チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~ 作:被る幸
しかも、今回は喋ります。
いつの間にか、お気に入り500件、UA20000越えしていました。
感想を書いてくださる方を含め、皆様この作品を読んでくださり、本当にありがとうございます。
どうも、私を見ているであろう皆様。
あの動物園ロケ以来、周囲から更に畏怖されるようになりました。
特に輿水ちゃんはトラウマ気味になってしまったのか、あのウザかわいい絡みを一切してこなくなり私の様子を常に窺うようになってしまいました。
怯え気味の小動物っぽい姿もかわいくていいのですが、私が輿水ちゃんに求めるかわいさとは違うのでこれじゃない感が酷いです。
威圧の手加減を失敗したのに加え、最近何でもかんでもチート能力で簡単に済ませようとするきらいがあるので、これは自分の責任なのですが何とか関係改善したいものです。
輿水ちゃんが怯えるのを感じ取ってか、未成年組のアイドル達から距離を取られており正直詰み寸前ですね。
ちひろや瑞樹達がフォローに回ってくれていますが、効果はいまいちで望み薄でしょう。
正に、どうしてこうなったというやつですね。
まあ、それはさて置き現状を説明するなら、346プロ最大のレッスンルームにて今回のバレンタインライブ出演アイドルで全体曲の練習をしています。
総勢15名近くのメンバーで歌って踊るため、各々の歌やダンス自体は完璧でも間の取り方や、陣形変更の際の移動等や最後の決めポーズのタイミングが微妙にずれたりとなかなか上手くいきません。
全体練習に初参加の私達も、最初は慣れない狭さと場の雰囲気に飲まれかけていましたが、30分も練習していれば慣れました。
青木トレーナー4姉妹が勢ぞろいしてレッスンをしているのですが、全体を見渡さなければならないためかいつものレッスンよりも楽に感じます。その証拠に、途中休憩がありましたが1時間近くレッスンしているというのにちひろと菜々がばてていません。
別に2人が本気でやっていない訳ではありません。いつものレッスンであればマンツーマンでレッスンにあたれる為相手の限界寸前を追求するような内容になるのですが、今回は15人相手なのでどうしてもそこまで出来ないのです。
私の限界を追及しようとすれば、このレッスン場は死屍累々になるでしょう。
とりあえず休憩となったので、飲み物でも買いに行きましょう。人類の到達点であるこの完成された肉体も脱水症状等の生理的な部分まではカバーできませんし。
鞄の中から小銭入れを取り出し、気配を薄めながらレッスンルームを出ます。
存在がプレッシャー発生装置と化してしまっているので、私がいないほうが未成年組も休めるでしょう。
とても気遣いのできる七実さんは、クールに去ります。
音も立てず人気の無い廊下を移動し、お目当ての飲み物の売っている自販機へと到着しました。
346プロ内にある自販機でしか売っているのを見たことがない、この『エナドリ』なる栄養ドリンクは柑橘系をベースとした独特な風味と爽快な喉越し、そして少し怖くなるくらいの即効性を持ち、
事務員時代に差し入れで貰いはじめて飲んだのですが、独特の風味にさえ慣れればなかなか癖になる味です。
硬貨を投入しエナドリ(大)を購入、自販機前の椅子に腰掛けて一気に飲み干します。
柑橘系の香りが鼻を抜けていき、炭酸の刺激が爽快感を伴って喉を流れ落ちていく。この感覚がたまりません。
「‥‥ふぅ」
レッスンルームの熱気が嘘のような廊下の静けさに、淡い寂寥のようなものを感じます。
柱に背中を預けると無機質な冷たさが伝わってきますが、程よく温まった身体には心地いいですね。
このまま眠れそうです。数日間なら不眠不休で活動が出来るチートボディですが、人間の三大欲求の1つである睡眠欲を感じないというわけではなく、寧ろ寝つきはかなり良い方で基本的にどんな場所でも眠れます。
時間を確認し、まだまだ余裕があるとわかりましたので少しだけ寝ましょう。
「‥‥よしっ」
数秒だけ睡眠を取ったことで、少し疲れ気味だった脳をリフレッシュされ気分も晴れやかなものになりました。
この人類の到達点を見稽古して一番役立ったのは、このイルカとかのように数秒だけや身体の一部だけ寝る事が出来る事です。
これによって活動時間が大幅に伸びましたし、色々と無理が利くようになりました。
座ったまま伸びをして手に持ったままの空き缶を空き缶入れへと投げ入れます。美しい放物線を描いた空き缶は計算通りに孔へと吸い込まれていき、小さくガッツポーズを取ります。
しかし、やることが無くて暇ですね。
いつもだったらいつものメンバーと話しているのですが、今回はこっそり出てきたので居ませんし。
暇つぶしに戯言遣いを真似てエイト・クイーンでもしようかと思ったのですが、すぐに答えが浮かぶので無理でした。パズルとかを解く閃きは、どうやら見稽古の対象のようです。
さて、困りました。早く戻りすぎるわけには行きませんし、暇を潰す何かが欲しいのですが。
そんなことを考えていると視界の端に白くひらひらとしたものが映りこんできます。
『‥‥つまんない。つまんない、つまんない、つまんなぁ~~い!!』
私以外の人がいないはずの廊下に、心底つまらなさそうな幼い少女の愚痴が響き渡ります。
どうやら、声の主は私と同様に暇を持て余しているようですね。
声だけから判断するなら13,4歳くらいでしょう。
『もう、何でアイドルのレッスンってこんなに長いの!?
これじゃあ、小梅と話したくてもできないよ‥‥』
小梅というのは、
彼女のコンセプトは確か霊感アイドルだったはずですし、実際に『あの子』なる幽霊の友人が憑いているという噂がありましたが、どうやら本当のようです。
どうやら見稽古が勝手に暴走して、霊視能力も勝手に習得してしまったようですね。
原作でも交霊能力を見稽古して両親の幽霊を見ていましたし、習得できないはずが無かったのです。
一般人レベルの胆力しか持ち合わせていないので、余計なものを見てしまう前に能力を閉じてしまいましょう。
『あの子』がどんな姿をしているかはしりませんが、ゾンビ等のグロ系の外見をしていたら悲鳴こそ上げませんが、数日間夢見が悪くなるのは確実です。
幽霊がどんなものかという疑問もありますが、怖いもの見たさで本当に恐ろしい目にあっては意味がありません。
それに、これ以上面倒事を背負い込みたくないという本音もあります。
『‥‥寂しいよ』
「‥‥」
ここまでお付き合いいただいている皆様なら、私の性格をご存知でしょうからこの後の行動はわかっていることでしょう。
そんな寂しい声を出されては、見捨てられるわけがありません。甘いと思われる方もいるでしょうが、寂しそうな少女の声を聴きながら無視することができる人間がどれだけ居るでしょうか。
小さく溜息をついて、覚悟を決めます。
「私でよければ話し相手になりましょうか?」
『ふぇっ!』
視線を幽霊が居るであろう方へと向けると、そこには驚き固まった美少女が浮いていました。
先程から視界の端に見えていたのは、彼女の白いロングワンピースの裾だったようですね。
幽霊は長い亜麻色の髪をポニーテールにしており、天真爛漫さと活発さが合わさった若干少年のような顔立ちをしています。武内Pが居たら、即行でスカウトしそうですね。
身長は浮いているのでわかりにくいですが、140cm以下だと思います。声から推測した年齢より低いのかもしれません。
てっきり下半身が漫画のようにもやもやとしているのかと思ったのですが、この子は生前の姿そのままのタイプのようです。
身体に欠損や傷も見られないようですし、死因は病死とかだったのでしょうか。
『あなた、わたしが見えるんですか!』
「はい」
よくわからない基準で勝手に能力を習得していくチート能力の所為で。
幽霊のほうは、私が見えて話せる人間とは思っていなかったようで、それがよほど嬉しいのか空中をアクロバット飛行のように飛び回っています。
質量は持たないようで、振り回した手が自販機や観葉植物にあたっていますが、何事もないようにすり抜けていました。
世の物理学者達に喧嘩を売っているような存在ですが、世の中には解明できていない事も多く、また現在解明されたとされている事が本当に正しいとも限りませんし、幽霊が居てもおかしくないでしょう。
死後に神様と出会い、チート能力を与えられて漫画やゲームの世界に生まれ変わったという
そう考えると、この子と私は同類なのかもしれません。
『流石、人類の到達点。何でもできるんですね!』
「その呼び方はやめてください」
『えぇ~~!カッコイイじゃないですか!』
子供視点からだと格好良く聞こえるかもしれませんが、2X歳のいい年となった大人からすれば封印されるべき黒歴史でしかないのです。
幽霊が成長するかどうかはわかりませんが、これからそれなりに人生経験を積めば理解できるようになると思いますよ。
『嬉しいな♪今まで小梅以外に見える人は、みんな怖がって逃げちゃったから』
まあ、見えないものが見えてしまったら一般人ならそうなりますね。
白坂ちゃんのような元々霊感があり霊に忌避観が無い人間や、私のように非現実的な背景を持つ禄でもない人間でない限り普通の対応など望めないでしょう。
「霊如きに負けるほど柔な身体をしていませんから」
『確かに』
幽霊は精神だけが自在に動いているような存在でしょうから、精神的な面で負けることが無ければ大丈夫でしょう。
私のメンタルは一般人とさほど変わりませんが、精神だけの存在なら威圧も効くでしょうから問題は無いはずです。
それに、私以外の人間がこの身体を使ってうまくいくとも思えませんし。最高性能のF1の機体で一般道を交通ルールを守って生活するような手加減は経験が無いと取り返しのつかない事になるでしょう。
精神なんて気の持ちようですから、私は霊なんかに負けないと思っていたら、それだけで効力はあるのではないでしょうか。
「ということで、私も暇を持て余していますから少しくらいなら話し相手になれますよ」
『うん、いっぱい話そ!小梅以外と話すのは初めてだから何でもいいよ!』
「そうですか」
もの凄い食いつきですね。我慢しきれないとはしゃぐたびに揺れるポニーテールがまるで、千切れんばかりに振られる犬の尻尾のようです。
さて何から話したものでしょうか。
最近の話す相手はいつものメンバーか武内P、もしくは昼行灯くらいでしたから仕事系の内容とかで事足りていました。しかし、この年代の子供とはあまり話したことが無いので話題選びに困りそうです。
とりあえず、動物ネタでいいでしょう。
「では、こんな話はどうでしょう。この前動物園でロケをしたのですが、そこの動物全てが私の家来になってしまったんですよ」
『‥‥えっ、家来?』
「はい、家来です」
あの後、虎や熊の檻とかにも訪れたのですが、烏の配下達によって私の威光(?)が喧伝されており、檻の前で平伏する動物達という苦笑するしかない映像が撮れました。
中には私を試そうと殺気のようなものを向けてくるものも居ましたが、視線を合わせるとそれもなくなりました。
動物は本能的に強者を見分ける能力に長けているといいますが、いったい私に何が見えたのでしょうか。
『何それ!何それ!すごい、すごい!!
見てみたいなぁ。ねぇねぇ、今度小梅を誘って行こうよ、その動物園!』
「お断りします」
あの光景は白坂ちゃんの教育上よろしくないでしょう。
輿水ちゃんのように、怯えられて距離を置かれると私の心に致命傷となりえますし。
『えぇ~~、何で!?いいでしょ、減るもんじゃないし』
「お断りします」
減りますよ。目に見えない、主に私の魂的な何かが。
その後も、しつこく動物園に行こうという幽霊のお誘いを悉くかわしながら、休憩時間終了が近づき私を探しに来た瑞樹に発見されるまで、楽しく歓談していました。
レッスンルームに戻る途中、私が見えることで調子に乗った幽霊が笑わそうと色々してきましたが、チート能力を使って何とか耐え抜きました。
何だか色々と見えるようになってしまいましたが、こんな日々を平和というのかもしれません。
○
「よし、今から1時間半ほど昼休憩とする。各自、昼食を取るように。
あんまり食べ過ぎて、午後からのレッスンで吐かない様にしろよ」
私以外のアイドルたちが疲労の色が隠しきれない声で返事をし、その場にへたり込みました。
最初の方こそ余裕があったこの全体レッスンでしたが、全員の息が合ってくるに連れて要求レベルがアップしていき、マンツーマンのようにいかない部分は練習密度で補うという青春時代の部活動のようなものとなりました。
そんなレッスンに午前中の大半を費やしたのですから。こうなるのは無理もないでしょう。
無尽蔵とも言える体力を持つ私はほんの少し息が乱れる程度ですみましたが、体力の少ない年少組やちひろや菜々は今にも倒れそうなくらいに疲弊しています。
トレーナー4姉妹も余裕そうな私を見て、まるで化け物を見ているかのような視線を向けてきました。
勘弁してください、その視線は凶器です。
とりあえず、疲労で動けなさそうなちひろの元へと移動します。
「‥‥生きてますか?」
「‥‥はひぃ」
どうやら声を出すのも辛いようです。
瑞樹と楓が向かった菜々の方も同様のようで、油の切れた機械のようなぎこちない動きで受け取ったペットボトルでゆっくりと水分を補給していました。
楓にサインを送り、こちらにもペットボトルを投げてもらってちひろにも水分を補給させます。
コクコクとかわいらしい音を立てながらスポーツドリンクがちひろの喉を潤していきます。これで脱水症状の心配はないでしょう。
「瑞樹、お昼どうします?」
「ごめんなさい、今食べ物の話はやめて」
どうやら、大丈夫そうに見えた2人も動けるだけで限界寸前のようで口元を押さえて首を振りました。
さて、どうしましょうか。他のアイドルたちにとっては限界レベルのレッスンだったのですが、私にとってはそこそこの域を出ない運動強度だったので、程よくお腹が空いています。
空腹は我慢できるので問題ないといえば問題ないのですが、そうすると他のメンバーが回復するまで手持ち無沙汰になります。
有史以来、人々が悩まされてきた退屈という病は気力を根こそぎ奪い、それでいて絶対に死ぬ事がないという厄介すぎる難物。人類がいまだ克服できないこの存在に私はどう立ち向かうべきでしょうか。
幽霊のほうは限界を迎えている白坂ちゃんを励ましているようで、それどころではないでしょう。
悩んでも仕方ないので、未だに立ち上がることができないちひろを小脇に抱えてかばんの置いてある場所へと移動します。
吐かれても困るので上下左右の振動が極力無いように配慮する事も忘れません。
「この抱え方は嫌ですぅ~~」
「文句を言わない。反対側には菜々が入るんですから」
「やめてぇ~~」
口では拒否するものの一切抵抗しない菜々を反対側に抱え、再び荷物置き場を目指します。
「流石、七実ね。あのレッスンでも疲れないなんて」
「鍛えてますから」
「私も運んで欲しいです」
「楓、背中にもたれかからずに、自分の足でちゃんと歩く」
全くこの25歳児は隙を見せるとすぐこれですよ。
仕方ないので背中に乗りやすいように少しだけかがむと、遠慮することなく負ぶさってきました。
これが男性だったら、この背中に伝わるほど良い大きさとやわらかい感触を持つ胸に感動し涙を流すところかもしれません。ですが、生憎私は同性なのでまた大きくなったかな程度の感想しかありません。
そろそろ下着を新調させなければいけませんね。楓好みのデザインのやつならこの間見つけましたし、今度の休みに連行していきましょう。
こうでもしないと本当にギリギリになるまで買いに行こうとしないんですから、全く手間が掛かります。
本当に私の部屋に入り浸るようになる前はちゃんと1人暮らしできていたと言う話ですが、この様子からは想像できません。
「七実、目立ってるわよ」
「知ってます」
周囲から驚愕の視線が向けられますが、今更なので無視しましょう。
だから、他のアイドルたちが小声で色々呟いていても気にしません。
ええ、例えやば過ぎるとかゴリラ並みとか言われても気にしませんよ。全く、全然、これっぽっちも。
荷物置き場についたのでちひろと菜々を降ろし、なかなか降りようとしない25歳児に呆れながらもそのまま自分の鞄から替えの下着とタオルを取り出します。
どうせ、みんなが落ち着くまで昼食は無理なのですから、今のうちにシャワーでも浴びてさっぱりするとしましょう。
「シャワー浴びるんですか」
「それなりに汗をかきましたからね」
負ぶさったままなので、私が鞄から何を取り出したのかが見える楓は耳元で囁くように聞いてきました。
無駄に艶っぽい声でしたが、何度も言いますが同性である私には何の効果もありません。せいぜい、楓のファン達だったらこのボイスに幾ら位の値段をつけるでしょうか、という素朴な疑問を抱いたくらいです。
前世でもゲームキャラクターのボイスダウンロードとかありましたし、他のプロも多少ながらやっているようですから、今度あの昼行灯に企画書を出しておきましょう。
今回のバレンタインデーライブ特別ボイスを期間限定配信で、ライブ来場者にはスペシャルボイスを無料ダウンロードできるような措置をとればそこそこの利益は得られそうですね。
青写真を丸投げすれば、あの昼行灯の事ですからうまく調整してくれるでしょう。まあ、企画が通らない可能性もありますけど。
「私の着替えは?」
「こんなこともあろうかと」
人生の中で言ってみたい台詞ランキングとかがあれば、そこそこの順位に入るであろうこの台詞。
予想外の事態に直面したようで、実はそれは想定済みだったというのがいぶし銀的な恰好良さがあります。
ちなみにちひろ、瑞樹、菜々の下着も一応持ってきています。恐らく3人とも替えの下着とかは1組しか持って来ていないでしょうから。
「流石、七実さん。大好き♪」
「はいはい、私も大好きですよ。だから、いい加減背中から降りましょうね」
「や」
どうやら、この25歳児は実力行使に出ないとわからないようです。
首に回された腕の力が無意識的に緩んだ一瞬を見計らい首を抜き、そのまま楓を肩に担ぎます。
丸太のように担がれるのが不服なのでしょうか、子供のように手足をばたばたとさせて抵抗してきました。
しかし、レッスンで体力を消耗しているためか、はたまた無駄だと理解したのかすぐに大人しくなりました。いつもこれくらい聞き訳が良ければ、私も苦労しないのですが。
瑞樹はこの哀れな25歳児の哀れな末路がつぼに入ったのか、大笑いしています。
殆ど体力が残っていないであろう、2人も同様で床に寝そべったまま、身体をくの字に曲げて腹筋を抑えながら笑っていました。
「とりあえず、私と楓はシャワー浴びてきます。3人とも浴びるなら私の鞄の中に替えが入ってますから」
まだ笑いの波が引かない3人からの返事はありませんでしたが、ただ笑いながら何度か頷いていたので通じてはいるでしょう。
2人分の替えの下着とタオルを袋に入れ、楓を担いだままシャワールームへと移動を開始します。
しかし、レッスンルームを出る直前に本当にこのままでいいのかと考え直し足を止めます。
いつもの楓の面倒を見るノリで抱えて移動していましたが、ここは私の部屋ではなく346プロの本社でありこの様子を他の一般社員に見られたらどうなるでしょうか。
考えるまでも無く、地味に面倒な事態になるでしょう。
前回の瑞樹の件の経験が生きました。少しだけ成長できていた私の危機察知能力を褒めて上げたいです。
「楓、廊下に出ますから降りましょうか」
「や」
「いや、やじゃなくて」
降ろされまいと私のジャージをしっかり握り締めて抵抗してくる楓。
さて、一体全体この困ったちゃんな25歳児をどうしましょうか。
軽く揺すってみても離そうとする気配はありませんし、力尽くなんて方法は端から選択肢には存在しません。
「いいじゃないですか、私だって疲れてるんですから」
「‥‥いつから、そんなに甘えん坊になったんでしょうね」
「七実さんと居ると落ち着くんです。まるで‥‥お父さんみたいで」
「よし、降りなさい」
「や!」
言うに事欠いてお父さんとは喧嘩を売っているのでしょうか。
いいでしょう、言い値で買いますよ。今なら特別に私の持てるチート能力で得た技全てをつけてあげましょう。
確かにこの人類の到達点たるこの完成された肉体は、女性らしい丸みや柔らかさとは無縁のものです。
この身体を恥じてはいませんが、結構気にはしているんですよ。からかわれた事は一度や二度ではありませんし。
背後からは、また3人の笑い声が聞こえてきます。いや、正確には幽霊を含んだこの部屋に居る殆どの人間が笑っているようです。
「あははは、お父さんって!七実パパ、ぴったりじゃない!」
「だ、ダメですよ。ふふっ、笑ったら‥‥ふふふ」
「やばい、お腹痛い!笑い死ぬ!菜々、笑い死にます!」
よし、貴女達も同罪です。今度のお弁当は、カロリーが低そう見えて意外に高いものばかりを詰め込んであげましょう。
知らず知らずのうちにカロリーをとりすぎて、体重計に乗ったときに悲鳴を上げるといいです。
心の中でささやかな復讐を誓い、私は大きく溜息をつきました。
「性別が違いますし、こんな年の近い子供は居ませんし、私は未婚ですよ」
「パパぁ~、楓疲れたの。連れてって?」
無駄にあざとい声を出す25歳児を、私はちょっと懲らしめてあげる事にしました。
テンションで行動してはならないという心がけを今だけは破りましょう。その結果が黒歴史の増産だったとしても。
楓が途中で落ちたりしてしまわないように、肩に担いだ状態からお姫様抱っこへと持ち方を変え、レッスンルームの扉を開きます。
「‥‥わかりました。世界を縮めてあげますから、一っ走り付き合いなさい」
そう宣言し、楓の返答を待たずに私は駆け出しました。
一歩目で十分な推力を生み出し、二歩目で最高速度に突入、三歩目で風を纏い、四歩目でもはや目にも留まらぬ。
私の持つ加速系チート能力を駆使して生み出された速度は、楓に悲鳴をあげる間も与えず廊下を駆け抜けていきます。
さあ、黒歴史を振り切りましょう。
口は災いの元、因果応報、疾風怒濤
平和に過ごしたければ、皆様も口には気をつけたほうがいいですよ。
○
「「「「「乾杯!」」」」」
私達は各々好きなソフトドリンクの入ったグラスを打ち合わせます。
全体練習の後、私達はいつも通り
特に誰かが提案したわけでも、元々決めていていたわけでもないのに、普通に集合して足が向かうあたり私達の関係も相当親しくなったのでしょうか。
元々お互いの顔や名前は知っていましたが、本格的な交友関係になってからはまだ1ヶ月強くらいしか経っていないのですが。
まあ、その一ヶ月強の半分近くは私のうちに泊まっている訳ですから、当然なのかもしれません。
「お酒飲みたい」
「ダメよ、楓。ライブが近いんだから、今から調整しとかないと」
「でも、この阿蘇の高菜漬けや大正海老の塩焼きには日本酒が合うと思うんですよね」
「ちひろちゃん、それは菜々達を陥れる為の罠ですよ!気をしっかり!」
結構な酒飲みである他のメンバーは必死に誘惑に抗おうとしています。
そんな中私は別に飲めなくても困らないタイプの人間なので、高菜漬けや大正海老の塩焼きをおかずにご飯を食べていました。
足の部分は歯の間に挟まりやすいので除けますが、少々はしたないかもしれませんが殻はそのままで齧り付きます。殻の固さが心地よく程よく効いた塩気が甘くぷりぷりとした柔らかい身と合わさり非常に美味です。
ご飯のお供にするには少々物足りない感じもしますが、これはこれで味わいがあります。
一緒に出てきた海老の頭で出汁を採った味噌汁も、これがなかなかどうして味わい深いものとなっていて舌を飽きさせません。
この高菜漬けの方は、海老とは違い単体でご飯のおかずとして立てるほどの強い味であり確かに日本酒によく合いそうではあります。
少しくどくなってしまったらお茶で舌の状態を戻して、再び食事に没頭する。ああ、なんと幸せな一時でしょうか。
「七実さん、私達の分まで食べようとしないでください!」
「ほら、楓も菜々も急がないと自分の分が無くなるわよ」
いやいや、確かに私は健啖家ではありますが流石に全部は食べませんよ。1人1匹くらい残しておけば十分でしょう。
しかし、魚介類もいいですが、そろそろがっつり『肉』という料理が食べたいですね。
立てかけてあるメニューを取り、肉料理の欄を探します。
今の気分は焼き鳥という感じではありませんし、から揚げも王道すぎて気分じゃありません。
あっ、ラフテーがありますね。いいじゃないですか、とろとろになるまで煮込まれた甘辛い味はご飯にもぴったりです。
早速注文しましょう。ご飯のお代わりも忘れずに。
「それにしても今日のレッスンは疲れましたね。菜々、明日絶対筋肉痛になってますよ」
「わたしもです」
「そうね、さすがの私も今日のは堪えたわ」
「明日の仕事、大丈夫かな」
私以外のメンバーは相当お疲れのようです。
しかし、あのレッスンのお蔭で全体曲は今日一日で7割くらいには仕上がりましたし、結果良ければ全て良しでしょう。
こういった話題に共感できないのは、この身体の数少ない欠点の1つですね。
「七実さんも、黙々と食べてないで何かいってくださいよ」
話に入れないので黙々と他のおかずとご飯を食べながらラフテーの到着を待っていると、ちひろに咎められました。
確かに何のリアクションもとらないのは良くなかったかもしれません。
口の中に入ったものを飲み込んでから、私も話に加わります。
「まあでも、今日一日であれだけ仕上がったのなら意味はあったのでは」
「そうですね、どうしても全体曲は人数が増えるだけ難しくなりますから」
「楓の言う通りなのよね。みんな体格も体力も何もかも違うから、微妙にずれが出ちゃうのよね」
この2人は何度もライブを経験しているだけあって、その点は良くわかっているのでしょう。
今回のライブは突然私達のデビュー等が入ったりしたため、日程にも変更がありいつものライブ準備以上に慌ただしくなっています。
そんな中で、今回のように全員が集まれる機会は少ないでしょうから、その機会を無駄にしないという意味では今日のレッスンは適切だったのでしょう。
あれだけハードなレッスンになったというのに、結局誰1人倒れることなく最後までやりきりましたし。
日程表通りなら全員で練習できるのは後3回しかないので、何とかそこで完成系にしないといけません。
きっと今日以上のものになるでしょうね。
「私、大丈夫でしょうか。今日も何度もミスしちゃいましたし」
「菜々もです」
「大丈夫、2人共初めてとは思えないくらいでしたよ」
何が起きているのでしょうか、このメンバー1の甘えん坊あの25歳児 楓が先輩アイドルらしい事をしています。
これはあれでしょうか、私のもう少ししっかりして欲しいという願望が強すぎて夢でも見ているのでしょうか。
確かに今日はアルコールが入っていませんから、いつもよりしっかりしてはいる可能性は否定できませんが、それでもこの頼りがいのありそうな楓は一体何者でしょう。
影武者、それとも別人格なのかもしれません。
「楓、何か悪いものでも食べました?」
心配になってそう尋ねると、楓は頬を膨らませて視線を逸らします。
「七実さんが、私をどう思っているか良くわかりました」
「ほら、ラフテーも来ましたから。食べて今日はゆっくり休みなさい」
「‥‥食べます」
子供のような怒ってますアピールをしていた楓でしたが、見ただけで美味しい事がわかるラフテーを差し出すと陥落しました。
やはり美味しい料理の力は偉大です。
美味しいものを食べると心が満たされますし、悩んでいる事も馬鹿らしくなります。
ちゃんとちひろや瑞樹、菜々にも届いたラフテーを配ってから、私も早速一口。
流石は妖精社、このラフテーも絶品です。脂の抜きすぎでコクとかに欠けると揶揄される事もあるラフテーですが、これはそんなことは一切無くさっぱりとした味わいの中に確かなコクがありいくらでも食べられそうです。
恐らくパパイヤか何かの果物を入れてしっかり煮込んだのでしょうか、砂糖では出せない複雑な甘みとかすかな酸味が絶妙なバランスで豚肉に染み込み、脂たっぷりの角煮に勝るとも劣りません。
たった一口でご飯1杯は余裕で食べられそうな美味しさに、自然を頬が緩んでしまいます。
ラフテー、ご飯、ラフテー、ご飯ご飯ご飯、ラフテー、ご飯‥‥と永遠に途切れる事の無い幸せなループにしばし全員が言葉を発する事を忘れました。
この場においては言葉すら無粋な騒音になりかねません。
この幸福に満ちた食事にある雑貨輸入商が主人公の漫画の一言を思い出します。
『モノを食べるときはね。誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあ、ダメなんだ。独りで静かに豊かで‥‥』
確かにそれもいいかもしれませんが、私はこうも思うのです。
みんなで騒がしく、ちょっとした邪魔がありながらも、こうして分け合って食べる食事も救われているのではないかと。
なので、私達の食事は原作のように孤独ではないので、言葉にするならこうなるでしょう。
『みんなでモノを食べるときは、邪魔されても、自由じゃなくても、静かじゃなくても、豊かで救われている』
この後、いつも通り全員私の家に泊めて、私もすることを済ませて眠りについたのですが。
夢枕に出張してやってきた『あの子』がしつこく動物園に誘ってきて、眠れない夜を過ごすのですが、それはまた別の話です。