ラブライブ! ―夢を追って―   作:北屋

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遅くなりました


第四十二話 Smoke on the water

 

「ふっ……」

 

 

溜息を一つ。呼吸を整えてから足先を湯につける。

熱い、というよりも痛い。

時期は秋口、夜ともなれば体が凍えるのは当然の事で、冷えきたった体は急に湯に浸かることを拒んでいるのだった。

それでも我慢してゆっくりと足先から徐々に湯船の中に体を沈めていく。肩まで浸かる頃には痛みは消えて、優しい温もりが強ばっていた体をほぐしていくのが分かる。

 

 

「はぁー……」

 

 

再びため息。体の中で固まっていたものが溶けて口から出ていくようだった。

長いことシャワーばかりで過ごしていたが、やはり湯船に浸かるのとではわけが違う。

体中の古傷に湯がしみて痺れるような感覚がするが、逆にそれが、体に溜まっていた疲れが一気に溶けていくようでむしろ心地良い。

希達と分かれてから、京助は一人別荘付近に戻ろうと山を下った。しかし、その途中で温泉の表記を見つけ、興味を惹かれてふらりと足を運んだのがここにきたきっかけだった。

たどりついたのは天然温泉――湯船や衝立、脱衣所などは完備されてはいるものの、温泉は露天風呂のみという簡素な造りなのもまさに京助の好みだった。

しかも無人で入湯料も無料という願ったり叶ったりのシチュエーションに、彼は柄にもなく喜び勇んでその湯を楽しもうと思い至ったのである。

 

 

「たまにはこういうのも悪くないな」

 

 

ぼそりと呟いて、空を見上げる。露天風呂に浸かりながら夜空を見上げるというのもなかなか乙なもので、風呂の電灯の光は些か心もとなく、それが返って夜空に瞬く星も光を見やすくしてくれている。湯船から立ち上る煙もまた風情があって気持ちが良い。

これで日本酒でもあれば最高なんだが、などとふと思うがあいにくと手持ちにそんなものはないし、スキットルでウイスキーというのも少し場違いな気がして諦めることにした。

ぱしゃり、と。湯を手に掬って顔を洗う。

山の中で遭難しかけたかと思えば何故かμ’sに出会い、毎度の如くあれよあれよという間に巻き込まれ、なんだかんだと忙しい一日だった。

そんな一日で溜まった疲労は、しかし決して嫌なものではないと感じているのが少しばかり悔しい。あの子達と過ごす日々が、当たり前でかけがえのないものになっているようで、何とも言えない複雑な気持ちになるのだ。

 

――あとどれだけ、あの子達といられるのだろう

 

最近、気を抜くとそんな考えが心の中に湧いてくる。

あの子達の事が好きなのだと、そう認めた時からつきまとう考えだった。

 

 

「ちっ……」

 

 

舌打ちを一つ。そんな思いを振り払う。

こんな事でおセンチな気分になるなんて、昔の自分からは考えられないことだった。

 

――俺は、弱くなったのか?

 

時折、そう思う。

仲間と別れ、一人でずっとやってきた時も、こんな気分になる事はなかった。それなのに今更になってこんな感情を浮かべるなんて、信じられない。

だが――

だが、しかし。それは果たして彼が言うように弱くなったということなのだろうか?

本当に、一人で全てに耐える事が強さなのだろうか?

誰かを愛しいと思い、その為に何かを為そうとすることは弱さなのだろうか?

 

ぱしゃり。

 

再び、湯で顔を洗って、彼は気持ちをリセットした。

考えるのは昔から苦手だ。特に考えても仕方のないことなど、どうすることもできないのだ。

今は無駄な事は考えずに、ただこの夜空と湯を楽しもうと、そう思った。

 

 

「……ん?」

 

 

ふと、何かが聞こえたような気がした。

耳を澄ます。それは決して気の所為などではなかった。

人の、それも複数人の話し声と気配。夜空に見とれて気がそぞろになっていて、今の今まで気がつかなかった。

 

 

「いやー、今日も疲れたねー」

 

「うん。でも、一日中寝てただけのような気もするけどね……」

 

 

聞き覚えのある、声だった。

 

 

「……いや、待て。待て待て待て」

 

 

ここは風呂である。そこまではまだ良い。

問題は、ここが簡素な作りで、特に男女で分かれているわけでもないところにある。

しかも出入り口はたった一つ。どう頑張ったところで鉢合わせする。

フリーズしかけた思考を無理矢理に加速させる。

このままでは詰みだ。否、下手をすると罪に問われかねない。

考えろ。

答えはすぐに出た。

声を張り上げて自分の存在をアピール。彼女たちがこちらに入ってくる前に一旦脱衣所から出てもらうのだ。

そう、そのためにはすぐにでも行動に移る必要が……

 

 

「それじゃ、私がいっちばーん!」

 

 

忘れていた。

行動力において、京助と同等かあるいはそれ以上のものをもつ少女が今日この地に来ていることを。

京助が湯船から出るよりも早く、脱衣所の扉が勢いよく開く。

 

 

「待ってよ穂乃果ちゃん!」

 

「おいてかないでよー」

 

 

走るように脱衣所を飛び出す穂乃果、それに釣られて、慌てて追いすがることりと花陽……

 

 

「って、やめろぉぉぉぉ!馬鹿野郎おおおッ!!」

 

 

必死に声を張り上げて存在をアピールするが、時すでに遅し。

叫ぶと同時にタオルを腰に巻きつける。その間わずか0.1秒。

 

 

「あ」

 

「へっ」

 

「ぴゃ……」

 

「ぎ、」

 

 

湯船から立ち上がった京助と、三人の少女達の目が合った。

お互いに凍りついたかの如く硬直し、誰もその場から動くことは出来なかった。動いたが最後、何が起こるか分からない。

不幸中の幸いだったのは、三人が三人ともきちんとバスタオルを体に巻いていたことだろう。

 

 

「ぎゃあああああああああ!!」

 

 

静寂を破ったのは、京助の叫び声だった。

少女たちが悲鳴を上げるよりも先に、青年の野太い声が静かだった山々に木霊する。

 

 

「ちょ、なんで京ちゃんがここにいるの!?」

 

「それはこっちのセリフじゃボケナス!脱衣所ちゃんと見やがれ!俺の服あっただろうが!!」

 

「つ、津田さん!服、服着て!」

 

「お、おう悪……じゃなくてだな!風呂でどうやって服着ろってんだよ!?いいからそこどけ!俺を脱衣所に通しやがれ!」

 

「わ、わわわわ!ごめんなさいぃぃぃ!」

 

「待て!バスタオル離すんじゃねぇ!てめッ」

 

 

阿鼻叫喚、とはこのことだった。

京助も含め、この場に居合わせた者達は混乱するばかりで、タオルを抑えたままぎゃーぎゃーと意味のない会話を叫ぶように続けるばかり。

 

 

「分かった!一回お前ら脱衣所戻れ!そんで着替えて外出てろ!その間に俺が着替えて外出るから!!」

 

 

しかしさすが年長者というべきか、修羅場をくぐってきたというべきか、混乱から立ち直るのが早かったのも京助だった。

くるりと身を翻して彼女達を見ないように背中を見せて、彼女たちに出て行くように促す。

 

 

「は、はい!」

 

 

背後で少女たちが忙しなく動き、脱衣所に引っ込んでいくのを音で感じながら、京助は再び湯船にそっと体を浸からせる。だが、先程まで感じていたような体の芯まで温まるような感覚はついぞ感じられなかった。

肝が冷えた。まだ心臓がばくばくしている。この年になってこんな漫画でよくあるような展開に遭遇するなどとは思ってもみなかった。

 

 

「……それにしたって、男女が逆だろうがよ」

 

 

またしてもお湯を手に掬って顔を洗う。

彼にしてみれば、こんなどっきり嬉しくも何ともない。

それは京助も男である。シチュエーション自体には思うところがないわけではない。だが、相手が見知った、しかも年下の未成年ともなれば話は別だ。小娘に興味はないし、一歩間違えば事案だ。

しかし……

先ほど、時間にして数秒とは言え見てしまった彼女たちの姿を思い出してしまう。バスタオルで体を隠してはいたものの、普段着よりも露出が多いのは事実。それにボディラインがはっきりとしていて、こう、なんというかグッとくるものが、

 

 

「ふざけんな!」

 

 

自分の横っ面を思い切りぶん殴って雑念を振り払う。

なんというか、それ以上は考えてはいけない気がした。年下、それも5つも6つも離れた相手など守備範囲外もいいところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すごいところ、出くわしちゃったね」

 

 

温泉……の外。

壁に寄りかかり、彼女には似合わない疲れた表情を浮かべて穂乃果が切り出した。

先ほどの風呂場での鉢合わせから、すでに5分程が経っているが、今彼女が口を開くまで三人の間に会話はなかった。それほどまでにショックな出来事だった。

幸いにしてお互いにタオルを巻いていたため大惨事だけはギリギリで回避出来た。しかし、それでもである。

 

 

「見られた……お兄さんに見られた……」

 

 

花陽に至っては真っ赤になってうつむき、ブツブツとそう繰り返すばかり。

 

 

「お父さん以外の男の人の裸、初めて見ちゃった」

 

 

さすがのことりも恥ずかしそうに頬を赤らめる。

 

 

「で、でも京ちゃん、凄い筋肉だったね!びっくりしちゃった」

 

 

話の流れを変えようとしたのか穂乃果が慌てて言うが、残念な事に話の流れは全く変わらない。花陽はさらに顔を赤らめ、うつむいてしまう。

むしろ状況はさらに悪化したかに見えた。

 

 

「うん。結構、スタイル良かったね。いつもの、ほら、あの格好だと分からないけど」

 

 

ことりがぎこちなく穂乃果に話を合わせる。確かに先ほど間近で見た京助は見慣れたものとは違って見えた。

ヨレヨレボロボロの普段着のおかげで今の今まで気がつかなかったが、ことりの言うとおり意外にも素は悪くない。

ほどよく引き締まった体、思いのほかがっちりした胸板。太く力強い両腕。そして、最後に彼女たちに見せた広い背中。

背中にどれだけ勇気付けられてきたことか。そう思うと、少し感慨深いものがあった。

 

 

「でも普段のあの格好はないよね……」

 

「うん。せめてもう少しオシャレにも気を使って欲しいかな……」

 

「余計なお世話だ三馬鹿共」

 

 

がらりと、扉が開いたかと思うと、これ以上ないくらいに不機嫌な顔をした京助がのっそりと姿を現した。

急いで着替えたのか、シャツの襟は折れ曲がり、髪はまだ濡れたままだ。

 

 

「あ、京ちゃん!もう、いるならいるって言ってよ!びっくりしたでしょ!?あ痛っ」

 

「驚いたのはこっちの方だ饅頭娘。脱衣所見れば人がいるくらい分かるだろうが」

 

 

いつにも増して強烈なデコピンを穂乃果にくれて、京助はそれ以上悪態をつくでもなくむっとした様子で黙り込む。

あんな事があった手前、どんな反応をしていいのか困っているのだった。

 

 

「それはそうだけど……あれ、京ちゃん顔赤くない?」

 

「ッ!湯上りだからな」

 

 

穂乃果に指摘され、京助は慌てた様子で顔を背ける。が、こんな時だけ目ざとく穂乃果が、

 

 

「あ、ちょっと戸惑った!」

 

「もしかして……照れてる、とか?」

 

 

穂乃果に私的され、ことりがそれにのっかる形で話に入ってくる。

無論、恥ずかしい思いをしたのはお互い様。どうやら、それをごまかす為に京助をからかおうという目論見らしい。

 

 

「ふーん……そうだよねー。京ちゃんも男の子だもんねー」

 

「や、やめろ。そんな目で見んな!ってかそもそも、俺はお前らみたいなガキに興味ねぇって何回言ったら分かるんだよ!?」

 

 

これほどまでに彼が焦り慌てふためくのは珍しい。場数を踏んできている彼でも、こんな状況は初めてのことで、反応に困るのだ。

加えて、心なしか潤んだ瞳でこちらを見ながら花陽が一言、

 

 

「お兄さん……えっち」

 

「な――!?」

 

 

ここ最近で一番衝撃的な一言だった。

穂乃果とことりとは違って、からかっている様子などが見られないのが余計に心を抉ってくる。

 

 

「う、うるせぇガキ共!てめぇらの貧相な体見ても何も感じねぇんだよ!バーカ、バーカ!!」

 

 

最早、年長者の吐くセリフではなかった。

 

 

「ひ、貧相!?ひどくない!?」

 

「うっせぇ、ばーか!」

 

「バカっていう方がバカなんだよ!京ちゃんのばーか!」

 

「だ……ダサい服!」

 

「って、南てめぇ、どさくさにまぎれて何言ってやがる!?こんのとさか頭!」

 

 

何というか、傍から見ていても非常にアレな現場だった。低レベルな口喧嘩、それも一人はいい大人なのだから余計に見苦しい。

花陽が見守る中、三人はそのまま罵詈雑言の応酬を重ね、

 

 

「ったく、てめぇらのおかげでゆっくり風呂にも入ってられやしねぇ!覚えてろガキ共!」

 

 

負けて踵を返したのは京助の方だった。

使い古された捨て台詞を口にするが早いか、振り返りもせず、ずんずんと歩いていく京助を見て穂乃果とことりは満足げに頷いた。

 

 

「さて、それじゃお風呂入ろっか!今のでちょっと汗かいちゃった」

 

「そうだね!きっと気持ち良いよ」

 

 

京助とのじゃれあいをひとしきり堪能して伸びを一つ。今度こそと言った風に、三人は建家の中に入っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、扉をくぐって建屋に入る最中、ことりはふと後ろを振り返った。

 

 

「津田さん……傷だらけだった」

 

 

心配そうに呟く。

事実、彼女の言うとおり、先ほどの風呂で見えた京助の体は大小、新旧様々な傷だらけ。今までどれほどの苦労をし、どれだけの無茶をしてきたのか。青年があまり語ろうとはしないそれらの痕跡が、体には如実に刻み込められていた。

だからこそ、彼女は心配になってしまう。そんな無理を、彼はこれからも続けていくのかと。

彼女の見つめる視線の先に広がる闇の中、すでに京助の姿は溶け込んで見えなくなっていた。

 

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