空を見上げる。
墨を流したような真っ暗な夜空には数え切れない星が輝いていた。寄せては引く波が立てる規則的な音に混じって聞こえるのは、船の汽笛だろうか。
生まれ育った街では決して知ることの出来なかった光景ではあるがそれを見る彼の目にはさしたる感慨も浮かんでいなかった。
春とは言え、夜の潮風の吹く海岸線はまだ冷たい。ぶるりと体を震わせて彼は懐から取り出したタバコに火を付ける。
「あー……」
ため息ともうめき声ともつかない気の抜けた声を出して堤防の上に横になる。
肺を一度満たした煙を吐き出してぼんやりと夜空を見上げる彼の心中を占めているのは凄まじいまでの後悔であった。
何とかなるだろう、そう考えて来てみた旅先だったが見通しが甘すぎた。瞬く間になくなってしまった金を少しでも取り返そうとなけなしの1万円をパチンコに突っ込んでしまったのは今でも悔やまれる。しかも結果は泣けてくる程の惨敗だったのだから尚更だ。
「どこで間違えちまったんだかね……」
誰も周りにいないのをいいことにそんな問いかけを口に出してみる。勿論答えてくれるものはいなかった。
何となくの興味で客船に乗り込んだ時か、それとも家賃滞納でアパートを追い出された時か。
それとも夢を追いかけて家を飛び出したあの時だろうか。
思い返せば若い頃のイタい言動ばかりが呼び起こされて頭が痛くなってくる。
『大きな男になるんだ!』そう宣言して家を飛び出して早数年。当初は持ち合わせていた情熱も希望も今となってはどこにもなく、無駄に年を重ねただけの日々だった。
歳だけとってそこに居たのは、住所不定無職、恋人いない歴=年齢の冴えない大人。
財布の中は空っぽで明日の飯にも困る有様、手元にあるのは辛うじて残った帰りの分の船のチケットと、ボロくなったバイク。それに今自分の隣の置かれた夢の残骸だけだった。
どうしてこんなことになったのか。
再びそう考えたら自然と自嘲の笑みが浮かんできた。
吸い終わったタバコを海に投げ捨てて、暗い水を覗き込む。夜の闇を移した水面は不規則に蠢いていた。
いっそ、ここから身を投げてしまおうか。そうすればこんなしみったれた人生ともおさらば出来る。
そこまで考えて堤防から半歩進んだとき、脚が夢の残骸にぶつかった。弦の揺れる音が聞こえて正気に戻る。
硬く、黒い、柩にも似たケースに収められた中身。
しばらくそれを見つめていたら、またしても自嘲の笑みが浮かんできた。
夢の残骸――そう呼んでしばらく開けてすらいないそれをずっと持ち歩き続けていることの滑稽さ。2年間、死ぬ気でアルバイトを続けてようやく手に入れたそれは、多少傷ついてはいるが売り払えばそれなりにまとまった金になるはずだ。
だが、そんなことを考えるよりも先に命を投げ出そうとする自分に心底嫌気がさす。最早終わってしまった夢にまだ未練があるというのだろうか。
今度は声に出して笑う。
涙が出るほど笑ったら、次にやるべき事が決まった。
明日の船で本土に帰ったら、こいつを売っ払おう。そうすれば当座生きていくだけの金にはなるはずだ。
夢や希望を売り払っても、生きてさえいればどうにかなる。人生に必要なのは妥協だ。
「あばよ、短い間だったがそれなりに楽しかったぜ。」
――次はもっと才能のある奴に買われるんだな。
ケースの中身にそう声をかけて煙草をもう一本取り出してくわえる。
安タバコの辛く、それでいてどこか安心する味が口になかに広がった。
「っ!?」
そんな風に格好つけていた時、不意に携帯が鳴り出した。
ここしばらく聞いていないメロディを不審に思いながらも画面を覗いてみる。そこに記されたのは案の定『実家』の文字だった。
「…………はい、もしもし。」
数秒の間とはいえ、さんざん悩みぬいた末、画面上の通話のパネルにタッチ、恐る恐る電話を取る。
『あぁ、何だ生きてたのかい。』
「……いきなりご挨拶だな。」
電話越しとは言え久しぶりに聞く母親の声。
家を出て以来、久しぶりに聞く散々な悪態にどこか安心感を感じてしまうのは気のせいではなさそうだった。
『てっきりもう野垂れ死んでるかと思ったよ。』
「息子相手に何てこと言いやがる。用がないなら切るぞ。」
確かに自分は人様に誇れた息子ではないし、半ば勘当同然の形で飛び出した不孝者ではあるが、イタ電に付き合う趣味は無い。例え相手が実の親であったも、だ。
『あんた、今どこにいる?』
「俺の話は無視か?……まぁいいや。今は……伊豆の方だな。」
人の話をあまり聞かず、自分の話だけを押し付けてくる話し方。昔と変わらないそれに苦笑しか浮かばない。
『静岡かい?』
「いや、諸島の方。……一体何だよ?」
2年間何の音沙汰もなかったくせに、急に連絡をとってきた事が不思議でならない。
何か裏があるような気がして慎重になってしまう。
まさかとは思うが、今更になって戻ってこいなどというつもりだろうか?
『それなら明日の夜には帰れるね。一度実家に帰ってきな。』
「…………は?」
そのまさかだった。
あまりに予想外の出来事に、空いた口がふさがらない。
『じゃ、また。』
「いや!ちょっ!?待て待て待て!急に何だよ?ってか、俺は戻らねぇぞ!?」
『あー、聞こえない。じゃあね。』
意見には耳も貸さずに、彼の母親は一方的に電話を切った。
無機質な音だけが残る携帯を耳にあてたまま彼はその場に固まり続けていた。予想だにしなかった事態に思考能力が追いついていないのだった。
「……戻らねぇぞ」
繋がっていない携帯電話を持ったままぼそりと呟く。
「俺はぜってぇ戻らねぇからな!」
彼の叫び声は波の音にかき消され、夜の中に飲まれて消えた。
こんばんは、はじめまして。北屋と申します。
こういった文章を書くのはほとんど初めての試みとなりますので、何分お見苦しいところをお見せしますが、何卒よろしくお願いします。
さぁ、主人公登場となるわけですが、今回名前すら明かされてない……orz