鎮守府大学附属病院。鎮守府内外の色んな患者がここに通っている。
泊地の入院している整形外科の他にも、脳外科、神経内科、皮膚科…
色んな診療科が詰め込まれている。
深海自治区では見られないほどの高度医療機関である。
この病院はリハビリにも力を入れているようである。
入院してからしばらく経ち、泊地はリハビリに参加する事になった。
しかし、歩くのはまだ厳しいようである。
院内での移動は車いすである。リハビリ室からセラピストが迎えにきてくれる。
これまで朝から晩まで病室の天井ばかり眺めていた泊地。
リハビリの時間は、つらくはあるけど、少し気分転換ができるような時間でもあった。
「はぁい、泊地さぁん、今日もマッスルマッスル!」
広いリハビリ室内に甲高い声が響き渡る。
うるさい声の主は、秋田小町。あきたこまちではない。
筋肉もりもりマッチョマンの変態セラピストである。
一応、女らしい。一応。
厚化粧にピンクの口紅、濃いマスカラに紫のアイシャドウ。日焼けした小麦色の肌。
顔だけ見れば女。いや、男である。
「…」
左右の手すりにつかまって、汗を流しながら歩く泊地。
長い薄紫のさらさらした髪が、何か鉛の針金のように感じられる。
しかし、ルビーの瞳は力強く輝き、
手すりの向こうに見える、はるかなる地平線を見据えている。
何とか左右の足にも力が入るようになってきた。
でも、やはり手すりで体を支えなければ、
足ががくんと曲がりそうなそうな感じがする。
それに、足にはしびれが残っている。地面を踏みしめている感覚がなく、
何か中に浮いたような感覚がする。
それに、足が何かつっぱったような感じもする。うまく力が抜けない。
「いいわねぇ、泊地さんもいよいよマッスルボディーが分かってきたようね!」
「はい…」
マッスルボディとは何なのだろうか。何か専門用語なんだろうか。
小学校教師として研鑽を積んでいる泊地としては、
この際、医学知識も吸収しておきたい所である。
…そもそもマッスルボディとは医学知識なのだろうか?訝しむ泊地。
それでも何とか、手すりの端から端まで歩く事が出来たようである。
手すりの端に置いてある椅子にゆっくり腰かける。
お尻を降ろす時は、ちょっと首の傷に響きそうである。
歩くのも久しぶりで、どっと疲れが出てしまう。
「ふ、う…」
ため息をつく泊地。小町がパチパチパチと手を叩く。
「いい、いい、いいわよぅ、その調子!」
鼻息をぬふぅと放つ小町。まるで馬が息を吐いたように見える。
それはさすがに小町に失礼かな、と泊地は思う。
「筋力も出てきてるし、バランス感覚もいいわぁ。あとは持久力が欲しいわねぇ。
そう、男は持久性よ!途中で折れるのはダメよ!」
「あのう…」
少し顔を赤くする泊地。
何を言いたいのかは、何となく分かるが、
そういう世界とは無縁で生きてきた泊地である。
小学校教師として、ある程度色んな分野の事は勉強してきているつもりである。
とりわけ小学校高学年には、色々教える必要もある。
しかし、あくまでも耳学問である。
少女漫画で予習はしているつもりだが、
やはり面と向かって言われると、顔から火が出てしまう。
「大丈夫、今度は手すりなしで歩いてみましょう。いよいよ歩行訓練も一人立ちよ!
あ、でも、私が好きなのわぁ、男の朝d」
小町が何か言いかけた所で泊地が立ち上がる。
とにかく、訓練、ひたすら訓練である。雑念はよろしくない。
ふんわりと手すりから手を放す泊地。少しふらつく。
「…」
険しい顔をしてじーっと泊地を見る小町。
「ん…じゃあ、まずは杖をついてみようかしら」
小町に介助されながら車いすに移乗する泊地。
そして、車いすをこぎながら、リハビリ室の真ん中に移動し、置かれた椅子に座る。
「じゃあ、立ってみましょうか」
ゆっくり立ち上がる泊地。
地を踏みしめる力強い立ち上がりである。
「イケそう?」
横に付き添う小町。
ゆっくりと歩みを始める泊地。
「はい、いけそうです」
泊地はそう力強く答えると、一歩、また一歩と歩みを進めた。
「もっと…」
そういいかけた瞬間、泊地の右足が止まり、ガクッと折れ、
身体が地面に向かって落ちる。
「…!」
泊地の身体は、小町の太い腕に抱きかかえられていた。
「おっし、いい感じいい感じ!」
小町が太い声で念を押すように泊地にエールを送る。
ぐすっ、ぐすっ、と泣き出す泊地。
よしよしと背中をさする小町。
車いすを漕ぎながら病室に戻る泊地。
横には小町がついている。
「泊地、ファイトよ!マッスルパワーは海を救う!」
病室に入る2人。
「あ…」
室内には、見知らぬ女の子が3人いて、泊地と目があった。
「よう!ボッキーちゃん、失礼、ブッキーちゃんに、ぽいぽいちゃん!
そしてむっつりちゃん!ちゃんとマッスルしてるぅ?」
笑顔で声をかける小町。
「小町さん、こんにちは」
「マッスルしてるっぽい!」
「むっつりじゃなく、睦月です…」
頭を下げる女の子3人。
「ああ、この子たちねぇ、如月ちゃんのおホモだちね。今の所は、まだ女の子。
今の所はね、うふふ」
少し気まずそうな顔をする、泊地と3人。
「ええと、あ、初めまして、吹雪と言います」
「夕立っぽい!」
「睦月です…」
「こ、こんにちは…泊地と申します」
肩の上まで伸びた黒髪を後ろで小さく縛っているのが吹雪。
どことなく田舎っぽい女の子である。
うるうるさせた瞳で、おっとりした感じの子が睦月。
そして、流れるような白く長い髪、ぽいぽい言ってるのが夕立。
4人とも、ちょっとぎこちない自己紹介である。
目の前に深海棲艦がいるのである。一応、敵同士である。
しかし、こうしてみると、普通の女の子である。
泊地はちょっとだけお姉さんのような立ち位置である。
「さて、私はマッスル仕事に戻るわ、みんなちゃんとマッスルしててね。
じゃあね、ダブールバーイセエーップス!」
ポージングしながらガタイのいい小町が病室から出ていく。
病室に、なんだか気まずい雰囲気が漂う。
しーんとして、如月の呼吸音だけが聞こえてくる。
こういう時は、まだ話した事もない如月に助けを求めたくなる。
そもそも泊地は無口でおっとりした性格の女性である。
一応はお姉さんらしく振舞った方がいいのか…
しかし、それはそれで上から目線になりそうで嫌になる。
泊地の頭の中がどんどん混乱していく。
「あの…」
泊地が何か言いかけようとする。
「ぽい!」
「?」
白いロングの女の子、夕立が何か謎の言葉を発する。きょとんとする泊地。
「ぽい」とはどういう意味なのだろうか。小学校で「ぽい」は教えた事がない。
円周率は「ぱい」である。最近の鎮守府は「ぱい」を「ぽい」と
教えているのだろうか。吹雪と睦月が、お互いに目を合わせている。
たぶん、この2人も、よく分かってなさそうな雰囲気である。
「ぽい、だから、ぽいぽい!」
さらに続ける夕立。
ますます分からなくなる。ぽいが2つで、ぽいぽいなんだろうか。
夕立は何を伝えようとしているのだろうか。
すごく失礼かもしれないが、犬が「わん」と鳴いたとき、
そこからメッセージを汲み取る作業に似ている…と、泊地は思ってしまった。
さすがに、これはあまりに夕立に失礼である。
でも、手がかりとなる情報は「ぽい」だけである。
「ぽい…かぁ」
吹雪が苦笑いしながら言う。
何か読み取ったようである。
おそらく「ぽい」に色んな思い出がつまっているのだろう。
泊地の心の中が、少しだけ、ぽかぽかしてくる。
「夕立ちゃんは、ぽい、よね」
睦月がうつみきながら、少し苦笑いしながら言う。
「うん、ぽい」
夕立は自信ありげに答える。
この3人の中に、「ぽい」で結ばれる何か特別な共感覚があるのだろうか。
自分も、その輪の中に入りたい、と思う泊地。
「ぽい…」
泊地がつぶやく。
小さな、消え入るような「ぽい」である。
「ううん、ぽい、じゃなくて、ぽい」
夕立が泊地の「ぽい」に対して、謎の修正を加える。
その「ぽい」は、ずっと力強い「ぽい」である。
「じゃあ…ぽい!」
泊地が修正の「ぽい」を言う。
今度は、泊地も負けじと強く言葉を発する。
「ぽい!」
元気よく答える夕立。
「じゃあ、私も、…ぽい!」
泊地が元気よく、ぽいを言う。
凄く恥ずかしい。顔が赤くなる。
にひひっと笑う夕立。同じく笑顔になる吹雪。睦月の顔にも少し笑顔が浮かぶ。
「ぽい」は、どうやら世界の共通言語であるらしい。
確かに、動物も鳴き声1つで、互いの絆を確かめ合う事が出来るらしい。
少し、病室の中がなごんだような雰囲気になる。
色々、もっと話してみたくなる。そういう気持ちが、少しだけ芽生え始める。
心の壁が、ちょっとずつ融けていく。
「泊地さんは、たこ焼き作るの得意っぽい?」
「?」
夕立が泊地に質問する。きょとんとする泊地。
「深海棲艦の人達は、みんなたこ焼き持ってるっぽい」
「たこ焼き…ですか?」
「うん。あの丸いやつ、あれは夕立の見たところ、たこ焼きっぽい」
「ああ、あれね」
ポンと手を叩く泊地。
確かに、アレはたこ焼きのように見える。おいしそうに見えるのだろうか。
1つくらいなら分けてあげようかな、と思う泊地。しかし、アレは食べられない。
「あれは、何というか…そう、たこ焼きね」
笑顔で応える泊地。ちょっと茶目っ気が出る。
こういう事が言えるようになったのも、心に余裕が出来てきたからであろうか。
「ええっ?本当にそうなんですか?」
驚く吹雪。睦月も目を丸くしている。
「じゃあ、今度作ってあげるわね、たこ焼き」
「夕立は、かつお節たくさん乗っけて欲しいっぽい!」
泊地の提案に、すぐに乗る夕立。
泊地がたこ焼きを作ったのは、
深海棲艦の漁師さんからタコを貰った時の1回だけである。
タコと言えばたこ焼きという事で、たこ焼き用のプレートを安い給料で買って来て、
料理の教科書を見ながら一生懸命に作ったのである。
妙齢の1人暮らしの女性が、必死に自分のためにたこ焼きを作るのは、
どこかシュールな画である。少し寂しい生活を送る泊地である。
「わ、私も是非ごちそうになります!」
「じゃあ、私も…」
4人の顔が笑顔につつまれる。
約束してしまった以上、うまくたこ焼きを作らなければいけない。
教師業よりも、たこ焼き作りの方が先になりそうである。
しかし、それはそれで、良いリハビリになるかもしれない。
やはり、誰かのために一生懸命になるのは、すごく心が満たされるものである。
「あれ?私のは?」
どこからか、別の声が聞こえる。
「!?」
驚く4人。
「如月…ちゃん?」
睦月が如月の顔を見る。
「睦月ちゃんずるいよ…。ちゃんと私のも残しておいてよね。外はカリカリ、
中はしっとり」
マスクの向こうに、如月の笑顔が見える。
泊地の目に涙が浮かぶ。病院に来てから、泣いてばかりであったが。
今度の涙は暖かい涙であった。
「如月ちゃん…うわあぁん」
睦月が泣きながら如月に飛びつく」
「良かった…ほんとに良かった」
同じく抱き付く吹雪。
「夕立もぎゅーってするっぽい!」
加えて抱き付く夕立。
「…」
涙をぽとぽと落としながら、無言で如月の左手を両手で包み込む泊地。
小学校の子供たちも、きっと元気に無邪気に笑っているに違いない。
何か重い物が肩から降りたような瞬間であった。
「経過は順調そうだな」
「鬼頭先生っぽい!」
鬼頭が看護師と共に病室に入ってくる。
鎮守府大学、救急救命部、鬼頭教授。背が高くて長髪の男。
少し緊張する泊地。おそらくは凄腕の救命医には違いない。
「ここの病院食、なかなかうまいだろう?
病院食堂も、三ツ星レストランのシェフが切り盛りしている。
特に苺パスタは絶品だ!」
にこにこして話す鬼頭。
「うな重が出ないっぽい!」
ぽいちゃん、もとい、夕立が即座に答える。
「泊地君はこのままマッスル訓練。
如月君も、まずは病室で軽く体操、その後はすぐマッスル訓練だ」
「そんな、如月ちゃんはまだ…その、目が覚めたばかりで」
不安そうな顔をする睦月。
「ここの病院…いや、今のリハビリは早期訓練が主流だ。
ちょっとキツイが、その方が入院中、そして退院後の経過も良くなる」
すごく誠実な医者、それは泊地にもよく伝わってくる。
「泊地君も、経過は順調そのものだね。私の想像を超えるスピードだ。
そのうち車いすもいらなくなる。杖は、しばらくいるかもしれんなぁ」
自信ありげに説明を行う鬼頭。
「さて、そろそろディナーの時間だ。
それと、ぽい君。残念ながら、ウチの病院食堂にうな重は無い。
卵かけご飯があるから、それで我慢してくれたまえ」
病室を後にする鬼頭。
「ケチな病院っぽい」
ぷーっとむくれる夕立。
久しぶりに、泊地は笑った。色んな人に支えられている。
あの戦争が嘘のように感じられる。
でも、病院にいて、隣には重傷の女の子がいて、
目が覚めて、また笑って。悲惨な出来事があったのは、確かな事実である。
艦娘の子達、鎮守府の人達と、深海棲艦の間には、違いなんてないのかもしれない。
ちょっと、生きてて良かった、
泊地の胸に、何か熱いものがこみあげてきた、そんな時間であった。