ライブも終わり、熱冷めやらぬ中、
「お疲れ様」
「ツバサさん!」
息も整え切らず、吹きだす汗をぬぐう穂乃果のところへゆっくりと近づいてくる少女が一人。
「さすがね。最高のパフォーマンスだったわ」
「え、えぇ!? ありがとうございます!」
穂乃果が勢いよく頭を下げると、ツバサはそんな彼女の様子がおかしかったのか、口元を抑えた。
「馬鹿、そのまま捉えるんじゃないわよ」
「あら? お世辞なんてとんでもないわ」
呆れたようににこが呟くと、それを耳ざとく聞いたあんじゅが否定する。
彼女達から見てもμ’sのライブは素晴らしいものだった。
以前から注目していたのは嘘ではない。いずれ自分たちと並び、スクールアイドルをけん引できるような存在になると思ったのも本当だ。
だけどそれはまだずっと先の話だと思っていた。
彼女達が今日、この場所でここまでの物を見せてくるとは思ってもみなかった。だからこそ、その衝撃は、凄まじかった
「それと、さっきはうちのマネージャーがごめんなさい。何だか失礼なことをしてしまったみたいで」
あんじゅが申し訳なさそうに頭を下げる。
どうやら彼女達としても貴仁の行動は不本意なものだったらしい。
「いえ、そんな! あ、それを言うなら私たちの……私たちの? うん、津田さんもその、大変無礼な事を」
「ううん。貴仁……マネージャーが、どうせやられて当然の事をしたんでしょ。だから気にしてないわ。気にはしてないんだけど……」
ツバサは困ったように頬を掻いて、横目でステージ裏を見る。
きょとんとしながら穂乃果がそちらに目を向けると、そこにはちょっとした人だかりが出来ていた。
耳を澄ませば怒号とも悲鳴ともつかない声が聞こえてくる。
「ちょっと、止めるのを手伝ってもらえないかしら?」
ツバサとあんじゅに導かれる形で人込みを割って入った先では、二人の男が掴み合いを繰り広げていた。
「津田さん、やめてください! ほら、ここ他の学校ですよ!?」
「やめないか伴瀬! ほら、むこうの生徒さんも困っている!」
ヒデコたち三人が何とか京助を止めようとする一方で、英玲奈も貴仁を止めるべく声をかけ続けているが、当の本人たちは知ったこっちゃないと言わんばかりに至近距離でにらみ合いを続けている。
すでにドンパチを繰り広げた後なのか、顔の痣や服の汚損が生々しい。
「てめぇ……ドタマかち割って……!」
「貴様……耳の穴から手ぇ突っ込んで……!」
京助と貴仁がお互いの襟首を締め上げながら、逆の空いた手でお互いにアイアインクロ―をかまし合っていた。
どちらも全力全開の力をこめているのか、手が真っ白になり筋肉が震えている。
「脳みそチューチューしてやる!」
「奥歯ガタガタ言わせてやる!」
二人同時に物騒な事を吠えて、より一層力を込めようとしたところで、にこと穂乃果、ツバサとあんじゅが二人の間に割って入った。
「やめなさい、恥ずかしい!」
「京ちゃん、ストップ、ストーップ!」
「貴仁、めッ!ほら、めッ、よ!」
「落ち着いてってば! ね?」
それぞれ二人に羽交い絞めにされる形で引っ張られ、拘束されるがどれでもにらみ合いは続けている。
「シャアアアアアアアア!」
「グルルルルルルルル!」
「こら! 人間の言葉で話しなさい!」
余程興奮しているのか、人間の出せる音域を遥かに超えた声で威嚇を繰り広げ始める始末。
そこまで行っても、それぞれのチームのメンバーに怪我をさせないよう乱暴な真似は抑える辺りさすがとしか言いようがない。
かと思えば、
「バーカ、バーカ」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんですー! 小学校の頃、宇野先生に倣ったのわすれちゃったんですかー? このバーカ」
「バーカ、アホ、間抜け」
「オタンコナス、ドテカボチャ」
「お前のかーちゃんでーべそ」
「親は関係ねぇだろ!?」
「ごめん、言い過ぎた!」
なおも唾を飛ばし合い、聞くに堪えない罵り合いを繰り広げる成人男性達。
そんな二人に対し、ラチが空かないと踏んだのか最初に行動に移ったのはにこだった。
無言のまま容赦なく足を蹴り上げる。
そのつま先は、的確に京助の急所、すなわち股間に食い込んだ。
「あ」
予想外に小さな、呻くような悲鳴とともに京助は蹲って沈黙した。
そんな様子を指さして笑おうとした貴仁だったが、彼も彼で大口を開けた瞬間その中にあんじゅの手によって丸めたハンカチを詰め込まれてしまう。
「あんたらいい加減にしなさいよ」
「良い大人なんだから……」
なおも隙あらば食いつかんばかりの二人を、それぞれのチームの少女たちが力づくで引っ張って連れていく。
「もごもご、も!ブモモ、モゴもごご!」
「覚えとけ! 今度俺の可愛い妹分達にちょっかいだしたら、前髪全部むしりとってやる!」
「うるさい」
「静かにしなさい。近所迷惑でしょ」
それぞれの扱いは完全にいう事を聞かない犬猫に対するそれと同じであった。
ついでに京助はもう一度股間を蹴飛ばされた。
「あの!」
「うん?」
去り際に、穂乃果がツバサの背中に向かって声をかける。
彼女達の目がまっすぐに合った。
「ありがとうございました。また、やりましょう!」
「えぇ。次の舞台で待っているわ」
一瞬きょとんとした表情を浮かべ、ツバサは穂乃果に手を振った。
また、次の舞台―
お互いにそれがある事を確信していた。
「ぷはッ! あー、酷い目にあった」
A-RISEの控室にて、ようやく戒めから解放され、口の異物を吐き出した彼は深呼吸の
後にそんな事を口にした。
三人掛けのソファに一人で陣取り思いきり体を背もたれに投げ出す。その姿はまるで彼の友のそれとそっくりだった。
「身から出た錆だろう。ほら」
英玲奈がばっさりと切って捨て、良く絞ったタオルを手渡してやる
「本当に。でもあなたらしくないわね」
「あはは……」
渡されたタオルで顔を拭いて、傷に染みたのか小さなうめき声を上げた。
「いって……くそっ、あいつ本気で殴りやがった」
「だから身から出た錆だろう。まったく、相手のチームを挑発しに言って逆鱗に触れ、返り討ち……全くもって愚か者のやることだが」
「面目ない……いや、待って? 返り討ちには合ってないよ? むしろ優勢だったと思うんだけど」
申し訳なさそうにしたかと思えば、急にムキになって反論を始める。どうやらその一点だけは譲れないらしい。
「そこは問題じゃないわ。あのね、貴仁。あなたは私たちのマネージャーなんだけど、自覚はあるかしら? あなたが変な事をすると私達の評判にも響くのだけど」
「その辺は……本当にごめん。つい、ものの弾みで」
「ものの弾み? あなたは、ものの弾みで他の学校の生徒に喧嘩売りにいくの?」
あんじゅからじっとりとした視線を向けられて、思わず目を逸らした。
「いや、僕としては喧嘩を売りに行ったわけじゃなくて、ちょっと揶揄いにいっただけで」
「言い訳をするな。それを喧嘩を売りに行くと言うんだ」
「あなたのは悪質なのよ。悪ふざけのつもりで核心や痛いとこつついて遊ぶのはやめなさいっていつも言ってるでしょ」
女子高生によってたかって正論で怒られる21歳大学生の姿がそこにあった。
これではどっちがマネージャーの立場なのか分かったものではない。
どこかで見た光景であった。
「善処はしてるんだけどね……まぁ、今回は結果オーライってことで」
ぱん、と。両手を打ち鳴らして話をまとめにかかる貴仁だったが、そんな事で納得のできるメンバーではない。
じっとりした視線は三人分に増えていた。
「で、何であんな真似をしたのか、そろそろ理由を聞かせてもらってもいいかしら?」
ツバサが貴仁の陣取るソファの、テーブルを挟んで前の椅子に腰かけた。
まっすぐに彼の目を見て問いかけてくる。
対する貴仁はいつもの曖昧な笑みで誤魔化そうとするが、ツバサの後ろに控えるように立つ二人の視線もあってそれも出来なかった。
「いや……これは私情なんだけどね。そろそろ奴がまた遊んでくれるかな、って。まさか殴られるとは思わなかったんだけど」
彼の笑みが変わった。
表情はそのままに、中身の質が。期待や憧憬、喜びや郷愁が混じった人間らしい笑い。
ほんの一瞬だったが、血が通っていた。
「奴……あなたのお友達のこと?」
「うん。昔からよく僕に突っかかってくる奴でね。うっとうしくて面倒くさくて、その分面白かったんだけど、3年前に色々あってつまんなくなっちゃってね」
彼が友人を語る様は、まるでお気に入りの玩具の事を自慢するようでもあった。
「もう遊べないかなー、次はどうしようかって思ってたら、こんな形で再開してさ。正直驚いたんだけど。それでもまだ故障中なのは変わりなかったからちょっと叩いたら治るかと思ったら、大当たり。おかげでまた楽しめそうだ」
まぁ、代償は高くついたんだけどね。
そう言って彼は顔に当てていたタオルを離した。彼の目元には見事な青たんが出来ていた。
「ふふ、タヌキみたい」
「言わないでくれよ。結構痛いんだから」
あんじゅに笑われて。貴仁はまたしてもタオルで目元を隠した。
「随分と歪んだ友情だな」
「それは重々承知。僕がそう言う人間だってことは君たちも知ってるでしょ?」
英玲奈とツバサが顔を見合わせて、苦笑を浮かべた。
彼の言う通り、短くない付き合いの中でお互いの人と形は理解しあってる。
その上で彼女達の関係は成り立っているのだ。
「面白さ優先、だったわね」
「そうそう」
ツバサに言われ、貴仁はさも当然と言うように頷いた。
彼の行動原理はつまるところその一点に尽きる。
「あなたの言う“面白さ”と私たちの目的が合致する限り手を組む……そういう約束だったわね」
「その通り。単純明快でいいだろう。僕の興味、面白さと君たちの目的。どっちも言い換えれば夢だ。夢を追う限り、お互いに全力を尽くす……そういう約束」
約束。あるいは契約。
ビジネスライクで打算的な関係だが、それは彼にとっても彼女達にとっても都合のいいものだった。
単純で分かり易く、揺るがない。
絆と呼ぶには無機質ではあるが、それが彼ら彼女らにとっては一番のあり方だった。
μ’sと京助のあり方とは違う、信頼と信用の形。
「さて。それじゃ僕はこの辺で」
ゆっくりと立ち上がると、いつの間に用意したのか英玲奈が氷嚢を貴仁に手渡した。
これで傷を冷やせということなのだろう。
黙って受け取って傷に当て、顔をしかめた。
「頼りにしてるわよ、マネージャーさん」
「こちらこそ、お嬢様」
冗談めかして言うツバサに、気障ったらしい動きで応じる貴仁。
いつもなら絵になるそれは、片目を晴らしてボロボロの状態ではむしろコミカルでしかなかった。
「あいつとも同じ約束をしてるんだけどね。……いつになったら履行してくれるやら」
去り際に小さく、貴仁は呟いた。
だがそれは誰の耳にも届く事はなかった。
特に、一番届いて欲しい相手には
夜の街、UDX学院からの帰り道。
夜でも明るいこの町の光に照らされて浮かびあがる十人分の影。
激しく咳き込む声が響く。
「くそ……痛ぇ。あいつマジで殴りやがった」
ことりから渡された濡れタオルで顔を抑えながら、京助が悪態をついた。
「いや、先に手を出したのはあんたでしょ」
たまらずにこがツッコミを入れると、京助はバツが悪そうに目を背けた。
「仕方ないだろう。ムカついたし……なんていうか物の弾みだ」
「前にも似たような事を言った気がしますが、あなたは物の弾みで人を殴りつけるんですか?」
「失礼だな。道行く人誰かれ構わず殴ってるわけじゃない」
「当たり前です!」
そんな事をしていたらそれは通り魔や辻斬り、あるいは何かの病気の類である。
「なんつーか、まぁ挨拶みたいなもんだ。あいつとはこんな関係で、付き合いも長い。分かってくれるさ」
「どんな関係や……」
希までもが若干引いたような目を向けると、さすがにやりすぎたと思ったのかこれ以上ないくらいに眉間に皺を寄せうめき声をあげた。
よくよく考えてみればいくらなんでも良い大人がやる行動ではないと思うが、かと言ってあの場であれ以上に適切な行動は思いつかなかった。
なるようになったとしか言いようがない。
「まぁ仕方ない。これが大人のやり方だ」
「いや、あれが大人のやることなの?」
今度は絵里にツッコミをいれられてしまった。
またしても口をつぐむ京助。今日の彼はいつにもましてしまらない。
「で、でも。お兄さんは私たちのために怒ってくれたってことなんだよね?」
ついには見かねた花陽が助け船を出すも、彼がその救いの手を取る前に、
「いやー、おじさんは絶対暴れたかっただけにゃ」
「そうよ。あまり京助を甘やかすもんじゃないわ」
凛と真姫は取り付く島もない。
「誰がおじさんか、猫娘……それより真姫よ、ずいぶん辛辣だな」
「だって、すっきりしたでしょ?」
苦言を呈すると逆に真姫に問われてしまった。
よせば良いのに京助も京助で馬鹿正直に、
「む……まぁ、な」
拳を軽く握りながら頷く。
この町に帰ってきてから、かつての仲間たちに会うのが怖かった。
案の定、一番会いたくなかった奴とは最悪の再会をする羽目になるし、挙句はずっとやりこめられっぱなしでフラストレーションがたまり切りだった。
そもそもの原因は京助にあるので強く出る事は出来ないでいたが……それにしたって限度がある。
特に、彼女達の事を引き合いに出されてしまっては、我慢の限界だった。
引け目もある。負い目もある。
問題は山積みで、償いも禊も必要なのかもしれない。
だが、それとこれとは違う気がした。
そんな事を考えて拳を見つめていた京助だったが、すぐにはっとした様子で周りを見る。
もう遅い。
面々から向けられる目が痛かった。
「だぁああああ、くそ。けったくそ悪ぃ!」
舌打ちとともに足元の石ころを蹴りあげると、彼は冷たい目線を振り払うかのように早足で歩きだした。
「ちょ、京ちゃんどこ行くの?」
「あのバカの相手したら腹減った。飯食って帰る」
そう言い放ち、一人夜の街に消えようとして、ふと思いついたように、
「……なんならくるか? 奢ってやる」
口元を微かに歪めてそんな事を言ってみた。
彼がそんな気分になるのは、本当に珍しいことだった。
「え! いいの!? なら凛、ラーメンが良い!」
「さすが京ちゃん、太っ腹!」
「気前えぇし、気が利くやん?」
提案に最初に食いついてきたのは案の定この三人。
凛と穂乃果が喜び、希が悪戯っぽく笑う。
続いて、絵里と花陽、海未が申し訳なさそうに、
「もう……いつもごめんなさい、津田さん」
「本当に良いんですか?」
「その、私が言うのもなんですが、少し私達に甘すぎるのでは?」
「気にすんな」
そっぽを向いたまま、吐き捨てるようにに京助は言う。
いつも通りぶっきらぼうで不愛想、不機嫌を通り越して怒っているようにさえとられかねない態度。
だが、誰もそんな事気にする様子はない。
慣れていたというのもある。でも、それだけでは決してない。
彼ら彼女らの間にも確かにあるのだ。
A- RISEと貴仁のあり方とは似て非なる、信頼と信用の形。
「美味しい物じゃなかったら承知しないわよ」
「そうそう。頑張った私達に相応しいものにしてよね」
「……けっ」
真姫とにこの声を背中に受けながら、京助は見えないように薄く微笑んで、煙草を一本口に咥える。
彼女達とのこんな関係がいつしか当たり前のものになっていた。
当たり前で、だからこそかけがえのないものに。
「あの、さ」
「うん?」
声をかけられた気がして、京助が振り返る。
「先輩、その……」
にこが、京助の顔を見ながら何かを言おうとしているようだった。
「あの、津田さん!」
と、その時だった。
不意に駆け寄って来たことりが京助に声をかける。
「ど、どうした? 何かあったのか?」
京助の目から見ても彼女の様子は些か妙だった。
心配そうな京助と、それから近くで見ていたにこと真姫を他所に、彼女は数度深呼吸を繰りかえして、
「津田さん!」
「え? あぁ、津田ですが……」
思わずなんとも間抜けな受け答えをしてしまった。
「今度のお休みの日、わ、私と二人でお出かけしてくれませんか?」
意を決したように、彼女は真っ赤になってそんな事を口走った。
「…………は?」
先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。その場だけ世界が凍り付いたかのようにそれぞれが行動はおろか何か言葉を発するのさえやめてしまう。
たっぷり5秒ほど間をおいて、やっと京助が言えたのはこれ以上ないくらいに間の抜けた疑問符だけだった。
「それって、デート、ってこと?」
穂乃果が言ったそれが最後のダメ押しだった。
「ええええええ!?」
近くで聞き耳を立てていた面々の口から、一瞬遅れて驚愕の悲鳴が上がる。
言った当人は赤い顔で目を閉じ、祈る様に手を組んだまま。
言われた当人は魂が抜け落ちたかのようにぽかんと立ちつくすのみ。
ぽとり、と。
火の点いていない煙草が彼の口元から落ちてアスファルトの上を転がった。
彼の受難はまだ当分終わりそうになかった。