――何故だ。
心の底からそう思いながらも顔には出さず、努めて笑顔のまま仕事をこなしていく。
どうしてこんな事になってしまったのか。今までの行いを振り返ってみるが、どう考えてもこの失敗は、言われるがままにのこのこ帰ってきてしまった昨夜の自分にある。
「いらっしゃいませ!――はいこちら2点で170円です。……ごめんなさい、メロンパンはもう終わっちゃったんですよ~」
屈託のない笑顔。それを意識しながら、次から次に来る学生たち相手に明るく朗らかな接客をしていくが、その一方彼はともすれば流れそうな冷や汗を隠すのに必死だった。
世間一般の男性から見れば、女子高生に囲まれてのこの仕事は羨ましいことこの上ないのかもしれないが、あいにく京助にとっては割と苦痛であった。
女性恐怖症――などという大げさなものではないが、以前ひどい目にあって以来、女性を前にすると当時のトラウマを思い出して身がすくむ。要するに女性が若干苦手なのだった。
緊張と恐怖から胃に痛みを感じながらもどうにかこうにか商品をさばいていくうちに生徒たちの数もまばらになり始め、仕事に終わりが見えてくる。
「……こんなところか。」
人がいなくなったと同時に京助は大きく溜息をついて首を回した。慣れない仕事に体力的にも精神的にも疲労がたまっていた。
「いつもこんな感じなのか?」
「いいや?今日は妙に人が多かった気がするね。多分、普段見かけないのがいるから興味本位で来た子もいるんだろうよ。」
「見に、ね。俺は珍獣か何かかよ。」
呟いて、売れ残りのパンを一つのトレーにまとめていく。今日の営業はこの辺で終わりといったところだ。
「しかしあんた疲れてるねぇ。ここから先一人でやっていけんのか……」
「は?」
聞き捨てならない一言を聞いたような気がして思わず聞き返す。
だが、彼がその答えを聞き出そうとしたその時、こちらに向かってかけてくる数人の人影を視界の端に捉えていた。
「あー!もしかしてもう終わっちゃった!?」
一番最初に駆けてきた少女は京助の手元、片付けられた机を見て落胆の声を上げた。
「いらっしゃいませ。えっと……」
「あぁ、穂乃果ちゃん。まだやってるから大丈夫だよ。」
対応しようとした京助を遮るように母が笑いながら声をかける。
どうやら顔見知りの子らしい。一度は片付けたパンを取り出して机の上に並べていく。
「大分売り切れちゃったけど、ジャムパンにクリームパン、カレーパンは残ってるよ。後は……」
「何これ?」
穂乃果、と呼ばれた少女が指差す先にあったのは深い緑色をしたよく分からないパンだった。一見して抹茶のように見えるが、どうも違うらしい。
「あぁ、それは新商品の明日葉クリームパン。いまいち売上が芳しくないんだけどね。」
そう言って苦笑すると、彼女は横目で京助を見た。
この新商品は京助の作品だった。
「へ~……じゃ、試しに一つ買ってみようかな!」
「いつもありがとう。80円ね。」
穂乃果の出した100円を受け取って20円を返す。
と、不意に彼女の目線が京助を捉えた。
「あれ?この人は?」
目が合う。
なんて真っ直ぐな目をしてるんだ――京助はそう感じた。
きっと明るくて快活な子なんだろうと勝手な想像をしてしまう。
なんとなく自分にはもうない若さを見せつけられた気がして思わず怯んでしまった。初見の人間に出会った際にその人と為りを予測してしまうのは、今までの生活で身に付いた悪い癖だ。
「?」
「こら。何ほうけてるんだい京助!こいつはあたしの不肖の息子でね。今度から購買と店の方の手伝いをしてもらうことになったんだ。」
思い切り背中を叩かれた。
よろける体を立て直して慌てて名乗る。
「はい。まぁ……パン屋の津田です。」
「はい!高坂 穂乃果です。よろしくお願いします!」
穂乃果がぺこりと頭を下げる。
彼女の元気な様子につられるようにして、京助も思わず頭を下げていた。
そんな折、ふとこちらに向けられた視線に気がついて視線だけを動かすと、少し離れた所でこちらを伺う二人の姿があることに気がついた。
真面目そうな少女と、おっとりとした少女。穂乃果の友人と思わしき二人はそれぞれ不審気に、不安の混じった目でこちらを見ている。
商売中に何度となく向けられてきたその目に彼は心の中で小さくため息をついた。
――まぁ、そりゃそうだわな。
購買とはいえ、見慣れない男が現れれば好奇の目にさらされるのは当然の流れだ。
ましてや、ある程度は身だしなみを整えてはいるものの、根無し草の生活で染み付いたロクデナシ臭が自分でも分かるほどに漂う身。エプロンと購買の腕章がなければ不審者扱いされても文句は言えないだろう。
友人がそんな奴と話しているのだから二人がこちらにそんな目を向けるのも得心がいく。
「いらっしゃいませ。」
一先ず二人に向けて精一杯の営業スマイルを向けて挨拶をすると、向こうも一瞬驚いたような様子を見せて軽く会釈した。
「あ、ごめん海未ちゃん、ことりちゃん!……ありがとうございました!」
「はい、毎度ありがとうねー。」
穂乃果はそう言うと友人たちの方へ駆けていき、三人はそのまま教室の方へと歩き去っていった。
「……あの子は?」
お客が去ったのを確認して尋ねてみる。
「あぁ、購買の常連さんだよ。ほら、あんたも『穂むら』さんは知ってるだろ?あそこの娘さん。それにその友達の園田さんと南さん。」
「へぇ……」
『穂むら』といえばこの辺でも結構な老舗の和菓子屋で、その名前くらいは京助も知っていた。
園田、南という名前もどこかで聞いた覚えがある。どちらもこの辺では名のある家だった気がする。
「さて。こんどこそ店じまいだ。さっさと支度しな。この後行かなきゃならないところがあるんだから。」
「おう。……行かなきゃいけないところ?」
†
母親と共に校舎の中を進む。時折すれ違う生徒から視線を向けられるが最早慣れたものであまり気にはならなくなっていた。
少し歩いた先でたどり着いたのは『理事長室』と書かれた扉の前だった。
「新しい販売員なわけだし、一応ご挨拶しとかないとね。無礼のないようにしゃんと……しても見栄えはしないけど、上手くすれば四十路くらいには若く見られるかもしれないし一応ね。」
「ふざけんな、そこまで歳くってねぇよ。」
何度も言うようであるが京助はまだ二十代である。あるのだが、いかんせん覇気がなく若さも足りないため実年齢からかけ離れて老け込んで見えるのも事実であった。
当人もそれを知ってはいるからあまり強くは言えず、仕方なくワイシャツの襟元をただしてなるべくまともな格好を心がける。
「失礼しました。」
ノックしようとした扉が開き、中から人が出てくる。どうやら先客がいたらしい。
「こんにちは。」
親が挨拶するのと同じく京助もその人物に頭を下げた。
欧州の血が混じっているのか、蒲公英のような明るい髪色をした少女は京助を見てぎょっとしたような顔をしたが、彼の腕に巻かれた購買の腕章を見てさらに驚いたように水色の瞳を見開いた。
「こんにちは。」
だが、すぐに彼女は表情をひきしめて丁寧に頭を下げ、そのままどこかへ歩き去っていった。
――こりゃまた難儀な
ほんの一瞬顔を見ただけであったが、なんとはなしに彼女の纏う雰囲気から、その心情の一端を垣間見てそんな感想を浮かべる。
きっと真面目な子なのだろう。それ故に不器用で気苦労も多そうだ。
正直言って彼からすれば苦手なタイプの人間。もっとも、一介の購買の販売員に過ぎない京助にとって彼女と関わる機会はあろうはずもないため関係のないことではあるのだが。
「失礼します。」
気を取り直して理事長室に入室する。
奥の机に座した理事長は思いの外に若々しい女性だった。娘がこの学校に通っているらしく、年齢は京助の母とそう変わらないはずなのだが、そんな風にはとても見えない。
「こんにちは、理事長先生。」
「お久しぶりですね。いつも生徒がお世話になってます。」
にこやかに挨拶を交わしたかと思うと、京助の母と理事長は親しげに会話を始めてしまった。
やれ最近の天気はどうだ等と言った当たり障りのない内容に弾む会話を聞きながら、京助は反応に困って立ち尽くすしかなかった。
「それで――そちらの方が」
「えぇ、うちの不肖の息子です。これから1年ほど私の代役をまかせるつもりです。」
「!?」
聞いていない。
そんな言葉が口をついて出そうになったが、場所をわきまえて寸での所で飲み込んだ。
代役ということはここの購買での仕事を全て任されるということだろうか?
それに1年という期間のことも全く相談も何もなかった。
理事長は目を白黒させている京助に向き直る。
「はじめまして。理事長の南です。」
「は、はい。はじめまして。津田 京助です。急なことですがよろしくお願いします。」
一先ず母に話を合わせて出来るだけ丁寧に挨拶を済ませる。
そんな彼の様子を見た理事長は朗らかに笑って、
「京助さんね。お母様に似て気さくそうな人ですね。」
「いやいや、こんなロクデナシが代役になってすみません本当。大分トウの立ったおっさんですが、よろしくお願いします。」
笑いながらに言う母親に腹が立ったががそれもどうにかこらえて曖昧に微笑んでみせる。状況がよくわからない以上彼にはどうすることも出来なかった。
「おじさんなんて……聞いていたよりも大分若く見えますね。確か年齢は私の娘とあまり変わらないんでしょう?」
「いや、そこまで若くはないですよ?」
辛うじて正直に言えたのはそれだけだった。
こんばんは、北屋です。
ようやく女の子が書けました!
この後はちゃんと京助とμ'sのからみが増えますので気長に待っていてください!
では、次回も頑張ります!