第一話
詠春に『大和』を授かってから三年、あの日から刹那は毎日修行漬けの日々を送っていた。
神鳴流の修行は厳しく、幼い刹那には辛いものであった。
時には挫けそうになることもあり、その度に『大和』を見て、最初の誓いを思い出す。
——このちゃんを守りたい。
それだけを考えて、大の大人でさえ音を上げるような修行を乗り越えてきた。
この三年は体の下地作りに専念し、剣術を習うことはなかったが、同年代の子供と比べれば格段に強い肉体と気を持っていた。
元々人外である鳥族の出身だ。伸び代は人間よりも多い。
基礎を積み上げる期間を終え、刹那は本格的に神鳴流の修行に入ることになった。
しかし、ここで問題が発生する。
関西呪術協会の中で、刹那の立ち位置はいいとは言えない。
元々詠春が何の断りもなく連れてきた子供だ。
詠春からすれば、刹那が人間と鳥族のハーフであるなどと迂闊に吹聴するわけにもいかず、一時期隠し子と噂されたこともあった。
そして一人娘である木乃香と近しいこともまた、刹那の立場を悪くしている。
木乃香に取り入りたい一派からすれば、刹那は嫉妬の対象だ。
必然、その悪意は様々な形で刹那に襲い来る。
刹那は迫害されることには慣れていた。
鳥族の里にいた時も、羽や髪が白いということで不吉の対象とされていた。
だから周りの人間に誹謗中傷を受けようと、我慢できた。
他の神鳴流を志す者達に陰口を叩かれようと、我慢できた。
——無論、その心は何も感じない訳ではなかったが。
それでも、辛い夜には『大和』を抱いて寝ることで落ち着くことができた。
『大和』に気を込めると何故か不思議な気分になる。
まるで誰かに見守られているような、そんな暖かい気持ちになるのだ。
だから刹那は毎晩気を込め続ける。
ありがとうと、心の中で呟いて。
「はっ! たぁっ!」
山の中に刹那の掛け声が響きわたる。
その声は近くにある滝の音と混じり合い、打ち消されていった。
刹那は『大和』を両手に持ち、何度も振り下ろす。
その軌道はお世辞にも綺麗とは言えず、刃筋も立っていないため、たとえ人に斬りかかってもただの打撃武器に成り下がるだろう。
それ以前に握り方からしておかしい。
刀というものは、利き腕とは逆側の手で柄の先を持つ。
そうすることにより、てこの原理を使って刀を振るうことができるのだ。
しかし刹那の両手はくっついており、まるで野球のバットを持つかのようだった。
それもそのはず、刹那はまともな剣術の指導を受けていない。
神鳴流の師範代の一人が刹那を疎んでいる派閥の一員であるせいで、剣術の稽古をほとんど見てもらえないのだ。
それどころか道場からも追い出される始末。
行き場を無くす刹那だったが、過去の体験から人に頼ることに慣れていないために、詠春に相談することも思いつかなかった。
——このままではこのちゃんを守れない。
そう考えた刹那は、たとえ独学になろうとも力をつけることを決意した。
実際のところ、指導者も無しに剣術が上達することなどほとんど無いのだが、この時の刹那は九歳。
色々と浅はかな年頃だった。
しかも修行する場所に選んだのは、よりによって立ち入り禁止の山。
本人はそのことを知らずに(教えてくれるような人がいないため)適当に選んだのだが、このことが他の人間に知られれば、むしろ保護者である詠春の立場が悪くなる。
下手に相談するよりもよっぽど迷惑な行為だった。本人はまったく気づいていないが。
自分がかなり危ない橋を渡っていることなど知らずに、刹那は剣を振り続ける。
(アカン……全然強くなってる気がせえへん……)
この場所で素振りをするようになってから五日。
刹那は手応えをまったく掴めずにいた。
(やっぱり、師範代の人に頭下げて教えてもらった方がええんやろうな……)
流石に五日も剣を振っていると、指導者の不在がいかに大きいかわかる。
刹那が剣を持つ理由は、木乃香を守るため。
そのためには自分のちっぽけなプライドも捨てる覚悟だった。
自分は何も悪いことをしていないのに、という思いは確かにある。
だが、木乃香の優先順位はそれよりも遥かに上。
後一回だけ素振りをしたら、道場に行って師範代の人に頼み込むことに決めた。
(最後の一回、集中して振ろう……)
『大和』を大上段に構え、気を練り上げる。
息を深く吐き、体中に力を篭める。
そして、裂帛の気合と共に刀を降り下ろそうとして——
——力を入れすぎだ小娘。そんなんじゃ紙も切れねえよ。
「え……?」
刹那の頭の中に、聞き覚えの無い男の声が響いた。
刀を大上段に構えたまま、周りをキョロキョロと見回す。
見晴らしのよい河原には刹那以外、誰もいない。
首を傾げるも、気のせいだと自分を納得させて、再び刀を降り下ろそうと——
——というか、まず握り方が滅茶苦茶だろうが。
「だ、誰なん!?」
一度だけならば気のせいとすることもできたが、流石に二度目ともなれば無視できない。
刹那は『大和』を構え直し、周囲を警戒する。
しかし、相変わらず周りには誰もいない。
この異常事態に刹那は混乱する。
(だ、誰もおらへんのに声がするって……ひょ、ひょっとしてオバケ!?)
繰り返すが、この時の刹那は九歳である。
オバケや幽霊が苦手な年頃だった。
——声が、届いている? そんなことがあるはずが……おい小娘!
「ひゃ、ひゃい!?」
声が裏返りながらも、なんとか返事をする。
それを聞いた声の主が動揺する気配が伝わってきた。
——どういうことだ……いや待て。かなり細いが、小娘との間に糸(パス)が繋がっている。一体いつの間に……
謎の声の主は何かを考え込んでいるようだが、刹那としては気が気でない。
この前木乃香と一緒にホラー映画を見てから、そういったオカルト的な存在が非常に苦手になったのだ。
布団を被って泣き叫ぶ刹那とは対照に、木乃香は平然と笑っていたが。
(で、でも、たとえオバケが相手でも、このちゃんには手出しさせへん!)
刹那は恐怖を振り払い、木乃香を守る決意を新たにする。
その間も、声の主は考え事をしていた。
——まさか、この三年間に毎晩気を込められることで、擬似的な仮契約のようなものが成立したのか?
「お、お前は誰や! 正体を表せ!」
刹那は気丈にも叫ぶ。
ただし、足は震えていたが。
——ああ?
「このちゃんには指一本触れさせへん!」
——コイツ何言って……ああ成程。そういうことか。
そう言って、声の主は呆れたようにため息を吐く。
(一体何処にいるんや……まったくわからへん)
——こっちだ。お前の正面だよ。
心の中の声に返事され、刹那は戸惑う。
しかも、正面に目を凝らしても滝以外は存在しない。
——こっちだっての。お前がしっかり握り締めているだろうが。
「へ?」
刹那は自分の両手をみる。
その手はしっかりと、詠春から託された刀、『大和』を握り締めていた。
「……」
——やっと気づいたか。まったく、相変わらず鈍いヤツだな。
刹那の思考が停止する。
そして頭に過ぎるのは、かつて一本の刀により神鳴流が滅ぼされかけたことがあった、ということ。
この刀は、それと同じ——
「よ……」
——ん?
「妖刀やああああああああああああああ!!!」
——え? お、おい! お前何言って、
「いやああああああああああ!! 乗っ取られるううううううううう!!!」
——ちょ、ま
謎の声の静止を無視し、刹那は泣きながら思いっきり刀をぶん投げる。
刀は綺麗な放物線を描き、長い長い滞空時間を経て、滝壺に着水した。
——この滝に沈むのは二回目か……結構ここって浅いんだよな……
謎の声の主——大和は、沈みゆく中で、現実逃避気味にそんなことを考えていた。