狭苦しい部屋。
開け放った窓から聞こえてくるのは遠く離れた車の音だけだった。
草を枕に聞く風の音はいいものだが、落ち着いて柔らかな布団の上で聞く都会の音と言うのもタマには風情があっていい。
両腕を枕に寝っころがり、膝を組んだまま天井を見上げて薄く笑って――
「だぁぁぁぁあああ!!寝れねぇ!!」
叫んだ。
初夏の陽気の弊害か、部屋の中はいつもよりも気温が高く、じめっとした空気にシャツが汗ばんで気分が悪い。
エアコンを付けるにも中途半端なこの空気の所為で、全く寝付けなかった。
「ちっ……!!」
盛大に舌打ちをして寝返りをうってみるものの、何が好転するわけでもない。
余計にイラつきを増すだけだ。
上体をおこしてなんとは無しに辺りを見渡してみても、目に入るのは物の少ない殺風景な部屋だけだった。
どうしようもなく独りきりの、寂しい部屋。
―― 一人が嫌いなわけじゃない
むしろ周りに人がいたことの方が稀だった。
生まれ持っての荒っぽい性格が災いして、寄ってきた人はすぐに離れていく。そんな中でも最後まで一緒にいてくれた5人の仲間たちも、もういない。彼らのことは自分から切って捨てた。旅の途中で、少しのあいだだけ横にいた人ももういない。
いつも結局は自分一人だけになる。
だから、そんな自分の有り様は慣れたものだった。そんな自分の道に後悔は何もないはずだった。
津田京助という男の行動理念は単純だ。ただ、“後悔だけはしたくない”の一心だけが彼の指針であり、矜持である。
――それなのに、
こうして眠れない夜は考えてしまう。
いくら後悔のないように心がけてきても、所詮は人間のやること。どうしたってあの時あぁすれば良かったと、そう思ってしまう。
「……考えるのは苦手なんだよ」
一人呟いて京助は布団から立ち上がった。
寝付けない夜は苦手だ。どうしても昔のことを悶々と考え込んで、憂鬱な気分になってしまう。
元より物事を考えられるような頭はもっていない。それなのに考えを巡らしても意味はない。考えるよりも動いている方が自分の性分には似合っている。
ポケットにはタバコとライター、薄汚れたジャケットを羽織って、彼は夜の街へと繰り出した。
†
夜の街、喧騒から少し離れた場所。
頼りない街灯の光で薄ぼんやりと照らされた石段を駆け登る足音があった。
小気味良い、乱れのないテンポ。
やがて足音の主の少女は石段を登りきり、そのまま大きく息をついて呼吸を整えた。
「ふぅ……今日はこんなとこ、かな?」
汗ばんだ額をタオルでぬぐい、今上って来たばかりの石段を見下ろしてみる。最初の頃は一気に駆け上がるのさえ困難だったのに、今では往復を何度か繰り返せるくらいまでには体力がついてきていた。
彼女は一番最後に入ったメンバーで、なおかつ海未や凛のように下地となる体力もなければ親友のようにダンスの経験があるわけでもない。それを自覚しているからこそ、せめて足を引っ張ることの内容にこうして、時たま夜も一人で練習に出ているのだった。
軽く柔軟運動をして、帰り支度を整え切った時、ふと何か覚えのある焦げた匂いを感じた。
「お嬢ちゃん、こんな夜中に一人とは危ないぜー」
「!」
不意に掛けられた声に、思わず小さな悲鳴がこぼれそうになった。とっさに振り返って暗がりに目を凝らせば、そこにぼんやりと浮かぶのはオレンジ色の、蛍にも似た小さな灯火。街灯の頼りない光に照らされて揺らめく紫煙。
気だるげに歩いてこちらに近づいてくる人影の正体を悟って、彼女はほっとした顔で彼の名を呼んだ。
「こんな夜更けにどうしたん?津田くん」
ぱさり、と。薄汚れたジャケットを翻し、お互いの顔が見える位の距離までくると京助は立ち止まってタバコを携帯灰皿に放り込み、
「別に。蒸し暑くて寝付けねぇから、ちっと夜の散歩と洒落こんでみただけだ」
いつも通りの疲れたような仏頂面で、ぶっきらぼうに彼はそう言った。
「そういう東條ちゃんは……練習か」
「まぁ、そんなところやね」
「朝練に放課後の練習、その上で夜までときたら流石に辛ぇだろうよ。おまけに若くて綺麗な女の子が夜更けに一人、なんていくら街ん中でも関心しねぇな」
眉を寄せて言う彼を見て、希は何だか少しだけ可笑しくなってしまう。
いつもμ’sのメンバーを前にすると嫌そうに――それこそ何故か自分といるときは特に嫌そうにしているのに、時折見せる彼の反応はその真逆で、面倒見の良さを感じさせる。
「ん?心配してくれてるん?……津田くんがまともな大人らしいこと言うの初めて聞いたわ」
「別にそんなんじゃ……あるけどよ。ってか茶化すな」
そんな彼の不器用な様子を見ていると、何故だか揶揄いたくなる。
おまけに反応もいちいち面白くて余計に拍車がかかってしまう。
明らかに年上なのに、どこか同年代を相手にしているような親しみやすさがあって、希は割と彼のことを気に入っていた。
「まぁ、周りに迷惑かけたくない、って気持ちは分かるがな」
ふと、何の気なしに彼がくちにした言葉に、一瞬固まってしまった。
「……見かけによらず鋭いなぁ」
いつもは昼行灯の如くぼんやりとしているくせに、時折妙な鋭さを見せてくる。
一年生の加入時や絵里の件の時も横合いから後押しをしてみせたそれはただの一般論を述べただけのことだったが、よく考えてみれば見事に核心を付いていた。
当事者でない彼だからこそ出来る岡目八目と言ってしまえばそうなのかもしれないが、それだけにはとどまらない何かがあるようで、そこが希にも不思議だった。
なんと言っていいのかは分からない。だが、言葉の節々に血が通っているかのように、彼のアドバイスには耳を傾けてしまうような何があった。
「さてと。お前の家はどっち方面だっけか」
「え?」
「こんなロクデナシの野郎が一緒じゃ嫌だろうが――家の近くまで送ってやる」
そう言って京助は不機嫌そうな顔でそっぽを向いた。
思わぬ申し出に、希もきょとんとして、
「新手の送り狼?」
「阿呆、小娘に手を出す趣味はねぇよ。……お前を心配してやる義理なんざ一片たりともないが、こうして会っちまった以上、何かあったら寝覚めが悪そうだ。これ以上俺の安眠を妨害されてたまるか」
不機嫌を通り越し、怒っているのかと思うくらいの険しい表情で京助は希の前に出て、歩き出す。
その広い背中を見つめているうちに、彼女は何だか可笑しくなって笑ってしまった。
口が悪くて態度も習慣も悪い。一見すると人生の悪いお手本みたいな青年なのに、不思議と親しみの湧いてくるその訳がようやく分かってきた。
斜に構えているだけで、その本質はどこまでも不器用なお人好し。
「何笑ってんだ?ほれ、これ以上遅くならないうちに帰るぞ」
「津田くん、うちの家そっちやないよ?」
目の前で京助がずっこけた。
しばらく夜の街を歩いていた。
京助が希の斜め後に微妙な距離を置いて立つ形で、二人共終始無言。話題もなく、どちらも何か話しかけることはない。
「ここから家まで近いのか?」
「うん、もう見えてきた」
希が指差す先にあるマンションを確認して京助はそこで立ち止まる。
「んじゃ、俺はここらで失礼するぜ」
「うん。ありがとな」
「別に礼を言われる筋合いはねぇよ」
ぶっきらぼうに言って、彼は踵を返す。
それは彼なりの照れ隠し。
分かってしまえばそんな彼の様子も気にならない。
「そういえば、今度オープンキャンパスでライブやるんやけど、」
「行かない」
即答だった。
「女子高のオープンキャンパスに野郎が行くのはマズイ……ってかキツイ。つーか勧めてくるなよ」
「えー?でも前に穂乃果ちゃん達のライブ見に来とったやん。あの時みたいにうちが手引きすればええやろ」
「あれはあれで滅茶苦茶キツかったんだ。もう二度と同じ間違いはしねぇよ……じゃあな」
踵を返して、彼は歩き出す。
そして、ふと思い出したように片手を上げ――後ろ手に小さく手を振った。
†
「パン屋さん!」
「こんにちは高坂ちゃん、南ちゃん、園田ちゃん」
昼時の購買、いつもの顔ぶれ。
もはや恒例と化した彼女達とのつかの間の会話。
「あのね!今度9人でライブやることになったの!」
開口一番、聞かされた報告に京助は苦笑を浮かべ、
「あー、東條ちゃんかも聞いてるよ。オープンキャンパスだっけ?」
「うん。今度の休日なんだけどパン屋さんも見に来てよ」
「昨日もおんなじこと言ったんだが……流石に女子高のオープンキャンパスに来るのはキツイ。悪いが遠慮しとくよ」
「その学校に乱入した人がよく言いますね」
「……引きずるなぁ、園田ちゃん。まぁ、ともかく応援はしてるよ。困ったことが……」
そこまで言って言いよどんでしまった。
「え?」
「いや、なんでもねぇ」
――困ったことがあったら、力を貸す
その一言が、どうしても言えなかった。
力になりたい、出来る事をしたい、そう思ってもまだ卑屈な心が邪魔をする。
自分なんかが関わったら彼女たちに迷惑ではなかろうか。自分の力なんかは何の足しにもならないんじゃないだろうか。
次々と浮かんでくる悪い考えに、表情が曇ってしまう。
「はい!何かあったら相談にのってくださいね」
京助は、はっとしてことりを見つめる。
心情を察してくれてのことなのか、京介には分からなかったが、小首を傾げた彼女の可愛らしい笑みを見たら、一気に肩の力が抜けるのを感じた。
「あぁ。相談だけなら――貸せる力ならいくらでも貸すよ」
今度こそ、言いたいことがちゃんと言えた。
穂乃果も海未も一瞬きょとんとしたが、すぐに、
「うん!」
「また、作詞の事をお聞きしてもいいですか?」
――何だ、簡単なことじゃないか
二人の返事を聞いて、心に浮かんだ曇りが消えた。
『やりたいことをやってみればいい』
そう語ったのは誰だったのか。
「……おう」
努めて表情を動かさず、なるべくぶっきらぼうに言い放つ。きっと今の自分は苦虫を噛み潰したかのような顔をしているのだろう。
だが、そうでもしなければ似合いもしない顔がでてしまいそうだった。
「どうしたのおじさん?そんな嬉しそうな顔して」
「あれ?凛ちゃんに花陽ちゃん」
ひょっこりと廊下を曲がって顔を出した凛が顔を見るなり怪訝そうに尋ねてきた。
「出会い頭に誰がおじさんだ小娘。……俺が嬉しそうに見えるか?」
「うん。そんな変に固い顔してる時って大体照れ隠しでしょ?希先輩が言ってたにゃ」
「……」
――東條ちゃん、余計な事を……
心の中で悪態をつくも、当たっているので反論することも出来ずに頭が痛くなる思いだった。
「こ、こんにちは、津田さん」
「こんにちは、小泉ちゃん」
挨拶を返す。
相変わらずどこかおどおどとした花陽の様子に、京助は眉をひそめた
「どうしましたか?」
「いや……何か怖がられてるのかと思ってな」
初めてあった時に比べれば幾分か態度が軟化してきたような気もするが、花陽は未だに京助と話す時に遠慮しているというか、おっかなびっくりという様があった。
遠慮してくれるのは構わないが、こうも怖がられるような態度を取られると、流石の京助としても若干堪えるものがある。
「そんなつもりじゃないんですけど……」
「おじさんがいつも怖い顔してるからだと思うにゃ」
「てめぇはいい加減おじさん呼びを改めろ。そんなに怖い顔してますか、俺?」
場に居合わせた全員に同時に頷かれてしまった。
自分で自分の頬をつねりあげてみる。
人相が宜しくないことは自覚しているが、少しだけ凹んだ。
「パン屋さんはもう少し明るい表情したほうがいいと思うよ!」
「営業スマイルも固いにゃ」
「……そうか?」
――これでも少しはマシになったんだぜ?
聞こえないようにそう呟いて、京助は表情には出さずに微笑んだ。
夢にへし折れてからというもの、灰色の毎日を送ってきた。代わり映えしない、楽しくもなんともない日々が最近では少しだけ――ほんの少しだけ楽しくなってきた。
灰色の荒野に派手な9色の色をつけてくれたのは誰なのか……そんなのは分かりきっている。
「何だか、無理に怒った顔をしてるみたいで……楽しい時は楽しんでもいいんですよ?お兄さん」
「……あぁ、ありがとな。……ってお兄さん?」
「え?あ、すみません。何て呼べばいいのかわからなくて、その」
「い、いや。別に構わねぇよ」
むしろ少し嬉しかった。ようやく実年齢っぽい呼び方をされて、頬が思わず緩んでしまう。
“お兄さん”……悪くない響きだった。
「あー!おじさん照れてるにゃ」
「う、うるせぇ猫娘!首根っこ掴んで放り捨てんぞ!!」
慌てて口元を隠すが最早遅し。
ばっちりと見られてしまっていた。
「たまにはそんな顔してもいいんですよ?京助さんも見かけよりは若いんですから」
「そうですね。今は確かに年相応に見えましたよ」
「おじさんが今お兄さんっぽかったにゃ!」
心をえぐってるく少女たちの言葉を聞いて、京助の額に青筋が浮かんだ。
少し気を許すとこれである。
「もう教室に帰れよガキ共……!」
昼休みも終わりに近づいた時分、一人の青年の悲痛な声が廊下に響いた。
こんばんは、北屋です。
リアルが落ち着いてきて、楽しく執筆が出来る余裕が生まれてきましたよ。
まだまだ一期相当の話は続いていきますので、のんびり気長に待っていてください。
ではではー