「とは言ったものの……」
帰ってきた自室の中、先ほどまでの勢いはどこにいったのやら、困ったような表情を浮かべてだらしなく椅子に腰掛ける。
あの少女たちのために何かをしてあげたい――その思いはまだ胸の中に確かにある。だが、具体的に何をすれば良いのかを考える段になって、京助は冷静を取り戻した。気持ちばかりが逸ってしまって危うくまたしても学校に突撃をかますところだった。
一先ず気を落ち着けようと、愛飲するタバコに火を点けて、キッチンからとってきたグラスにたっぷりとウイスキーを注ぐ。
酒はロックと決めていたが、今は常温ストレートで一杯やりたい気分だった。
「さて、と」
酒を舌の上で転がしながら、京助は久しぶりに携帯を開いてみた。
案の定大量のメールや着信履歴があり、連絡なしでしばらく仕事を休んでいた事実に胃が痛くなる。
最早申し開きが利くとは思えない。下手をすれば購買の仕事がなくなるかもしれないと、そう思いながら着信履歴をさかのぼっていき……
「……これは」
思わず絶句した。
学校からと思われる着信の他に、その履歴を埋めるのはある見慣れた名前。恐る恐るメールの受信フォルダを開いてみれば、案の定そちらにも数え切れないほどの同じ名前からの連絡が入っていた。
電話なりなんなりをこちらからするべきか――そう考えると、余計に胃が痛くなってくる。そろそろ胃に穴が空きそうな気さえした。
無意味に唸ってみたり頭を抱えてみたり悩みに悩むこと数十分、ようやく決心がつきかけてその人物に電話をかけようと、画面にタップしようとして、
「うおぉっ!?」
不意に着信の音楽が鳴り始めて思わず携帯を放り投げた。
ディスプレイに表示されるのは見知った名前。入院中に何件も連絡をいれてきていたある少女のものだった。
彼一人しかいない静かな部屋の中に鳴り響く『ワルキューレの騎行』……不穏極まりない着信音が相まって電話に出るのを躊躇ってしまう。
このままやり過ごそうかと、一瞬そんな考えが頭をよぎったが、諦めて携帯を拾い上げる。
これ以上逃げるのは癪だった。
「……はい、津田です」
『あー!!津田くん、ようやく繋がった!!』
大声に思わず携帯を耳元から遠ざけてしまう。思えばこの少女がこんな大声を出すところに遭遇するのは初めてかもしれなかった。
「よう、元気にしてたか、エセ関西娘?」
『それはウチのセリフ!!何べん電話してもでぇへんから心配したやん!』
「それは……すまなかったな」
普段通りの軽い対応。しかし自分はちゃんとそれを演じきれているだろうか。
どれだけ取り繕ってみたところで中身は変わらない。奮い立たせてみても一度怖気づいた心は相変わらずで、ことここに及んでまだ逃げ出したい思いが残っている。
それでもなお希と……μ’sの一員と話していられるのは、京助に残された最後の意地のおかげだった。
『連絡はつかないし、最後に見た時はえらい落ち込んでたし、海未ちゃんが会ったときも憔悴仕切ってたって言うし……大丈夫なん?』
「あぁ。大丈夫だ、問題ない」
場にはそぐわないとわかっていながら、京助はうっすらと苦笑を浮かべていた。
大丈夫かと――そう問いたいのは彼の方だった。
彼女が本当に心配すべきは、μ’sのことで、友達のことで、彼女自身のことのはずなのに、どうしてこんなロクでもない人間のことを心配してくれるのか。
『それならえぇけど……今まで何しとったん?』
「別に何も。タバコと酒かっ食らって自棄起こして喧嘩して怪我して、寝込んで飯食って、またタバコと酒かっ食らってただけだ」
『――』
電話口の向こうで希が絶句するのが分かった。
自分で言っておいて、あまりにもアレな返答だとは思うが事実なのだから仕方がない。
『まぁ、良いや……ともかく元気そうで良かった』
「俺が元気でお前が喜ぶ道理はねぇんだがな……それで、何の用だ?」
『別に用ってわけじゃないんやけど……心配になったから連絡しただけ』
「……それだけ?」
京助は拍子抜けしたような声をあげた。
てっきり、μ’sの現状について何か相談でもされるのかと身構えていた。
『うん、それだけ。うちが友達の心配しちゃ悪いん?』
「誰が……いや。そっか」
誰が友達だと、そう言い返そうとしてやめた。
彼女がそう思っているなら、あえて拒絶する意味もない。
『うん。安否も確認出来たし、要件はこれだけなんやけど……本当に大丈夫?』
「あぁ、俺は大丈夫だ。それよりそっちこそ大変なんじゃないか?その……」
μ’sのこと。
それを聞こうとして、言葉が喉に詰まった。
聞いてどうするのか、聞いて何が出来るのか。まだ悩みは残っている。
『うちらなら大丈夫やよ』
京助の心配を見越したかのように希は短く告げた。
『きっと、大丈夫。カードだってそう告げとるからね。それより津田くんは自分の心配せなあかんよ』
「……そっか」
『要件は、それだけ。忙しいところごめんな?ほな、また』
「謝るくらいなら電話すんなっての。また……いや、ちょっと待て」
『え?』
「ちっと聞きたいんだが……」
聞いて何ができるのかは知らないが、それでも聞かなければならないことがあった。
†
通話の終わった携帯を机の上に放り投げて、京助はぼんやりと手元にあったコンポのリモコンを操作した。流れてくるのは彼が一番好きなバンドの音楽。
聞こえて来るギターの旋律に耳を傾けながら、京助は両手で顔を覆った。
人のことより自分の心配をしろと、そう言いたかったのに逆に彼女に言われてしまって少々自己嫌悪に陥る。
「大人が子供に心配されてどうすんだよ……」
子供の心配をするのは大人の仕事。
だというのに子供に逆に心配されてしまっては京助の立つ瀬がなかった。
自分は思っている以上に子供なのかもしれない。
いや、散々迷いに迷って逃げ出して、それでもなお惨めったらしくもがき続ける身で大人を名乗るのは些か無理があったのかもしれない。
「あいつら、助けてとは言ってないんだよな……」
タバコに火を点けて、京助は呟く。
今までそう長くはない間ではあるが、彼女たちを間近で見てきた。時にはアドバイスじみたことをしてみたり、何か差し入れをしてみたり。景気づけに一曲弾き語ってみたこともあった。
助けてと頼まれたからでもない。別に感謝されたくてしてわけではない。
何でそんなことをしてきたのか、それは突き詰めれば自分のためだったのだろう。
今まで夢の為に色々な物を投げ出してきた。才能はなかったが、そんなもので自分の価値を決められたくなくて、いつか努力は才能を超えられなくとも、並ぶことは出来ると、そう照明したかった。
結局それはただの徒労に終わってしまったが……
でも、それをただの無駄だと切り捨てるのが怖かった。今までの努力が無駄だとするならば、自分の生きてきた人生はなんだったのか。
怖くてたまらなくて、せめてそれがただの無駄ではなかったというちっぽけな言い訳が欲しかった。
彼女達の成長や成功の為に、踏み台替わりにでもなるのであれば、自分の努力はその為のものだったのだと納得出来ると思ったから――
「……違うな」
紫煙を吐き出して、ぼそりと否定する。
自分の為、ちんけな言い訳のため。それも嘘ではないけれど、それだけではなかった。
彼女たちに自分を投影していたのも認めるが、だからといって彼女達の成功で、自分の成し得なかった夢に満足しようなんて思える程、京助は落ちぶれてはいなかった。
京助が彼女達に肩入れするのはもっと単純でもっとみみっちい理由。
かつて自分がしてしまった失敗を、夢を成し遂げられなかった無念を、彼女達には経験して欲しくなかっただけだ。
彼女達とのことを思い返してみる。
最初に会った時はただひたすらに面倒で仕方がなかった。まとわりつかれるのは正直いって迷惑だったし、頼むから放っておいて欲しいとさえ思った。だけど彼女たちが大きな目標を持っていることを知って、興味を惹かれてしまった。その姿がどこか自分の過去と重なって、柄にもなく何かしてあげたいと思った。
そして気がつけば身近にいるのが当たり前になっていて、放っておくことができなくなった。
放っておけないくらい、大切になっていた。
例えるならばそう、まるで手のかかる妹がいっぺんに9人も出来たような気分。
「……あの子達の事が、好きなんだ」
絶対に人前では言えないセリフだった。
穂乃果個人ではない。海未でもことりでもない。真姫でも凛でも花陽でもなければ、にこや絵里、希でもない。
彼女達全員を含めたμ’sのことが好きなのだ。
――何だ、結局俺もガキなんじゃないか
そう考えて京助は口元を歪めた。
やがてそれは微苦笑にとどまらず、京助の口から大きな笑い声となって溢れ出す。
ひとしきり腹を抱えて笑い倒して、彼は涙を拭ってゆっくりと椅子から立ち上がった。
ようやく、ようやくやっと踏ん切りがついた。
「さてと……それじゃ、ちょいとばかし、この俺様が一肌脱ぐとするかね」
さっき最後に希から聞いた答えで、次に何をするのかは決まっていた。
やりたいことは分かった。その理由も分かった。ならばもう悩むことはない……悩みに逃げている暇はない。
小憎たらしくて、それ以上に愛しくてたまらない妹分達のために――青年は今一度、立ち上がる。
――大丈夫、大丈夫
そんなフレーズがコンポから聞こえてきた。
The Beatlesの『Revolution』
まるで今の京助を励ましてくれているような一節に、自然と京助は笑みをこぼしていた。
今こそ、変わる時だ
†
「ふぅ……」
単車から下りて、京助はタバコに火を点けた。今日何本目になるのか分からないタバコ。
煙を漂わせながら、彼は目の前にある建物を見上げた。
『国立音ノ木坂学院』
全てはここから始まったのだと考えると感慨深いものがある。
短い間ではあったが、色々なことがあった。
どれもこれも忘れられないことばかりなのに、一つ一つの出来事の衝撃が強すぎて思い出すのも一苦労。
これほど密度が高い時間はこれまでの人生の中でもそんなにはなかったのだろうと、そう思った。
そしてそれはこれからも変わらない。そうそう簡単に、変わるものじゃない。
「来た来た……やっとお出ましか」
学校の出入口を抜けて、京助の立つ校門まで駆けてくる少女の姿。
サイドテールを揺らして、どこか楽しそうに走る彼女を見たら、今まで悩んできた自分がバカらしくなってきた。
「え?パン屋さん?」
高坂穂乃果。
希に、ことりが日本を立つ日は聞いていた。ならばその当日、彼女なら何かをするのではないかと思ってこうして学校まで来たのだが、その予感は見事に的中したようだった。
彼女は何故京助がここにいるのか不思議そうに彼の顔を覗き、しかしすぐに気がついたように、
「あの後どうしてたの!?急に学校の購買も休んじゃうし、お店もしまったままだし!何かあったんじゃないかって、みんな心配してたんだよ!?」
走ってきたばかりだというのに大声で息もつかずに京助に詰め寄って、穂乃果は軽く息切れを起こす。
なんというかこの忙しなくて一々大げさなリアクションを見るのも久しぶりな気がした。
「まぁ、色々あったんだ。……それより時間は良いのかい?このままだと飛行機に間に合わないぜ?」
またしても心配されてしまったことに苦笑しながら、京助は逆に尋ねる。
心配されるのは心苦しくて、それでもどこか少し嬉しい気がしないでもないが、今は優先事項を間違えないで欲しい。
「え?あぁ!!そうだった!」
「まぁ、待ちな」
慌てて走り去ろうとする穂乃果を呼び止め、振り向いた彼女の胸元に、ヘルメットを放った。
彼女がそれをキャッチしたのを見届けてから、京助は愛車にまたがって、
「ここで会ったのも何かの縁だ。空港まで行くんだろ?送ってくぜ」
京助がそう言ってカワサキ・マッハのタンデムシートをばしばしと叩いて乗るように合図すると、穂乃果はきょとんとして手元のヘルメットと青年の顔を見比べ、そしてすぐに、
「うん!」
力強く頷いて、彼女は京助のバイクの後部にまたがると、おっかなびっくり彼の肩に手をかけた。
京助はそれを確認すると、ハンドルを強く握りしめて、思い切りアクセルをひねる。
時間はぎりぎりだが、飛ばせば間に合うだろう。
……否。
間に合わせてみせる。
何がどうあっても間に合わせなければならなかった。それが今京助に出来る唯一の――
「飛ばすぜ!しっかり掴まれ、高坂!振り落とされるなよ!!」
二人を乗せたマシンは唸りを上げて、やがて一陣の風になっていった。
長らくお待たせして申し訳ありません。
次回、一期最終回です