しかし、心に残る虚無感。
深海棲艦として、深海棲艦と戦う泊地。
鎮守府との合同作戦。
小学校教師としての自らの存在意義に対する疑念。
薄暗い雲に包まれる鎮守府。
救いも希望も無い未来。幸福という名の錯覚。
泊地棲姫は、空だった。
雨が降る鎮守府。黒い空に時折、稲光が走る。
イ級棲姫によるレストラン襲撃から1週間。
いまだ彼女の足取りはつかめていない。
雨の中をとぼとぼと歩く泊地。傘はどこかに置き忘れた。
長門からは何度か合同捜査への参加を打診されたが、
まだ返事はしていない。
心の中が空になる。
行き交う人。誰とも交わらぬ泊地。孤独の境地。
この街で深海棲艦はそれほど珍しくも無い。
よくいる種族である。
泊地はその中の1人に過ぎない。
泊地が居なくなった所で、誰も気に留める者はいない。
「結局、いつも、何もない、空の自分」
空を見上げる泊地。冷たい雨が頬を伝う。
何のために鎮守府に来たのか。
如月からあんみつ屋に誘われたから?
赤城と加賀に会ったから?
長門から捜査参加の話しを持ちかけられたから?
自分の意思?それとも流されているだけ?
泊地は深海棲艦である。
生まれながらにして深海棲艦である。
そこには何らかの意味があったはずである。
そうじゃない未来もあったんだろうか。
もうちょっとだけ幸せな自分。
では、もし過去に戻れるとしたら、
もう一度、今の自分になりたいと思うだろうか?
これは無駄な人生なのか?おそらく無意味なのだろう。
自問自答を繰り返す泊地。
イ級に言われた、私達の苦悩はこんなに浅くは無い、
というような言葉。泊地の苦悩は浅いのだろうか。
深ければ、そこに何かが見えるのだろうか。
「金剛さん…か」
金剛には何とか鎮守府で会う事ができた。
向こうから元気に挨拶してきてくれた。
無邪気で素直な笑顔。
金剛のような元気で爽やかな明るい人間になりたかった。
彼女のような人間に生まれたなら、
自分も周囲も幸せであっただろうに。
「しかし、私は空虚で何も無い存在として存在してしまった」
歩みを止める泊地。
何かを言おうとして、しかし言葉にならない。
泊地の方を見る通行人。
彼らは、すこし怪訝な顔をしながら、そのまま通り過ぎていく。
何度も繰り返された光景。どうしてこうなってしまったのか。
黄色い色の自転車がすうっと泊地を通り過ぎていく。
力なくその自転車を眺める泊地。
おそらく二度と会う事のない自転車である。
横断歩道。信号機。
いつもと変わらない風景。
風が吹く。横凪の風が、冷たい雨を泊地に叩きつける。
「今日は愉快な日ですね」
泊地が横を見る。白い髪の長身の青年。
「キャスパーさん…ですか」
にっこり笑うキャスパー。
防衛産業HCLI社の社長。無人戦闘システムの開発者。
この戦争をおそらく終わらせた男。
横断歩道で信号を待っている時に偶然会ってしまった。
あまり徒歩が似合わない男である。
「武器商売の方はどうですか?」
うつむきながら暗い顔で泊地が問う。
「戦争が遠のきましたからね。商売はいまいちですね。
つまらないもんです」
本当につまらなさそうである。
あまり良い商売ではないが、
それでもつまらないのは泊地も同様である。
理由は違えど、同じ空虚感である。
「どうです、そこの喫茶店でお茶でもしますか?」
「そうですね。ではご一緒させて下さい」
キャスパー行きつけの喫茶店があるようである。
ひたすら歩いて、歩き疲れた泊地。
喫茶店は雨宿りにちょうどいい。
ただ時間を潰すだけである。
別に、大した話をする訳でもない。
そこで何かを得られる訳でもない。
「ここ、あんまり人いないんですよ。
というのも、コーヒーはまぁまぁなんですが、
クッキーやケーキがイマイチなんです」
「それは喜ばしい事ですね」
少し笑う事が出来た泊地。
キャスパー・ヘクマティアル。
優秀な武器商人、野心家、何となく冷徹な雰囲気。
しかし、案外子供っぽい感じもある、不思議な人物である。
「私はキャスパーさんと同じなのにします。
メニュー探すの苦手なんです」
コーヒーとシナモンクッキーを注文して、椅子に腰かける2人。
キャスパーが窓の外を眺める。泊地も窓の外を眺める。
何だか、同じ行動、同じ感覚を共有しているように見える。
しかし、そんな事はあり得ない。感覚を共有していると、
そう錯覚しているだけなのだ。
この世界のほとんどは錯覚で出来ている。
泊地は小学校教師である。生徒達からは慕われている。
しかし、生徒達にとっての泊地は、
良い先生で、しかしそれは錯覚かもしれない。
泊地は自分が嫌いである。
それだけは、錯覚ではなく確信である。
「僕ねぇ、学校の先生になりたかったんですよ」
キャスパーが唐突に言う。
武器商人が教師をする。
多分、面白い授業をしてくれそうである。
こういう人こを、素晴らしい教師になるに違いない。
経験不足を痛感する泊地だからこそ、
こういう経験豊富な人物が羨ましく思えた。
「でも、嫌われる事におびえる毎日ですよ」
泊地がぽつりと言う。子供相手の仕事。
良い教師であること。好かれる教師である事。
嫌われてしまっては、教えたい事も教えられなくなる。
「らしく無いですね、泊地さん。
それとも聖母役には疲れましたか?」
聖母では無い。それは錯覚である。
教師の仕事は誠心誠意、
心から一生懸命取り組んできたつもりである。
いつしか深海棲艦の聖母とまで呼ばれるようになった。
だが、錯覚である。
黄色い自転車が青く見えるほどの錯覚である。
「しかし、これが平和って奴です。いいもんでしょ?」
シナモンクッキーを齧るキャスパー。
いいもん、と聞かれれば、いいもん、なのかもしれない。
しかし、この平和らしきものも、おそらくは錯覚である。
全てが錯覚であるという視点で考えるならば、これも錯覚である。
「いいもんですね」
同じくクッキーを齧る泊地。
喜ぶべき平和である。世界の望みが約束された、
そういう事である。
「統合型無人戦闘システム、
このキャスパーが作りしもの、キャスパー・メイデン。
お人形さんの1人1人が泊地さんと同等の戦力。
わが社はそれを今や30体保有している訳です。
いっそ、この町を消滅させてあげましょうか?」
コーヒーを啜るキャスパー。
「ただし、消滅させた後は何も起こりません。
お得意先が1つ減るだけです。
それに、これだけ発達した都市群を戦後維持管理するのは大変ですよ」
淡々と言う泊地。
きな臭い鎮守府に長いするのは良くない。
深海棲艦と一緒にいた時は、
小学校教師として教鞭をとっていた時は、
これほど淡々と冷たく返して言う事はなかった。
「破壊するのは簡単です。作り直すのが大変なんです。
人生と同じですよ。壊すのは容易、
作り直すのは…ほぼ不可能。
だからこそ、ひたすら壊し続ける。
いい商売でしょ、武器商人ってのは」
キャスパーによる職業観、人生哲学なのであろうか。
泊地にとっては、これは同意しかねるが、
一部、共感出来る部分もあった。
壊すのは楽である。積み木崩しと同じである。
しかし、壊し続けるのは意外と骨が折れる。
また積み上げたいという欲求に駆られるからだ。
ひたすら壊し続け、一切の希望も望みも無く、
永久の破壊を望む。そう簡単では無い。
キャスパーが続ける。
「貴方は守りたいものがある。だから、壊したくないのです。
だから、壊せないんです。それは贅沢と言うものです。
恵まれた環境です」
この男には守りたいものが無いのかもしれない。
泊地には、そこまで割り切る事ができない。
「恵まれてはいません。今の私は、たまたま、
こうなってしまった、ただそれだけです」
自ら望んで、このような人間になった訳ではない。
別の人間に生まれたかったかもしれない。
別の人生があったかもしれない。
それは、泊地にとって、素直な感想である。
全ては最初から決定されている。教師となるのは、
彼女の願いでもあった。
しかし、本当にやりたかった事は何なのか。
あの学園生活の中で、何を見てきたのだろうか。
考え込む泊地。にっこりほほ笑むキャスパー。
「守りたいもの。深海棲艦の子供達の事ですね。
立派な仕事だと思いますよ。守りたいものがあるのは幸せな事です」
「私はまた、あそこへ、深海棲艦のいる学校へ」
「どこにも行く必要は無いですよ。ただ、川を流れる木の葉のように」
キャスパーが立ち上がり、ネクタイをきゅっと締める。
「この薄暗い鎮守府の世界、我々に存在意義など無いのですよ。
全ては虚無。…いかがいたしましょう?
例のメイデンをイ級捜索に投入させましょうか?
それも全機投入です。イ級がイ級棲姫として完全覚醒する前に、
何らかの手を打った方が良いでしょう」
「戦闘ですか?それだと鎮守府一帯に広範な被害が予想されますが」
「ダメージ・コントロールですよ。世界を救うのです。
町1つ分、安いものです」
「あまり綺麗事は言ってられませんね。
こちらからは、ヲ級、飛行場姫に声をかけます。
イ級を何とか押さえましょう。戦うのは今です」
握手をする泊地とキャスパー。
何かががらがらと崩れていくのを感じる泊地。
だが、イ級の深海進化、棲姫としての覚醒、
そこから生じるであろう惨事、何とか避けたい。
こうして2人は、喫茶店を離れ、雨の降る鎮守府の街へと戻っていった。