆様。

何も考えていないであろう弟によって知らぬ間に水面下で進められていた恐るべき計画を阻止し、恋愛法廷への出頭を免れました。

昼行燈とは違う意味で七花の行動は予測しにくいので、今後も注意が必要ですね。

対策として義妹候補ちゃんを買収しておきましたから、また何かしらの計画を練り始めた時には情報が流れてくることになっています。

情報というものは現代社会においては使い方さえ間違えなければ驚異的な力を発揮しますので、スパイという存在を確保できたのは大きな収穫でしょう。

まあ、念の為に武内Pに確認してみた所、現在はシンデレラ・プロジェクトや私達といった担当アイドルの調整等で忙しいので元々断るつもりだったと聞き安堵しました。

そのような大人の事情があるのなら両親、特に武内Pを連れてくるようにと煩く要請していた母親も黙らせることができるでしょう。

そう、私達成人した大人は、その姿を見ている子供たちの模範となれるようにと日本国民の義務である勤労を疎かにする訳にはいかないのです。

別に父親から知らされた母親が○クシィ等のブライダル雑誌を買い漁ったり、貯金額を確認して神前式を行える且つパワースポットとなる場所にいつ頃まで予約が埋まっているかを確認したりしていたという情報に恐怖を覚えたわけではありません。

今世では今現在に至るまでそういった浮ついた話がなかったので、生涯独身になってしまわないように心配してくれるのは嬉しいです。

ですが、ここまでやり過ぎると正直ひきますね。

父親は私を担当しているプロデューサーの人となりが純粋に気になるようですが、ある程度母親が落ち着くまで顔合わせの機会をセッティングするのは難しいでしょう。

いや、寧ろ早めにセッティングしてしまって武内Pの口からそのようなことは一切ないと断言してもらった方がいいかもしれません。

武内Pに関係の深い特定の異性が居れば私がこんな気苦労をする必要はないのですが、不器用過ぎるから無理でしょうね。

フラグが4つも立っているのだからどれでも好きなものを回収しろと言われても『皆さんはアイドルです。プロデューサーである自分が、そのような関係になることはありません』ときっちり線引きしてきそうです。

 

 

「冒頭シーンの編集が終わりましたので送ります。修正点があれば教えてください」

 

 

MVというものは撮ったら終わりではありません。

撮影された膨大な映像を上手く編集し、ストーリー性や歌詞とのマッチングを考えながら適宜効果等を加えていく必要があるのです。

どれだけ最高の映像という素材が集められても、編集という調理が三流以下のものであれば、そのMVの出来はお察しの通りにしかならないでしょう。

勿論、数々の名作達を手掛ける伝統ある美城編集部の腕を軽んじている訳ではありません。

ですが、映画部門の新作やドラマの編集とアイドル以外の仕事もあり、多忙極まる編集部が私のMV編集に割ける人員は少ないでしょう。

地道ですが順調に成長を続けているとはいえアイドル部門は美城内では新参なのですから、無理は言えません。

というわけで、そういったスキルも見稽古済みである私が編集に加わることで納期を大幅に短縮することが見込めます。

先にMV撮影が終了していたちひろの花暦は、最終調整に入っていますから遅れるわけにはいきません。

 

 

「あっ、はい、確認しておきます」

 

 

編集室のパソコンを借りている為、愛機達を使うよりも若干作業効率が落ちてしまっていますが、それでも他の一般社員に劣るつもりはありません。

さて、冒頭部分の編集という私に振り分けられた午前分と思われる仕事は終わりましたが、確認を待つ間にどうしましょうか。

この調子であれば今週中にも最終確認ができて、設定変更によって延期されてしまった発売予定日をちひろと同じ日に戻すことも可能ですね。

後で昼行燈にその旨を伝えておきましょう。

 

 

「渡さん、冒頭部の確認終わりました。特に問題ありません」

 

「そうですか、では次は何をしましょうか」

 

 

お昼までには時間があるので、午後分の仕事があるのなら先に済ませてしまった方が時間の浪費も少なく済みます。

時は金なりという諺がありますが、時間という概念はお金のように貯蓄したり、融資したりすることができませんから無駄にできません。

なのですが、私がそう尋ねると編集班のチーフは喉に何か引っかかったような微妙な表情を浮かべます。

 

 

「いえ、大変申し訳ないのですが‥‥助っ人に来たアイドルの方に任せ過ぎてしまうと‥‥我々も立場がなくなってしまいますので」

 

「あっ、はい」

 

 

そうですよね。

本職の人達が、そこそこ有能だとは知られていても違う部署の人間から自らの職域を犯されたら面白くありませんよね。

部下達と同じように対応してしまった、自分の迂闊さを責めたくなります。

有能さは現代社会を生き抜く上では圧倒的な武器になりますが、それは時に不要な反感や妬み、嫉みを生み出して自身に不利益となって返ってくるのです。

そんなことは事務員時代で嫌というほどわかっていたはずなのに、このチート過ぎる私を排除しようとせず受け入れてくれる人が増えたからと忘却の彼方に追いやっていたとは愚かにも程があるでしょう。

 

 

「では、私は戻りますので、後はお願いいたします」

 

 

編集室に気まずい空気が流れ始めたので、これ以上印象を悪くしてしまう前に頭を下げて部屋を後にします。

表情は極めて平静を保ち、扉を閉めたと同時にステルスを最大稼働させて人気のない場所へと音を殺しながら向かいました。

行き交う社員達にぶつかったり、通り過ぎる時の風圧で影響を出したりしないように速度に緩急をつけながら、この時間なら誰もいないであろう屋上庭園を目指します。

エレベーターでは他の社員達と鉢合わせしてしまうので、あまり使用する人間のいない階段で一気に登りましょう。

常人であれば階段で何十階も階層を移動するのはかなりの重労働に入るでしょうが、私のチートボディを以ってすれば軽い運動にしかなりません。

いつもの半分程度の時間で屋上庭園のある階層まで辿り着いた私は、とりあえず頭を冷やす為に自販機で飲み物を買って飲み乾します。

スカッと爽やかなオレンジの風味と炭酸の組み合わせも今の心境を晴らしてくれるには至りません。

太陽の光を浴びれば少しは気分が変わるかもしれないと思い、ペットボトルを振り返りもせずゴミ箱に投げ入れて外に出てみましたが、私が出た途端に陰ってしまいました。

そうですか、全てを遍く照らしてくださるお天道様でも今の私を相手にするのは嫌ですか。

実際はただの偶然なのでしょうが、こうもタイミングが良すぎるとそんな邪推の1つでもしたくなります。

噴水の淵に腰掛け、頭を抱えて大きな溜息をつきました。

 

 

「‥‥ああ、やらかしてしまいました」

 

 

この一件で編集班のアイドル部門に対する心情が少しマイナスされてしまったでしょう。

人間の心情というものは不条理であり、こういった失敗をやらかすと本人ではなく所属する部署全体の印象がマイナスされてしまうのです。

矛先が私個人に向いてくれるのなら気が楽なのですが、それが他のアイドル達に向く可能性があるというのは今世において失敗耐性が極端に落ちている私にとって効果は抜群ですね。

前世においても一般人より少し打たれ弱いレベルと高くなかったのですから、元々効果は高かったですけど。

私以外に誰もいない屋上庭園に風がそよぎ、花壇を彩る季節に応じて咲き誇る様々な花々が優しく揺れます。

何とも儚くも純で健気な姿は、荒みかけていた私の心を少しだけ癒してくれました。

頭を抱えていた手を下ろし、空を見上げます。

太陽は未だ雲に隠され陰っていますが、それでもなおその暖かな光を大地に伝えようと輝きを損なわず、そこに在り続けます。

気配察知スキルに反応があり、屋上庭園に誰かが来たことを教えてくれますが、ここは社員の共有スペースなので気にせず空を眺め続けました。

 

 

「あら、七実。こんなところで何してるよのよ、サボり?」

 

 

現実逃避をするように空を眺め続けていた視線を落とすと、瑞樹が呆れ顔で溜息をついていました。

本気で言っていないというのは解っていますが、落ち込み気味である今の私のメンタルではそれに対してリアクションをとる余裕はありません。

まあ、普段からリアクション芸のような反応はしたことありませんけど。

いついかなる時でも視聴者が求める最高のリアクションで返し続けるアイドルなんて、輿水ちゃんくらいしかいないでしょう。

 

 

「おはようございます、瑞樹。ちょっと空を眺めたくなっただけで、仕事を終わらせてしまって手持ち無沙汰なことをサボりというのならそうですよ」

 

「はい、おはよう。相変わらずの人外、作業速度ね」

 

「人外とは失敬な、私は人の軛から逸脱していませんよ。ただ、限りなく人類の限界点に近いだけです」

 

 

そう口では言っていますが、未だに見稽古の基準が曖昧ですが再現可能と判断されればアニメ等の2次元世界であっても習得してしまいますから、もしかしたら気付かない内に逸脱しているかもしれません。

ですが、それがスキルとして今世を生きるにあたり役立つのなら些末な問題ですね。

そんな考え方をしているから今回のように失敗してしまうのではないかと思わなくもありませんが、この年齢になると性格改変は容易ではありません。

 

 

「限界点まで極めているって断言できるのが、七実らしいわね」

 

「事実ですから」

 

 

隣に腰を下ろした瑞樹は、私と同じように空を眺め出します。

 

 

「曇ってるわね」

 

「それもまた良いものですよ。ところで、瑞樹はどうしてここに‥‥そして、そこの花壇の裏から私を覗いている方はそれに関係がありますか?」

 

 

瑞樹と一緒にやってきた人間が隠れている花壇の方に振り向きながらそう尋ねます。

精一杯身を低くして私の背後にある花壇の裏に潜んでいましたが、そんなお粗末なスニーキングスキルで私を欺こうなど1転生早いですね。

私に気が付かれず行動したいのなら、天国の外側(アウターヘブン)を作り上げた伝説の傭兵や00セクションに所属する7番の人くらいの能力で臨んでください。

瑞樹も私の意識がそちらに向かわないようにさり気無く誘導していましたが、それくらいでは効果はありません。

悪戯が失敗したのが面白くないのか、瑞樹は子供のように頬を膨らませてむくれていました。

 

 

「ああもうっ、つまらないわね‥‥夏樹ちゃん、出ていいわよ」

 

「あいよ」

 

 

瑞樹に呼ばれて出てきたのは特徴的な髪形がトレードマークの木村 夏樹さんでした。

にわかな李衣菜とは違い美城を代表する正統派ロックアイドルである彼女が、いったい私に何の用があるのでしょうか。

 

 

「以前、アンタの音を聞いたんだ。その時は奏者が誰かわからなかった‥‥でも、ギターに込められた熱いハートはアタシの胸をがっちり掴んで離さなかった。

っと、何だかくどい言い方になったけど、アタシが言いたいのはただ1つ‥‥セッションしようぜ!

アンタの音を全身で感じたくて、うずうずしてるんだ!」

 

 

何というか、10も年下の女の子に言って良い言葉ではないでしょうが、随分と男らしい誘い文句ですね。

どうやら先日李衣菜に披露した様々なギタリスト達の技術を集約した演奏が、木村さんのロッカー魂に火をつけてしまったようで、これはもう梃子でも動かないでしょう。

より良い音を求めて気高く貪欲になる姿勢は好感が持てます。

年齢を重ねるとリスク対策をしたり、安全策ばかりを選んだりと消極的になりがちなので、若さに身を任せ失敗を一切恐れない姿は心の奥をざわつかせてくれますね。

丁度、暇していて気分転換をしたかったところですから、久しぶりに誰かと熱くてご機嫌なセッションをしてみるのもいいかもしれません。

 

 

「構いませんよ」

 

「その言葉が聞きたかった!

なら、善は急げだ!箱はもう押さえてあるんだ!」

 

 

もう我慢できないのか、木村さんはここまで案内した瑞樹の事など既に見えなくなっているようで、私の手を引いてきます。

そんな私の様子を見た瑞樹は、随分と楽しそうな表情を浮かべてゆっくり自分のペースで付いて来ていました。

この様子からしてセッションを見学する気満々なようですが、仕事の方は大丈夫でしょうか。

今日は新しい化粧品のCM起用についての打ち合わせが入っていたはずです。

プロ意識の高い瑞樹ならばそれをすっぽかしてしまうことはないでしょうが、時間が近づいたら一応声掛けしておきましょう。

 

 

「わかりましたから、引っ張らないでください。」

 

 

とりあえず今は、木村さんとのセッションを素晴らしいものに仕上げることに注力しましょうか。

さて、平和をぶち壊すような最高のパーティの開演です。派手にいきますよ。

 

 

 

 

 

 

見稽古(チート)でできる、ロッカーの喜ばせ方。

 

①まず、相手の演奏能力を見稽古します。

②次に、その演奏技術の傾向から大本となった奏者を検索します。

③後は、大本の奏者の演奏技能を使って相手の望む音を奏でてあげると、ロッカーはとてもご機嫌になります。

 

ね、簡単でしょう。

木村さんが押さえた美城内の比較的小さなスタジオで、私達は魂の赴くままに音で自身を表現していました。

こうしてセッションを始めてから既に2時間は経過しているのですが、自分が最も欲しいと感じている音を与え続けられて最高にハイになっている木村さんは止まるどころか、1分、1秒ごとにギターを掻き鳴らす勢いをあげています。

2時間も休憩なしでギターを全力演奏し続けるのはいくらライブ馴れしている身であってもきついと思うのですが、肉体に掛かる疲労感を演奏したい精神力が凌駕しているのかもしれません。

熱い感情の籠った流し目で次はこうしたいんだと伝えてきますので、リクエストにお答えして演奏スタイルに調整を入れます。

 

 

「いいね!いいね!わかってる!!こうなったら、行き付ける果てまで行こうぜっ!!」

 

I'm absolutely crazy about it(楽しすぎて狂っちまいそうだ)!!」

 

 

限界点になんて見向きもせずに、ただひたすらに駆け抜けようとする若い熱に影響されたのか、私の口もいつも以上に軽くなっている気がしますね。

きっと木村さんは途中で降りることなど我慢ならないタイプでしょう。

刹那主義とはまた違うでしょうが、ダイヤモンドのような輝きを放つ一瞬を味わう為ならば何を賭けて、犠牲にしても後悔しないに違いありません。

人間としては正しいとは言い難い生き方ではありますが、短命な人間が多いロッカーとしては間違ってはいないでしょう。

瑞樹も打ち合わせに行ってしまったので、今このスタジオにいるのは私達だけ。

観客もおらず、ただ奏者だけがいるこの狭いスタジオは、何事にも縛られず、ただ気の赴くままに好きなように音を奏で自身を表現し続ける私達だけの世界です。

このセッションの果てに私達は何を見るのでしょうか。わからない、誰にもわからないからこそ見てみたい。

だから、もっとです。もっと、もっと

 

 

「もっと輝けえぇぇぇッ!!」

 

「ああ、行こうぜ!輝きの向こう側へ!!」

 

「はい、ストォ~~ップ!!ウサミンストォ~~ップ!!」

 

 

世界の盛り上がりが最高潮に達しようとした瞬間、そこに冷や水を浴びせるような第三者の介入がありアンプのコンセントが抜かれました。

電力という力の源を絶たれたアンプは、先程まで私達の魂の響きを雄弁に語っていた口を閉ざし、黙り込んでします。

不完全燃焼という言葉がぴたりと当て嵌まる、何とも言えないもどかしさを感じますが、止められてしまったものは仕方ありません。

少し見えかけていた輝きの向こう側を確かめに行くのは、また今度の機会にしましょう。

何、人生は長いのですからチャンスはいくらでもあります。

演奏が止まったことで張り詰めていた緊張の糸が切れた木村さんは、一切言葉を発することなくその場に崩れ落ちます。

精神力で抑え込んでいた疲労の揺り戻しが一気に来たのでしょうが、未だ先程の余韻に浸っているのかその表情はとても満足気でした。

 

 

「菜々、無粋ですよ」

 

 

止められたことについて恨んでいるわけではありませんが、これくらいは言わせてもらっても罰は当たらないしょう。

アンプのコードを握ったまま仁王立ちしている菜々は、何やらご立腹のようでした。

私達は楽しすぎて狂ってしまいそうなくらいの最高にご機嫌なセッションをしていただけなのですが、それのどこがいけなかったというのでしょうか。

 

 

「七実さん‥‥今何時ですか?」

 

「何時って、セッションを始めて2時間経過していますから、もうすぐ13時‥‥あっ」

 

 

そういえば、今日は菜々とお昼を食べる約束していたのでした。

すっかりとこのご機嫌なセッションに夢中になってすっかり忘れていました。これは、ご立腹も当然でしょう。

気まずさから目を逸らすと菜々はゆっくりと私に近づいて来て、無抵抗な私の腹部にその小さな拳を叩き付けました。

ぽふっという擬音が似合いそうな痛みなど皆無である衝撃に、いったいどういった反応をすればいいのか困ります。

 

 

「‥‥ごめんなさい。今晩、好きなものを頼んでいいですから」

 

「そういえば、妖精社にリンゴ入りのクール・ド・リヨンが入荷したみたいですよ」

 

「奢らせていただきます」

 

 

約束を破ってしまったのは私である以上、そのお願いに否を唱えることはできませんでした。

クール・ド・リヨンというカルヴァドスの中でもお高い方であるポム・プリゾニエールを要求してくるなんて、菜々もちゃっかりしていますね。

いつものメンバーの中で私という笊も枠も通り越した何かである私を除くと一番お酒に強い菜々は、日本酒から洋酒何でもござれの酒豪です。

悪酔いすることはないでしょうが、同じお酒に目をつけていたであろう楓に絡まれて今夜も騒がしくなること間違いなしでしょう。

まあ、私も気になっていましたし、お金を出すのですから一杯飲ませてもらいましょうか。

 

 

「うむ、良きに計らえ‥‥なんちゃって」

 

「仰せのままに」

 

 

菜々のご機嫌を取りに成功した私は、未だに反応がない木村さんに用意しておいたスポーツ飲料とタオルを渡します。

狭いスタジオで冷房もいれずに全力演奏をしていましたから、かなり汗をかいて体内中の電解質や水分がかなり失われているでしょう。

ちゃんと補給しておかなければ、脱水症状で倒れかねません。

脱水症状は甘く見ていると、本当に死に至るのでこうした激しいセッションの後などにはきちんとした補給が重要となります。

 

 

「どうぞ、木村さん」

 

「あっ‥‥ああ、ありがと。後、アタシのことは夏樹って呼んでくれ。

あんなに激しく楽しみ合ったアンタに、そんな他人行儀で呼ばれたくない」

 

 

どうやら先程のセッションで木村さんの私に対する好感度は天元突破しそうな勢いで上昇したようで、何年も共に歩んだ親友のような気安さすら感じられます。

音楽や歌は言葉が発生する以前から存在していた原初のコミュニケーションであるという説もあるようですし、共通の目的に一緒に取り組むと距離感がぐんと近づくというのも聞いたことがありますから、今回もそうなのでしょう。

本人からの許可も出ているので、これからは木村さんではなく夏樹と呼ばせてもらいましょう。

 

 

「そうですか、では遠慮なく。夏樹、立てますか?」

 

「おう‥‥って答えたいとこだけど、流石に今回はアタシも疲れて立てそうにないな」

 

「まあ、体力お化けの七実さんのペースに付き合ったらそうなりますよね」

 

 

座り込んだままスポーツ飲料を呷る夏樹に、菜々がよくわかると頷いていました。

確かに人類の到達点であるチートボディは今回のセッションを1日続けても倒れないでしょうが、だからといってお化け扱いは心外です。

 

 

「そういえば、なんで家政婦さんがここに?」

 

「なぁっ!?ち、違います!菜々は家政婦さんじゃなくて、メイドさんです!

『あら、やだぁ』とか『承知しました』とか言ったりしませんからね!!」

 

 

その台詞は色々と自爆していますから、実年齢がばれますよ永遠の17歳(飲酒しても無罪)。

夏樹も夏樹でメイド服を見て家政婦さんという単語が出てくるあたり、少し天然な所があるのでしょうか。

 

 

「冗談、冗談♪知ってるよ、ウサミンだろ?しかし、市原○子なんて随分古いこと知ってんな」

 

「さ、再放送!再放送で見たんですよ!菜々は現役JKですし!!」

 

「はいはい、そういう事にしとくよ」

 

「そういう事じゃなくて、そうなんです!」

 

 

この2人、初対面なのに結構いい感じではありませんか。

菜々のウサミンのキュート路線+自爆芸によるコメディ路線と夏樹のロッカー一本のクールなアーティスト路線、一見交わることない要素が交差することで、予想を超えた楽しい化学反応が見られるかもしれません。

それに菜々も実は学生時代にバンドに憧れていたそうで、多少錆びついてはいますがそこそこのドラムの腕は持っていますから、ベースとボード要員を確保すればバンド系ユニットも構成可能です。

これは各プロデューサー達に一度話を持ち掛けてみるのも検討してみましょう。

 

 

「もうっ!七実さんも何か言ってくださいよ!」

 

「いや、実年齢を知っている私からは何も言えませんよ」

 

「フレンドリーファイア!?」

 

 

私に何を期待していたのかはわかりませんが、実年齢を知っている相手に助けを求めるのは悪手以外の何物でもないでしょう。

そんなやり取りを見ていた夏樹は、ついに耐えられなくなったのかお腹を抱えて笑い出しました。

 

 

「いやいや、ラジオで聞いたりした時から面白い人だなぁとは思ってたけど、やっぱり間近で見ると凄いわ」

 

「何ですか、人を面白キャラみたいに!」

 

 

夏樹の素直な感想に対して菜々は納得がいかないようですが、ウサミン星人は世間一般からそう思われているはずですよ。

勿論、それだけという訳でもありませんが。

こうやって菜々を弄りながら楽しく過ごすのもいいのですが、午後からは係長業務やシンデレラ・プロジェクトの方に顔を覗かせるつもりでしたから、そろそろ移動しなければお昼を食べる時間も無くなってしまいそうです。

 

 

「さて、お喋りを楽しむのもいいですが、そろそろお昼を食べに行きましょうか」

 

「そうでした!もうっ、七実さんの所為ですっかり忘れてましたよ!」

 

「アタシも流石にお腹ペコペコだ。一緒に行ってもいいかい?」

 

 

夏樹の予想外の質問に私と菜々はお互いの顔を見合わせました。

ここまでの流れで一緒に食べないという選択肢はありませんし、疲れて動けないなら抱えるかお姫様抱っこしてでも連れていきますよ。

 

 

「ええ、勿論です」

 

「菜々も賛成です。というか、それ以外の選択肢は認めません。

夏樹ちゃんとはまだまだ議論しなければならないといけなさそうなので」

 

「あいよ。お手柔らかに頼むよ、菜々さん」

 

「もうっ、さんは余計です!せめて、ちゃんでお願いします!」

 

 

恍然自失、疲労困憊、腹が減っては戦はできぬ

菜々と夏樹の戦いに平和が訪れるのは、もう少し先になりそうです。

 

 

 

 

 

 

「「「「「乾杯!」」」」」

 

 

私達はクール・ド・リヨンの注がれたクリスタルグラスを軽く打ち合わせます。

口に含んだ瞬間に感じられるカルヴァドス特有のブーケとりんごの香りが見事に調和しているのは、りんごを丸ごと1個瓶の中に入れて熟成させたからでしょう。

獅子の心という名前に違わぬ力強さにりんごの甘くやわらかな風味が溶け込んでいますが、キックも十分でカルヴァドスを飲みなれていなくても十分に美味しく感じます。

それに合わせるのはカルヴァドスの生まれ故郷であるノルマンディー料理でしょう。

野菜や海の幸をシードルで煮てから生クリームを加えて作られるソース・ノルマンド、それを丸々1匹の鱒にかけてオーブン焼きにした料理は、同じ故郷を持つクール・ド・リヨンと合わない訳がありません。

 

 

「幸せです。こんなおいしいお酒が飲めて、ましてや奢りだなんて」

 

「わかるわ。しかし、このボトルもかわいいわね。

どうやって、リンゴを中に入れたのかしら?」

 

「りんごが小さなうちから先にボトルの中に入れ、そこから成長させるそうですよ」

 

 

明らかに注ぎ口より大きなリンゴが入っているクール・ド・リヨンの不思議な構造に対する瑞樹の疑問に答えます。

しかし、この作り方を思い付いた人は面白い発想をしていますね。

りんごを丸ごと1個入れて熟成しているからこそのお酒全体の一体感、遊び心溢れる試みは私を始めとしたお酒好きの女性の心を掴みます。

飲み終えたら中のリンゴが腐ってしまわないようにして、部屋に飾ればお洒落なインテリアになってくれるでしょう。

 

 

「流石、何でも知ってるナナミペディアね」

 

「何でもではありません。知ってることだけです」

 

 

美味しいお酒が飲みたいので、暇な時に色々と調べていますから。

中には貴重で手に入りにくいお酒もありますが、ものによってはかなり値が張りますけど妖精社に頼めば常連サービスとして大抵のお酒はお取り寄せしてくれるのです。

隠れた名店と呼ばれているとはいえ、大通りから外れた場所にひっそりと営業するこの店にいったいどんな伝手があるのでしょうか。

気になる所ではありますが、無暗に詮索してはいけないと私の第六感が囁いているのでやめておきましょう。

 

 

「この鱒のオーブン焼き美味しい‥‥これはお酒が()()()()進みますね」

 

「もう、楓さんはすぐ駄洒落にはしるんですから」

 

 

この鱒のオーブン焼きが美味しいのは認めますが、隙あらば駄洒落に持っていくスタイルは楓らしいですね。

ちひろも別にそれを嫌っているわけではなく、仕方ないなあという見守る母親みたいな視線です。

私も楓に遅れてはならぬと、鱒のオーブン焼きに手を付けます。

ムール貝やエシャロットを軽く炒めてからシードルで煮こみ、最後に生クリームを加えて作られた特製ソース・ノルマンドの濃厚な味わいに、ふっくらと淡白な鱒の身が良く絡んでいて絶品ですね。

一緒にオーブンで焼かれた野菜やキノコの香りも良く、ソースと絡めることで鱒の身とはまた違った味わいがあり止まらなくなりそうです。

 

 

「お酒と駄洒落を取ったら、私に何が残るでしょうか?」

 

「25歳児」

 

「温泉好きね」

 

「自堕落じゃないですか?」

 

「3人共酷いですよ!楓さんからお酒と駄洒落をとっても、もっと良い所が‥‥良い所が‥‥ほら、ミステリアスで歌が上手だとか!」

 

 

私達の容赦ない言葉にちひろが反論しましたが、少し言いよどんだ時点で止めを刺しているようなものです。

 

 

「いいも~~ん、私1人でこのカルヴァドスを飲んじゃうも~~ん」

 

「あっ、それ菜々のクール・ド・リヨンですからね!」

 

 

不貞腐れた楓がクール・ド・リヨンのボトルを抱きしめて丸くなってしまい、奪われた菜々が取り戻そうとキャットファイトを繰り広げます。

再び出入り禁止になったら困るので、あまり激しくなるようであれば鎮圧しましょう。

収まるまでクール・ド・リヨンは飲めなさそうなので別のものを頼みましょうか。

今日の肴はノルマンディー料理なので、カルヴァドスはクール・ド・リヨンがありますし、ここはシードルが適役ですね。

ということで、ヴァル・ド・ランス クリュ・ブルトンを頼みました。

このシードルはその年に取れたものだけを使う伝統製法を守り、また40種以上のりんごがブレンドして作られる銘酒です。

加糖や濃縮還元を行わない天然果汁のみを使用したその味わいは、りんご本来の爽やかさと甘さを活かしたフレッシュですっきりとしています。

40度もあるクール・ド・リヨンとは対照的に度数は2%とかなり低くく、お酒慣れしていない人や弱い人でも飲みやすいでしょう。

まあ、だからといってがばがばと飲めば意味がありませんが。

グラスに残っているクール・ド・リヨンをちびちびと味わいながら、ゆっくり鱒のオーブン焼きを楽しみましょう。

 

 

「そういえば、七実。菜々ちゃんから聞いたけど、また女の子を誑し込んだんですって」

 

「何ですか、その人聞きの悪い言い方は」

 

 

本当の所は解っている癖に揶揄ってくる瑞樹に軽くチョップします。

またとか付けられると、まるで私がしょっちゅう女の子を誑し込んでいる危ない趣味を持つ人間みたいに聞こえるではないですか。

疑われる度に何度でも訂正しますが、私はそんなアブノーマルな性癖を持ち合わせてはいません。

ごく一般的な女性のように、恋愛感情を抱くのは異性である男性ですし、そこまで強い方ではありませんが結婚願望だってあります。

別に絶対したいという訳ではありませんが、それでも家庭を持って仁奈ちゃんや年少組のような娘と過ごせたら幸せなのだろうなと思いますね。

 

 

「痛いじゃない。もう、乱暴なんだから」

 

「なら、言い方には気を付けましょう」

 

 

言葉が少し違うだけで同じ内容を話しているのに、全く違うように聞こえてしまうことだってあるのですから。

特にテレビ等のメディアに対する露出の多いアイドルという職業をしているのですから、マス○ミに捻じ曲げられた偏向放送の標的にされないよう気を付けなければなりません。

 

 

「わかったわよ。で、夏樹ちゃんは満足してくれたの?」

 

「勿論、大満足でしたよ」

 

 

昼食時は延々とロック談議に付き合うことになり、私がギター以外にも同レベルの演奏ができると答えると熱心にバンドを組もうと勧誘されました。

昔取った杵柄で菜々もドラムがそれなりにできると言うと、夏樹の眼は李衣菜のように輝きを放っていましたね。

流石にサンドリヨンと活躍し始めたばかりなのに、ちひろや武内Pを裏切って新しいユニット活動をする気はないので丁重にお断りしました。

寂しそうに仕方ないと諦めかけていた夏樹でしたが、バンドは組めないけど一緒に演奏するのは大歓迎だというとV字の如くテンションが上がっていましたし、早速次の休日に予約を入れられましたよ。

まあ、その日の午前中は虚刀流とギター教えて、午後から趣味の食べ歩きをするくらいしか予定がなかったので午後からであれば構いません。

 

 

「私も最初のちょっとだけ聞いたけど、ギターも弾けたのね」

 

「弦楽器、管楽器、打楽器、鍵盤楽器、電子楽器、和楽器と特殊すぎる民族楽器を除いて人並み以上には演奏できますよ」

 

「うわぁ、七実さんって規格外ですね」

 

 

伊達にチートを持って転生していませんから。

映像資料や奏者のいなくなってしまった楽器は無理ですが、それらがあるのなら見稽古できますからね。

 

 

「楓ちゃん、いい加減返して!」

 

「や!」

 

 

さて、そろそろキャットファイトが白熱してきて他のお客さんに迷惑がかかりそうなので鎮圧しましょうか。

夏樹という新しい出会いによってさらに楽しく、華やかになりそうな今世について、とあるユダヤ系宗教哲学者の名言を借りて述べるなら。

『人生は、出会いで決まる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、菜々と一緒に夏樹に現在制作中の曲について意見を求められたり、お気に入りのライブハウスに招かれたりと、着実に何かを埋められているような気がするのですが、それはまた別の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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