ラブライブ! ―夢を追って―   作:北屋

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第二十九話 雨に祈れば(下)

昔から、何をやっても上手くいかないことばかりだった。

小さい頃は背も低く、運動も苦手。成績だって下から数えた方が早いくらい。

遊んでみても、外では常に鬼役ばかりやらされて、ゲームでは勝てた試しが一度としてない。

才能という才能に見放されて生まれてきたのだと、小学校も半ばにして悟ってしまうくらいに何も出来ない子供だった。

物心着く頃には、ただ一つだけ人より優っている喧嘩を重ねる毎日を送っていた。殴ったり殴られたり、そんな日々は決して楽しくないわけではなかった。

今にして思えば、自分に許された唯一の自己表現手段がそれしかなかったからそう感じていたのだろう。

ともかく、喧嘩に興じる毎日は別段楽しくないわけではなく、しかし、何かが足りないような、どこかが違うような、漠然とした不安を抱えての鬱々とした日々だった。

 

彼と出会ったのはそんな日々の、何気ない一日のことだった。

ある日の放課後、音楽室から聞こえてきたピアノの音。幼い時分のことだというのに、自分はその音色に魅入っていた。

 

人生には転機が訪れるというが、自分にとっての転機はまさにこれしかないと、そう思った。

 

最初は少ない小遣いをやりくりして、中古のCDを買うところから始め、気がついた時には音楽漬けの毎日。

中学生になった頃には、貯めに貯めたお年玉を使って、これもまた中古でギターを買った。

もちろん、音楽の才能も自分にはなかった。同じ頃に音楽を始めた友人たちはどんどん先に進んでいくのに、自分だけは初歩の初歩でつまづいて、ようやく乗り越えたと思ったらすぐにまたつまずく。そんなくり返し。

それでも、ただ諦めることはしなかった。

何度だって、全力で食らいついて立ち上がってきた。才能は0でも、百の練習と千の努力を重ねてきた。

 

――それが今やどうだ?

 

自分自身に問いかけてみる。

夢を諦め、倦怠に身を任せる日々は、自分が望んだものなのか。

断じてそんなことはない。

だが、それが分かっていながらも、これ以上抗う力が残されていない。

最早、疲れきったこの心と体では、もう一度夢に向かって羽ばたくことなど出来ようはずもない。

 

だが――出来ることが何もないわけではない。

 

破れた翼でも、小さなそよ風くらいは起こしてみせる。

潰えた夢の、哀れな残骸でも、誰かの後押しをすることができるのならば――それはきっと意味のあることなのではないだろうか。

 

出来ないことがあっても良い。

だが、出来ることがあるのに何もしないのは違う。

こんな自分にも、まだ意味があるのなら、それは――

 

久しぶりに思い切り手を伸ばす。

ほとんど何もつかめずに終わった手だった。

空っぽの掌だった。

 

それでも、伸ばした指先が何かに触れる。

 

壊れて崩れて、それでも最後に自分に残された残骸を、もう一度だけ強く握り締めた。

 

冷え切っていたそれは、やがて微かなぬくもりを手の中に伝えてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せぇ……の!」

 

 

威勢の良い声と共に、屋上にテントが立ち上がる。

天気はあいにくの雨、しかも予報ではこのまま強くなるとのことだった。

濡れた目元を拭って、京助は空を見上げる。天気予報というのはどうしてこうも外れて欲しい時に限って当たってしまうのかと、理不尽な感想を思いながらため息をついた。

すっかり湿ってしまった靴とスラックスの裾が地味に不愉快である。

 

 

「津田さん、ありがとうございます!やっぱり力仕事は男の人がいると早いですね」

 

「おーう……他にやることはあるかい?」

 

「あ、じゃあ、機材の運び込みお願いします!」

 

「あいよ」

 

 

来る音ノ木坂学院文化祭当日、時刻は8時。一般入場の始まるおよそ1時間前に、京助は既に学校を訪れていた。

先日の約束通り、文化祭の……μ’sのライブステージの準備を手伝いである。

 

 

「思ったより力が強いんですね」

 

「まぁ、このくらいしか取り柄はないからな」

 

「そんなこと……そういえば、津田さんっておいくつなんですか?」

 

「俺か?……21だが」

 

「え!?」

 

「なんだ、その反応は……」

 

「いえ……別に」

 

「ほらやっぱり!津田さん津田さん!津田さんって彼女いるんですか!?」

 

「いや……ってか、そんなん聞いてどうする」

 

 

とりとめのない話をしながら作業を進めていく。

彼女たちも京助も慣れたもので、1時間とかからないうちに作業は一通りの落ち着きを見せていた。

 

 

「今できるのはこのくらいですね」

 

「津田さん、ありがとうございました!」

 

「いや、礼には及ばんさ。……さて、と。ちょいとその辺歩いてくるが、何かあったら呼んでくれ」

 

 

後ろ手に手を振って、京助は屋上の片隅の、雨に当たらない場所に置いてあったギターケースを担ぎ上げる。

行き先は決まっていた。

薄汚れた革靴の音も軽やかに校舎の中を歩む。以前ならば怖くて仕方がなかったすれ違う女の子たちの視線も最近では気にならなくなってきた。

それが良い事なのか悪いことなのかはともかくとしても、一歩だけでも踏み出せた、その事実が嬉しかった。

やがてたどり着いた一室の前で立ち止まる。

アイドル研究部、そう書かれた表札をちらりと確認して、ノックのために拳を軽く握る。さすがに着替え中に入ってしまっては、笑い話にもなりやしない。

今から為す事を考えると、喉がカラカラに乾いていく。動悸が早くなり、どうしても足がすくんでしまう。

 

“逃げたい”

 

そんな言葉が心に浮かんできて、はっとした。

 

――逃げる?この俺が?

 

かつての自分が今の自分を見たらどう思うのか。

挽回のしようのない負けを経験した身である。逃げに逃げ続けて、最早これ以上どこに逃げようというのか。

 

 

「難儀な、こったな……けほっ」

 

 

後ろのない身なら迷う必要はない。動きたいなら、前に一歩踏み出すより他にはないのだ。

口癖を呟いて、小さな咳を一つ。

京助は静かに扉を叩いた。

 

 

「はーい……あれ?おじさん?」

 

「邪魔するぜ、小娘共」

 

 

きょとんとして出迎える凛に苦笑を見せて、京助は教室の中に一歩踏み込む。

 

 

「津田くん?来てくれたんやな」

 

「まぁ、一応な。これ、差し入れだ」

 

「え!?すみません……」

 

 

各種お菓子の詰まった箱を机の上に置く。

 

 

「さて、と……どうだ、調子は?」

 

「はい、おかげさまで絶好調です」

 

「まぁ、悪くはないわね」

 

 

絵里と真姫の返答を聞いて、京助は優しく微笑み、そしてすぐに首をかしげた。

 

 

「ん?高坂ちゃんはどうした?」

 

「それが、まだ――」

 

「お待たせ!」

 

 

海未が答えようとしたところで、扉が勢い良く開いて当の本人が顔を覗かせた。

 

 

「穂乃果!こんな時まで寝坊ですか!?」

 

「あはは……ごめんなさい。あれ?パン屋さんが何でここにいるの?」

 

 

京助は苦笑を浮かべて、

 

 

「なに、たまには年長者らしく、励ましとアドバイスを、なんて思ってな……けほっけほ」

 

 

口元を押さえて咳き込む。どうやら昨晩の雨の所為で風邪をひいてしまったらしい。

間の悪さに苦笑いをして、京助は担いでいたケースを床におろした。

 

 

「アドバイス……ですか?」

 

「おう、小泉ちゃん。……とは言っても俺は見ての通り、口下手だ。そんなわけで……」

 

 

ハードケースを開く。

思えば彼女たちにこれを見せるのは初めてのことだった。

Gibson レスポール。オリジナルカスタム。

かつて夢をまだ追い続けていた頃に愛用していた、いわゆる夢の残骸。

黒一色のボディはところどころ傷だらけだが、性能は申し分ない。今朝の内にメンテナンスは終わっている。

問題なのは自分の腕だけだ。

 

 

「かっこいい……これ、おじさんのギター?」

 

「何か、引いてくれるんですか?」

 

「あぁ。……耳の穴カッポジって聞けよ?この俺が、ノーギャラで本気の演奏するなんて滅多にないからな?」

 

 

言いながら、取り出した小型のアンプにシールドケーブルをつないでいく。

じゃらり、と。

京助にとっては久しぶりの音が室内に響いた。

音量の調整をしながら、一音一音確かめるように音を出していく。ずっしりとしたギターの重みが、嫌に懐かしかった。

 

――さて、と

 

何を弾こうかと、少しだけ悩んですぐにお誂え向けの曲が思い浮かんだ。

特徴的な出だしから始まる、The Beetlesの一曲。

 

『I'VE GOT A FEELING』

 

久しぶりに触れるというのに、かつての相棒は昔通りの音色を奏でてくれる。

 

――俺はさすらい続けて来た

 

歌詞の一節が、自分の今までを思い出させる。

迷いに迷って、傷ついて、傷つけて、彷徨うばかりの日々だった。身をすり減らすような日々の中でいつの間にか、見失っていた。

だけど、ようやく思い出せてきた。それはきっと、彼女たちのおかげなのだろう。

ありがとうと、照れくさくて言えやしないが、思いを込めて音を紡ぐことは出来る。

 

――皆、本気で取り組んで、頑張ってきたんだ。

 

終盤の一節に、一層心を込める。

だから、頑張れ、と。

今までの努力は決して無駄にはならないんだからと、彼女たちへの思いと祈りを込めて歌う。

 

 

「ふぅ……」

 

 

最後の一音の余韻を残しながら、京助は深いため息をついた。

額に浮かんだ汗を拭う。久しぶりの本気に体がついていかなかった。

見てくれと精神同様に、体もここ最近で大分老け込んでしまったらしい。

しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。いや、発することが出来なかった。

 

 

「すごいよ!パン屋さん!」

 

 

穂乃果の声を皮切りに、一つ、二つと拍手が室内に満ちていく。

自分の演奏が上手かったのかどうか、そんなことは京助にはどうでも良かった。ただ、自分の感謝が、励ましが、彼女たちに届けばいいと、それだけを考えていた。

 

 

「すみません、もうすぐ始まるのでステージの方に来てください」

 

 

生徒会の人間と思われる少女の声が、教室の外から聞こえた。見事なタイミングに、何となく笑えてくる。

 

 

「まぁ、なんだ。頑張れよ。応援してる」

 

「はい!」

 

 

少女たちの力強い声に満足そうに頷くと京助は立ち上り、教室の前で彼女たちを見送る。

 

 

「っと、そうだ。西木野ちゃんや」

 

「え?私に何か用?」

 

 

怪訝そうに立ち止まった彼女に近づくと、京助は小声で、

 

 

「この間、言われた件だが――このライブが成功したなら引き受けさせてくれないか?」

 

「この間のって……作曲のアドバイスのこと?」

 

「あぁ、気が変わった――っていうよりも、お前らの実力も、努力も、よーく分かった。こんなロクデナシでよければ、何か、手伝いをさせてくれ」

 

 

頼む、と。

そう言って京助は軽く頭を下げた。

 

 

「え、えぇ!?それはその、こっちとしては願ったりだけど……いいの?」

 

「あぁ……もっとも、今回のライブが上手くいったら、だけどな」

 

 

頭をあげて、今度は、京助は冗談交じりに笑って見せた。

対する真姫も1テンポ遅れて不敵に笑う。

 

 

「そう。それなら、手伝ってもらうのは確定ね。今日のライブが成功しないわけないもの」

 

「お!言うな、西木野ちゃん」

 

「手伝うも何も、こき使ってあげるから覚悟しときなさいよ」

 

「怖ぇな。ま、せいぜい首を洗って待っとくとするかね」

 

 

肩をすくめてみせると、満足したように鼻を鳴らして踵を返した。

 

 

「ん?矢澤ちゃん?」

 

 

ふと妙な視線を感じて、にこに目を向ける。

彼女は今までに見たことのないような目で京助を睨みつけていた。

不審と、失望、怒り。そんなものが感じられる、冷たい眼をしていた。

 

 

「……どうした、そんな怖い顔して?俺が何か、気に障ることでもしたか?」

 

 

ここ数日のことを思い出してみるが、彼女にそんな目を向けられる心当たりがまるでなかった。

 

 

「あんた……」

 

「?」

 

「……何でもない」

 

 

吐き捨てるようにそう言って、彼女は顔を背けると早足でメンバー達の後を追いかける。

残された京助は首を傾げることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の中、安っぽいビニール傘を片手にステージを見つめる。

程なくして、軽快な前奏が響いて、ステージに立つ彼女たちにスポットライトが当てられていく。

いつにも増してキレのいい動き。出だしは好調そのものだった。

だが……

 

――嫌な予感がする

 

漠然とした、形のない不安が胸の内に湧いていた。

それが何なのか、検討もつかない。だからこそ余計に焦燥が募っていく。

この感覚に、京助は覚えがあった。

かつて――3年前に、自分が所属していたバンドをやめる切欠となったあの事件。

思い出して、脇腹を、押さえる。今でもこうして天気が悪い日は時折古傷がうずく。

メンバーの一人に片思いしたファンの凶刃から、仲間を守って受けた傷だった。

あの時、もし自分が万全であったならば。周りを見回す余裕があったならば、あんな無様な事にはならなかっただろうと、今でも後悔は尽きない。

 

――どうか、無事に終わってくれ

 

心からそう願わずにはいられなかった。

不安がただの自分の杞憂であったと、そう思える未来が欲しかった。

 

 

だが――

 

 

悪い予感ほど、見事に的中してしまうのが世の常であった。

 

 

「ッ!?」

 

 

それは丁度曲の一番が終わった時のことであった。

ゆっくりと雨の中崩れ落ちていく少女の体。

 

それを目にした時、京助の行動は早かった。

濡れたコンクリートを蹴り、人ごみを力ずくでかき分けていく。

 

 

「高坂ッ!!」

 

 

一息でステージに飛び上がり穂乃果を助け起こす。

声をかけても、帰ってくるのは弱々しいうめき声だけだった。

酷い熱だった。どうして先ほど気づいてやることが出来なかったのかと、またしても言い知れない後悔が彼の襲った。

 

 

「次の、曲を……」

 

「――――ッバカ野郎!」

 

 

小さく、穂乃果が呟いた一言を聞いて、京助は雷鳴の如き大声で吠えた。

 

 

「すみません、メンバーにアクシデントがありました!少々お待ちください」

 

 

絵里の言葉を遠くに聞きながら、京助は穂乃果を背中に担ぎ上げる。

 

 

「続けられるわよね!?まだ、」

 

「ふざけた事抜かしてんじゃねぇ!今はそんなことより高坂のことだ!……南、保健室まで案内してくれ!園田は高坂の着替えとってこい!あと、誰か親御さんに連絡しろ!」

 

 

怒鳴るようにしてメンバー達に指示を飛ばす。

ことりに導かれながら、保健室までの道を急ぐ。

 

――どうして気づいてやれなかった!

 

背に負った彼女はひどく軽かった。

彼女が自らの背中で苦しそうにしているのを感じながら京助は心中で自問を繰り返す。

 

 

――また、俺は……

 

 

少女は別に、言い知れない後悔が自らの背中にのしかかってくるのを感じた。

 




こんばんは、北屋です。
ついにここまできましたね……一期分の終了も近づいてきました。

今までの伏線が、全て結びつく日は間もなくです。
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