「君臨者よ! 血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ! 焦熱と争乱 海隔て逆巻き南へと歩を進めよ!」
胸の前で印を組み、詠唱する大和。
「破道の三十三——赤火砲!」
突き出した腕から、その名の通り、まさに大砲のような火球が発射され、赤い残光を引いて滝に直撃。
瞬時に蒸発した水分は衝撃波とともに、周囲にまき散らされた。
霧のような蒸気が眼鏡を曇らせるが、刀子は気にせず、というより気づいていないようだった。
口をあんぐりと開けて、大和のデタラメさに思考停止する。
「これが中級鬼道の赤火砲。威力を弱めて出せば照明にもなるし、かなり使いどころの多い鬼道だよ」
大和はなんでもなさそうに言うが、本来鬼道というものは、鬼道衆なる専門家が一生をかけて極めていくものだ。
補助的に使う、というのならばわかる。
だが今の大和の赤火砲は、威力、スピード共に実戦でも通用するレベルだった。
剣を振るって鬼道も使える、などという人間がいるなど聞いたこともない。
結局、大和が声をかけるまで刀子は呆然としていた。
あれから、刀子は暇な時間を見つけては山の中の滝まで行った。
大和は大抵の場合ここで修行しており、刀子が来るようになってからは合同で訓練、もしくは大和が刀子の指導をするという日々が続いた。
入れ違いになることもあったが、刀子は大和と初めて会ったこの場所が気に入っており、ここ以外の場所で待ち合わせをする気にはなれなかったのだ。
それには大和と二人きりになりたい、という乙女的要素もなきにしもあらずだったのだが、幸か不幸か、刀子本人を含めて気づいている者はいなかった。
そして、それほどの時間を共に行動しているとやはり、大和が何者なのかという疑問が再び浮かび上がる。
しかし、それを聞いてしまえば、この穏やかな時間が壊れてしまうかもしれない。
(でも、もし大和くんが宗家の客人で、もうすぐ帰らなあかんとかやったら……)
そんなこと耐えられるわけもない。
聞こうが聞くまいが、どちらにせよ別れの可能性はある。
だったら、せめて勇気を出して聞いてみよう。
そこまで決意するのに三日かかった。
「や、大和くん!」
「ど、どうしたの急に血相を変えて」
「あなたは一体何者なん!?」
……もう少しマシな尋ね方はなかったのかと、数秒前の自分を殴りたい。
「僕?」
「う、うん。だって、大和くんのこと今まで見たことないし、だったら宗家のお客さんなんかなって思ったんやけど、ずっとここに来てくれてるし。剣の腕がすごいと思ったら、三十番台の鬼道を簡単に使っちゃうし」
「あー……(本当は詠唱破棄もできるんだけど、それを言ったら大変なことになりそうだな)」
思い当たる節があるのか、視線を逸らしながら頬を掻く大和。
「いや、別にすごい秘密があるとかじゃないんだけど、今更言うのはちょっと恥ずかしいというかさ」
「教えてくれへんの……?」
刀子の上目遣いと涙目(無意識)のコンボにより、大和の心は多大なるダメージを負った。
「えっと、言ってもいいけど、それで刀子ちゃんの態度が変わったりしないかなって」
「ウチってそんなに信用ないんや……」
「えっ? いや、あの」
さらに追い打ち。
「ごめんな……大和くんの迷惑も考えんで」
「ぐふっ」
トドメをさした。
「ま、待って! 言う、言うから!」
ゴホン、と咳払いし、大和が自分の苗字を告げようとした時、
「こらーっ! 大和君、今日は俺と試合する予定だったろうがー!」
山の下から若い男の怒りの声が響いてきた。
「あっ、やば。詠春さんだ」
「え、詠春さんって……あの青山家の!?」
刀子は、思わぬ人物の出現に目を見開く。
青山家と近衛家、京都においてこの二つの家を知らぬ者はいない。
特に優れた武芸者を輩出する青山家は、武を志す者たちから崇拝されてさえいる。
刀子もその例に漏れず、彼らを目標として設定し、いつか追いついてみせると息巻いていた。
もっとも、最近はその目標が大和に変わりつつあるのだが。
「あわわわわ」
「いっけない、今日は詠春さんと三本勝負する日だった」
完全に忘れてた、と頭を掻く大和。
どうしてそんなに落ち着いているのだろうか。
あの青山家の詠春と勝負できる、と分家の人間が言われれば、一ヶ月ほど山篭りして備える。比喩ではなく。
それをすっぽかしておいて、全く慌てていない。
刀子の中の大和の印象が、もはや宇宙人のそれに近づいた。
「ごめんね刀子ちゃん、この埋め合わせはいつか必ずするからさ」
ちょっと行ってくるね、とまるで近くのコンビニ行ってくる的なノリで大和は山を降り始めた。
刀子はそれを口を開けて見送っていたのだが、途中で大和がふと足を止める。
「僕の名前は五木大和。これからもよろしくね、刀子ちゃん」
イタズラが成功した子供のような笑顔。
刀子は、その言葉をすぐには理解できなかった。
いつき? イツキ? 五木?
五木って……あれ、なんか、葛葉の宗家が、そんな名前だったような。
「……ええええええええええええ!!???」
もう何度目になるかもわからない、刀子の悲鳴が響きわたった。
「ちょっと、お母さん!」
かれこれ一時間ほどフリーズしていた刀子だったが、我を取り戻した瞬間、家に向けて走った。
「あらあら、どうしたの刀子ちゃん。そんなに血相を変えちゃって」
「五木大和くんって知ってる!?」
その名前を聞いた瞬間、刀子の母親はわずかに目を見開いた。
「……どこで彼のことを知ったの?」
「え、あ、その」
その反応から、自分はなにかいけないことを聞いてしまったのかと心配になる。
「聞いちゃアカンことやった……?」
「……そんなことはないわ。でも、刀子ちゃんが彼のことを知ってるなんて思わなかった。どこかで知り合ったの?」
「うん。この前、家を飛び出した時に……」
それを聞いて、母親は納得した。
「じゃあ試合が中止になったのも、やっぱり彼の……」
「お母さん?」
「ああ、そういえば説明がまだだったわね。別にあの子の存在は隠されているわけじゃないわ。実際、大人たちの大体は彼のことを知っているしね」
「じゃあ、なんで」
「……才能がありすぎた、からかしら。剣術も鬼道も」
「それがいけないことなん?」
「いけなくはないのよ……ただね、剣術で青山家を上回る子がいる、というのはあまり広まっていい情報じゃないの」
「あ……」
それは刀子も以前に経験したこと。
旧家は面子を重んじる。
確かに、五木家は代々伝わる由緒正しい一族だ。
だが、青山や近衛といった頂点に比べると、どうしてもいくらか見劣りする。
その家たちにとって、大和の存在はあまり広まってほしくないに違いない。
「だから、彼のことを口に出さないのは暗黙の了解のようなものなの。誰だって青山に睨まれたくないから」
「そうやったんや……」
そんな事情も知らずに、自分は大和に無神経なことを聞いてしまった。
自責の念に駆られて俯く刀子だったが、その肩に優しく手が置かれる。
「でもね、刀子ちゃん。大和君と青山家の子たちはとっても仲がいいの」
「え?」
「大人の事情なんて知ったことじゃない。そういうことなのよ、あの子たちにとってはね」
そう言われて、刀子は思い出す。
勝負をすっぽかされて怒っていた詠春だったが、恨んでいるような声だっただろうか?
青山家から圧力をかけられているにも関わらず、大和は詠春のことを疎んでいるようだっただろうか?
「あ……」
そんなことはなかった。
詠春の声は不真面目な弟を叱るような声だったし、大和も詠春に隔意があるようには見えなかった。
つまり、彼らにとってはどうでもいいことなのだ。
「それにしても大和君かー。ねえ刀子ちゃん、どうせなら玉の輿を狙ってみない?」
「……ふえ?」
母親のその発言により、シリアスな空気は粉微塵にされ、ちょうど帰宅した父親が『刀子をやれるか!』と叫び、てんやわんやの大騒ぎとなった。
「は、初めまして。わたしは葛葉刀子っていいます」
「俺は青山詠春。別にそんなに固くならんでいいよ」
「そうどすえ刀子はん。ウチは青山鶴子。もっと砕けていきまひょ」
「わ、わたしは青山素子です。よろしくお願いします、刀子さん」
その後、刀子は大和から青山家の三人を紹介された。
(あ、アカン。この人たち、なんかオーラみたいなん出とる!)
錯覚だ。
元々、この三人は家の地位などをあまり気にしない質だったのもあり、親しくなるのにそう時間はいらなかった。
修行の時間が終われば、誰からともなくいつもの滝まで集まり、そこで遊んだり、剣を教え合うといった生活が続いた。
刀子は大和の修行の成果もあり、急激にその力を増して、今や鶴子のよきライバルとなった。
そんなある日のこと、
「うううう……」
素子が泣きながらいつもの場所に現れる。
既に素子以外の全員が集まっており、大和と詠春、刀子と鶴子のペアに分かれて試合をしていた。
泣きながら現れた素子を見た四人は、血相を変えて詰め寄る。
特に大和と詠春と鶴子の三人は、幼い素子を溺愛していた。
「ここに来るまでに、蜂に刺されました……」
「——蜂退治に使える鬼道は何だったかな……飛竜撃賊震天雷砲でいいか」
「まあ待てよ大和君、ここは俺がこの前覚えた雷光剣でだな」
「まったく、一気に殺すなんて二人とも甘いどすなぁ。——一匹一匹斬り刻んでいくのに決まってるやないですか」
三人は顔を見合わせて笑う。
「「「蜂狩りじゃあっ!! ここら一帯の蜂を絶滅させんぞっ!!」」」
そのまま三人は山の中に消えていった。
取り残される刀子と素子。
「……」
「……」
「それじゃ、素子ちゃんはウチと稽古しとこか?」
「は、はい! よろしくお願いします、刀子姉さま!」
「破道の八十八——飛竜撃賊震天雷砲!!」
「神鳴流奥義、雷光剣!!」
「神鳴流奥義、百烈桜花斬!!」
その日、巨大な山のひと区画が消滅した。
楽しい日々。
「ぐぐ……今日こそは大和君から一本取れると思ったのに」
「あそこで勝負を焦ったのが敗因どす。もう少しどっしり構えなアカン」
「兄様……かっこわるい」
「ぷげらっ!?」
穏やかな日々。
「ねぇ、大和くん。一つ聞いてええかな?」
「どうしたの刀子ちゃん」
「大和くんはすっごく強いし、毎日修行しとるけど、一体なんのために力をつけてんのかなって」
「……」
「聞いちゃアカンかった……?」
「……いや、隠す理由もないけど、苗字と一緒で、知られるのがなんか恥ずかしいというか」
照れくさそうに頬を掻く大和。
それが大和の癖だと理解するほどには、刀子は彼とともに行動していた。
「毎日修行して、力をつけようとしてるけどさ、別に戦うのが好きってわけじゃないんだ。いや、むしろ嫌いなぐらい」
「うん」
それも理解していた。だから気になった。
「……話は変わるけど、鬼道ってさ、破道に比べて縛道はあまり評価されてないんだ」
「そうなん?」
「うん。敵を殺さずに捕らえるというのは軟弱なんだって」
でも、と続ける。
「僕はどちらかといえば縛道の方が好きだな。作成者の、できるだけ人を殺したくないっていう気持ちが伝わってくる」
「……」
大和は今、大事な話をしているということを察して黙り込む刀子。
「僕らの修行してるのは、どう言い繕ってもなにかを傷つける技術だ。それは言い訳のしようもない」
「……」
「でもさ、この技術でなにかを守れることもあると思うんだ。僕はこの技術で、人を守れる存在になりたい。多くの人の命を救えるような存在に」
そう、お伽噺の英雄のように、僕はなりたい——
「……もし」
刀子が口を開く。
「もし、大和くんが英雄になってくれたら、ウチのことも守ってくれますか?」
「ああ、もちろん!!」
満面の笑みで言い切る大和。
刀子はその顔に見蕩れ、どんどん顔を近づけていき——
「ちょ、二人とも押さないで……!」
「もう少し詰めいや、ウチが見えへん……!」
「あ、あ、刀子姉さまがキスしそう……」
「「マジか!?」」
大和と顔を見合わせる。
二人揃って笑う。
そして、傍らに置いてある木刀を手にとった二人は、そのまま茂みへと歩いていき、
「「のわーーっ!?」」
二人分の悲鳴が響きわたった。
こんな日がいつまでも続くと思っていた。
こんな穏やかな日が、いつまでも続くのだと。
だが、大和と刀子が初めて会った日から三年後、その日に——
——全てが壊れた。
それからさらに、二年後——
「ここに来るのも久しぶりですね……」
真夜中、丑三つ時を過ぎたころに、刀子はいつも遊んでいた場所までやってきた。
刀子は十五歳になり、昔のようなオドオドした態度はもう無い。
「——起きろ、紅姫」
刀子の持つ刀が鍔の無い、短めの直刀に変化する。
斬魄刀は、宗家である五木家だけのものであり、普通は分家に伝えられることなどない。
だが、血の滲むような修練により、宗家の中でも敵うものがいなくなった刀子は、特例として一冊だけ斬魄刀の蔵書を見ることが許された。
そして、刀子は見事、斬魄刀『紅姫』を屈服させることに成功した。
「啼け、紅姫」
刀を一閃、刀身から放出される血霞みは、見事に巨大な滝をまっぷたつにした。
「大和さん……あれから、私は強くなりました」
二年前のあの日、大和になにがあったのか、刀子は詳しく知らない。
ただ、あの日に天ヶ崎夫妻が西洋魔術師に殺されたことを発端とする、大きな戦争があったとしか知らない。
そして、その戦争に大和が参加し、西洋魔術師を皆殺しにして、帰ってこなかったことしか——
大和が消えたその日から、詠春は物思いにふける日が多くなり、その後に武者修行の旅に出た。
鶴子も素子も、この場所にはあまりこなくなった。
刀子は河原の石を拾う。
うっすらと赤い石だった。
そう、まるで血が染み込んだかのような、赤い石。
本当に、刀子はあの日に大和が何を思い、何をしたのかを知らない。
ただ、いつも想像した。
——この技術で、人を守れる存在になりたい。
笑いながらそう語った少年は何を思い、その刀を振るったのだろうか、と。
「なんで……ウチを置いていったんよ……」
刀子の目から涙がこぼれ落ちる。
血に染まった赤い石に、吸い込まれていく。
だが、決して血は消えずに、こびりついたまま。
刀子は涙を流し続ける。
その光景を、ただ月だけが見ていた。