「くそッ、何がどうなってやがる!」
「何なんだよ、あの化け物は!」
「いいから散らばらんか! 一箇所にいれば終わりじゃぞ!」
現在、刹那達を襲おうとしていた鬼達は森の中を逃げ惑っていた。
その姿はまさに恐慌状態といった様相で、三メートル級の身長と相まって非常に滑稽だった。
「ハッ、ハァッ、ちくしょう! あんな化け物がいるだなんて聞いとらへんぞ!」
彼らはそこらの術者が操る式神とは一線を画した存在であり、それぞれが書物に名を残すほどの力を持っている。
現在近衛家を襲撃している鬼と比べれば、一体で十数体に匹敵するほどだ。
それほどの力を持った鬼が多数集結したことで、確かに油断もあっただろう。
相手が子供だということも、それに拍車をかけたのかもしれない。
だがそれでも、自分たちがここまで追い詰められるとは、彼らは夢にも思わなかった。
森の中を走る鬼は、先程起こった悪夢を思い出す。
大和達を取り囲んでいる鬼達の心は一つだった。
先程のような巨大な殺気を放つ相手に、まともに戦って勝てるわけがない。
自分達の有利な点と言えば、目の前の少年には守らねばならない存在がいること。
そして、自分達はこの少年を完全に包囲しているということである。
——つまり少年が動くと同時に、反対側の鬼が二人の少女を人質にとる。
少年に狙われなければ倒れている刹那達に向かい、狙われた鬼は運が無かったと諦める。
作戦とも呼べない代物だったが、これが生き残る可能性が一番高いことも事実。
鬼達はアイコンタクトだけでこの作戦を理解した。
「夕闇に誘え——弥勒丸」
少年が解号を唱えると同時、小さな旋風が『大和』を覆う。
風が晴れた時にはその姿を大きく変え、先端に刃の付いた錫杖が現れた。
五木家の代名詞ともいえる斬魄刀が登場したことにより、鬼達の緊張感が一気に増す。
(直接攻撃系か? いや、外見だけでは判断できへん。何かしらの能力を持っとる可能性もある)
鬼達はいつでも飛び出せるように身構える。
仲間の内、誰かが犠牲になるのは確定だが、これほどの殺気を放つ相手に一体の犠牲で済めば御の字だ。
慚愧がいれば許さないであろう行為だが、鬼達もなりふり構っていられない状況だった。
しかし、その企みは一瞬で破壊される。
少年が錫杖を構えた次の瞬間、三人を中心とした巨大な竜巻が放出された。
「な、なんやと!?」
「ちょ、これは流石にデタラメすぎるっちゅうに!!」
これが少年の持つ斬魂刀——弥勒丸の特性。
その錫杖は風を自由自在に操り、全てを呑み込む暴風を発生させる。
弥勒丸の生み出した竜巻は全ての鬼を巻き込み、上空へと舞いあげた。
「ぬおおッ! こ、これは予想外じゃ!」
「あ、アカン、木がこっちに飛んでき……ぐあああああ!」
鬼達は竜巻に翻弄され、共に舞いあげられた樹木や岩などに潰される者もいる。
が、それでも過半数の鬼達は、自分達に向かって飛んできた物体を破壊して、なんとかやり過ごしていた。
——少年が自ら、嵐の中に追いかけてくるまでの話だったが。
「……はい?」
間抜けな声を出した鬼は弥勒丸によって胴を両断され、淡い光を放ちながら還っていった。
だが、そこで殺戮は終わらない。
鬼達を叩き潰している樹木や岩を、むしろ足場として用いて、少年は三次元的な動きを見せる。
全てを吹き飛ばす嵐の中、少年にだけ風の精霊が味方についたかのような幻想的な光景だった。
錫杖の刃によって首を刎ねられ、柄によって頭を潰され、石突きによって心臓を貫かれる。
そこに一切の慈悲はない。
少年に狙われた者は例外なく還されていった。
鬼達は必死に抵抗を試みるが、少年の動きを目で捉えることすらかなわない。
彼らの目には微かな黒い残像が映るのみ。
刃で体を斬られた瞬間に捨て身で少年を捕まえようとした鬼もいたが、その者の腕は食材のようにみじん切りにされた。
(こんなん相手にしとったら、命がいくつあっても足りへんぞ!)
生き残っていた鬼達は、即座に撤退を決意する。
空中の足場を使って、死にもの狂いで竜巻の外へと飛び出した。
これまでの攻防で、竜巻の外へ脱出できた鬼は六体。
——完敗だった。
少年の虐殺から逃げ延びた六体の内、一体が木にもたれかかって休んでいた。
「こ、ここまで来れば、流石に追いつけんやろ……」
そう呟いた瞬間、『あれ、これってフラグってやつやったっけ?』と自分で思ったが、少年の気はあの場所から動いておらず、既に数キロの距離が開いていた。
少なくとも瞬時に移動できる長さではない。
ひとまず助かった安堵から、大きく息を吐く。
(一時撤退するっつーことで契約を誤魔化したけど、後でまたあの場所に行かなあかんしな……正直割に合わんで)
鬼という存在は、基本的に契約を破ることはできない。
この鬼が命じられたのは、慙愧を倒した者の抹殺と近衛木乃香の拉致。
今は『命令達成が困難なので、とりあえず一時撤退している』という名目で少年から逃げているのだが、いつまでもこうしていることはできない。
(他の逃げたヤツらと合流するか……大して変わらんやろうけど、何かエエ作戦が思い浮かぶかもしれんし)
そう考え、鬼はもたれていた木から体を起こそうとする。
——だが、完全に起き上がる前に背中の木ごと、体を刀に貫かれた。
「がッ、はあッ……!?」
何が起きたのか、鬼はすぐに理解することができなかった。
あの少年の気は、相変わらずさっきの場所から動いていない。
だというのになぜ、自分の心臓は刀に貫かれているのだろうか?
(一体、何が……っ!?)
振り向いた鬼は目を見開く。
彼の視界に映ったもの、それは異常な長さを持つ刀の姿。
その刀は数キロの距離を一瞬でゼロにし、隠れていた樹木ごと鬼を貫いたのだ。
(まさか、刀で射殺(いころ)されるとは思わんかった……)
鬼から刀がゆっくりと引き抜かれていく。
そう、それはまさしく『狙撃』だった。
霊核である心臓を完全に破壊され、鬼は地面に崩れ落ちる。
(狩谷はん……こいつは、アンタの手に負える相手とちゃいまっせ……)
「馬鹿な……私の式神達が、消えていく……!?」
深い森の中、強硬派のトップである狩谷総一郎は驚愕に目を見開いていた。
普段から冷静な彼をここまで動揺させている事柄、それは近衛木乃香に差し向けた式神達のことごとくが撃破されていることである。
狩谷は術者としては超一流と言っても過言ではなく、それに比例して操る式神達の力量もまた高い。
彼が最も信頼の置いている式神である慙愧が還された時も驚いたが、それは情報にあった桜咲とかいう護衛が相打ちにでも持ち込んだのだろうと考えた。
少なくとも慙愧と戦って無事でいるはずがないし、保険として用意していた鬼達を向かわせればいい。
どちらにせよ、大勢には影響はないと判断。
彼の計画は、問題なく進んでいると思われた。
——だというのに、彼の放った式神達は消えていく。
(五木葉一がしくじった? いや、確かに葛葉刀子が転移されるのを確認している……となると、他にも護衛がつけられていたのか?)
狩谷は状況を整理しながら、撤退の準備を始めていた。
仮に葛葉刀子とは別に護衛がつけられていた場合、こちらに向かって来る可能性がある。
屈辱はあるが、今はそれよりもこの場を逃れ、機を改めるのが優先だ。
幸い、まだ鬼は数体残っている。
その全てに足止めを命じれば、自分が逃げる時間ぐらいは稼げるだろう。
鬼を招喚する際に使った触媒を手早く回収すると、狩谷は下山するべく走り出した。
縛道の六十六——六杖光牢
「なっ……!?」
だが、数歩も進まぬ内に、六つの光の帯が狩谷の胴を拘束する。
(もう追いつかれたのか!? いくらなんでも早すぎる……っ!)
あまりに早いタイミングでの奇襲に、狩谷はパニックに陥りかけた。
しかし、すぐに気付く。
ついさっきまで残っていた式神の反応が、今はもう一つも残っていないことに。
(おのれッ、こんなところで捕まるわけには……!)
狩谷は必死に脱出を試みる。
しかし、狩谷ほどの術者をしても、ここまで美しく構成された術式はお目にかかったことがなかった。
この一欠片の隙もない術式を崩すのは不可能と判断する。
そして、狩谷の取った行動は——
「破道の三十三——赤火砲!」
完全な力技。
自らを縛る六杖光牢に、思い切り赤火砲を叩き込む。
「ぬ、ぐッ……!」
無論、それだけの至近距離で赤火砲を放てば自分もただでは済まない。
狩谷の体は爆風により傷ついていく。
だが、狩谷の捨て身の覚悟は確かに実を結び、その身を縛る鬼道は砕かれた。
自由の身となった狩谷は、潜んでいる襲撃者を見つけるために周囲の警戒をする。
そして、森の奥から声が響いてきた。
——どうして、そこまでする?
「どうして、だと?」
狩谷は声の出処を探るが、どうやら鬼道で声が散らされているらしく、場所はわからなかった。
舌打ちしそうな内心を抑えて、この状況を打開する策を考えるために会話で時間稼ぎをする。
「どうせ、貴様らは我々のことをただの危険分子としか見ていないのだろうな。我々の思想こそが、関西の生き残る唯一の道だというのに」
——長の娘を拉致するというのも、その第一歩か?
「ああ。木乃香嬢を使って長を脅し、関西の新しい方針を表明させるつもりだった。それが貴様のせいで、全て水の泡になりそうだがな」
狩谷の腕からは血がとめどなく流れだし、赤い水溜まりを作っていた。
出血のせいで意識が朦朧とし、打開策が思いつかない。
だが、狩谷の口は止まらなかった。
「関西の勢力は、関東に比べれば非常に小さな組織なのだ。長年日本のトップでいたせいで野心は薄れているし、魔法世界に後ろ盾があるわけでもない。これほどの力の差があってなお、健全な関係を結べると思うか?」
否、と狩谷は断言する。
「かつて関西が不当に攻め込まれたにも関わらず、ろくな謝罪もよこさなかったのがいい証拠だ! 我々は舐められているんだよ! どうせその気になればいつでも滅ぼせるのだから、今はどうでもいい、とな!」
狩谷の言葉に熱が篭る。
時間稼ぎのための会話は、いつの間にか本来の目的を外れていた。
「穏健派などと謳っているが、その実態は関東に媚を売っているだけに過ぎん! 戦うのが嫌だという理由だけで、武力を持たないという危険性が理解できていないのだ! このままだと関西は自然消滅するぞ!」
(……正論だ)
大和は森の中に身を潜めながら、狩谷の言葉を聞いていた。
既に頭も冷え、狩谷の言葉を分析できるぐらいの余裕は回復している。
つまり狩谷の言いたいことは、関西には力が必要だということ。
別に戦争したいがために力をつけるというわけではない。
対等でない者達が、対等な関係を結ぼうとしても、必ずどこかで綻びが生まれるのだ。
そしてその綻びこそが、二十年前の総本山襲撃事件である。
大和が襲撃者を葬ったことで難を逃れたが、その大和も事件の後に関西を抜け、関東に対抗できる術を失った。
(責任の一端は俺にもあるってことか……クソッタレめ)
思わず拳を強く握りしめる。
大和が狩谷と戦っている理由は、刹那が傷つけられたからだ。
関西の将来などを考えて戦っていたわけではない。
しかし、こうして狩谷の目的を知った以上、彼の思想に少なからず賛同してしまう自分がいた。
(詠春さんとは、後で話し合う必要があるな……)
大和はそう決意すると、鞘から刀を抜き放つ。
確かに狩谷の言いたいこともわかるが、木乃香を拉致し、刹那を傷つける方法まで認めることはできない。
故に、大和は狩谷を無力化する道を選ぶ。
鳴け——清虫(すずむし)。
解号と唱えると同時に大和の刀が変化、鍔に小さなリングが現る。
そのリングを中心として、指向性を持った超音波が狩谷に放たれた。
「つッ……!」
三半規管を直接揺さぶられ、狩谷の体が傾いでいく。
大量に出血したことに加えて、体のバランスを司る器官を攻撃されればひとたまりもない。
狩谷は執念だけで踏ん張り、倒れる寸前にこう言った。
「貴様ら穏健派のせいで、大和さんが犠牲になったのだ……!」
薄れゆく意識の中、狩谷は昔の記憶を思い起こす。
まだ幼い頃、鬼道の才能が無いことに悩み、誰も頼れなかった自分に話しかけてくれた人のことを。
——鬼道にはコツがあってね、まず黒い穴がぽっかりと空いているのを想像するんだ。そして、その穴の中に飛び込むイメージを持ってごらん。
——そうそう、そんな感じだよ。呑み込みが早いね。
——きっと君は一流の術者になれる。その力を誰かのために使ってくれたら、僕も嬉しいかな。
あの人からしたら、落ち込んでいる少年に気まぐれでアドバイスをしただけなのだろう。
きっとすぐに自分のことなど忘れてしまったに違いない。
でも、彼の言葉は全て、自分の中に残っている。
だから、彼に全てを押し付けて、のうのうと暮らしている穏健派を憎んだ。
(結局私は、あの人の仇を討ちたかっただけか……)
今の自分を、大和さんが見たら何と言うだろうなと自嘲し、狩谷の意識は闇に落ちた。
狩谷が完全に気を失っていることを確認すると、大和は自らの姿を隠す鬼道である曲光を解除した。
「あの時の、子供だったのか……?」
まだ京都にいた頃、大和が修行をしようとした時に見かけた子供。
落ち込んでいる様子だったので話しかけてみれば、鬼道の才能が無いことを苦しがっていた。
だからちょっとしたコツを教えてあげたのだが——
「そうか……もう二十年も経っているんだもんな……」
あの時の子供は大人になり、決して曲げぬ信念を宿していた。
よく見れば、確かにあの頃の面影がある。
「……鬼道、ちゃんと練習してたんだな」
狩谷に目を覚ます様子はない。
鬼を招喚するのに大量の魔力を消費していたことに加え、かなりの量の血を流していた。
少なくとも、丸一日は起きないだろう。
そして目が覚めた時には、既に捕らえられているはずだ。
「事情は話しておくよ。お前はお前なりに、関西を守ろうとしていたんだ、って」
処罰は免れないだろうが、詠春の性格からいって極刑もないはずだ。
それと、と続ける。
「——ごめんな。俺はお前が思っているほど強くない」
自分はあの時、色々なものから背を向けた
詠春や鶴子、素子達から。
夢や理想、そして何より、守ると誓った少女からさえも。
その裏切りは大和の胸にトゲとして突き刺さり、今だに消えない——
大和は自分の右手を見る。
手の輪郭は薄れており、その奥の地面が透けて見えた。
木乃香から魔力供給を受けて実体化したといっても、所詮は仮初の肉体。
大和が死人だという事実は変わらない。
タイムリミットが近づいていた。
「……こんな俺でも、あの小娘一人救えたのなら上出来か」
大和は索敵範囲を広げ、刹那と木乃香の場所を探る。
二人の位置は変わっておらず、穏やかな気の様子から無事でいることが窺えた。
そして、その二人に凄まじい速度で迫る気の反応が一つ。
「っ、まだ残党がいたのか!?」
大和はあの二人から迂闊に離れたことを後悔した。
この移動速度から推測するに、相手はかなりの実力者。
急いで刹那達の下へ走り出すが、消えかけたこの体で自分に何ができるだろう。
「くそッ!!」
走る、走る。
消えかけた足で、大和は必死に走り続けた。
(頼む、間に合ってくれっ……!)
早めに気づけたのが幸運だったのだろう。
大和は気の持ち主よりも先に、あの思い出の修行場所までやってくることができた。
しかし、相手もすぐにここまでやってくるだろう。
(左腕が消えた。右足もほとんど消えてる……守りきれるか……!?)
刀を右手に握り締め、相手を待ち構える。
正直、達人を相手に戦える状態ではない。
それでも、せめて相打ちには持ち込む覚悟だった。
そして、川の向こう側に現れた人物を見て、大和は目を見開く。
「え……?」
その声は、どちらのものだったか。
相手もまた、信じられないといった表情でこちらを見ていた。
「刀、子……」
「大和……君……?」
——そこにいたのは、かつてこの場所で自分が守ると誓い、そして裏切ってしまった少女だった。