「……あ!おねーさん、チョコレートパフェとバナナパフェ、それからイチゴサンデー追加で!」
大盛りのスパゲティを半分ほど平らげたところで京助はウェイトレスに次の注文をしていた。
かつての友人と二人きり、久しぶりに顔を突き合わせたというのに、ファミレスに着いてからというもの二人の間に会話らしい会話は存在しなかった。
もちろん、堀がもとより言葉数の多い質ではないのも原因の一つではあるのだが、現状を作り出しているのはどう考えてもそれだけが原因とは言えなかった。
「……お前な」
「んあ?」
ゲンナリとした表情で堀は京助の前にうずたかく積まれた食器の数々に目をやる。
タラコスパゲティにハンバーグセット、ミートドリアにシーザーサラダ。大盛りのフライドポテトふた皿、そして今現在手をつけているスパゲティナポリタン。
これらは全て京助がファミレスに着くなり注文して、たった一人で平らげてきた料理の数々だった。
「悪ぃ、話ならちょっと待ってくれ。流石に五日も六日も飯食ってないと血が足りねぇや。……ドリンクバー行くけど何かとってくるか?」
「……いや、いい」
手元のコーヒーと食べかけのグラタンを見て、堀は深いため息をついた。京助の異常な食べっぷりに押されて、彼はすっかり食欲をなくしてしまっていたのだった。
「ふぅ……ようやく落ち着いたぜ」
パフェの類を片付け、本日五杯目となるメロンソーダを飲み干したところで京助は晴れ晴れとした様子で一息をついた。
対する堀はこの世のモノではないモノをみるようにドン引きして、
「……お前、大丈夫か?満腹中枢イカれてんじゃないのか?」
「いやいや、さっきも言ったが五日ぶりの飯だぜ?合計15食、おやつなんかも含めればそれ以上食いそびれてんだ。誰だってこうなるって……おねーさん、カツ丼お願いします!」
「……まだ食うのか!?」
最早デザートがデザートではなくなっていた。
「いや、落ち着いたから話は出来るさ。その……なんつーか、さ」
本日三杯目となるコーヒーに口をつけながら申し訳なさそうに切り出す。
だが、彼の口調に以前――彼がまだ夢をおっていた頃の勢いはなく、その態度が余計に堀をイラつかせていた。
うじうじと言いづらそうにしていると、見計らったかのようなタイミングで、
「あ、きたきた。……ふぉのことのにかんひては、ふぉれも……ひゃふふぁにわるふぁったと、」
「……食いながら話すな!食うか喋るか死ぬかどれかにしろ」
「んぐっ……その選択肢、何か一つ違うの混じってるよな?まぁいいや、ちっと待て」
届いたカツ丼をかき込んで水を飲み、大きく一息。
ようやく落ち着いたのか、京助はゆっくりと重い口を開いた。
「あの……なんていうか、あの時は、その……」
「……言っとくけど、あの時のことを許すつもりはない」
間髪いれずに発せられたその言葉。
短いそれに、京助は再び口をつぐんでしまう。
それは京助の心をえぐるのに十分な一言だった。以前の野間との再会で得た許しを、もしかしたら彼にも――彼ら全員に期待していたのかもしれない。
この世にそんな都合の良い話などないと、一番よく知っているはずの身だというのに。
「……お前は、俺達を裏切った」
「……」
「……俺達の夢を始めたのは、お前だった」
唐突に、堀が語りだす。
「……お前がバンドをやろうなんて言い出した時はびっくりした。音楽の才能なんて一切ない、死ぬほど不器用なお前がそんな事言うなんて、誰も思わなかった」
当時のことは、正直京助はあまりしっかりと覚えていない。
やりたいと思った、だから実行に移した。ただそれだけだったのに、その道は思ったよりも険しくて、常に必死で無我夢中だった。
「……実際、俺は、最初はのる気はなかったよ。野間も、橘川もそうだ。それをお前は、力づくで引っ張って、無理矢理巻き込みやがって……そのくせ、いざ始めてみたら一番下手くそなのはお前なんだから始末に負えない」
手始めに仲の良かった友達を夢に巻き込んだ。
当時からギターを得意としていた堀を始め、長年の腐れ縁で巻き込んだ野間と橘川。
全てはそこから始まった。
やがてピアノが上手い伴瀬が面白がって参入して、そして最期に、歌に夢を見出していた彼女が加入……
6人で過ごす日々は忙しくも楽しかった。
「…………あれはあれで楽しかったよ。お前の夢に引っ張られるうちに、お前の夢は俺達の夢になったんだ。それを、お前は……」
恨みのこもった目で堀は京助を睨みつける。
「……お前は、俺達の夢を途中で投げ出した。許されると、思うなよ?」
今度は、京助も目をそらさなかった。
言い訳もしない。許しを乞うこともしない。ただ、己の罪を認めること――それだけが京助に出来るただ一つのこと。
「……で?お前が俺と話したかったことは何だ?もし、本当に俺に許して欲しいって、それだけなら――今度こそお前とは絶交だ」
「っ」
京助は思わず息を飲んだ。
今度こそ絶交……それはまだ、彼は自分を友達として見ていてくれているということだろうか?
ただの言葉のあやだったのかもしれないが、それでも京助はほんの少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「別に許しを乞おうなんてつもりはねぇよ」
目を閉じて、呟く。
――そうだ。
許されるなんて、思っていない。ならば許しを乞うつもりはない。
自分がしたかったのは……言いたかったのは、
「だけど……すまなかった」
ただ一言。
一言だけ、彼らに謝りたかった。
それはただの自己満足なのかもしれないが、それでも言わずにはいられない。
京助は、先日の店での一件を思い出していた。
大切なことを抱え込んで、一番の友達に相談できなかった彼女のこと。
認めるのが怖くて、嘘をつき続けた自分のこと。
その結果がどうなったのか、身にしみて分かっている。言いたい事、言わなくてはならない事を先延ばしにし続けて――その先には何もなくなった。
恐らく、ことりと穂乃果達は今までのような親友には戻れないだろう。
そして自分は、にこに合わせる顔がない。
一度タイミングを逃しただけで、そこで終わり。二度と取り繕うことは出来なくなってしまう。二十年も生きてきて、ようやく気がついた自分は愚か者だ。
「……気色悪い」
冷たい目で堀が言う。
「……お前がそんな風に畏まったり、真面目ぶると寒気がする」
「おい」
「…………謝罪は受け取っておく。さっきも言ったように許す気はないけどな」
「あぁ、それで良い」
最初から今までずっと仏頂面だった堀。その口元に、うっすらと――小さな微笑が見えたような気がした。
だからなのか、京助も僅かに微笑む。それは長年背負い込んできた肩の荷が、ほんの少しだけ下りたかのようだった。
そして、京助はポケットを漁りはじめる。
残り少なくなったタバコを取り出してみれば、潰れてひしゃげてひどい有様だった。げんなりしながらもそれを咥えてライターをこすって、ともった火を先端に移す。
ひと呼吸。口腔から肺にかけて満ちていくラムの香りが、何故か懐かしい。
――俺は、生きている
まさかタバコでそんなことを実感するとは思わなくて、我がことながら苦笑しか浮かばない。
「……それはそうと、お前いい加減に俺のアコギを返せ。ついでに代わりに俺の家に置いて言ったエレキをさっさと引き取れ」
「え?……あ!すまん、忘れてた!」
堀に言われてようやく思い出す。
部屋の片隅におかれ、今でもちょくちょく弾いたりしてるアコースティックギターは、目の前にいる青年から借りたもの――すっかり忘れてそのまま私物化してしまっていた。
「あ、あぁ。すぐに返す。……なんつーか、すま……っ!」
京助は決まりが悪そうに煙をもう一度思い切り吸い込んで、
「……!おい、どうした?」
「ッ!グッ、ゲホッゲッ……!」
久しぶりのタバコにむせたのか、こらえきれずに咳き込む。
息ができなくなるほど、ひとしきりむせた所で、京助は涙目で顔をあげて、
「いや、何でもない。ちょっと最近風邪気味でな……」
「……いや、今の咳、風邪にしては……」
堀は何か言いたそうに眉間に皺を寄せる。しかし、彼のつぶやきの後半は京助の耳には届かなかった。
「さて、と……腹もいっぱいになったし、そろそろ帰るかね――眠くなってきちまった」
「……勝手なやつだ」
†
「……これから、どうするんだ?」
店を出ると同時に、徐に堀は尋ねた。
対する京助は一瞬きょとんとしたような顔をしたかと思うと、何かを考え始め、やがて険しい顔でうなり声を上げ始めてしまう。
「あー……本当は、しばらく街に居座るつもりだったんだが――」
「……だが?」
「ちと、面倒な事になっちまってな」
「……いつも通りだな。どうせまた、いらんことに首つっこんで引っかき回したんだろ?死ね」
「ナチュラルに罵倒を混ぜるな。サブリミナルでも狙ってんのかお前は……まぁ、大体あってるよ。そんな訳で、また―――流れてみようかと思ってる」
今の今まで忘れていたが――忘れたフリをしていたが、そんなものではごまかせるモノではなかった。
つい先日、それこそ一週間も経っていないあの日のこと。
友達に相談することも出来ずにいた少女に、間違ったアドバイスを与えてしまったのは誰だったのか。
助けを求める少女の手を、振り払って逃げたのはどこの誰か。
隠し事と嘘、その末に少女の夢にケチをつけたのはどいつなのか。
――全部、自分のことだ。
こんなことになるのならば関わらなければ良かったと、心の底から思う。
今更、どのツラ下げて彼女たちに会うことが出来るのものか。
「……ふん。また逃げるのか」
京助の心中など知らず、堀は何の感情もこもらない声音で告げる。
彼はそれに頷くことも、首を横に振ることもしなかった。
――本当に、このままでいいのか?
自分の心が、そう問いかけてくるのが聞こえた。
「さぁ、な……あばよ、堀。会えて良かった」
疑問を振り払うかのように、京助は友人に背を向ける。
そして、二度と振り返ることはなく、彼はゆっくりと歩き出す
「……おい、クズ野郎!」
さり際に、背中に声がかけられた。
「……お前はバカなんだから、考えても無駄だ。何か悩みがあるなら、いつも通り、思ったように行動しろ」
「ッ」
「……ただし、俺達を巻き込むな。じゃあな」
バイクの音が遠ざかっていくのが聞こえた。
――そういえば……
ふと思い出す。
仲間たちのもとを逃げ出したあの時、ロクな別れの挨拶もできなかったことを。
何も言わず、何も言えずに一人で飛び出して――それが結局この体たらく。
もう、何もかも通り越して笑えもしない。
……と。
――本当に、これでいいのか?
「ちっ……」
またしても問いかけが聞こえた気がした。
その答えを考えたくなくて、京助は何も考えないようにしながら足を早める。
自分がどこに行こうとしているのか、それさえも分からずに、がむしゃらに足を動かしていく。
そして、
「おい、マジかよ……」
気がつけば、石段を上っている自分がいた。
地元で一番大きく有名な神社、そこはμ’sの彼女たちが練習に使ったこともある場所。
逃げ出そうとしているのに、何故自分はこんなところに足を運んでしまったのか。
あるいはまだ彼女達のことを気にしているのかと――そう思って余計に自分が惨めになった。
「ちっ……最後くらい、挨拶してやるか」
ポケットから取り出した五円玉を握り締め、賽銭箱の前に立つ。
時刻は夕暮れ間近、周りに時分以外の人影は見えない。
「……結局、俺は何も出来ねぇのかよ」
彼にとって、今のこの神社の静寂はむしろありがたかった。
拝殿に向かって、しかしうつむいたままで彼は呟く。
それは懺悔にも似ていた。
「才能がないことは知ってたさ。それでも人並み以上の努力をすればどうにかなるって、そう信じてたよ」
目を閉じて、過去を振り返ってみる。
散々走って、転んでは立ち上がってを繰り返す、せわしない日々だった。目標を見つけてからは、夢を追いかけてそんな毎日を繰り返すのが楽しかった。
「だけど、無理だった。何も出来ないまま、逃げて逃げて、挙句の果てには一回逃げ出した地元にまで逃げ帰ってきて……ホント、情けねぇよな」
いつからだろう。
夢を追う事が苦しいと感じるようになったのは。
傷ついて倒れて、へし折れそうな心を無理矢理支えてまた起き上がる。そのくり返しで前に進むことのできない日々は、確実に京助を蝕んでいく。それは、彼の魂を錆びつかせるには十分過ぎた。
「……でも、最近はそんな生活もちっとはマシに思えてたんだ」
今度思い浮かぶのは、逃げ帰ってきてからのことだった。
勝手に押し付けられた面倒事に辟易する毎日だった。
ようやくそんな毎日に納得し始めた頃に出会ったあの子達。
最初は面倒くさくて仕方がなかった。頼むから放って置いて欲しいと、何度願ったことか。
拒絶するのも面倒くさくて、適当に口出しをしたのが運の尽きで、気がついたら彼女達に振り回されてばかりの日常だった。
倦怠の中、灰色にそまった視界に、無理矢理色をつけられた気分――だがそれは案外に悪くはなかった。
「あの、無茶で無謀で、危なっかしくて見てられない小娘共を見てたら、俺にもまだ出来ることはあるんじゃないかって、そんな風に思っちまったよ。……俺の夢は終わったけど、この夢の残骸でも、あいつらの踏み台代わりに使えるなら意味はあったんじゃないかって……」
それも結局失敗だった。
結局自分に出来る事など何もなくて、全部が全部無駄だったと、そう痛感しただけだった。
今までの努力も、何もかも無駄だった。所詮夢を叶えることなんて自分には無理だった。
もう、思い残すことは何もない。
「……そうだ」
否。
一つだけ、
「もし神様とやらが本当にいるのなら――後生だ。ちょっとで良いから、あの子達のことを見守っててやってくれ」
最後にそれだけ言って、京助は握り締めた五円玉を賽銭箱に放り込んだ。
金色の硬貨は嫌にゆっくりと弧を描き、そして、
「……チッ」
舌打ちを一つ。
京助の投げ入れた五円玉は賽銭箱の端に当たって弾かれてしまう。しばらく地面の上をはねていたかと思えば、やがてころころと転がって彼の踵にぶつかって動きを止めた。
――お祈りさえ拒否されるか……
運にも天にも見捨てられた。最早笑えもしない。
放っておくのも気が引けて、しかしかと言って一度出した賽銭を引っ込めるのも癪に障る。一応拾い直してはみたものの、どうすればいいのかと五円玉を見つめていると、ふと彼の耳に聞こえて来る声がある。
先程まで誰もいないと思っていた境内、だが間違いない。なぜならそれは今、京助が聞きたくない人間の声だったのだから。
「かよちん、遅いにゃー」
「ごめん……久しぶりだと体がなまっちゃうね」
聞き覚えのある声。
もう二度と関わるまいと、そう思っていたはずなのに、体は彼の思いとは逆に動き始める。そっと祭務所の建物の影から覗いてみれば、そこには思った通りの二人がいた。
星空 凛と小泉 花陽。
練習着を着て息を切らしている姿から見て、彼女たちがスクールアイドルの練習を続けていることが見て取れた。
――だが、何故?
μ’sの活動は休止、解散さえ危ぶまれていると聞いている。それなのに、何故彼女たちは練習を続けているのか。
彼女たちに問いかけてみたかった。
「あれ?穂乃果ちゃん?」
凛のセリフに驚いて、もう少しだけ顔を出してみると、丁度穂乃果が石段を登りきるところだった。
思えば彼女の姿を見るのは店での一件以来となる。久しぶりに見る彼女は、彼の知らない顔をしていた。持ち前の明るさはどこへ行ったのか、悩みを抱えた浮かない顔だった。
京助は耐えられずに俯いてしまう。
彼女のそんな顔なんて、見たくなかった。
「練習、続けてたんだ?もうμ’sは……」
目を背けてみても、声だけは彼の耳に届いてくる。
穂乃果の言ったそれは、京助が聞きたかったことでもあった。
何故、まだ続けるのか。
だが、その問いかけに答えるのは凛でも花陽でもなかった。
「当たり前でしょ?」
更に別の少女の声が聞こえて、京助は思わず顔を上げる。
彼の目線の先に立つ、小さな少女の姿。
「……ッ」
一瞬、息が止まりかけた。
今、一番会いたくない人物が――合わせる顔のない人物が間近にいるのだから。
「?」
「どうしたの、にこちゃん?」
「……何でもない。それよりも穂乃果」
にこが振り返る刹那、京助は再びその体を建物の後ろに引っ込めて隠れていた。にこはまだ何か気になっているようではあったが、穂乃果に向き直って、先ほどのセリフの続きを話し始める。
京助はその場を立ち去ろうと思いながらも、動けずにいた。にこが、穂乃果の問いかけにどのように答えるのか、それが知りたかった。
盗み聞きなど悪趣味もいいところと、自嘲気味に、しかし耳をそばだてて京助はにこの言葉を待つ。
「好きだからよ」
――っ!
にこの言葉に京助は息を飲む。
「にこはアイドルが好きなの!みんなの前で歌って踊って、そしてみんなを笑顔に出来る。そんなアイドルが好きなの!だから私は諦めない、私は絶対……!」
それは穂乃果への返答であると同時に、宣言でもあり、そして穂乃果への問いかけでもあった。
自分は、何があっても夢を追い続ける。では、お前はどうするのか。
そう問いかけているように聞こえたのは錯覚だろうか?
さらに、にこは続ける。
「あんたやあの人みたいな、いい加減な好きとは違うの!」
「違う、私だって……!」
――違う、俺は……!
穂乃果のセリフと京助の心の声が一致する。しかし、その続きを言葉にすることは穂乃果にも京助にも出来なかった。
「何が違うのよ。やめたのも諦めたのもあなたでしょ?」
祭務所の外壁に背中を預け、やがて京助は力なくその場にしゃがみこむ。
彼女のセリフは別に京助に宛てた物ではないが、その言い分に、言い返す事も、言い訳を考えることも出来なかった。
一言一言が胸に突き刺さって、本当に血が出るのではないかというほどに痛む。
この場から一刻も早く逃げ出したい。だが、体が言うことを聞いてはくれなかった。
「……にこちゃんの言う通りだね。邪魔しちゃって、ごめんね」
寂しげに、そう言って穂乃果は踵を返す。
彼女たちの会話が丁度よく終わってくれたのにほっとして、京助はゆっくりと立ち上がる。これ以上この場にいたら本当にどうにかなってしまいそうだった。
これが最後。
そう思って京助はそっと気づかれないように物陰から彼女達を覗き見る。すると、去りゆく穂乃果の背中に花陽が駆け寄って声を駆けるのが見えた。
「穂乃果ちゃん。今度、私たちだけでライブやるんだけど、よかったら……」
「穂乃果ちゃんが来てくれたら盛り上がるにゃー!」
「え……?」
困惑する穂乃果を見かねたのか、にこが、しかし穂乃果の方を見ずに、
「絶対来なさいよ。あんたが始めたんだから」
「……うん」
小さく頷いて、今度こそ彼女は石段を下り始める。
それを見届けて、京助も顔を引っ込める。
もうこれ以上、この場所に留まり続けるのは心が限界だった。
彼女達に気づかれないように、こっそりと神社を脇道から抜けて出ていく。
彼の手の中には、まだ五円玉が握られたままだった。
†
「そうだ!今度のライブ、おじさんも呼ぼうよ!この間、海未ちゃんがμ’sの活動停止の事伝えたら物凄く落ち込んでたって言うし、ここは凛達が励ましてあげなきゃ!」
「それいいね!きっと喜んでくれるよ!……でも、どうしよう?この前からお兄さん、学校にも来ないし、お店もしまったままだよ?」
「うーん……希ちゃんも電話とかメールしてるみたいなんだけど、繋がらないんだって。にこちゃん、何か聞いてない?」
凛の問いかけに、にこは答えない。
答えないまま、黙って微かに顔を俯ける。
「にこちゃん?」
「……別に。何も聞いてないわよ」
「?」
不思議そうに首をひねる凛の前で、にこはぎゅっと唇を噛み締めていた。
その表情は、どこか寂しそうで、辛そうで――
「……にこちゃん、もしかしてお兄さんと喧嘩したの?」
「え!?な!そんなわけないでしょ」
何かを感じ取ったのか、花陽が尋ねると、にこは否定こそすれどまさに図星とでも言うように慌てふためき、そしてすぐに落ち着きを取り戻すと、
「そんなんじゃ、ないわよ」
「にこちゃん、おじさんと何かあったんだ?」
凛の問いかけに、今度はいくら待っても彼女は答えなかった。
花陽も今度は何も言わない。
誰も何も言わないまま時が経ち、ついに根負けしたのかにこがイライラした様子を隠そうともせずに語り始めた。
「喧嘩、ではないわよ。あの人、私達が何言っても本気で怒ったことないじゃない。喧嘩になんてなるもんですか」
「じゃあ、どうしたの?」
「……別に。ただちょっと――ちょっとだけ、ひどい事言っちゃったかなって。あの人にも何か事情があったかもしれないのに、ぞれを考えもしないで……私もまだまだガキね」
小さなため息とともにそう締めくくる。
――悪いこと、しちゃったな
にこが最後に呟いたその小さな一言を凛と花陽だけが聞いていた。
だが、それは肝心な人物の耳には届くことがなかった。
†
帰り道。
彼女達のことをぼんやりと思う。
にこはまだ夢を諦めずに進んでいる。これからもきっと彼女はそうするのだろう。
凛と花陽もそうだ。新たな道を見据えて、まだ進むことを諦めてはいない。
――本当に、これでいいのか?
またしても声が聞こえた。
穂乃果もそうだ。
にこや凛、花陽との短い会話の中で、彼女の空気が変わるのを感じた。にこの言葉に返しかけた『否』の一言。
そこにはまだ進もうとする思いが感じられた。まだ先に、もっと先に、立ち止まらずに進んでいきたいという思い。
だが、まだそれは決断には至れていない。
踏み出すには後一歩、小さなきっかけとプラスαが必要だと、そう思った。
――本当に、これでいいのか?
最後に、もう一度。
「良いわけ……ねぇだろ!」
五円玉を握ったままの右手を強く握りしめて、力の限りに電柱を殴りつける。
拳が割れて、滴る血がやがて地面を濡らしていく。
赤く、朱く――燃える炎の色。またしても灰色に染まりかけた世界に、色が戻ってくる。
「落とし前もつけずに、逃げられるかってんだよ!」
人知れず、京助は吠えた。
心の片隅でくすぶっていた何かが、最後の輝きを灯すのを感じた。それはやがて心のみならず、魂までも燃え上がらせていくようだった。
穂乃果の決断のための小さな切欠。それはもちろん自分の役目ではないことは知っている。
最後に彼女の背中を押すものは、こんなロクデナシではなくてもっと相応しい人間が――頼れる仲間達がいるのだから。
ならば自分に出来ることは何か?
そんな物は分からない。
だが、自分がやりたい事は分かった。
友が言ったように、考えるだけ無駄、思ったように行動するだけだ。
そこに理由なんていらない。
だが、強いて何か理由をつけるならば、それはきっと、あの少女の言葉が全ての答えなのだろうと、京助はそう思った。
夕焼けにふちどられた孤影をつれて、青年は歩き出す。
その歩みに、今までのような迷いはわずかも感じられなかった。
こんばんは、北屋です。
大分遅くなりましたが、どうにかこうにか更新できました。
ともあれ、ようやく主人公復活の流れです。
次回、
少女の思いが届く時、灰衣の勇者は再び立ち上がる!
……はい、すみません。ふざけすぎました。
では、次回もお付き合い頂ければ幸いです。