小さい頃からアイドルになることが夢だった。
キラキラと輝いていていろんな人たちに笑顔を与える素敵なお仕事、それがアイドル。
物心ついた頃からずっと憧れて、そんな風になりたくて、ずっとずっと、いっぱい努力を重ねてきた。
でも、人生ってそんなに上手くはいかないらしい。
空回ったり、失敗したり、思うように進まないことの連続で、何度もくじけて折れそうになる。
そんな時はあの出来事を思い出してみるんだ。
私の夢を真剣に聞いて、励ましてくれたあの人のことを。
あの人も、きっと今もどこかで夢を追いかけているはずだから。
だから私は今日も笑うんだ。
†
夕暮れが近づく時間。
今にも雨が降りだしそうな薄暗い空模様だった。
「……」
少女は無言のままテーブルの上の書類を見つめていた。
どれほどの時間こうしているのか、もくもくと湯気を上げていたホットココアも冷め切ってしまっている。
呆然と席に座り続けるだけの彼女を見て、店主のおばさんも何度かちょっと様子を見に来ていたが、その問いかけにも彼女はロクに答えられていない。最後に何事かを聴きに来た時にも、大丈夫です、と小さな声で答えるのが精一杯だった。
困った顔でおばさんが席を離れてから、もう一度書類を手にとってそれを読み直し始める。
それは入学願書だった。
まだスクールアイドルがそれほど有名ではなかった時代だったが、その高校が誇るアイドルユニット『A-RISE』が評判を博し始めていて、彼女たちを一目見た時から虜になった。
UTX学院――彼女が心の底から行きたいと、そこで夢を叶えたいと願った学校。
「……ッ」
パンフレットをめくる手がある1ページで止まった。
入学金の欄――そこには相変わらずに考えられないような数字が載っていた。
それを初めて見たときはあまりのショックで思わず家を飛び出してしまった。何も考えられないまま走り出して、気がついたらいつもは入らない喫茶店でずっとこうしているのだった。
アイドルになりたいと、小さな頃から願ってきた。そのために何度も努力をして、その度にお金が原因で諦めることを経験して、それでも負けずに頑張って――
またしても、そんな理由で夢が崩れていくのを感じた。
書かれた文字が視界で歪んだ。
悲しくて、辛くて、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
――泣いちゃ、ダメ
心のどこかでそんな声がする。
今までもどんない辛い事があっても泣かずにきた。泣いたらそこで本当の負けになっちゃうから。
だから今もこぼれ落ちそうな涙をこらえて引っ込むのを待つ――
「ほい。どーぞ、っと」
不意に視界の横から手が伸びて、目の前に湯気を上げるココアが置かれた。
驚いてその手の伸びた方向を見つめると、そこには自分よりも年上と思わしき少年が立っていた。
全体的に黒っぽい服を着た、逆立った髪が印象的な男性だった。ガラの悪いその風体に彼女は警戒してしまうが、彼は彼女の顔を見るなり、にっこりと見かけとはかけ離れて人懐っこい笑みを浮かべた。
「ちょっと相席させてもらうぜ。」
返事をする間もなく、少年は彼女の前の椅子に勝手に座り込む。
辺りを見回してみるが店内には人影がなく、彼女と少年以外はいない。新手のナンパか何かだろうか。
「っと、そんなに警戒しないでいいぜ。別に新手のナンパだの宗教勧誘だのじゃねぇから。ただちょいと気になってな。」
「……気になった?」
警戒しながらも問いかけてみる。
「あぁ、俺の性分でね。たいしたこっちゃねぇんだが……それはそうと、君、矢澤にこちゃんだろ?」
「!? 何で知ってるんですか?」
見知らぬ男性にいきなり名前を言われて彼女――にこはいつでも逃げられるように椅子を引いた。
対する少年はというと、焦ったように両手を目の前で振って否定する。その酷く必死な様子があまりにコミカルで、見ていると途端に毒気が抜けてしまった。
「いや、その、警戒しなくても……俺も君と同じ中学出身でね。面白い後輩の話は割とよく聞くんだ。っと、そうだ!紹介が遅れた。俺は津田 京助ってんだ。」
「津田……先輩ですか?」
名前を呼んでみてふとひっかかる物を感じた。どこかでこの名前に覚えがある。
確か――
「もしかして、文化祭のライブで、舞台上で大喧嘩始めた津田さんですか?」
「っ!?ま、まぁ、そんなこともあったな……ってかそんな話まだ残ってるのかよ」
生徒の間で半ば伝説じみて語られる話を振ってみると、明らかに動揺した様子で彼はそれを認めた。
「他にも、気に入らない先生の車に落書きしてまわったとか、好きな子の気を惹こうと3階の窓から飛び降りたとか……」
「もうその辺にしてくれ……」
にこの話を手で制して京助は顔を覆ってうつむいてしまう。
代こそかぶらなかったが、在学中には喧嘩と悪事に明け暮れた人だと聞いていた。当時を知る人は口を揃えて『絶対に関わるな』と言うが――
実際に会ってみて、噂とその実態に大分落差を感じた。
「で、その津田先輩が何の用ですか?」
きっ、と睨みつけてそう問いかけると、京助はにやりと不敵な笑みを浮かべ返した。
「そんなおっかない顔すんなよ。なんつーか、その、あれだ。君――あれだろ?アイドルを目指してるんだって?」
アイドル
彼の口から飛び出した言葉を聞いて、立ちくらみのような感覚に襲われる。つい先ほどまで彼女を悩ませていた黒雲が再び沸き立ってくる。
雲行きの怪しくなった彼女の顔を知ってか知らずか、京助は徐に彼女の手元から書類をひったくった。
「あ……!」
「うおッ!何だこの値段!?信じらんねぇ!!」
大げさに驚いてから書類全体を見回して、彼は渋い表情を浮かべた。
「成程、矢澤ちゃんはここの学校に行きたかったわけか……」
先ほどまでとは打って変わって、真面目なトーンで言う。
それを耳にして、引っ込みかけていた涙がまた顔を出す。泣いちゃいけない、泣いたら本当の負けになる――
「気にすんな、とは言えねぇな……ずっと行きたかったんだろ?でもな――」
一息ついて、彼は真剣な眼差しをにこに向けて問いかける。
「よく考えてみろ。お前がなりたいのは何だ?ここの生徒か?それとも――No,1アイドルか?」
何かが、音を立てて崩れたように感じた。
ショックのあまりに忘れていた。自分がなりたいものは一体なんだったのか。
自分がなりたいのは――自分の夢は――
「別にここに行かなきゃ夢が叶わないってわけじゃないんだろ?なら、前を見ろよ。足元ばっかり見てても面白いことはないぜ?」
そう言って、彼は自分のコーヒーを口にする。
「……笑わないんですか?」
「あん?」
「私の夢――笑わないんですか?」
途端に京助の眉間に皺がよった。
「あ゛?人の夢を――それこそ努力を笑う野郎がどこにいるんだよ?」
怒りを顕にして言い切る。
今まで夢を聞いて、笑わずに、真剣に受け止めてくれた人はにこにとって初めてだった。
「……津田先輩の夢って何ですか?」
少し気になって問いかけてみる。
すると彼は、にやり、と笑ってテーブルの横に立てかけられたケースを手で叩く。箱の中からは何か弦が揺れるような低い音が聞こえた。
「俺の夢はこいつで日本一になることだ。」
真面目にそう言う彼を見て、にこは思わず吹き出してしまった。
そんな彼女を咎めることなく、京助は笑って
「そうそう、その笑顔だよ。あんたは笑ってた方がいいぜ。――そうだな、決めた。」
「?」
「今から俺は……第何号かは知らないが、あんたのファンだ。あんたの夢、ずっと応援してやるよ。」
真っ直ぐにそう言う彼の目を見ていると、何故だか顔が暑くなってくるのを感じた。多分、店の空調の所為だ。
赤くなった顔をごまかすように今度はこっちから思い切り彼の目を見据えて宣言する。
「ふん!上等よ!ならこの私の――スーパーアイドルにこにーのファンにふさわしく、あなたも絶対夢を叶えなさいよ!」
「おう、そっちこそ上等じゃねぇか。あんたもその夢、絶対叶えろよ!」
お互いに声を出して笑い出す。
窓から見える空はいつの間にか晴れて、綺麗な夕焼けが浮かんでいた。
†
「ほい。これは俺のおごりだ。」
「……ありがと。」
京助が出したアイスココアとカップケーキを受け取ると、にこは席についたまま黙り込んでしまった。
お互いに何を話せば良いのか分からずに黙り込んでしまい、気まずい空気が店内に流れていた。
「……久しぶり、だな。3年ぶりだっけか」
「えぇ……」
沈黙に先に耐え切れなくなったのは京助だった。
「いきなり見かけなくなるから驚いたわよ……ファンに刺されて死んだとか変な噂も聞こえてくるし。」
――心配、したんだから。
そう小さく付け足されたような気がした。
「まぁ、あれだ……一応こうして生きてはいるよ。」
あの頃は色々とごたついていて、周りに気を使う余裕がなかった。
その所為でいらない心配をかけていたのかと思うと、ちくりと胸が痛んだ。
「まだ――夢は諦めてないんだな?」
話題を変えるように京助は問いかける。
穂乃果達、μ’sのメンバーにちょっかいをかけているのはつまりそういうことだろう。
「えぇ。当たり前でしょ……」
思った通りの答え。
しかし、そこに昔のような元気がないように感じられるのは、きっと気のせいではない。あの後ずっと努力を続けてきたのだろう。そして何度も空回ったり、上手くいかないことにぶち当たったりしてきたのだろう。
――まるで俺だ
そう思って、しかし京助はその考えを直ぐに否定した。
自分は夢に敗れ、諦めた。
だけどこの子は違う。少なくともまだ夢を諦めてはいない。
「μ’sの子達と、おんなじ学校なんだな。」
「……」
μ’sの名前を出したとたん、にこの表情が一気に曇った。
何かしら思うところがあるのだろうか。
「少し聞いたが、どうも解散しろとか言ったらしいな。どういうことだよ?」
先ほど穂乃果たちがしていた話を聞いてみる
「あの子たちがやってるのはアイドルへの冒涜なのよ」
不機嫌さを隠そうともせず、吐き捨てるように彼女は続ける。
「アイドルのなんたるかも知らない、圧倒的に知識も何もかも足りないのにスクールアイドルなんて……遊び半分でやってるとしか思えない。」
言うだけ言うと、彼女は飲み物を一口飲んで小さく溜息をついた。
「いや……俺もそんな見てるわけじゃないが、あの子達は遊び半分なんてわけじゃないだろうよ。いきなり解散しろってのは……」
彼女の言わんとしている事も、その気持ちも十分に分かるが、一先ずは大人として正論を述べてたしなめてみる。
にこはそんな京助を一瞥すると、
「そういう津田先輩だって、ただのど素人がいきなり先輩の楽器のことを面白半分に語ったら、」
「問答無用で殴り倒す。話はそのあとだ。」
――話によってはその後も立て続けに蹴飛ばすかもしれない。
言ってから後悔に襲われて頭を抱える。状況を想像したら反射的に言葉が口をついて出てしまった。
にこはそんな京助を見て、ほらやっぱりとでも言いたそうな呆れた顔をしていた。
「と、ともかくだ。」
咳払いをして続ける。
「俺が言うのもあれだが、あの子達のこと……ちょっと気にかけてやってくれないか?」
「はぁ!?なんで私がそんなこと……」
にこは目を丸く見開いて反論しようとするが、彼と目があった瞬間黙り込んでしまう。
京助の目は、いつか初めてあった時に、夢を語ったときと同じように真剣そのものだった。
「……ホントは、矢澤ちゃんも気になってるんだろ?」
「……ッ」
「知識がないなら学んでいけば良い。足りない物があるならこれから身につけていけば良い。……そのために、アイドルのなんたるかを、教えてやってくれないか?」
†
にこが帰って、誰もいなくなった店内。
清掃を終えて、“close”の看板を外に出すと、本来は禁煙の店内でタバコに火を点けた。
「……ふぅ」
苦い紫煙を吐き出して、彼はぼんやりと考えていた。
μ’sに興味があっても、あと一歩踏み出せない。
そんなにこの気持ちが京助には何となく分かる。きっと、その一歩を踏み出すために必要なのは小さな後押しだけ。その小さな後押しを引き受けただけのこと。
それは、いつもなら面倒くさがって絶対にやらないような役割だった。
――その夢、絶対叶えろ
そう約束した時の京助はもうここにはいない。
だからせめて、彼女には夢を諦めて欲しくなかった。
「――結局言えなかったな」
自分が夢を諦め、逃げ帰ってきたことを、結局にこに伝えることが出来なかった。
胸の奥で何かが刺さるような鋭い痛みを感じた。
こんばんは、北屋です。
風邪をひいて喉がいたい現状です
さて、先日はスクフェス感謝祭に行ってきましたよ!完全再現の部室には思わず興奮で声が出ました。
ジャージの購入でお財布が火の七日間を迎えていますが後悔はありませんw
次回も更新頑張っていきます!