舞台裏その1 蟹、墓前に思う
梅雨も終わり、風に夏の匂いが混じり始めたある日曜日のこと。
蟹名快人は一人、郊外の墓地へとやって来ていた。
「…」
無言のまま、快人は目の前の墓石を清め途中の花屋で買った花を活ける。
墓石に刻まれた家名は『蟹名』だ。
そして、持ってきた線香に指先から出した鬼蒼焔で火を点けると、快人は墓前にそれを置いてそっと手を合わせる。
線香の細い煙が、青い空にゆっくりと漂い消えていく。
いつまでそうしていただろうか…快人は合わせた手を解くと、ゆっくりと呟く。
「父さん、母さん…」
そう呟く快人の目はどこかを…まるで遠い何かを見つめているようだった…。
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『黒歴史』という言葉がある。
それは俗に隠しておきたい自分の恥ずかしい過去のことを指すが、快人にとっての黒歴史とは5歳の頃までの自分だった。
その当時、快人は力に溺れていた。
5歳までの段階で
『自分は何でもできる』、と本気で思いこんでいた当時の自分はどうしようもないクソガキだったと9歳になった快人は当時を思い出し断言する。
だが、そんなどうしようもないクソガキでも、自分のこの世界での新しい両親を心の底から愛していた。
快人の父は警察官だった。
出世など考えもしない、万年交番勤務の警察官である。
正義感ではなく家族のために仕事をしていると公言する、警察官としてはちょっと不真面目に分類されるような人でありながら、一度事件が起これば休日も非番も関係なく捜査に参加していた、どうにも評価しづらい人物だった。
「できもしないことはやらない。
でもできる事、やらなければならないことなら力の限りやればいい」
そうよく言っていたのを快人は覚えている。
自分のできるその限界を知り、無茶はしない。
でも無茶のし所では無茶でも何でも力の限り尽くすというのが父の生き方だったのだろうと快人は思うし、それはそれで好ましい生き方だと思う。
実際、父の生き方というのはある意味快人に継承されていた。
母はとても綺麗だが、病弱だった。
元々子供の産める身体ではないと言われていたらしく、快人の出産の時には非常に危険な状態になり、父は医者から『母体を取るか、子供を取るか』の究極の選択を覚悟するように言われていたという。
結局母子ともに健康のまま出産を終えたが、母の喜びようはなく、母は無事産まれてきた快人に溢れんばかりの愛情を注ぎ続けた。
「快人、あなたは私の大事な大事な宝よ」
そう言っては母は優しく掻き抱きながら幼い快人を寝かしつけていたのを覚えている。
快人としても両親には言葉で言いつくせない感謝があった。
正直に言ってまるで可愛げのない子供である快人に、無償の愛を注ぎ続けてくれたのだから当然とも言える。
両親からは無限の愛を貰った、だから無限の愛で両親に報いよう―――そう真剣に思えるくらいには快人は両親を愛していたし、そんな両親に囲まれた生活は幸せだった。
そして…自分の持つ力なら、この全てはずっと変わらないようにできると心の底から思いこんでいた。
だが、その愚かな思いこみは最悪の形で考え直されることになる。
それは快人5歳、祭りの時のことである。
昼間から街中は人で賑わっていた。
親に手を引かれた子供、手を繋ぐカップル、仲睦まじく歩く老夫婦…その場にいる誰もかれもが幸せだっただろうし、快人も父と母に連れられ、幸せであった。
だが…閃光と爆音がそれを粉々に切り裂いた。
それが響いたのは快人が両親から離れ、露店を見ていた瞬間である。
突然の閃光と爆音、そして遅れてやってくる悲鳴。
慌てて戻った快人が見たもの…それは赤い地獄だった。
血と人のパーツで出来た不出来なオブジェの数々…子供だったものには腕が無く、カップルだったものには足が無い。老夫婦だったものは体中に穴が開いていた。
後に分かることだが、人生に悲観したある男が爆弾での自殺を考え、一人は寂しいからと人ごみの中で爆弾を起爆させた結果がこれだった。
そして、そんな吐き気を催すオブジェを突き進んだ快人はそこで一番見たくないもの…両親『だったもの』を見つけた。
咄嗟に母を庇おうとしたのか、母に覆いかぶさるように事切れた父は爆風によって内臓を飛び出させていた。
血の色とは違う内臓のピンク色が非現実感を誘う。
父のおかげか、母はまるで眠るように綺麗だった。
本当に眠っているかのように見える。もっともその額に穴が開いていなければ、という注釈が付くのだが。
父と母の血と臓物と脳漿をぶちまけられたその赤い地面に、快人は膝を付く。
胸に去来するのは、『何故』という理不尽への問いかけだけだった。
5分、たった5分だ。
5分前までは『幸せ』も『命』もすぐそばにあった。
今ここで物言わぬ肉塊になった誰もが、その身に『幸せ』を甘受していたはずだ。
誰もが自分の『命』が5分の後に消えるなど夢にも思わなかったはずだ。
なのに…何故たった5分でその『命』と『幸せ』は何の前触れもなく消えたのか?
快人は両親の『1度目』の死を目の当たりにしながら、『命』と『幸せ』の儚さを思う。
だが、当時の『何でも思い通りに出来る』と思いこんでいた快人は、目の前の光景を認めなかった。
(自分なら、自分ならどうにかできるはずだ!)
それは思いあがりか、はたまたただの現実逃避か?
どちらかと言えば現実逃避の割合が大きいと思う。
ともかく、快人はその思いに突き動かされ行動を起こした。
「
紫の閃光を残し、快人は肉体ごと死の世界の入り口、
目の前には虚ろな瞳の亡者たちが、死界の穴へと歩いていく光景。
だが、快人にはそんなものは目に写らない。
父と母の魂を探し出し、現世へと連れ帰る…その思いで快人は死界を進んだ。
まだ死して間もない魂、死界の穴には落ちていないはず。
ならば、その魂を連れ戻し肉体へ戻せば、生き返る可能性はある。自分にはそれが出来るだけの実力がある…快人はその時、真剣にそう考えていたのである。
冷静に考えなくても、絶対にあり得ないことは普通に分かる。
第一、 帰るべき肉体があそこまで損傷しているのだ。
生き返ったとてその瞬間に死に直すに決まっている。
それは積尸気使いである快人が、誰よりも一番よく知っているはずのことなのだが、その時はそんな考えなど頭の片隅にも無かった。
ただただ、あの瞬間に失われた『命』と『幸せ』を取り戻すことだけしか頭に無い。
その思いで進んだ快人は、やっと死界の穴付近で父と母の魂を見つけた。
「父さん! 母さん!!」
父と母の魂の手を引き、現世へと連れ戻そうとする快人。
だが、手を引くどころか逆に
ここ
それに
死界の穴はもうすぐそこまで迫っている。
このまま進めば数歩であの穴に真っ逆さま、そうなればどうしようもなくなる。
快人は
そのときだ。
ドン!
「あっ…」
間の抜けた声が出たのが自分でも分かる。
他の亡者を完全に失念していた快人は、うっかり亡者たちに死界の穴に押し出されていた。
身体の浮遊感に、圧倒的な『死』を強くイメージする。
その時、浮いた快人の手を父と母が掴んだ。
魂となっても息子を助けようとした親の愛の成した、それはまさに奇跡だったのだろう。
快人の右手を父の左手が、快人の左手を母の右手が掴み、そのまま勢いよく後方へと投げだす。
そして、その勢いのまま父と母の魂は死界の穴を転げ落ちる。
「父さん、母さん!!」
穴の淵へと戻った快人が見たのは、安らかな顔で落ちていく両親。
その唇が動く。生きろ、と。
それは快人の立ち合った両親の『2度目』の死だった。
力なく快人は死界の穴の淵でへたり込む。
そして、快人は有名なあのセリフを実感した。
「命は塵芥…か」
それは
ああ、その通りだ。
『命も幸せも塵芥』…こんなにも儚く、こんなにも脆く崩れるものだったのだ。
命も幸せもあることを当然とし、その尊さを真に自分は理解していなかった。
それを理解すると同時に、
快人は必死に
そして無様にも父と母の遺体を前に盛大に嘔吐し、気を失ったのである。
次に目が覚めた快人は、
使おうとすると、必ずあの時の光景が思い出され耐えられないほどの嘔吐感が湧きあがるようになったのだ。
とはいえ、9歳になった現在は幾分マシになったと言えるだろう。
5歳当時は、
それが後先を考えなければアリシアの時のように一発くらいは撃てるようになったのだから、大きな回復と言えるだろう。
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快人は墓前へと視線を戻すと、囁くように言う。
「父さん、母さん、俺…今、幸せだよ」
脳裏によぎるのはたくさんの顔。
シュウト、フェイト、アリサにすずか、そして高町家の面々。
そして…朗らかに笑う白い幼馴染。
「だから…守れるように俺は強くなる。
そして…守って見せる。 塵と消えていくはずの命と幸せを!」
『死』という名の暴風に晒されれば瞬く間に散っていく塵芥…それが人の『幸せ』であり『命』である。
自分は
快人はそれを墓前で父と母に誓うと、背を向けて去っていく。
これは宣戦布告だ。
その覚悟と共に快人は家路に着いたのだった…。
今回は快人の過去編。
この話は本来、A’S編の後期にやるつもりでしたが、感想でも指摘されたので予定を大幅に繰り上げました。
これぐらいじゃないと、あのマニ様のような『命は塵芥』にたどり着かないでしょう。
まぁ、正直これでも不足気味ですが…。