チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~ 作:被る幸
いろいろなセンスに関しては期待しないでください。
どうも、私を見ているであろう皆様。
普段であれば、ここで近況報告等をさせていただくのですが、今はそれどころではないので割愛させていただきます。
理由は、本日が2月14日のバレンタインデーであるといえばよく理解していただけるでしょう。
そう、とうとう私達『サンドリヨン』のライブデビューの日がやってきたのです。
普段なら会場設営の陣頭指揮を取っているところなのですが、今は本番前の通しリハーサルの最中ですので、そう言うわけにもいきません。
一応、武内Pにも人手は足りているのかと聞いてみたのですが『渡さんは、こちらの事は御気になさらずにライブのことに集中してください』といわれ、出演アイドルの控え室に押し込まれました。
しかし、人間というものは今までの習慣から外れた事をするとペースが崩れてしまうのか、会場設営のことが気になってソワソワしてしまいます。
やはり私はアイドルよりも裏方の方が性に合っているのかもしれないと思わなくも無いですが、ここで投げ出すつもりは一切ありません。せっかく原作キャラたちと同じステージに立つのですから、1回も矛先を交えずに諦めるのはもったいないです。
私はアイドルなのですから、裏方仕事は関係ない。裏方仕事は関係ない。
「七実さん、タブレット端末なんか取り出してどうしました?」
隣に座っているちひろの声で、私はようやく自分が鞄の中にこんな事もあろうかとをするためにと忍ばせておいたタブレット端末を取り出していたことに気がつきました。
完全に無意識での行動であったので、私も本格的にワーカホリックになってしまったのかもしれません。
「‥‥何でもありません」
「まさか、会場設営のほうの様子を確認しようとしてました?」
罰が悪いので視線を逸らすと、あからさまな溜息が聞こえてきました。
そして私の持つタブレット端末を奪い取ろうとちひろの手が伸びてきます。さすがに取り上げられるのは困るので、チートを発揮して回避します。
このタブレット端末、一見はごく一般的なものと変わりありませんが、その中身はチート能力と溜め込んだ財力の一部をつぎ込んでカスタムした、私の本気にも十二分に対応できるだけのスペックを持つモンスターマシンなのです。
掛かった費用は最終的に6桁後半に達し、改造にかかった時間も40時間を超えるでしょう。
このタブレット端末が盗まれたとしたら、私は持てる全ての能力を駆使して犯人を草の根を分けてでも見つけ出して、盗みを働いた事を残りの生涯をかけて後悔してもらいます。
なので、これはたとえ信頼しているちひろでもそう簡単に渡せません。
伸ばされた手を悉く回避していると、ちひろは咎めるような視線を向けながらもう一度溜息をつきました。
「ダメですよ、今回は武内君達に任せるんでしょう」
「‥‥別に信頼していないわけではないですよ。少し確認したくなっただけです」
「七実さん」
「‥‥はい」
咎める視線に負け、私はタブレット端末を鞄の中にしまいました。
ユニットを組むようになってから、ちひろが私に対して強気に出てくることが多くなってきたような気がします。
この前の武内Pとの無自覚肉食系事件の仔細を聞き出そうとするときもそうでしたが、遠慮というものがなくなってきています。入社当初は教育係となった私の後ろをトコトコとついてきてかわいかったのに。
まあ、それだけ気心知れた仲になったということでもあるのでしょうが。
「まったく、七実さんなら確かにリハーサルしながら現場の指揮もできるかもしれませんが、そうやって一から十まで面倒見て甘やかしていると後輩たちが成長しませんよ。
ただでさえ七実さんの仕事量は他の人より多いんですから、それ以上の事をしようとすると何処かで揺り戻しがきますよ。もし、それが耐えられないもので七実さんが倒れたりしたら、みんな悲しむんですからね」
同じような説教を母親にも受けた事があるような気がします。
周りからすれば、私はそんなに無理をしているように見えるのでしょうか。
チート能力によって恐らく3日程度なら不眠不休で働いても、あまり消耗しない自信があります。ですが、何の能力も持たない一般人からすれば、それは限界を超えて頑張っているように見えるのでしょう。
しかし、私には一般人の限界を容易に超えていくだけのチート能力があります。だから、自分にできることをやっているだけなのですが、理解は得られそうにありませんね。
後輩の成長の機会を奪っているとするなら少し自重すべきかもしれませんが、ちひろや武内Pを見る限り今のままでもいいような気がします。
「大丈夫です。私が倒れる事なんてありませんから、問題ありません」
「そんなのわからないじゃないですか!」
私の超人的体力や身体能力を間近で見てきたちひろならわかってくれそうなものですが、どうしましょうか。
とりあえず本番前に精神的動揺を与えるのはよろしくないので、この件は一旦置いておきましょう。
「それに‥‥いざとなったら、こうして止めようとしてくれる人や引き継いでくれる人がいますから」
「もうっ、調子いいんですから!そんなんじゃ、誤魔化されませんからね!」
そんなことを言いながらそっぽを向いたちひろは耳まで赤くなっていました。
何とかこの問題については先送りできたようですが、今後はもう少しチート能力を解禁しながら仕事をして能力を示す必要がありそうです。
最近、2X歳にして初めて仕事するのが楽しくなってきたのですから、それに制限をかけられてしまっては堪りません。
口先で騙す卑怯者である自覚はありますが、それでも私はもうこの生き方を変える気はないのです。
だから、心の中で『ごめんなさい』と謝っておきます。
「それは残念です」
「ちゃんと反省してください。まったく七実さんもいい年なんですから、もう少し落ち着いてください」
おっと、ここで年齢を出すとは、これは新手の宣戦布告と見てよろしいですね。
確かに2X歳が30歳になるまであまり時間は無いとはいえ、十の桁が2か3では心情的に大きな差があるのです。
私だってこの歳からアイドルになるのにかなりの勇気がいり、今でもたまに考え直した方がいいのではと悩む事があります。
考えても見てください。アイドル(30歳)という響きを、思わず『うわ、キツい』と言いたくなるほど痛々しいでしょう。
勿論今更やめる気はありませんが、それでも色々と考えてしまうものなのです。
そして、平均年齢が20代後半となってしまう私達では、年齢系のネタは触れないという暗黙の了解があったはずなのに。
その
チート能力を使い、私は慈母の如く優しい笑みを浮かべます。
「‥‥な、七実さん。い、今のは、その言葉の綾というか、なんというか」
私の雰囲気が変わったのを察したのか、ちひろが今度は顔を青くして椅子から立ち上がり距離をとります。
嫌ですね。そこまで怯えなくてもいいじゃないですか。
これでは、今から私がいじめようとしているように見えてしまうじゃないですか。
「よろしい、ならば戦争だ」
「ご、ごめんなさい!」
今更後悔しても遅い、遅すぎます。
恐怖感を煽るように、一歩、また一歩とゆっくりと近づきちひろを壁際まで追い詰めました。
私は満身の力を込めて握りこぶしを作り、それを高く振り上げます。あまりの恐怖にちひろは頭を抱えてしゃがみこみました。
その姿を見た私は満面の笑みを浮かべたまま、握りこぶしを解いてちひろの頭に手を置き。
「よぉ~~し、よしよし、もうちっひは悪い子でちゅねぇ~~♪」
「いやぁ~~、やめてやめて、やめてください!禿げる、禿げますって!女の命が失われます!!
ごめんなさい、ごめんなさぁ~~い!反省してますから、許してくださぁ~~い!!」
ペットをあやすようにごしごしと頭を撫でてあげると、ちひろが逃げ出そうとしました。なので、空いた方の腕で肩を抱いて、逃亡を阻止します。
一般的な成人女性並みしか筋力がないちひろが、人類の到達点たる究極の身体を持つ私に勝てるはずも無くされるがままです。
勿論、ライブ前に髪の毛を傷める訳にはいきませんから、チートを使った絶妙な力加減で撫でていきます。
「大丈夫です。本番前はちゃんとスタイリストさん達が整えてくれますから」
「そんな心配してませんよぉ!」
「なら大丈夫ですね」
笑顔のまま、更にちひろの頭を撫でようとすると控え室の扉が勢いよく開かれました。
「千川さん、大丈夫ですか!?」
現れたのはちひろの王子様、頼れる我らのプロデューサー武内さんです。
この計ったかのようなタイミング、扉の前で待機していたのでしょうか。そうでなければ、何かの補正でもうけているのかと疑いたくなりますね。
仕方ないのでちひろを解放してあげると、武内Pの後ろへと素早く回り込みました。
身長や対格差の所為で、ちひろが完全に隠れてしまいます。その様子は父親の後ろに隠れる子供のようですが、それを言うと今度は私が地雷を踏みかねないのでやめておきます。
私の危機察知能力は、極めていい仕事をしてくれますので。
「渡さん、これはいったい?」
「むしゃくしゃしてやりました。反省はすれども、後悔はしていません」
年齢を出してきた者には鉄槌を。これだけは誰であろうと譲る気はありません。
威圧感のある外見をしている武内Pではありますが、新入社員として入ったばかりの右も左もわからない頃から面倒を見てきた私には一切効果はありません。
「‥‥すみませんが、状況の説明をお願いします」
「仕方ありませんね」
いつものように右手を首に回して困っているようなので、どうしてこうなったのかを1から説明します。
私がタブレット端末を取り出して仕事をしようとしていたというと、武内Pは目に見えて落ち込み、何だか私がもの凄く悪い事をしてしまったような気持ちになりましたが、そのまま説明を続けました。
そして、ちひろが年齢のことを出してきたので容赦なく頭を撫でてあげたと説明すると、少しだけ持ち直した武内Pは呆れたかのように溜息をつきます。
「渡さん」
「はい?」
「会場設営等の裏方仕事は、私達が責任を持って完遂して見せます。
だから、お願いです。渡さんは、何もせず私達を信じて全て任せてはくれませんか」
それは私というアイドルに対して、真正面から向き合って伝えられた真っ直ぐな思いでした。
あの一件依頼、アイドルと真正面から向き合う事を極端に避けるようになっていた車輪からは、少しだけ何かを取り戻せたようです。
「いいでしょう。今回は皆さんに任せましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、今回の進行状況や結果次第では次から何と言おうと手を出しますから」
「全力を尽くします」
私の無意識的な行動から、どうしてこうも面倒臭い事になったのでしょうか。
考えても仕方ないので、とりあえずそのままのノリでここまで来ましたが、悪乗りが過ぎてしまった感が否めません。
しかし、毒を喰らわば皿まで、このまま行くしかないでしょう。
「私の採点は厳しいですからね。頑張ってください」
「任せてください」
「頑張れ、男の子。期待してますよ」
そう激励し武内Pの胸を軽く叩くと、どこからともなく負のオーラが溢れてきます。
発生源を探ると、武内Pの後ろに隠れながらちひろがアイドルがしてはいけないタイプの顔で、私のことを見ていました。
いったいこの短時間に何が起きたというのでしょう。
「‥‥七実さんって、こうして無自覚に好感度上げるから強敵なんですよね。ホント、ずるいです」
ちひろの小さな呟きはチート能力によって高められた聴力がしっかりと拾っていましたが、聞こえなかった事にしましょう。
こうしたことは気がつかない振りをするのが一番です。
別に私は武内Pを狙ってるつもりも、好感度をあげているつもりはないのですが。
といいますか、いつも無自覚に馬鹿ップルの砂糖を吐きたくなる甘い空間を作り出す人間には絶対言われたくありません。
「千川さん、どうされました?」
「いいえ、何でもありません」
不穏な空気を悟った武内Pが振り向きますが、ちひろは素早く表情をいつもの笑顔に変えました。
私もそうですが、世の女性の表情の変化は恐ろしいくらい速く、そして他人に気がつかせません。きっとよほど察しのいい男性でなければ、気づくのは至難の業でしょう。
さて、武内Pとちひろが話し出したので被害を受ける前に耳を塞ぎましょう。鞄から音楽プレーヤーを取り出し、素早く装着しユニット曲のおさらいでもしておきます。
どうして、この馬鹿ップルはくっつかないのでしょうか。平和のため(主に私の)に、そうするべきです。
○
ついにその時が来ようとしています。
舞台袖で刻一刻と迫る登場のタイミングを待つのは、小市民的な度胸しか持ち合わせていない私には少々きついものがあります。
心臓が早鐘のように打ち、鍛え上げられた胸筋を突き破って出て来んと激しく暴れまわっており、口を開けば何かが出てきてしまいそうで気が抜けません。
この白と淡く明るい緑色を使用しダンスがしやすいように改良が施されたロングドレスタイプの衣装と長手袋も、衣装合わせ等で着たものとは別物になってしまったの様な重さを感じます。
もうすぐ楓の『こいかぜ』も終わり、瑞樹と菜々が合流してMCが始まるでしょう。
そうすれば私達の出番までは一瞬でしょうが、まだ心の準備が完了しません。落ち着こうと意識すればするほど、焦りが生まれていく悪循環は自覚症状があってもどうにもならない難儀なものです。
深呼吸をしてみても焼け石に水程度の効果しか得られず、鼓動は奮え激しいビートを刻んでいます。
今なら、見稽古でも習得ができなかった波紋疾走ができそうな気がしますね。
そんなくだらない考えができるほどには余裕があるのか、そんなくだらない事しか考えられないほど焦っているのか自分では判別ができませんが、少なくとも今の私はいつも通りではないと言うことだけは確かです。
「‥‥七実さん」
長手袋越しではありますが、左手が温かいものに包まれます。
視線をそちらに向けると手を繋いで心配そうに私を見つめるちひろが居ました。
私と同じデザインの衣装を着たちひろは、絵本から抜け出してきたシンデレラみたいで、今にも消えてしまいそうな儚い美しさを漂わせています。
潤んだ瞳、震える身体、自分も緊張しているでしょうに、それでも私を思いやる優しさ。それは言葉にしなくても私に伝わりました。
自身の事しか考えられていなかった自分が恥ずかしいです。
そうです、私は1人じゃない。こうして共に立つ相棒もいます。
ならば何を恐れることがありましょうか。
付け加えるなら、私は他の人は持っていない見稽古という最強クラスのチート能力を持っているのですから、このくらい何とかできなくてどうするのですか。
手に伝わる温かさにあれだけ激しかった鼓動も、今は水面のように静かに落ち着いていました。
緊張も、焦りも、戸惑いもない、どこまでも澄んだ心には不可能という文字はないでしょう。
恐らく私は今、自分の中にある何かを乗り越えたような気がします。
心はどこまでも澄み渡り一切の恐れはなく、されど包まれたこの手は烈火の如く熱を持っています。
余分な力は抜け、気力に満ち溢れた身体は最高の状態で、出番を今か今かと待ち望んでいるようにすら思えます。
「ちひろ、ありがとう」
「お互い様です。私も七実さんの手から勇気を貰いましたから」
「‥‥そうですか」
たった一言二言のやりとりですら尊く感じるこの瞬間。
2X年間生きてきて、今この時が最高であると確信できます。
6000人が何だというのです、これからトップアイドルを目指すならこれ以上の会場でライブをすることなんて多々あるのですから、こんなところで怯え止まっている暇なんてありません。
観客達の歓声が聞こえます、どうやら『こいかぜ』が終わったのでしょう。
いよいよ、出番が間近に迫ってきているのですが、それでも鼓動は穏やかなままです。ちひろと共に立つ限り、もう乱れることはないでしょう。
「そろそろ出番ですが。心の準備は万全ですか?」
「はい。私達の姿を観客や武内君にも見せつけてあげます」
「心強い事です」
3人のMCは和気藹々としたものであり、ステージ上だという事を理解しているのかと疑いたくなるほどいつも通りの会話です。
もしかしたら、これも私達の緊張を和らげようとする先輩アイドルである3人からの計らいなのかもしれません。
スタッフからの合図を受け手を離しマイクをオンにし、互いの姿に異常がないか最終確認を行います。
問題ないことがわかると頷き、呼ばれるその時を待ちます。
『さあ、次は今日が初舞台となる新人を紹介するわよ』
『私達とも仲がいいあの御二人です』
『では、登場してもらいましょう『サンドリヨン』の御二人です!』
菜々の言葉に合わせ、私達は舞台へと飛び出します。
視界に広がる様々な飾り付けがされた輝く舞台、眩しいほどに照らしてくる数々のライト、そして歓声と共に迎えてくれるたくさんのファンの人々。
その1つ1つが舞台袖から見ていたものとはまったく違い、全てが想像以上でした。
定位置につき、改めて観客席を見るとそこは蛍光緑のサイリウムの光で包まれており、圧倒されんばかりの熱気が伝わってきます。
「さて、『サンドリヨン』の渡 七実さんと千川 ちひろさんに登場していただきましたが、どうですか今のお気持ちは?」
しばし目の前の光景に心を奪われてしまっていたようです。
楓の言葉がなかったら、もう少し呆けていたかもしれません。これは貸しができてしまいましたね。
「そうですね。今までも裏方として舞台袖から様子を見たことはありましたが、アイドルとして立つここは別世界です」
「七実らしい、真面目な感想ね。もっと可愛らしいことを言ってもいいんじゃない?」
「瑞樹、貴女は私に何を求めているんですか?」
まったくこの場において、こうもいつも通り振舞える豪胆さは流石トップアイドルに名を連ねるだけのことはありますね。
「では、ちひろちゃんはどうでしょう?」
「は、はい!もう、夢みたいです!」
「いやぁ、初々しくて可愛いですよね。ねえ、瑞樹さん」
「そうね、若いって羨ましいわ」
「そうですねぇ‥‥って、菜々もリアルJKですから十分若いですけど!」
ちひろの感想から、菜々の自爆芸と間髪置かない流れに観客席が笑いに包まれます。
菜々的には一切狙ってはいないのでしょうが、それでもこうして愛されているようですから、きっとまだまだ高みへと昇っていくでしょう。
この歓談を続けていたいのは山々ですが、そろそろ曲に移らないとライブ時間が後ろにずれ込みかねません。
さて、いったいどうしましょうか。
「こうやっていつまでも話していたいのは山々ですが、そろそろ時間ですので曲の方に入っていただきましょう」
「そうね。じゃあ、2人共頑張ってね」
「ファイトですよ☆」
ライブではしっかりしている楓が、流れを変えそのまま3人は舞台袖へと去っていきました。
舞台の上には私達しか居らず、ここからは正真正銘私達のステージです。
観客席から伝わる期待や楽しみにしている雰囲気が、静かな水のように落ち着いた澄んだ心に伝わってきて、私の中のギアが一気にトップまで上がります。
もう、止まる事なんてできませんし、止める気もありません。
アイコンタクトでちひろに合図を送り、タイミングを計り口を開きます。
「「皆さん、『サンドリヨン』です。よろしくお願いします」」
「本来ならもっと語りたいところではありますが」
「聞いてください、私達のデビュー曲」
「「『今が
私達がそう宣言すると曲が流れ始めました。
私達のデビュー曲『今が
それは今までの穏やかで平和に過ごしてきた時間とこれから始まるまだ見ぬ未来への期待が込められており、儚くも希望に溢れる聖歌。
この部分は、歌もちひろがメインでダンスもゆっくりとしたものです。
優しく耳に滑り込んでくるちひろの歌声は、あれだけ熱気を持っていた観客達を穏やかにさせました。
振られるサイリウムもそよ風に揺れる草原のようにゆっくりとしたものに変わり、これはこの歌が観客へとしっかり伝わっている証拠でしょう。
そして途中から私がメインとなる部分になる曲にも変化が訪れます。
基本的な部分は最初の穏やかで優しい旋律部分を残しながらも、力強く凛々しいものとなりダンスもそれに合わせて動きの多いものになっていきます。
それは新たな一歩を踏み出す勇気に対する喜び、無限の可能性の中で自分を見失わず強くあろうとする意志への讃歌。
静と動、優しさと凛々しさ、期待と喜び、儚さと強さ。
似ていたり、相反するものだったり、それら全てを纏めて全てここから始まる未来へと繋がっていく。
私達のこのデビュー曲は、未来への希望と今からでも遅くないという人間の可能性が込められています。
互いの呼吸を感じ取り、歌い、踊り、そして魅せる。
今この瞬間に全てを出し切るように、私の、私達の存在を観客の示すように。
たった数分にしか満たない、長い人生の中ではほんの一瞬でしかない今が、今こそが私達の始まり、前奏曲であると。
○
夏草や兵どもが夢の跡とは、よく言ったものでほんの数時間前までは多くの観客で埋め尽くされ、熱気に包まれていたというのに、ライブが終われば誰も居らずあの光景は正に夢のように感じられます。
私が腰掛けるステージ上も殆ど解体作業が終わり、輝かしい姿はなく簡素で無機質的な冷たさしか残っていません。
しかし、ここであった夢のような時間は現実であったと確かに残る胸の熱が主張します。
ここに立って、私はデビューした。
その事実がどうしようもなく嬉しくて、嬉しくて今も未練がましくこうしてステージに腰掛けて観客席を眺め続けています。
本当ならこの後は打ち上げがあるのでこんな事をしている暇はないのですが、それでも私はここから動く気にはなれません。
時間が許す限り、ここからの景色を眺めていたい。
輝く世界には終わりを告げ、何もない無機質なものと成り果ててしまうことに、らしくもなく感傷的になってしまいますが今日くらいは許されるでしょう。
明日からは、またアイドルと事務員の二足草鞋で慌ただしく騒がしくも楽しい日々が待っています。
それが嫌なのではなく、むしろどんな事が起こるのだろうと楽しみにしている自分もいます。でも、今はここがいい。
そんな気分なので、仕方ないのです。
「渡さん、探しました」
観客席を眺め続けていると後ろから声をかけられました。
振り向かずとも気配や声で武内Pだとわかります。いつまで経っても控え室に戻ってこない私を探していたのでしょう。
こうして迎えが来たのですから、すぐに移動すべきなのでしょうが、それでも私の身体は動くことはありませんでした。
まるで、我が侭を言う子供のようですが、もう少しだけなら許されるでしょう。
「座りませんか?」
そう誘うと、数秒程度悩んだ末に武内Pは同じようにステージの縁に腰掛けました。
他の人に見られても弁解できるように、少し距離を置いて座るところも不器用な彼らしい配慮です。
「見慣れた光景のはずなのに、今日のこの眺めは違うように見えるんです。何ででしょうね」
「‥‥」
「歌い終わって、観客みんなに拍手を貰って、嬉しくて嬉しくて」
武内Pは何も答えません。ただ私が言いたい事を零しているだけで、助言をするのでもなく解決策を提示するわけでもなく。
黙して私の言葉を聞くだけ。それだけなのに、それが嬉しくて心地よい。
聞かされる心中はどうなのかは知りませんが、確かに私の胸のうちはすっきりと穏やかになっていきました。
「でも、それは終わってしまいました」
「‥‥」
右手を首に回し、何か掛ける言葉を探しているようですが、私は構わず言葉を続けます。
「ねえ、武内さん」
「‥‥はい」
「舞台の私は、どんな顔をしていました?」
観客席ではなく武内Pの方を見て、問いかけました。
チート能力もありますし、舞台を楽しむことができたので笑顔だったとは思うのですが、それでも武内Pの口から聞きたいのです。
私の笑顔は、誰かを魅了し笑顔にさせられるものだったのかを。
「いい笑顔でした」
たった一言。
どこがどう良かったとかを述べるのでもなく、何の飾りもない言葉でしたが、それでも様々な思いが込められたとわかる万感の一言でした。
少しだけ柔らかい表情で言われたその言葉は、私の中にすんなりと入っていき温かくもこそばゆい気持ちにさせます。
「そうですか」
「はい」
そこからしばし無言となりましたが、不思議と嫌ではありませんでした。
しかし、こうしているとあの妖精社での失態を否が応でも思い出してしまいます。
今でこそお互いがなかったことにするという形で何とか落ち着いて話せるようになりましたが、それでも1週間近くは酷いものでした。
「武内さん」
「何でしょう」
「これからも、よろしくお願いしますね。頼りにしていますよ」
私をトップアイドルの高みへと連れて行くと約束したのですから、その責任は取ってもらわないといけません。
ですから、今後も色々と迷惑を掛けたり、数々の困難等も待ち受けていたりしているでしょうが、それでも皆と一緒なら何とかなるような気がします。
「はい、お任せください」
「はい、お任せします」
少しだけ離れていた距離を詰め、武内Pに寄り添うように隣に座りなおします。
ちひろには悪いかもしれませんが、恋愛感情はないので勘弁してもらいましょう。
いきなり距離を詰めてきた事で武内Pは身体を固くし戸惑っていたようですが、私がハイタッチを求めるように手を挙げるとそれもなくなりました。
力強く打ち合わされた音は、私達以外に誰もいないホールに響き渡ります。
「さて、戻りましょうか」
「はい。皆さんが、渡さんをお待ちです」
ということで、今回の貴重な経験から私が胸に抱いた決意を、いかにも売れるライトノベルのタイトル風に述べさせてもらうなら。
『チートを持ってアイドルデビューしたので、2X歳だけどトップアイドルを目指す~今が私の前奏曲~』
この後、いい雰囲気で一緒に戻ってきた私達に対して他のアイドルたちが関係を邪推したりして、ちひろが暴走しかけたりして宥めるのが大変だったり、未成年組が楓の持ち込んだお酒を誤って飲んでしまったりと打ち上げで色々起きるのですが、それはまた別の話です。
これから少しの間は、七実視点ではなく他キャラ視点による番外編を投稿予定です。
投稿まで、期間が空くかもしれませんがご了承ください。