夢を、見ていた。
それは今までに見た中でも最も優しい夢で、そして最もおぞましい悪夢だった。
「っあ!!……ゲホッゲホッ!!おえぇッ!!」
深いところにあった意識が一気に戻ってきた。
どれほど寝ていたのだろうか、口の中がカラカラで空気を吸いこんだ瞬間にむせ返ってしまう。
その拍子に身体を起こしたら、背中に鈍い痛みが走って声もなく悶絶する。
過去最悪クラスの酷い目覚めだった。
「ちぃッ……んあ、ここは?」
どうにか乱れた息を整え、痛みが引いてきたところで周りを見渡す。ぼやけていた視界が半分ほど元に戻ってきて、自分の置かれている状況が不鮮明ながらようやく頭に入って来た。
清潔なシーツに無機質なベッド、これ以上ないくらいにシンプルな部屋、ほのかに感じる消毒液の匂い。少なくとも自分の部屋でも屋外でもない。
おぼろげな記憶ではあるが、大乱闘をした挙句に大怪我を負ったところまでは覚えている。そのまま倒れて、それから――
「……起きて早々、騒がしい奴」
不意に意識の外から掛けられた声に驚いてそちらに目線を動かす。
ベッドの横、椅子に腰掛けて小説を読む者が一人。襟足が隠れるくらいに長い黒髪、不健康なまでに白い肌という、一見して性別の分からない出で立ち。
気難しそうな顔に明らかに迷惑そうな表情を浮かべて、彼は手元の本から顔を上げた。
「……生きてたか」
「ごあいにく様、この俺がそうそう簡単にくたばるかっての……ってか、お前、堀か!?」
隣にいる人物が誰なのかようやく気がついて、京助はぎょっとして飛び上がり、そしてまた激痛に見舞われた。
堀 智之。
かつて京助と同じくギターを担当していた仲間の一人で、京助にとっては15年来の友人になる男――なのだが、京助が街を飛び出して時以来こうして顔を合わせるのは久しぶりのことだった。
「……それ以外に誰に見える?ついに気が狂ったのか?死ぬのか」
「久しぶりだってのに随分とご挨拶だな、おい」
「……チッ。死なないのか」
「おい、何だその凄ぇ残念そうなのは!?」
冗談の一切感じられない彼の挙動にイラっとして声を荒げるが、逆に睨みつけられて何も言えなくなってしまう。
幼少時に植えつけられたトラウマはなかなか消えてはくれないらしかった。
「ま、まぁともかく、久しぶりだな、堀」
「……」
答えず、代わりに青年――堀はパタンとわざと大きな音を立てて本を閉じた。
無言のまま二人の視線がぶつかり合う。
誤魔化すような半笑いを浮かべた京助と、何の感情もない目を向け続ける堀。やがて耐えられなくなって目をそらしたのは京助だった。
嫌な脂汗が背中を伝ってきて非常に不快だったがそれどころではない。傍目には何の感情も浮かべていない堀ではあるが――何分、長い付き合いである。京助には彼の今の顔が般若以外のナニモノにも見えなかった。
京助が逃げ出す少し前、病院でひと悶着を起こした時のことを嫌でも思い出してしまう。思えばあの時、バンドを抜けると言った京助に一番怒りを顕にしたのは彼で、気まずさと申し訳なさで胃が痛くなってくる。
「いや、あの……」
弁明の言葉を探そうとするが、相変わらず堀は何も言わない。無言のプレッシャーに心が折れそうになる。
冗談ではない。これ以上、折れるわけにはいかないと、真っ直ぐに見つめて――
「すみませんでした!」
すぐに折れた。
実に器用に、点滴が刺さったままベッドの上に正座をしたかと思うと、そのまま土下座の姿勢に移る。
最早恥も外聞もない姿だった。
「……」
「あの……?」
相変わらずの無反応に耐え兼ねてそっと顔をあげて伺うと、堀はゴミを見るような目で一瞥を送って、吐き捨てるように
「……死ね。刺されて野垂れ死ね」
「いや、今の今まで死にかけてたんだが!?」
縁起でもなかった。
昔から事あるごとに投げかけられてきた彼の毒舌のレパートリーではあるが、今この場においては割と洒落になっていなかった。
「……いきなり行方不明になったかと思ったら、何の連絡もなく帰ってきやがって」
「あぁ、すまん」
「……かと思ったら、前触れもなく血まみれで人んちに転がり込んできやがって」
「あ?あー……え!?マジで?」
大喧嘩の後、病院で目が覚めるまでの記憶がない。
あんな人目につかないような路地裏で、よくもまぁ発見されたものだと、不思議には思っていたが……
「……誰が救急車を読んでやったと思ってる?霊柩車を呼ぶべきだった」
「いや、マジですまない。ってかありがとよ」
素直に礼を述べる京助だったが、対する堀はあいも変わらず不機嫌そうな無表情。
「しっかし、久しぶりにぐっすり寝たな。どれくらい寝てたんだ、俺は」
「……今日で五日目。一昨日の夜、高熱出して、ついに死んだと思った。てかおとなしく死ね」
「随分寝てたな……つーか、どんだけ俺を殺したいんだお前は?俺に何か恨みでもあるのか?」
「……逆に聞くけど、恨みがないとでも?」
――う゛ッ
京助は言葉に詰まってしまう。
やはり目の前の友人は自分のことを許してはくれていないらしかった。
それはそうだ。そうなって当然のことをしたのだからと――京助はうつむいてベッドのシーツを固く握り締めた。
もう、どの面を下げて彼の友人を名乗ることが出来るというのだろうか。
そうして黙りこくった京介を、堀は忌々しげに睨みつける。
「……変わったな、お前」
「え?」
「……変わり果ててる。興ざめだ。もとからクズだったのに、こんなクズの絞りカスみたいな奴、オレはもう知らん」
それだけ言うと、堀は他には何も言おうともせずに立ち上がり、出口へと向かって歩いていく。
「お、おい?」
「……地獄に堕ちろ」
振り向きもせずにいったその一言。
それを最後に、堀は振り向きもせずに京助の前から姿を消した。
残された青年は一人、静かになった病室の天井を仰ぐ。
――ざまぁねぇな
裏切って逃げ出して、そして夢を諦めて。
その未練にすがった挙句がこの様だ。さらには自分で捨てたかつての仲間に何かを期待して……
もう、滑稽や惨めを通り越して、自分をなんと表現していいのか分からなかった。
「タバコ、吸いてぇ……」
病み上がりの体が煙を欲していた。
紫煙とともに、何もかもを吐き出したかった。
変わり果てたと、かつての友は言う。自分はそんなにも変わってしまったのだろうか?
では、彼の言うかつての自分ならこんな時どうしたのだろう?
そう考えても思考は堂々巡りを繰り返すばかり。もとよりオガ屑が詰まっているようなこの頭では何を考えるにも適していないと、誰よりも知っているはずなのに。
「……考えるのは、苦手だ」
ぱん、と音を立てて自分の両頬を平手でひっぱたく。
にごりきっていた頭の中がほんの少しだけクリアになったような気がした。
もとより物事を考えられるほど頭は良くない。気になったことがあるのなら、それを解決する手立ては一つ。
自分以外の、頭のいい奴に聞くしかない。
幸いにして、その相手はまだ近くにいるのだから。
「ほいじゃ、いっちょいきますかね」
考えるよりも行動。
頭も顔も人並み以下だが、幸いにして行動力だけは人並みにはある。加えて失うものは、もう、何もない。
なら、出来ることはいくらでもある。
痛みをこらえてベッドを抜け出し、点滴の針を引っこ抜く。そして堀が持ってきてくれたのか、ベッドの下に置かれていた服に着替える。
ボロボロのスラックスにヨレヨレの開襟シャツ。
かつて仲間たちでデザインした上着が着替えに紛れ込んでいるのを見つけて、少し悩んだが袖を通した。
と、その時だった。
「津田ぁあああああ!!」
「げッ!?」
聞き覚えのある声、というか怒号。
振り返って見れば出入り口に立つ一人の男性――以前に入院していた際にも世話になった西木野院長の姿があった。
「貴様、また!」
般若の形相でずんずんとこちらに迫ってくる西木野医師の姿を見て、京助は知らず知らずのうちに冷や汗を流していた。
以前、何度も自主退院をしようとしてその度に怒られた記憶が蘇ってきて懐かしいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちになる。
「いや、その……お久しぶりですね」
あの頃は若かった……そうしみじみ考える。あの時は若さゆえの反骨精神と暇つぶしで大分迷惑をかけたが、もう自分は良い大人。さすがにあんな真似は二度としてはならないと――思っていたが、そういうわけにもいかない。
今動かなければ後で後悔する。それこそ死んでも死にきれないような特大の後悔を。
そんな予感がした。
西木野医師にはあの時のことを一度きちんと詫びたいと思っていた。あの頃とは違って落ち着いた自分を見せるつもりだったが、それは次回以降になりそうだ。
「あの時は世話になりました。というか、申し訳ないことを……」
口では謝りながら、京助は周囲を伺っていた。
病室への唯一の出入り口は西木野医師によって塞がれている。
だが、何も逃げ道はそこだけではない……
「待て、何を!?」
「西木野先生、世話になりました!」
そう言って、窓を開け、間髪いれずに身を投げ出す。
半ばヤケクソだった。
ここが何階なのかも分からないままに、京助は窓から身を躍らせた。
†
「いてて……」
着地に失敗し、腰を強かに打ってしまった。
怪我にも響いて体中が余すところなく痛くて、泣き喚きたいくらいの気分だったが、それをどうにか意地でこらえて頭上を見上げると、何やら怒鳴り散らしている西木野医師と目があった。
半ば賭けだったが、どうやら自分が飛び降りたのは二階だったらしい。これが四階や五階だったらどうなっていたのかと、考えるだけで恐ろしい。
「男には、命の賭け時ってもんがあるんだよ!」
吐き捨てるように呟いて立ち上がると、よろよろと歩き出した。
あんまりのんびりしていると、いつ追っ手がかかるかも分からない。
そして、門のところまできたところで、
「……え゛?」
背後からやってきたバイクにまたがった男が京助に気づいて素っ頓狂な声を上げた。
彼はじっと京助のことを見つめていたかと思うと、ヘルメットのバイザーを上げて素顔を顕にする。
それを見て、京助はにんまりと笑顔を浮かべた。
「よう、また会ったな堀」
「……待て。何でお前がここにいる?さっきまで病室にいたよな?」
「あー、っと。話すと長くなるんだが……」
「待て、津田!そこの人、その薄らバカを捕まえてくれ!」
「やべっ」
背後から迫る西木野医師の声を聞いて、京助は真顔に戻ると徐に堀のバイクの後ろにまたがった。
「……おい!何すんだ!?」
「行ってくれ!特急で頼む!」
「……は?はぁ!?」
「いいからさっさとしやがれ!!」
京助にすぐすぐ後ろから怒鳴られて、堀は反射的にアクセルをふかした。
バイクは急発進し、彼らの背後10mに迫っていた西木野医師からどんどん離れていく。
「あばよ、先生。達者でな!!」
「待て、この……クソガキ!!」
西木野医師の口汚く罵る声を背に受けて、京助は大声で笑い出していた。
はたから見たらとんでもなく頭の悪い行動。しかし、久しぶりにやる常軌を逸した無茶苦茶は、とんでもなく気持ちよかった。
「……何がそんなに可笑しいんだよ?」
ハンドルを握る堀が、呆れと若干の怯えを含んだ声で京助に問いかける。
「いや、だってあの西木野先生が“クソガキ!”だぜ?いや、あんなの滅多に見れねぇって!……ッはははは!ダメだ、思い出すだけで笑えてきた!」
「…………お前は今度、頭の病院にいけ」
心底忌々しそうに呟く堀だったが、言われた方はあっけらかんとして笑い続けていた。
そんな昔の仲間の様子に、堀はため息をつく。
昔からこの頭のおかしい友人はこうだった。誰も思ってもみないような馬鹿なことをして、一人で散々空回って、その挙句には誰かを巻き込んで被害を拡大させる。
本当にどうしようもないとんでもない奴。
それでも堀が友人を続けてきたのは――
そこまで考えて、彼はその続きを考えるのをやめた。
ちらりとミラーに写ったかつての友は、しかし以前の彼とは明らかに違って見えた。
何かが吹っ切れたようにバカ笑いを続けるの、以前から見慣れていた様子。しかし今の彼は何かを吹っ切ろうと精一杯に虚勢を張っているように見えた。
昔に戻ろうと、無理をしているようで見ていて気分が悪くなってくる。
「……で、どこに行けばいい?お前の家か?」
「そうだな……」
堀が尋ねると、京助は笑うのをやめて何かを考えるかのように間を置いた。
やがて京助は閃いた、とでも言うように、
「とりあえず腹減った。どっか飯行こうぜ!」
ミラーに写った彼はバカみたいな笑みを浮かべていた。
こんばんは、北屋です。
本編再開となります。