時系列的には文化祭の前~から当日くらいの位置に当たります。
大分ネタ成分の多いお話ですが、ちょっとした暇つぶしにでもなれば幸いです。
かろん……
ドアベルの音が響く。
どうでも良いがこの店のベルはもう大分へたれてるのか、間の抜けた音しかしない。
扉の先に見えるのは、薄暗くてどこかカビ臭いいつも通りのバーだった。お客は俺以外に二、三人、そんなに大きな店ではないから多くもなく少なくもなくってところか。
「マスター、いつもの」
定位置のカウンター席にどっかりと腰を下ろしてそう言うと、マスターは無言で頷いて棚から酒を下ろし始める。
いつもの事ながら無愛想だが、こんなんで客商売やってられてんのが不思議だ。俺としてはこの位静かな方が落ち着いて良いんだが……
そんな取り留めもないことを考えながら、愛飲する両切りタバコに火を点ける。濃い煙を一度吐き出すと、そのタイミングで頼んだ酒と灰皿が目の前に置かれた。
グラスに満たされたフォアローゼズ。うっすらとラム酒の香りのするゴールデンバット。
お気に入りのバーでそれをやるのが俺のささやかな楽しみだ。別にハードボイルドを気取るわけじゃないが、安酒と安タバコで過ごす静かな一時が一番落ち着く。
夢を諦め、地元に逃げ帰ってきてこの職についてからそれなりに時間が経ってきた。
静かな余生を過ごそうなんて甘い考えを持っていたが、矢張りというかなんというか、俺の人生は思っている以上に苦くて渋いらしい。
グラスを手に取って一口。からり、と氷が涼しげな音を立てる。
昼の喧騒を思い出すと、それだけで頭が痛くなってくる。高校の購買のお兄さんなんぞをする羽目になったのが運の尽き、何をどう間違ったのか知らないがそこの女子生徒9人に無駄に懐かれ--いや、遊ばれてるだけか?
とにかく忙しい日々を送っている。
それは俺が求めていた静かな生活とは真逆のものだった。
そして質が悪いことにその生活が最近では楽しくなってきて……
「ちっ……」
舌打ちを一つ、酒を一気に飲み干す。
折角こうして静かな一時を過ごしているというのに、どうしてあの小娘どもの事を考えなければならないのだろう。そう思って今この時だけでも昼間の事を無理矢理忘れることにした。
「マスター、同じのをもう一杯」
吸いきったタバコを灰皿に押しつけ、短くそう告げると、俺の注文が分かり切っていたかのように新しいグラスが目の前に置かれた。
さすがマスター、客の事が良く分かってらっしゃる。
何だか良い気分で、ウイスキーを一口……
「ん?おい、これ注文と違うぜ?」
余り酒の味が分かる方ではないが、この強い樽の香り、それにこの度数……少なくとも俺の好きなバーボンではない。
サービスだろうか?一瞬そう考えるが、いくら何でも好みに合うか分からない酒を出すとも考えづらい。
「あちらの方から」
そう言ってマスターは俺の右奥の方の席を指し示した。
「へぇ……そいつぁなかなか粋なこったな」
こうした飲み屋は昔から好きで来ているし、こういうのに憧れたこともあったが、実際に見るのは初めてだ。
なかなか洒落たことをする人もいるもんだ。
礼の代わりに薄く笑って杯を掲げ、送り主殿の方に体ごと向く。
「…………は?」
息が、止まった。
奥のカウンター席に座している人物は一人の女性だった。ビジネスウーマンと言った感じでびしっとスーツを着こなした、グレーの髪が印象的な、綺麗な人。
その女の人はにこやかに俺の方に手を振っていた。
……いや、凄ぇ見覚えがあるんだけど、あの人。
「こんばんは、津田さん」
そう言って女性は俺の横まで歩いてきて、席を俺の右隣に移動した。
「ど、どうも……その節はお世話になっております。……理事長先生」
理事長先生。
俺が購買で仕事をしてる学校……音ノ木坂学院の理事長で、俺の頭痛の種になっている小娘一味の一人、南ことりの母親だった。
「いいえ、そんな。ずいぶんお仕事忙しそうね。お疲れ様」
「いえ、あの……」
何でこんな所でこんな人と会うのか……社交辞令の笑みを浮かべて驚きを隠すが、心中穏やかではいられなかった。
折角昼の喧騒から逃げ切ってここにいるというのに、何故こうして昼の忙しさを思い出させる人と会わなければならないのか。というか、何が悲しくてプライベートの時間に上司みたいな人に会わなきゃならないんだ。
「その、お酒ありがとうございます……えっと、これ美味しいですね」
不測の事態にどうして良いか分からず、ひとまず酒を口にする。
……結構キツいな、この酒。
「そう?ワイルドターキー……私の好きなお酒なの」
「そりゃまたキツいのを……」
50度を越える、国内ではトップクラスに度数の高いウイスキー。俺は基本的に気に入ってる一つの銘柄しか飲まないから味わうのは初めてだが、これはこれで悪くない。
ワイルドターキー(野生の七面鳥)ね……
「先生は良くこういうところ来るんですか?」
「そうでもないわね。偶に気が向いた時だけかしら。そういう津田さんは?」
「俺……自分はそこそこですかね。ゆっくり一人酒ってのが好きでして」
「あら意外。てっきり夜な夜な若い女の子と遊んでるのかと思ってたわ」
「残念ながら浮いた話とは無縁でね。このご面相と見てくれのおかげってとこですかね」
「そう?もう少ししゃんとすれば結構素材は良いと思うけど……あ、でもうちの生徒に手は出さないでね?最近仲が良いみたいだけと、ちょっと心配ね」
「げほっ……冗談!なんでこの俺があの小娘どもに!」
咽せた。
理事長先生に言われて一瞬あの9人の顔が思い浮かび……ぞっとした。
マジで冗談じゃない。
ガキとの色恋沙汰はなんざ笑えない……というより、もう懲りた。
「あの?私は別に誰とは言ったつもりはないのだけど、覚えがあるのかしら?」
「ッ!滅相もねぇ!」
眉を潜めてそう問いかけてくる理事長先生。いや、マジで勘弁してくれ。
「ふーん……」
「あからさまな疑いの目線やめてくれませんかね?……ぶっちゃけると、昔色々あって色恋沙汰やらなにやらって苦手なんですよ」
人並みに恋はしてきた。誰かを好きになったことだってあるし、モテたいと思ったことだってそりゃある。
だけど、俺の恋愛は大体ロクなことにならなかった。
もう、あんな思いをするのは真っ平で、だからもう恋愛感情なんざ枯れ果てた。
一瞬。
一瞬、脳裏にフラッシュバックする。力なく横たわる華奢な肢体。どれだけ強く握りしめようと握り返してくることのない冷たい掌。……思い出したくもない事を思い出して沈むのは酔った時の悪い癖だ。
タバコを思い切り肺の深くまで吸い込んで、そのまま静止。苦しくなったところで一気に吐き出した。
こうすると目の前がチカチカして、嫌なことも楽しい事も、何もかも忘れて気分をリセット出来る。
「何があったのか知らないけど、大変だったのね……すみません、この人にもう一杯」
俺の顔の翳りを見て察したのか、理事長はさらに一杯ウイスキーを注文する。
深く尋ねてこない辺り、さすがに大人だと思う。これがあの小うるさい小娘どもだったらどうなっていたことか……
新しいグラスを傾けながら、ちらりと隣の理事長に目を向ける。
アルコールの影響か、首もとに見え隠れする白い肌に朱が差して、なんと言うか艶っぽい。
とても高校生の娘がいるとは思えない色香だった。
「ん?どうしたの?」
俺の目線に気が付いたのか、理事長は悪戯っぽくにやりと笑って俺の顔を見つめた。
慌てて俺は視線を外し、手元のグラスに浮かぶ氷を見つめた。
大人の色気に少女のような仕草。
ーー反則だろ
心の内でそっとつぶやく。
「……俺の事は置いといて、理事長も大変そうですね。その、学校のこととか」
学校のこと……そう切り出すと、理事長先生は黙ってしまった。
どうやら地雷を踏んだらしい。さすがにピンポイントで一番の悩みに触れるのは些か無神経過ぎたのかもしれない。
沈黙に気まずくなって、それを紛らわすために新しいタバコを取り出すと、
「……一本、頂いてもいいかしら?」
理事長は俺の質問に答えず、代わりに俺のタバコを指さしてそう尋ねてきた。
「え?かまいませんが、お吸いになるんですか?」
「偶には、ね。随分と久しぶりだけど」
そう言って彼女はタバコを一本咥え、俺はそっとライターを擦って火を点ける。
「ふぅ……けほっ、これ、相当辛いわね」
あー……
久しぶりでゴールデンバットなんて吸えばそうなるよな。
涙目で軽く咳き込んだ彼女の、普段とはかけ離れた様子に思わず笑みがこぼれてしまう。
俺はタバコを咥え、それを美味そうに吸ってみせた。
「結構キツめのタバコですからね……慣れないとそうなりますよ」
「若い内からこんなの吸ってたら体壊すわよ?」
「体壊すも何も、14の時からこんなん吸ってんですからもう手遅れですよ」
そう言って笑うと、彼女も釣られたように、くすくすと呆れ混じりの笑い声をあげた。
「そうね……学校の事はやっぱり大変よ。廃校のことも精一杯の事はしたんだけどね……」
「あー……心中お察しします」
小娘どもからちらりと聞いた話では、理事長は廃校に関してあっけらかんとしていたと言うが、そんな筈はないだろうと、そう思っていた通りだった。
自分の学校が、ましてや娘の通う学校がなくなるというのだ。ここに至るまでに大変な苦労を重ねた事は想像に難くない。
そして、それを娘や生徒達に気づかれないようにすること……
親であり責任者であるってのは二重の意味で大変だろう。
「でもね、あの娘達が頑張ってるの見ると、私ももっと頑張らなきゃって思えてくるのよ。疲れてる暇なんてないわ」
「あの小娘……失礼、μ'sの子達ですか」
瞼を閉じれば浮かんでくる。スクールアイドルを目指す9人の少女達。やたら騒がしくて七面倒くさい、はた迷惑な小娘共。
そんな彼女たちの頑張る様子、目標に向かう真摯な姿勢。
大変不本意ながら、あの娘達のそんな様子に影響を受けているのは俺も同じだから、彼女の言う事が良く分かった。
……まぁ、もっとも俺は今更頑張ったところで何者にもなれないところまで来ちまってるから、良い迷惑ではあるんだが。
あのやかましくて向こう見ずな、愛すべきガキ共のおかげで、錯覚してしまう。こんな俺でもまだ何かになれるのではないかと。
「そう。最初にスクールアイドルで廃校をなくそう!なんて聞いた時にはびっくりしちゃったけど」
「俺もですよ」
最初に聞いたとき、その時俺はあの小娘達の事を何も知らなかったから特に感慨は抱かなかった。本当にライブをやると言い出した時には本気なのかと疑った。
「若いうちってのは怖いもの知らずですからね」
「それ、あなたが言うの?」
へっ、と自嘲気味に笑う。
小娘共にはおっさん扱いされてるが、この人から見たら俺なんてまだまだガキなんだろうな……
「あなたも随分あの子達の面倒見てあげてるみたいじゃない?ことりから聞いてるわ」
「面倒?うーん……」
正直、面倒を見てやってるかと言われるとそんな事はない気がする。
俺なんかがいなくても、あの子達なら普通に丸く収まるところに収まるだろうとは思う。そもそも、俺は別にそんな大したことをしてやったつもりはない。
とは言え、危なっかしくて目を離せないでいるのも事実で……
「……まぁ、ほっとけませんからね」
グラスを軽く振って、融けた氷と酒が混ざる様子を見ながら呟く。
ほっとけない。
それが一番近い気持ちかもしれない。
「……あいつらが頑張ってるところを見てると、なんかこう、何かしてやりたくなるんですよ」
確かにあの子達は赤の他人で、俺がわざわざ何かしてやる義理はないわけで。失敗して泣きを見ようが、成功して浮かれようが、俺には一文の得にはなりゃしないってのに。
なんでか知らないけど、放っておけない。
「子供が頑張ってるなら、それを応援してやるのが大人の仕事……いいえ、そう思うのが親心ってところね」
「親心……ね」
理事長先生としてはあの子達は自分の娘のようなものなのだろう。いや、実際に実の娘がメンバーにいるわけだし。
なら俺にとってあの子達はなんなのだろう、なんて柄にもなく考えてみれば、なるほど、もしかすると俺の気持ちも理事長先生の気持ちとだいたい同じようなものなのかもしれない。
親心、ならぬ兄心。
もちろん俺に弟妹はいないが、もしいたら、あの子達みたいだったのかもしれない。
……こんな事、こっ恥ずかしくてあいつらには絶対言えないけどな
「もっとも、何かしてやりたいとは思っても何も出来やしない、何をすれば良いのか分からない、ってのが目下の悩みではあるんですが。所詮購買のお兄さんですから」
「それを言ったら私だって同じようなものよ。理事長なんて言っても、彼女たちに図ってあげられる便宜なんてたかがしれてるもの。何をしてあげれば本当に子供のためになるのかなんて、私にも分からないわ」
それっきり二人とも黙ってしまう。
立場は違えど思いは同じ、ってところか。
大人になれば悩むことなんてなくなるもんだと思ってたけれど、そんな事はないんだよな。俺なんかはロクでもない男だから仕方ないのかも知れないけれど、はるかにちゃんとした大人の理事長先生でもこうして分からないことはある。
それでも良いんだと、何故かそんな気がした。
「お互い、大変ね」
「えぇ……マスター、この人に一杯。俺の奢りで」
マスターは小さく頷いて、理事長の前に俺が最初に飲んでいたのと同じウイスキーを出した。
フォアローゼズ(四輪の薔薇)、俺の一番好きなバーボン。この酒には何やら随分ロマンチックな逸話があったような気がするが、あいにくと俺の頭はそんな小洒落た話を覚えておくだけのキャパがない。
忘れちまったよ、そんな話は。
「今日はとことん飲みましょう。飲んで愚痴ればまた明日も頑張れますよ」
「あら、良いこと言うわね。折角だし、お付き合いさせて頂こうかしら?」
こつり、と軽い音をたててグラスを一度ぶつけ合う。
君の瞳に乾杯、なんて気障ったらしいことは言わないぜ?そうだな、それでも格好つけさせて貰うなら……
--9人の女神共に乾杯
夜はまだ長い。
†
「んあ?」
目が覚めた。
頭がガンガンする。部屋に差し込む日の光がやたらめったら眩しくて適わない。
「くっそ……二日酔いかよ」
ふらつきながらもどうにかベッドから抜け出して立ち上がり、伸びを一つ。
体中がぎしぎしと軋む音をたて、朝からあまり気分が優れない。
と、そこで気づいた。
「……何で俺、裸なんだ?」
目線を下げれば目に映るのは見慣れた自分の肉体。なぜか一糸纏わぬ姿のまま、俺はベッドに潜り込んでいたらしい。
酒の所為かと思い、こうなった経緯を思い出そうとする。
「えっと……昨日は確かバーで飲んでて……そうだ、理事長先生と会ってそのまま一緒に……」
ぶつぶつと呟きながら思い出すのと平行して、部屋に脱ぎ散らかされた衣服を纏めていく。
くたびれたスラックス、色あせたネクタイ、よれよれの開襟シャツ……
ふと、シャツをつかんだ所で手が止まった。
白一色のシャツの肩口あたりについた赤いシミ。これは……
「おい、待て……」
低く唸るように呟く。
正直思い出したくなかったが、それなのにこのポンコツの頭は動くのをやめてくれない。
そうだ、昨晩は理事長先生と飲んで、ベロベロに酔っぱらって、それから……
「おい、待て。落ち着け」
そうだ、素数を数えるんだ。
どこぞの神父様も言ってたはずた。素数は勇気をくれる数字。
いや、素数ってそもそもなんだっけ?
ってか俺誰だっけ?
などと、現実逃避をしてみても意味はなく、時間の経過とともに記憶がより鮮明になっていく。それと共に自分の顔からみるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。
そうだ、確か酔った勢いで……
「や、やっちまったぁぁぁぁあああ!!」
絶叫が室内に木霊する。
男、津田京助21歳。
ただいまかつてないピンチです。
続きます