ラブライブ! ―夢を追って―   作:北屋

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第二十六話 羊駱駝は安らかに草を食み

夢を、見ていた。

夢の中の自分は、まだ幼い子供。小学生くらいの、目つきの悪いガキだった。

 

それは、京助がまだ幼かった頃の記憶。

運動も勉強も人並み以下。何のとりえもない子供だった。

その代わりとでも言うように、毎日くだらないことで喧嘩にあけくれて、傷だらけになる日々を送っていた。

喧嘩だってそんなに強いわけじゃない。一方的に殴られることのほうが多くて、でもどんなに怪我をしても、絶対に人前で痛がったり、涙は見せなかった。

弱いところを、誰かに見られるのが嫌だった。

 

 

「!」

 

 

痛みをこらえて廊下を歩いていると、どこからともなく聞こえて来る音がある。

それは澄んだピアノの音だった。

音楽に何の興味もなく、感動も覚えたことのない彼だったが、それでもその音には何か惹かれるものがあった。

気がつけば、足は勝手にその音の方に歩き出している。何かにとりつかれたようだと、幼心にそう思ったのを今でも覚えている。

 

 

「……」

 

 

たどり着いたのは、音楽室だった。

精一杯背伸びして、教室の扉、その窓から中を覗き込む。

夕焼けで真っ赤にそまった部屋の中、誰かピアノの鍵を叩いているのが見えた。

 

『羊は安らかに草を食み』

 

その曲のタイトルを知ったのは随分後になってのことだった。

音楽とは、こんなに楽しいものなのか。こんなに切ないものなのか。こんなにも――心を打つものなのか。

初めてそう思った。

そして、たった一人で、わき目もふらず一心不乱に曲を弾き続ける彼のその姿が、輝いて見えた。

自分も、あんな風になりたいと、そう思った。

 

 

 

「!?」

 

 

演奏を終えた彼と、目があった。

自分と同じ年の少年。どこかで見たことのある顔だった。

一瞬、このまま逃げてしまおうかと思って、しかしすぐに諦めて教室に入り、彼に声をかける。

 

 

「……上手いね」

 

「ありがとう」

 

 

うっすらと、優しく微笑むその顔が、何故か京助には寂しそうに見えて仕方がなかった。

だから、京助は言葉を続けた。

 

 

「もう一曲、きかせてよ」

 

「……いいよ」

 

 

驚いたように目を丸くして、すぐに少年はまた笑顔を作る。そこに先ほどの寂しさは感じられなかった。

 

 

 

 

これは津田京助と、ある少年の出会い。

そして、彼が夢を持つきっかけとなった、ある日の記憶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かちん、と小気味の良い音を立てて、オイルライターの蓋が開く。

オレンジ色の火を口元のタバコに灯せば途端に辛い煙が口を通って肺の中まで満ちてきた。

朝一番の一本。朝食やコーヒーよりも先に一服入れるのは彼の習慣であり、ささやかな楽しみであった。

 

 

「ふぅ……」

 

 

紫煙を吐き出して空を見上げる。まだ上ったばかりの太陽が、起き抜けの目に眩しい。今日も一日暑くなりそうだった。

 

――ここ最近、いろいろなことがあった……

 

煙を楽しみながら、寝ぼけた頭でぼーっと考える。

高校に乱入してみたり、柄にもなくアイドルショップに行ってみたり、メイド喫茶に連れ込まれたり、作曲の手伝いを頼まれたり。

ほんの数日前のことともなれば、遊びに行った先が、件の少女達の合宿先とかぶっていたのは、最早笑うしかない偶然だった。

何故か昼食を振舞うことになったかと思えば、折角の魚料理を、凛にダメだしされてより凝った料理を作る羽目になったのは、今思い出してもため息しか出てこない。

そして何より――

 

 

「あいつ、元気にしてたな……」

 

 

旧友と再会出来たことが何より彼の気分を高揚させていた。

あの一件で京助が消えてから、友人は自分の道を進んでいた。

かつての仲間は誰も皆、それぞれの道を見つけて歩み続けているらしいことを知って、わだかまりが少しだけ消えたような気がした。

対して自分はどうなのか?

歩みを止め、倦怠の中に身を沈めるこんな自分は、友人の目にどう映ったのだろう。

自分がひどく情けなかった。こんな自分を変えたいと、切に思った。

しかし、このやり場のない思いを、どこに向ければいいのか。

 

 

「ちっ……」

 

 

吸い終わったタバコを灰皿に押し付けて、舌打ちを一つ。気を落ち着かせるためにもう一本、火を付けようとライターを取り出して……

 

――すごい!

 

その一言が、脳裏にフラッシュバックした。

彼女たちの前で、成り行きとはいえ一曲演奏した際に言われた言葉。それは今でも彼の耳に残っている。

向けられた9人分の拍手と、キラキラした笑顔。

己の無才を知り、打ちのめされる日々の中で、ついぞ忘れてしまった大事なことを、京助は思い出しかけていた。

 

 

「難儀、だなぁ……」

 

 

吸おうと思ったタバコをしまい直して、京助は室内にもどる。立ち上げておいたパソコンで、ある文字を検索する。

 

『Love Live』

 

全国のスクールアイドルの祭典にして、μ’sの彼女たちが目指す大舞台。

もちろん誰でも参加可能、というわけにはいかない。ランキング上位20組までが参加できるシステムであり、A-RISEをはじめとした人気チームの影響もあってスクールアイドルというジャンルの注目度が高い現状で、その縛りはなかなかどうして厳しいものであった。

先日、ちらっと見たμ’sの順位は50位。参加可能な領域には程遠い。

あれからさほど時間がたった訳ではない。

だが、あるいは彼女たちなら――

根拠は何もないが、彼には確信があった。

 

 

「っ……!マジかよ」

 

 

確信はあったが、直に目にしてみると驚きの言葉がこぼれた。

画面に表示されていた順位は19位。

彼女達はラブライブ参加への条件を満たしていた。

驚き半分、嬉しさ半分。そして――心に燻るものが、小さな火に変わるのを感じた。

 

――作曲の手伝いを頼みたいの

 

不意に、先日の真姫の言葉を思い出す。

本当は、分かっていた。

自分が何をしたいのか。本当にしたいことは何なのか。

だが、それは果たして正しいことなのか。

こんな才覚に劣る自分が、彼女達にしてやれることがまだあるのか。

 

 

「難儀な……」

 

 

ちらり、と部屋の隅に置かれたギターケースを見やる。固く閉ざされた蓋を開いたことは、帰ってきてから一度もない。

音楽を始めてから、その夢に敗れるまで、ずっと使い続けて来たギター。

京助がこれまでに繰り返してきた血のにじむような努力を、一番間近で共にしてきた相棒ともいえるそれに、恐る恐る手を伸ばす。

 

――俺にも、まだ……

 

この手はまだ動く。この足は前に進める。

一の才はなくとも、それに迫るために続けて来た百の努力と、千の鍛錬を無駄にしたくないと、今更になってそう思えた。

ならば自分にも出来ることは、きっとある――

 

 

「っと!もうこんな時間かよ!?」

 

 

触れかけた手を、はじかれたように戻す。

いつの間にか、店の準備をしなければならない時間へとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パン屋さん!パン屋さん!」

 

「はいはい。ラブライブのことなら知ってるぜ、高坂ちゃん」

 

 

昼休み。いの一番に走ってきた穂乃果を見て、京助は苦笑を浮かべる。

 

 

「え~?なんだ、折角驚かせようと思ってたのに」

 

「そりゃ悪いことしたな……ともかくおめでとさん」

 

 

そっけない調子で言って、彼は穂乃果から目をそらした。そうでもしなければ頬が緩むのを隠すことが出来なかった。

彼女たちの成功は、彼にとってもそれほどに嬉しいものだった。

 

 

「ありがとう!……ホントに夢みたいだよ、まさかこんなに上手くいくなんて!」

 

「……努力の賜物、ってやつだろ。ともかく、まだ出場が決定したわけじゃねぇんだ。気を抜くんじゃねぇぞ」

 

「津田さんの言う通りです」

 

 

遅れてやってきた海未が穂乃果にきっぱりとした口調で投げかける。だがそれは、彼女自身が自らに言い聞かせているようにも聞こえた。

海未も嬉しそうに見えるのは、きっと京助の気のせいではない。

 

 

「現在20位以下のチームも必死で追い込みをかけるでしょうし、今の順位ではたちどころに抜かれてもおかしくはないんですから。私たちも何かしらの手立てを考えないと」

 

「19位、だもんな……ちっと、しょっぱいところではあるな」

 

 

呟いて、彼は顔を上げ――怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「どうしたんですか、津田さん?」

 

「いや……南ちゃん?どうした、何か悩みでもあるのか?」

 

「え……」

 

 

穂乃果と海未から一歩ひいたところで、にこにこと笑うことりの顔にほんの少しの翳りを見た気がしたのだ。

京助に急に話しかけられた彼女は、一瞬言葉に詰まり、

 

 

「いえ、なんでもないです。ちょっと考え事してただけで……」

 

「そうか?……前にも言ったが、相談だけならのるからな?」

 

 

心のそこから心配そうな表情を見せる京助に、ことりははっとしたような顔を浮かべ、しかしすぐに微笑みを取り戻した。

 

 

「はい!……それより津田さん、私達のこと良く見てくれてますね。順位もちゃんと知ってたし」

 

 

今度は京助が言葉につまる番だった。

 

 

「っ……いや、別に、俺は、」

 

「そうですね。聞けば、花陽達の背中を押したのも津田さんだったのですね」

 

「にこちゃんの時もそうだったよね」

 

「その……そんなわけじゃ、俺は……その、すまん」

 

「えぇ!?なんで謝るの!?」

 

 

急な話に、京助も取り繕う言葉が上手く出てこなかった。

思い返してみれば、いろいろなことがあった。それは成り行きとはいえ、彼女達に対して良かれと思ってやったことではあるが、果たしてそれは本当に正しかったのか、自信がなかった。

自分が何かをしなくても、彼女たちはきっと上手くいっていたはずだ。

むしろ、自分が関わった所為で良くない方向に転んでいるのだとしたら――

 

 

「……その、なんつーか、」

 

「ありがとう、パン屋さん!」

 

 

京助の言葉を遮って、穂乃果が太陽のような笑顔でその一言を告げた。

 

 

「パン屋さんがいなかったら、真姫ちゃんたちももっと長く悩んでたと思う。にこちゃんも、絵里ちゃんの時もそう。パン屋さんのおかげだよ」

 

「っ!」

 

 

その言葉だけで……京助は胸の内に立ち込める灰色の暗雲に切れ間が入るのを感じた。

それはきっと、一時の感傷にすぎないのだろう。それでも――彼の凝り固まった心を動かすのには十分過ぎた。

 

 

「思えば、津田さんには、お世話になりましたね」

 

「うん。本当に感謝してます!」

 

「……おだてても、サービスはしねぇからな」

 

 

ぶっきぼうに、死ぬほど不機嫌そうな調子で京助は呟いて、そっぽを向いてしまう。

 

――礼を言うのはこっちだ

 

心の中で、声がした。

 

 

「……ちっ、小娘共。買うもの買ったらさっさとどっか行きやがれ」

 

「えー、その言い方は少し酷くない?」

 

「こっから購買は混雑するんだ。お前らにかまってる暇はねぇっての」

 

「穂乃果、津田さんもお仕事があるようですし」

 

 

まだ不満そうな顔をして、渋々パンを選び始める穂乃果――だったが、京助は有無を言わさず彼女の視線がとまった先の商品を袋に詰め込んでいく。

 

 

「あ!待ってよ!まだ選んでる途中!」

 

「二度も言わせるな、お前らにかまってる暇はねぇ」

 

 

言いながら、京助は目に付いた惣菜パンや菓子パン、焼き菓子の類を次々に袋に詰め込んでいく。

 

 

「ちょ!そんなに買わないってば!」

 

「知るか!代金はいいから持ってけ。そんでもってメンバーと分けろ!残りの奴らによろしく!」

 

 

一息で言い切って袋を押し付けると、京助はしっしっ、と手をふって追い払うような仕草をとって見せた。

 

 

「え、えぇ!?津田さん、いくらなんでもそれは……」

 

「邪魔になる前に帰れっての!出場圏内おめでとう!じゃあな、小娘ども!頑張るのはいいが根を詰め過ぎるなよ!」

 

 

乱暴な言葉と、お祝いと励ましの言葉を入交えて早口に言う。

それは彼にとって最大の照れ隠しであった。

 

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

商品を手に去っていく彼女達の背中を見送りながら、京助は大きくため息をつく。

 

――ありがとな

 

心の中なら何だって自由に言える。

口に出して伝えることが出来れば良いのに、そんな簡単なことさえ出来ない自分は卑怯者だ。

そっと、目を閉じる。

自分は果たして、彼女達に礼を言われるだけのことをしたのだろうか?それだけのことをしてやれたのだろうか?

答えは否であった。

では、彼女達の礼に釣り合うだけのことを――この感謝を伝える術はあるのか?

その問いかけに対して、身の内に答えを見出すことは出来なかった。

 

 

「ちっ……」

 

 

舌打ちを一つ。まぶたを開いて、鋭い目で前を見据える。

内に答えがないのならば、やるべきは一つ。

決意を新たに、京助は購買に迫ってくるお客さんたちに目を向け、営業スマイルをうかべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな店内。

客の姿もまばらとなった時間。静かなBGMだけが店内を支配する。

 

『羊は安らかに草を食み』

 

一体どんな心境の変化だろうか、店内に流れるのは珍しいことにバッハ作曲のクラシック音楽だった。

店主は新聞を読みながら、コーヒーを一口飲む。音楽の影響もあってか、彼の心中はいつにもまして穏やかであった。

 

 

「ずっとこんな静かな時間が続けば……」

 

 

お客さんに聞こえないように、ちいさくぼやく。

そのささやかな願いをかき消すドアベルは、いつにもよりも控えめに鳴り響いた。

 

 

「いらっしゃい……っと、南ちゃんか。一人とは珍しいな。饅頭娘と堅物娘は一緒じゃねぇのか?」

 

 

冗談めかして言うが、対することりはにこりともしなかった。

ただ、何かを思いつめたような、翳りのある表情を浮かべるばかり。

 

 

「……どうした、ひよこ娘。あいつら二人と何かあったのか?」

 

「ううん。そういうわけじゃ、ないんですけど……」

 

 

彼女は顔を伏せる。

穂乃果と海未の二人のことを口の端に出した時の彼女の変化は、言っていることとはまるで真逆だった。

京助は眉間に深い皺を寄せる。そして、頭を掻きながら、

 

 

「……とりあえず、席に座ってな。もうちょいしたら店もすいてくるから……そしたら少し聞かせてくれ」

 

 

ひとまずことりを席に案内し、京助は飲み物を作り始める。

砂糖多めで甘めに作ったカフェオレに、チーズケーキをひと切れ。この頃ではメンバーの好みも大分分かってきていた。

 

 

「ほらよ。サービスだ」

 

「あ!ありがとうございます」

 

 

にこりと笑う彼女、しかし、その表情の裏には矢張り、思いつめたようなものが見て取れる。

 

――そんな顔すんなよ

 

京助は内心で毒づいて、無表情のまま彼女の下を離れていく。

 

――そんな顔されたら、こっちまで……

 

その続きを、振り払う。

それを思ってしまったら、彼女達との関係がこのままでは済まない気がした。彼女たちと、深く関わることになるのが、怖かった。

 

 

 

 

 

「お待たせ。で、どうした、ひよこ娘」

 

 

他のお客さんが帰った頃を見計らって、ことりの前の席に着く。

 

 

「相談だけなら、のってやるよ。だけなら、な」

 

 

極めて無愛想に言う。

相談だけ、と念押しをしたが、実際のところはそれくらいしか彼に出来ることはなかった。それがなんであれ悩み事を解決に導いてやれるだけの脳は彼にはない。

だが―― 一緒に頭を抱えてやることは出来る。

何度も挫折を味わい、その度に何度も立ち上がってきた、正真正銘の凡人だからこそ出来ることがあると、京助はぼんやりと考えていた。

 

 

「うん……」

 

「あ、いや。言いにくいなら言わなくてもいいぜ?こんなロクデナシ、信用にたる男じゃないからな」

 

 

うつむき気味なことりを見て、京助は慌てる。

だが、その卑下するような彼の言葉を耳にして、ことりは顔を上げた。

 

 

「ロクデナシなんて、そんな……何かあった時は相談にのってくれて――今だって、こうして何とかしようしてくれてる。津田さんのこと、私は――私たちは信用してます」

 

 

今度は京助がうつむく番だった。

彼女のストレートな言葉はヤサグレ気味の彼には少々、刺激が強すぎて、ムズ痒さに襲われた。

 

 

「……そいつぁ……買いかぶりってもんだ。それで――どうしたんだ?」

 

 

思わず胸ポケットのタバコに手をやりかけて、ことりの前だということを思い出して手を止めた。

 

 

「……津田さんは、『夢』を追うことについてどう思いますか?」

 

「ッ!」

 

 

それは京助の心をえぐる一言だった。

夢を追いかけ、夢のために全てを投げ出し、結局は夢に敗れ去った男。

逃げ出して、全てを忘れようとしていたというのに――またしても、その言葉は彼を追い詰めていく。

逃げきれない。どこまで逃げても、追いかけてくる

 

 

「『夢』、か……」

 

「はい……もし、もしなんですけど、夢のために何かを諦めなければならないとしたら――友達を裏切ることになるとしたら、津田さんは、どうします?」

 

 

またしても京助は言葉に詰まってしまった。

それでもどうにか、言葉を紡ぐ。己の思いを、経験を言葉にして誰かに告げるのは初めてのことだった。

 

 

「それは、仕方がないことなんじゃねぇかな」

 

「仕方がない、ことですか」

 

 

真剣に聞き入ることりを見て、京助もまた、真剣な眼差しを向ける。

あるいはそれは、以前の、夢を追う最中の彼の顔だったのかもしれない。力強く、どこまでもまっすぐな、澄んだ黒い瞳。

 

 

「『夢』ってのは、誰にも譲れないもんだ。その思いが強ければ強いほど、な。譲れないものがあるなら、それを貫くのは一つの筋ってもんだ。……譲れないもの、譲っちゃいけないモノを譲ったとき、そいつはそいつじゃなくなる」

 

 

言いながら、京助は考える。

今の自分は、本当に自分と言えるのか。

全てを諦め、自堕落に生きるだけの今に意味があるのか。

様々な疑問が胸の内で渦巻き、知らず知らずのうちに、握り締めた拳に力が込もっていた。

 

 

「譲れないモノ……」

 

 

ことりは自分の胸に手を当て、思案げに呟いた。

彼女から視線を逸らしながら、京助はぼそりと続ける。

 

 

「一つだけ、覚えておくといい。譲れないモノを貫き通すってことは――それ以外を全部捨てるってことだ。障害になるものを、踏みにじって進むってことだ。その覚悟が、お前にはあるか?」

 

 

問いかけに答えはなかった。

京助の言葉を噛み締めるように、小鳥は再び俯いてしまっていた。

 

 

「いやな、俺も……」

 

 

京助が何かを言いかけた時だった。

からり、と音を立ててドアベルの音が鳴り響く。

 

 

「いらっしゃ……なんだ、お前らか」

 

「何だとは何よ?」

 

 

なだれ込むようにして店内に入ってきたのは、案の定μ’sのメンバーだった。

京助は呆れたような溜息をついて、彼女たちに飲み物を出すためにカウンターの向こうへと歩いていく。

 

 

「あ、お兄さん。あの、差し入れ、美味しかったです。ありがとうございました」

 

「そうそう!おじさん、ありがとにゃ!」

 

「……何のことだかな」

 

 

そっけない態度で、花陽と凛に返して背中を見せる。

踵を返す前、優しく微笑んだその顔は、しかし彼女たちの目にしっかりと映っていた。

 

 

「ことりちゃん、一人でパン屋さんと何話してたの?」

 

「えっと、その……」

 

「ちっと、南ちゃんに相談にのってもらってただけだ。な?」

 

 

話を合わせるように目で合図して、京助は穂乃果にそう告げた。

 

「相談ですか?津田さんが、ことりに?」

 

「あぁ。チーズケーキなんぞ焼いてみたんだが、自信がちっとばかしなくてな。アドバイスをもらってた」

 

「へぇ?なら、それ、うちらにもアドバイス求めてみない?」

 

「……存外に、おごれって言ってるのが見え見えなんだがな。いいぜ、ラブライブ出場の前祝いだ」

 

 

途端に少女たちが歓声を上げる。

言葉通りに、人数分の飲み物とチーズケーキを切り分けて、それぞれの前に置いていくと、

 

 

「ごめんなさい、津田さん。いつも、こんな」

 

「……若いもんがあんまし気にするもんじゃないぜ、絢瀬ちゃん。ここは大人にいいカッコさせときゃ良いんだ」

 

「さすがおじさん!やっぱりいい人!」

 

「てめぇはちったぁ気にしろ!誰がおじさんだ」

 

 

凛とのいつもの掛け合いを繰り広げながら、京助は空になったトレーを小脇に抱え、テーブルを離れようとする。

踵を返しかけた彼に、不意に声が掛けられた。

 

 

「そうだ!パン屋さん、今度文化祭でライブやるんだけど、」

 

「行かな……いや、文化祭?」

 

 

毎度のことながら、断ろうとして、言いよどんだ。

これまでのように、一部の、生徒や入学希望者を対象としたライブではさすがの彼も参加しづらいものがあった。しかし、今回は文化祭、ならば――

 

 

「そうよ、文化祭!ここでラブライブに向けて最後の追い込みをかけるんだから!」

 

「うん。そんなわけで、津田くんも来ない?招待チケット、うちがあげてもえぇよ?」

 

 

京助の眉間に深い皺が刻まれた。

正直な話をするならば、行きたい。

何げに、絡みがある割には彼が彼女たちのライブを最初から最後まで見たことはないのだ。彼女たちの勇姿を一度、目に焼けつけておきたかった。

 

 

「どうするの?さっさと決めなさいよ」

 

 

せっつくような真姫に苦笑を浮かべて、京助は答えを出した。

自分がしたいことをすればいい。したいことは決まっている。

 

 

「OK、見にいかせてもらうよ」

 

 

少女達の間に小さな感嘆の声があがった。

京助は苦笑を深くするばかり。

 

――ようやく、一歩踏み出せた

 

何故だか、そんな風に思えた。

 

 

「そういえば、先輩。私達のライブ見に来てくれるのは嬉しいけど、今度先輩達のライブにも誘ってよ」

 

「……!」

 

 

息が、止まった。

それは、京助にとって急所とでも言える言葉だった。

己の実力を知り、打ちのめされて逃げ帰ってきたこと。

最早夢を諦めてしまったこと。

この少女に、それをまだ伝えていなかった。

 

 

「ライブ?津田さんも、何かやってらっしゃるんですか?」

 

「えぇ、バンドでギターをやってるんだったわよね?私も1、2回しか行ったことないんだけど」

 

 

――言え!

 

声が聞こえる。

 

――今言わずにいつ言うんだ

 

 

このまま彼女を騙し続けることに意味がないことを、後に禍根を残すことを、彼は分かっていた。

 

――もう、俺は諦めたんだ

 

たったそれだけの言葉。

だが、彼女には、彼女だけにはたったそれだけのことが出来なかった。

かつて、夢を語った二人。未だ、夢を諦めていない彼女を前にして、自分の挫折を告げることが恐ろしくてたまらなかった。

喉がカラカラに乾く。嫌な汗が背中をつたう。

 

 

「先輩?」

 

 

不思議そうに、小首をかしげるにこを前にして、口が彼の意思に反して滑るように動き出していた。

 

 

「……あぁ、次のライブが決まったら、真っ先に声かけるさ」

 

 

言ってしまった。

言えなかった。

こんな嘘はいつか破綻すると、そう知りながら。

 

 

「そっか。楽しみにしてる」

 

 

にっこりと、心から楽しそうに笑う彼女を見て、京助は冷水を浴びせられたような、嫌な寒気が全身を包んでいくような気がした。

自分が、自分でなくなってしまったと、そう感じた。

 




ついに、ここまできましたよ。
ここから先が、一番の山場です。なかなか忙しい今日このごろですが、気合いれて書いていきます!!
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