泊地棲姫のマッスル訓練が始まって、2週間。
何とか杖を使って歩けるようにはなったが、相変わらず足は重い。
歩ける距離はちょっとずつ長くなった。
退院はもうちょっと先になりそうである。
「今日はこの辺で…」
大きく息をつく泊地。病棟の時計は20時を回っている。21時には消灯である。
病院という所は、つくづく早寝早起きの場所だ。
深海生活の頃は、夜遅くまで読書にふけっていた。
そんな泊地にとって、この早すぎる消灯だけが不満であった。
「お疲れ様」
病室に入ると、如月がねぎらいの言葉を泊地にかける。
「如月ちゃんも、お疲れ様」
にっこり笑う泊地。
如月もまた、マッスル訓練に参加していた。
訓練とは言っても、まずはベッドから起き上がり、足を降ろして腰かける。
誰もが当たり前にできること。
しかし、それでも、如月にとっては厳しい訓練であった。
爆発の衝撃で体のあちこちが骨折して、プレートやワイヤーが埋め込んであるとの事。
泊地は、大変な思いをして、ようやく歩けるようにまでなった。
だからこそ、如月の苦しさが痛いほど伝わってきた。
「泊地さん、元気になったら、鎮守府であんみつ食べようね」
如月がほっこりした表情で泊地に言う。
鎮守府には、間宮という食事処があって、そこのあんみつが美味しいらしい。
「はい、ぜひ。すんごくおいしくて、でっかいあんみつなんですよね」
笑顔になる泊地。
「じゃあ、そろそろ休みましょうか」
「また明日ね、泊地さん」
泊地はライトを消して、そっとカーテンをひいて横になった。
如月もふとんを被って目を閉じた。
静まり返る病室。泊地の頭の中を、色んな想いが駆け巡る。
その想いのほとんどは、この病院に来てからの事だった。
ふと、深海自治区で教師をしていた事を思い出す。何か遠い事のように思えた。
「リリリリ!」
大きなベルの音が鳴り始める。
目を大きく開ける泊地。
「泊地さん!」
如月が泊地を呼ぶ。。
火事か?泊地を不安が襲う。
病棟を、夜勤の看護師がドタバタ走り回る。
「何者かが侵入してきます!はい、正面玄関のガラスが破られました!」
「早く警察に!急いで!…きゃっ!!」
ドーンと大きな音が聞こえ、悲鳴が響く。
ベッドの手すりをつかみながら、起き上がる泊地。
「待って泊地さん!」
如月が必死に体を起こそうとする。
その時、病室のドアが開いた。
「あなたは…」
呆然とする泊地。
「泊地姉さん、迎えにきたヲ」
そこには、背丈の低い、色の白い少女が立っていた。
「ヲ級…」
泊地がため息をつく。
「泊地さん、この人、知り合い?」
震える如月。ヲ級が如月をじろりと見る。
「この子には手を出さないで」
ヲ級をにらむ泊地。
「…」
肩を落とすヲ級。
「何となく状況は分かったヲ。しかし姉さん、あまりここに長居するのは…」
その瞬間、ヲ級の腕を何者かがつかむ。
「そう、長居はいけないわねぇ」
ヲ級の背後に立つ大きな影。
「小町さん!」
叫ぶ泊地。ヲ級が動く。その瞬間、小町が勢いよく前につんのめる。
「あら?」
そのまま地面にバタンと倒れる小町。
冷たい視線で小町を見下ろすヲ級。
「いやねぇ、私こういうタイプ苦手なのよぅ」
素早く起き上がり、ファイティングポーズを取る小町。
「合気使い…ね」
両手をすっと横に降ろすヲ級。
「いかにも」
にらみ合うヲ級と小町。
ヲ級が一歩足を前に進める。
「近接格闘術の有用性は、先の金剛戦で証明済みだヲ。
砲弾が来たら、殴って撃ち落とせばいいヲ。
じゃあ、拳が飛んできたら…」
一気に間合いをつめるヲ級。
「いやぁん!」
右ストレートを突き出す小町。
ヲ級がその右手首をつかむ。次の瞬間、小町の身体が宙を舞う。
「…!」
ドシンと地面に叩きつけられる小町。
「受けて投げればよいヲ。対金剛を想定して会得した合気術。
今の君程度ではかすり傷一つすらつけられないヲ」
余裕の表情を見せるヲ級。
無言で固まる如月。
「じゃあ、姉さん、私達もそろそろ…」
ヲ級が、そう言いかけた瞬間。
「ピシャリ」
泊地がヲ級に平手打ちする。
「姉さん…?」
呆然とするヲ級。
「謝りなさい」
キッとヲ級をにらむ泊地。
「…」
少し泣きそうな顔をするヲ級。
「そこまでだ!」
ドアの向こうに人影が立つ。
後ろを振り返るヲ級。
「キミキミ、夜間救急用の入り口があったろう、ちゃんとそこから入りたまえ」
そこに立っていたのは、鬼頭であった。さらに、2人の人間が両脇に立っている。
「これは…?」
言葉を失うヲ級。
「泊地…さん?」
目を疑う如月。
目の前に立っていた2人の女性、いずれもが、泊地にそっくりの人物であった。
セーラー服を着て、腰には帯刀。
不敵の笑みをこぼす鬼頭。
「さて、どうするヲ級君。同士討ちはいやかね?」
後ずさるヲ級。
倒れていた小町が、ゆっくりと起き上がる。
「いててて。だから合気使いはイヤなのよぅ、もお」
2人の泊地そっくりの女性を舐めまわすように見る小町。
「いやぁ、さすがねぇ。瓜二つ。噂には聞いてたけど、これが…へえぇ。
…でも、いいの?鬼頭センセ。こんな所で」
2人をじっと見る泊地。
「これは…どういう事ですか?」
目の前に、自分が立っている。目の前で起きている事が理解できない。。
「申し訳ありません。貴方の生体情報を調べさせて頂きました」
鬼頭が頭を下げる。
「クローン人間…ですか?」
如月が青ざめた顔で鬼頭に問う。
「いいえ、クローンではありません。何と言いますか、人形みたいなものです。
したがって…」
鬼頭が指をパチンと鳴らす。セーラー服の2人が刀を抜き、ヲ級に襲い掛かる。
ヲ級が即座に艤装し、右から振り落とされた刀を、杖で受け止める。
「ご心配なく。刀に刃はありません。峰打ちしか出来ない、なまくらものです」
さらに刀が左から振り落とされる。
「く…!」
その刀をシールドで受け止めるヲ級。
シールドがみしみしとひび割れていく。
「泊地さんのシールドもそうですが、ガラスの様な性質があるようですね。
切るよりも、ガツンと叩くように衝撃加えた方が壊れやすい」
鬼頭が淡々と述べる。
「泊地姉さん、また必ず来るヲ」
ヲ級は病室の窓ガラスをバリンと割り、そのまま外へ飛び降りていく。
「ヲ級!」
窓から下を覗き込む泊地。
すでにそこにはヲ級の姿は無かった。
「先生、これはどういう事ですか?」
鬼頭をにらむ泊地。
如月の顔にも不信感が浮かぶ。
「インフォームド・コンセントが足らなかったようですね」
ため息をつき、窓の外を眺める鬼頭。
「全ては、人命を救うためです。そして、世界の平和のため」
怪訝な顔をする泊地。
自分のコピー人間を目の前で見せられて、人命を救う、世界平和を望む。
この男は何をしようとしているのか、泊地には理解できなかった。
「ごめんね、泊地ちゃん、如月ちゃん。余計な事に巻き込んじゃって」
小町が立ち上がって、しゅんとした顔で謝る。
窓を閉める鬼頭。セーラー服の2人も刀を鞘に納める。
「小町君、君がいて助かったよ。
こんな事なら、最初から彼女たちを護衛につけておけば良かった」
「いいのよん、センセ。ちょっと痛かったけどね」
険しい顔をする小町。
「でも、姫クラスのメイデンを2体実戦投入よ。それも教授会の了承も無しに、
大丈夫なのぉ?」
「連中には貸しを作ってある。不正の黙認はお互い様だよ」
「でも、鎮守府はうるさいんじゃないの?」
「こちらには既に7体ある。その気になれば鎮守府を落とせるほどの戦力だ」
「ちょっ、センセ、またそんな物騒な事を…いまの問題発言、
聞かなかった事にするわね!」
泊地の知らない所で、何かが動いている。
何か、大きな渦の中に引き込まれていくような不安が、泊地の脳裏をよぎっていた。