鎮守府中心部に天に向かってそびえ立つ高層ビル。
この街の成長と繁栄の象徴、アドミラルタワー。
提督の名を冠するその巨塔は、昼は鎮守府一帯に長く大きな重たい影を落とし、
夜は街を照らす金色の灯台へと姿を変える。
このタワーの52階、キラキラとした装飾品で彩られたレストランに泊地は居た。
レストランの窓からは、鎮守府に住まう人々の存在を、
雄弁に語りかけてくる光りの粒、その天の川のような、
煌びやかな星々に彩られた夜景が目に映る。
レストランの隅のあたりにある白くて丸い
テーブルに腰掛けている泊地。
クラシック音楽が緩やかに流れている。
この厳かな雰囲気、泊地にも思い当たる所がある。
そう、小学校の卒業式である。おそらく結婚式はもっと厳かなのだろう。
物静かな泊地は、こういう雰囲気は結構好きである。
しかし、実に高級なレストランである。椅子もテーブルも高級家具なのだろうか。
このレストラン、各界のお偉いさんが出入りする事が多いらしい。
どこからどう見ても全く庶民向けのお店ではない。
泊地はこの日の夜、このレストランである人物と一緒に食事をしていた。
バイキング形式である。食べたい時に好きな物を好きなだけ食べる事出来ると言う、
実に贅沢なコースである。
もちろん、このレストランのバイキングの料金は、小学校教師に出せる料金では無い。
泊地が財布を空にしてでも、おそらく
オニオンスープと小さなバターロールを、
2切れくらいしか食べる事ができないだろう。
もちろん、泊地はオニオンスープもバターロールも好きである。
出来れば塩とバターで味付けしたポテトもつけて欲しい。
それが泊地の求める食の幸せである。
そもそもこんな贅沢、多くの貧しい深海棲艦には無縁の世界である。
仲間達の顔を思い浮かべると、罪悪感に苛まれる。ちなみに、
泊地の財布は、小銭がいっぱいである。
お金を使っている感覚が肌で分かるからである。
彼女はいつか良い奥さんになれるだろう。それはともかく、
この高級なバイキングの料金は、全て、
目の前に座っている女性が払ってくれるらしい。
「ここの目玉焼きが実にうまいんだ」
目玉焼きの上に塩を振るのは、
鎮守府にて連合艦隊の現場指揮を担当する長門秘書官。
クーデターを起こしてまで泊地達を救ってくれた名将である。
多くの艦娘から慕われ尊敬されている人物。
泊地が間近で見るのは、鎮守府に招待された時以来、これで2度目である。
目玉焼きを口に入れてもぐもぐする長門。まるでリスのように見える、
と言うと少し失礼だろうか。
長門は、次にカリカリに炒められた、まだ熱が残ってそうな、
茶色のウインナーにフォークを刺す。
ベーコンやウインナー、そして目玉焼き。こういったシンプルな料理も、
おまけで提供されているようである。
それでも、いずれも超一級の味付けがなされている。
泊地の所にウインナーの香ばしい香りが漂ってくる。
庶民的ではあるが、品のある香りである。
泊地はトマトの甘みが口の中にとろけるミネストローネが大好きである。
しかしこのレストランはミネストローネは提供していないようである。
かゆい所に手が届かない。
長門がテーブルに置かれたアルコール抜きのシャンパンを静かに飲む。
「泊地殿、既にお話した事だが、向こうに座っている太っちょの人物。
彼が中央政府からきた軍高官だ」
ちらりと向こうに視線をやる長門。泊地も後ろを振り返りながら、
軍高官の姿をちらりと見る。
大柄の制服を着た軍人が座っている。ときおり豪快に笑いながら、
周りの出席者と何かわいわいしゃべっている。
長門が泊地のグラスにシャンパンを注ぐ。
「ありがとうございます」
注がれたシャンパンを口にする泊地。弱い炭酸が口の中で弾けるのが感じられる。
心地よい感覚である。ここで飲みだめしておきたいと泊地は思う。
長門もシャンパンを静かに口にする。豪快な剛腕秘書官とは聞いていた。
しかし、こうして本人を目の前にすると、
おしとやかで可憐な若き女性軍人といった雰囲気である。
シャンパングラスを静かにテーブルに置く長門。
「…先ほどお話したように、鎮守府に予告状が届いている。
アドミラルタワー52階のレストランにて行われる軍高官の懇親会、
この懇親会を深海棲艦の祝勝会にする…との事だ」
長門が続ける。
「別室には金剛、瑞鶴を待機させてある。頼りになる連中だ。
このレストランの出入り口及び上下階の警備を指示しておいた。
大和と陸奥は鎮守府防衛のためにお留守番だ。
ここへの襲撃が犯人による陽動作戦の可能性もあるからな。
つまり、真の目的は鎮守府襲撃という可能性もあり得る。
鎮守府を手薄にする事は出来ん。
よって、ここは泊地殿と私とで侵入者を撃退する」
長門、大和、陸奥、鎮守府最高戦力の3人。
そのうちの1人、長門が今回の事件に自ら乗り込んできたという訳である。
確かに、姫クラスが犯人であれば、並の艦娘では制圧困難である。
軍高官の身に何かあれば重大な責任問題になる。何より連合艦隊の沽券に関わる。
警察力や海軍の通常戦力では力不足、だからこそ精鋭の連合艦隊に、
捜査権と護衛任務が与えられたのである。
「しかし長門さん、ここではうかつに砲撃は出来ません。
近接格闘という形になりそうですね」
泊地としては、客の安全確保を第一にしたいようである。
小学校教師という職業がら、むやみな殺生はさけておきたい。
「そのための金剛だ。近接格闘なら私より上だ。
砲弾を裏拳で叩き落としたという報告を受けた時は耳を疑ったがな」
笑う長門。提督大好きの賑やかでちょっと頭のネジがとんでいて、
それでも冷静で常識的という、よく分からない艦娘との事である。
時間だけが緩やかに過ぎていく。普通の食事会と変わらない。
しかし、こんな贅沢な空間である。それほどまでに鎮守府は発展を遂げている。
泊地が学生時代を送っていた鎮守府も洗練された町であったが、今はそれ以上である。
シャンパンのグラスを手にする長門と泊地。
そこにこつこつと足音を立てて誰かがやってくる。
「長門秘書官、お食事中に失礼しますしまーすデース」
背の高い、巫女服のようなものを着た女性。屈託の無い笑顔。少し派手な髪型。
髪にはかんざしのような物が添えてある。
お風呂で髪を洗うのがちょっと大変そうである。
もちろん泊地の髪も十分長くて豊かである。
シャンプーがあっと言うまに無くなってしまう。
彼女も同じ悩みを抱えているかもしれない。
「ああ、金剛。どうした?」
この女性が金剛という艦娘のようである。裏拳の金剛、という感じであろうか。
砲弾を叩き起こす常識はずれの剛腕、
だが一見、そのような剛腕のようには見えない。
普通の華奢な女の子の腕である。
「玄関入口で見張りをしていた吹雪からの報告デース。
ヲ級に良く似た少女がタワーに入ってきたとの事デース」
にこにこしながら報告する金剛。
明るくて元気なお姉さんといった雰囲気の女性である。
こんな姉がいたら、妹や弟は幸せだろう。いつも元気をくれて、
頼りになるお姉さんである。それに引き換え、自分はどうだろうか、
何とか小学校教師をやれてはいるが、本当に妹や弟を持ったら、
ちゃんと姉が務まるだろうか。シャンパンに目を落とす泊地。
「吹雪が?鎮守府で陸奥達と待機していろと命令しておいたはずだが」
金剛からの報告に少し訝しむ長門。
「吹雪はなかなか積極的な子デースネー。
どうしても現場を自分の目で確認しておきたいんでしょうネー」
苦笑いしながら話す金剛。
うんうんとうなづきながら残りのシャンパンを飲み干す長門。
少し不安になる泊地。吹雪の練度はまだ高くない。
高官だけでなく、場合によっては、吹雪も守らなければいけない。
すました顔の長門。
「ところで金剛。吹雪はいいんだが、もう1人の方、ブッキーの方はどうした?」
長門が金剛に問う。
「ブッキーとは、ワッツ、どう言う事でしょうか」
笑顔で聞き返す金剛。
「ほら、吹雪の双子の妹、英国帰りのブッキーの事だが」
吹雪にも妹がいたらしい。しかも英国帰りとは。姉の方は田舎育ちである。
姉妹でも随分生育環境が違うようである。
「ああ、ブッキーネー。えーと、あの子、英国から帰って来たんでしたっけ?」
少し顔が引きつる金剛。
「ああ。姉妹揃って行動力があって良い子たちなんだが、危なっかしい所もある。
なあ、金剛」
金剛に主砲を向ける長門。
「長門さん!?」
ばっと立ち上がる泊地。
「あいにくだが金剛、ブッキーはひとりっ子でね。
親御さんもずいぶん心配してたんだ。
一人娘を鎮守府の都会におくりだす訳だからな」
「そうそう忘れてましたネー」
苦笑いしながらゆっくり両手を挙げる金剛。
「調べが足りなかったな、襲撃犯さん」
目の前にいるのは金剛ではない。金剛の姿形を偽った人物のようである。
となると、ここで行われている軍高官の懇親会を襲撃しようとしていた犯人であり、
そして第6駆逐隊を襲撃した犯人と言う事になる。
「あちゃー、バレちゃったみたいネー。ただし調べ云々を言うなら長門さん、
シャンパンの原産地をちゃんと確認しないといけないネー」
にっこり微笑む襲撃犯。
「う…」
金剛に向けていた主砲をゆっくり降ろす長門。
「…そうだな、原産地を調べてなかったな」
長門ががくんと膝をつく。
「長門さん!」
長門を抱える泊地。やや虚ろな目をして力なく泊地にもたれかかる長門。
「いかがでしたか長門さん、シャンパンのお味の方は。
深海植物園で作られたシャンパン、ディープ・オーシャンです。
結構高いんですよ。このシャンパン、一見ノンアルコールですが、
実際は高濃度の酩酊成分が入っています。
ただし、深海棲艦の身体にはそれを分解する能力があるので、
それほど酔いません。艦娘さんが飲むと…こうなっちゃいます」
シャンパンのボトルを持ちながら不敵な笑みを浮かべる襲撃犯。
先ほどのような爽やかな笑顔は消え失せ、瞳の奥には悪意が見え隠れしている。
こんな表情を作られる金剛が可哀想になる。
「私達が誇る深海植物園、その農家の方々は、
このような事に使うためにこのシャンパンを作ったのではありません。
貴方の行為は深海棲艦の誇りに傷をつけています」
長門の背中をさすりながら泊地が襲撃犯に言う。
「しかし、深海棲艦の姫君が鎮守府の人間と贅沢三昧をするために作った訳でもない」
ため息をつく襲撃犯。
「泊地の姫君には失望しました。
深海自治区の聖母とも呼ばれたお方が、
今では鎮守府の走狗ですか」
聖母。確かにそう呼ばれた事もある。貧しい深海自治区で教鞭をとり、
そして戦乱の最中、教え子達を守る為に身を投げ出した泊地。
しかし泊地にとっては重荷となる2つ名であった。聖母などと呼ばれてしまっては、
あまり、うかつな事が出来ない。それは実に窮屈である。
「何を騒いでおる!」
歩いてきたのは軍の高官である。両脇に屈強そうな護衛2人をつけての登場である。
しかしこの襲撃犯はおそらく深海棲艦である。
いくら屈強とは言え、生身の人間に勝てる相手ではない。
だが、居ないよりは居た方がマシである。
「これはこれは、鎮守府の長門秘書官ではないか。
なんだ、どうしたのかね?これは」
泊地、長門、襲撃犯をじろじろと見回す高官。
倒れ込んでいる長門を抱きかかえる泊地。それを見下ろす襲撃犯。
明らかに異常事態である。しかし、高官には危機感があまり無いように見える。
こんな事ではいざという時に本当にすぐ対応出来るのだろうか。
深海棲艦サイドの泊地ですら少し心配になってしまう。
一方、護衛の方はスーツの胸元に右手を入れている。
いつでも銃を取り出せる格好である。
さすがにプロである。
「先生、お逃げ下さい」
虚ろな目で高官に避難を呼び掛ける長門。
長門をここまでよろよろにさせるとは、よほど強いシャンパンらしい。
いや、ここまで来たらほとんど睡眠薬である。不眠症によく効くかもしれない。
泊地も時々寝付けない夜がある。あまり心から安心して休める夜が無い。
しかし深海棲艦にはあまり効かないシャンパンである。
泊地も、少し顔が赤くなっただけで、あまり酔っている感覚が無い。
「いよいよメインディシュの到着ね」
襲撃犯が突如、高官めがけて一気に突撃する。
「待て貴様!」
2人の護衛が襲撃犯に銃を向ける。
「私を撃っても当たらないわよ。深海棲艦には生まれながらにシールドがあるの。
爆弾投下でもしない限りこのシールドは破れない」
襲撃犯の動きは早く、瞬く間に高官の背後を取り、そのまま高官を羽交い絞めにする。
「ぐっ」
呻き声を上げる高官。
襲撃犯に銃を向ける護衛達。
しかし人質を取った上にシールド展開まで可能な相手である。
勝負あった、という状況である。
「とりあえず、これで任務完了ね。高官の処遇については後ほどまた伝えるわ」
高官に主砲を向けながらじりじりと部屋から出て行こうとする襲撃犯。
泊地もいつでも戦える状態にはあるが、人質を取られては身動きが取れない。
そこに、別の女性の声が聞こえる。
「もうお腹いっぱいになったのかな?」
「ん?」
襲撃犯がレストラン出入り口の方を振り向く。
その瞬間、襲撃犯がひっくり返る。
「いったーい!」
左のお尻を押さえてひっくり返る襲撃犯。
「そりゃあそうさ、金剛との戦いに備えて身に付けたゴルフスイングだヲ」
「ヲ級、それは…」
唖然とする泊地。
杖をぶんぶん振り回すヲ級。手にしているのはヲ級愛用の杖である。
出かけるとき、いや昼も夜も問わず、
彼女は常に杖を持ち歩いている。まるで恋人のようである。
寝る時も杖を抱きしめたまま寝ている。らしい。
その杖をよりにもよってゴルフクラブとして活用しているようである。
それに、ゴルフクラブは人のお尻をぶっ叩くためにあるのではない。
ボールを打つためにある。
「しかし、君、本当に金剛にそっくりだねぇ。
新型の艤装迷彩?金剛ぶっ叩いてるみたいで気分がいいヲ」
今の時代、艤装を使えば色んな事ができる。用途は何も武器装備だけではない。
艤装迷彩は、周囲の景色に溶け込む形で展開する艤装である。
「私に黙ってこんな豪華バイキングなんてひどいヲ」
むーっとむくれながら襲撃犯に追撃のスイングを放つヲ級。
ヲ級が普段食べている食事の内容がちょっと気になる泊地。
謎の生態の自由人。
何となく毎日カップラーメンでも食べているようなイメージである。
彼女の健康が少し心配である。
大きくジャンプしてヲ級のスイングを避ける襲撃犯。
「動くな。今のはホールインワン級のスイングだったヲ」
ヲ級が襲撃犯に主砲を向ける
「冗談はさて置き。君はこの程度の力ではないはず。おそらくはその強い力、
おそらくは姫グラスだろうけど、思うように使いこなせていない。
そうだろう、イ級棲姫」
イ級棲姫。やはり泊地と同じ見立てのようである。
公害排水となった修復材による深海進化なのだろう。
「そう呼ばれるのも悪くありません。
しかし、あの頃の殺気に満ちた姿、左眼に燃え上がる緑の炎は、
もう見られないんですね、ヲ級姉さん」
残念そうな顔をするイ級棲姫。無言になるヲ級。
「泊地の姫君、ヲ級姉さん。私達の戦いはまだ終わっていません。
一夜の和睦で消えてしまうほど、我々の苦しみは浅くは無い」
イ級棲姫はそういうと、目の前の床に手のひらサイズのカプセルを投げつけた。
カプセルから白い煙がシューっと勢いよく吹き上がる。
警報ベルがリリリとビル内に響き渡る。
「く…煙幕か」
やおら身体を起こす長門。
長門、泊地、その他レストランにいた全員がごほんごほんと咳をする。
徐々に煙は収まり、視界が徐々に確保されていく。
「逃げられたか…。泊地殿、それと、ヲ級君だったかな、実に面目無い」
長門が頭を抱えながら謝る。
「今回ばかりは仕方ありません。私も深海棲艦ながら、
シャンパンの出どころまでチェックしておりませんでした。
それに、私1人でイ級を制圧できるチャンスはあったのに、
それを逃してしまいました。私こそ面目ないです」
「まぁ、いずれにせよ、このヲ級が大活躍したのが一番大きかったヲ。
という訳で、ここのバイキング、私も参加するヲ。誰にも文句は言わせないヲ。
さて、何から食べようかな」
同じく謝る泊地、自慢げなヲ級。
こうして、イ級棲姫による軍高官は未遂に追わり、
引き続いて逃走したイ級棲姫の捜査活動へと戻る事となった。