挨拶もそこそこに二人は理事長室を出た。
無言のまま廊下を歩き続け、駐車場に戻り、そして車に乗り込んだところでついに耐え切れなくなった京助が切り出した。
「おい、聞いてねぇぞ……」
「言ってなかったからね。」
「―――っ!……いや、待て。どういうことか説明しやがれ!」
あまりにもさらっと言われてしまい、一瞬言葉を失ったが、事が事だけに追求をやめる訳にはいかなかった。
「さっき言った通りだよ。購買の仕事はここから先あんたに任せる。」
「ふざけんな。こちとら戻ってきたばかりで接客なんざとうの昔に忘れちまってんだぜ?挙句なんでこの俺が女子高の購買のおにーさんなんかやらなきゃならないんだよ!」
文句を言う京助だったが、母親はそんな事はどこ吹く風で、面倒臭そうに車のエンジンキーを回した。
「あぁ、ついでに店の方も任せるから。明日から1年私はいないからよろしくね。」
「はぁ!?」
次から次に飛び出す予想の斜め上を行く言葉に、京助は思わず絶句した。
1年お袋が店を明ける?店は?……俺が店を仕切るのか?
意味がわからない。いや、意味ももちろんだがそこに至る過程が全く分からない。
「お父ちゃんが単身赴任で海外に行ってるのは知ってるだろ?」
「あー……そういや姿を見てなかったが……」
正直大喧嘩の末に家を出たため、気まずすぎて父親のことを一切避けていた。そのため本人の姿がないことにまず安心してしまい、不在の理由まで頭が回らなかった。
「お父ちゃんも寂しいらしくてねぇ、私も向こうに来るように言われたわけさ。それで海外にいる1年間、うちの店を明けることになっちまったのさ。」
「……事情は分かった。だが、いくらなんでも急すぎんだろ。」
「だって、あんた。こういうギリギリで逃げ場のない状況にならないとケツまくって逃げ出すだろ?私のいない間に、店潰すんじゃないよ?」
「いっそ潰れちまえ。……ったく。何だよ、1年間店を留守にすればいいだけの話だろう?わざわざ俺を呼び戻すまでもねぇだろ。」
「それがねぇ……」
ふと、京助は母親が遠くを見るような、どこか寂しげな目をしていることに気がついた。
「……んだよ?」
「……どうも、音ノ木坂はこの後廃校になるらしいのよ。」
それが今の話と何の関係があるのか、京助には理解できない。
だが、廃校……その言葉を呟いた彼女の口調が重々しく、深い思いを抱いていることだけは理解できた。
京助も元々はこの地に育ってきたため、音ノ木坂のことは古くからある学校として一応知識として知っている。そして――母がかつて通っていた学校であることも。
「……はっ。少子化の波ってやつか?まぁよくある話じゃねぇか。」
重い空気を断つかのように鼻で笑い、京助はタバコをくわえる。
「私も曲がりなりにもあそこの出身だし……それにうちの店は、昔からあの学校に商売しに行ってたんだ。少し考えるところがあってね……」
「……」
紫煙を吐き出しながら、今度こそ京助は黙り込んでしまった。
傍から見れば彼女が語ったのは断片的で筋の見えない話、しかし京助は母の考えていることが何となく分かってしまう。
きっと、母はこの学校と最後まで関わっていたいのだ。昔から今まで続く商売、しかし廃校が決まってしまっては、それもいつまで続くか分からない。もしかしたら今年を最後に購買の仕事はなくなるかもしれない。それも自分がいない間に。
だからせめて、自分がいなくとも最後の仕事になるその日まで、自分の店で休むことなく購買の仕事を続けていきたいと……そう考えているのだった。
「ちっ……」
湿っぽい話を聞いたからだろうか。京助はいつもよりも不味く感じるタバコを吸い切ることなく灰皿に押し込んだ。
両者は黙り込んだまま店につき、いざ車から降りようとしたときになってようやく京助が忌々しげに口を開いた。
「………仕方ねぇ。やってやるけど潰れても文句はいうんじゃねぇぞ。」
†
「やってられっかボケェ!」
思い切り叫んで足元に転がる空き缶を蹴飛ばす。
爽やかな風が吹く、天気の良い春の昼下がり。
しかしそんな中で京助の顔は非常に険しかった。
人気のない体育館裏で一人、子供が見たらまず泣くような凶悪な表情を浮かべて、乱暴な手つきでごそごそとポケットを漁る。
やがて目当ての小箱を見つけた彼は、逆の手で100円ライターをこするが、彼の今の感情を逆なでするかのように火がつかない。一回、二回、三回……ライター相手にブチ切れそうになったところでようやくついた火をタバコに移す。
愛飲する煙を肺いっぱいに満たし、大きく吐き出したところで幾分イライラが収まったのか、彼の凶相が少しだけマシになった。
「……ったく。何でこの俺が!」
誰も聞いていない事を知りながら、彼はあえて不満を口にする。
親からほぼ問答無用の形で仕事を受け継いだ翌日、彼は嫌々ながらもそれを顔に出さないように購買の仕事をこなしていた。
溢れかえる生徒達をさばき、笑顔を貼り付け、普段は決して使わない敬語で接客を行う。その行為は予想以上に彼の精神力を大きく削った。
ただでさえ気が短く、自他共に認めるほど口も悪い、およそ接客に向いているとは言えない性分である。それに加えて生徒から向けられる好奇の視線……途中で逃げ出さなかった自分を誇りたい気分だ。
こんな調子で1年もこの仕事を続けられるのか不安で仕方がない。
親には悪いが、いっそ仕事を放り出してまた旅に出てしまおうか……そう考えて彼は微苦笑した。
また逃げてどうなる?
夢を追って走り、敗れて逃げ帰ってきたロクデナシが、これ以上逃げる場所があるというのだろうか。ここから宛のない旅に出たとて、遅かれ早かれその先にあるのは野垂れ死にの未来だけだ。
どうせ無為無策に生きて意味もなく死んでいくだけの人生ならば、わざわざ厳しい道を行く必要はない。多少性格に合わなくても、平穏無事に生きていける方が良いに決まっている。
「人生に必要なのは妥協と諦め、か。」
小さくなった煙草を捨てて踏みにじり、新たなタバコに火を点ける。
「いーけないんだ。」
誰もいないと思っていた場所で、不意に声をかけられた。
驚いて振り返ると、どこか楽しそうな様子の少女がそこに立っていた。
――やべぇ!
イラつくあまりに、ここがまだ学校の敷地内であることを完全に忘れていた。購買の男性職員が敷地内で喫煙など、見られたらタダではすまない。一発で間違いなくクビになる。
慌ててとっさに煙草を捨てて足で隠すが、最早手遅れ。
――逃げるか!?
無理だ。
もうしっかり喫煙の場面も顔もしっかり見られてしまっている。状況は既に詰み、仕事初日にして早くも終わり。
いくらなんでも洒落になっていない。
「その腕章……購買の人やん。それがこんなところで煙草なんて関心せんよ。」
意味ありげ笑みを浮かべてこちらに寄ってくる少女を見て、京助の焦りはどんどん増していく。
――ならばいっそ、口封じ……!?
焦るあまりに物騒な考えに至る。
「ちょ……別にどうこう言うつもりはないからそんな怖い顔せんで……」
そんな考えが表情に出たのか、少女が引きつった顔で立ち止まった。
そこで京助も我に返り、知らず知らずの内に握りしめていた拳を開いた。いくらなんでもそれはマズすぎる。
京助が殺気を引っ込めるのを感じて、少女は溜息をついた。
「ふぅ……怖かった。お兄さん、見かけ以上に物騒なんやね。」
「……そんなに怖い見かけしてますか?」
もはや残された道は一つ、諦めて開き直るのみ。
観念した京助はどうにでもなれとでもいうように問いかける。すると少女は彼に近寄って、その顔を覗き込んだ。
その近さに思わず京助は息を飲み、思考が一瞬停止する。
「ん~……そうやねぇ。もとは悪くないし、もうちょい自然な風でいたほうが良いんやない?老けて見えるよ。」
「うるせぇ!余計なお世話だ!」
重々承知しているとはいえ、面と向かって言われると流石に答えるものがある。
つい営業用の丁寧語が崩れて地の荒い口調で話してしまった。
それを見た少女は何が面白いのかくすりと笑う。
「そうそう。そういう風にしてたほうがええよ。」
「……」
――苦手だ……
目の前の少女の言動を見てそう感じた。
飄々としていて何を考えているのか、次に何をするのかが読めない。
今も何の目的があってこうして話しかけてきたのか全く理由が分からない。
だが、このままでは埒があかないので、調子を崩されながらも気を取り直して交渉に移る。
「……全面的にこちらが悪いんですが……すみません、この事は内密にしていただけませんかね?」
「別にええよ?」
あまりにさらりとした態度に、京助は空いた口がふさがらなかった。
惚けている彼の前で、彼女は、す、と一枚のカードをどこからともなく取り出して指で挟んで見せる。
「そうしたほうが吉、ってカードもいってるんよ。」
彼女の言動に面食らったものの、どうにか、自分がこのまま即座にクビになることはないという事実だけは理解出来た。
「すみません……感謝します。」
「その代わり」
礼を述べたとたん、少女がそう切り出す。
「貸し一つ、ってことで頼みごとしてもええかな?」
にっこりと、柔らかい微笑みでそう尋ねる。
彼女が告げた内容に、もちろん京助に断るという選択肢は取れるはずもなく、無言で首を縦に振るしかなかった。
こんばんは、北屋です。
某コンビニのキャンペーンのために早起きし、無事ににこちゃん達三年生のグッズを手に入れました!
……と、個人的なことは置いておき、今回も無事に、ちゃくちゃくと女の子たちとパン屋さんが知り合っていきます。
次はどの子と出会わせましょうかw