狩谷というカリスマを失った強硬派が瓦解するのに、それほど時間はかからなかった。
元々強硬派は少数だったことに加え、そのほとんどが狩谷のかき集めた私兵だ。
リーダーの策が失敗したことを知ると、本山で詠春の足止めをしていた術者達も降伏した。
——ここに、狩谷総一郎の起こした謀反は終結する。
しかし、何よりも大変なのは事後処理だった。
狩谷は関西の事務処理のほぼ全てに何らかの形で関わっている。
そのような人物が起こした反乱は、関西に大きな波紋を発生させた。
後釜を決めるだけでも一苦労だ。
詠春は一週間、ほとんど徹夜で各地を駆け巡ることになる。
そして肝心の大和はというと——
『ひ、久しぶりだな……刀子』
「……そうですね」
——修羅場に突入していた。
あの事件の後、刹那達は本山まで搬送され、そこで専門の治癒術者による治療を受けた。
木乃香はまだ意識が戻ってはいないが、外傷はほとんどなく、単に精神的な疲労と診断された。
刹那は大和から応急処置を施されたこともあり、既に目が覚めている。
なので詠春達に事情を説明するべく、近衛家の屋敷の一室まで来たのだが——
『……そんな訳で、今まで刹那と共に過ごしていました』
室内には詠春と鶴子、そして刀子がいる。
刹那に持ってこられた大和は、今までのことを全て話した。
オスティアで体を失ったが、意識は残っていたこと。
刹那の気を貰うことで糸(パス)が繋がり、意思疎通ができるようになったこと。
そして、今回の戦いに参加したことなど、全て話した。
戦っている最中に大和の気を感じていたのか、詠春達は予想よりも早く、この事実を受け入れた。
「……本当に貴方なのですね、大和君」
『ええ。精神だけの話ですが、未だに生き恥を晒しております』
「そうですか……良かった、本当に……」
詠春は思わず目頭が熱くなるのを感じた。
彼からすれば、良かったなどという言葉で片付けられるものではない。
京都で起きた西洋魔法使いとの戦い。
そしてオスティアの崩落。
大切な友人に二度も重荷を背負わせてしまったことを、詠春は深く悔やんでいた。
たとえ精神だけの存在だとしても、大和が生きていてくれたことは詠春にとっての救いである。
『ひ、久しぶりだな……刀子』
「……そうですね」
『……』
「……」
会話が途切れる。
刀子は最初からずっとこの調子だった。
大和の方を見ようともせず、話しかけても生返事しかよこさない。
その様子を見かねたのか、鶴子が大和に話しかける。
「まさか妖刀になっとったとは、大和はんは相変わらずウチの予想を超える人やなぁ」
『……だからな鶴子。俺は妖刀じゃないっつの』
「やっぱり恋愛対象は刀なん? ウチが『ひな』とお見合いさせたろか?」
『無機物に惚れる性癖はねえよ!』
鶴子もまた、旧友との思わぬ再会に心躍らせていた。
魔法世界で大和に何が起きたのか、鶴子も既に詠春から説明を受けている。
もう会えないとばかり思っていたので、再会の感動も大きかった。
『まったく……お前のその性格は相変わらずだな』
「大和はんかて、口調こそ変わっとるけど中身は全然変化しておまへん。お人好しなところとか、あの頃のまんまや」
『……』
過去の話を持ち出され、大和は黙り込む。
二十年前、大和は彼らに一言の別れも告げずに逃げ出した。
その負い目は今でも消えずに残っている。
『鶴子……俺は……』
「大和はんが京都を飛び出してまうから、ウチと大和はんとの婚約も全部パーなってもうて、エラい騒ぎになったんやで?」
『え……?』
「は……?」
「……ほへ?」
大和、詠春、刹那の順番で、妙な声を上げる。
刀子はこの話を知っていたのか、俯いたまま大した反応を見せなかった。
——とは言っても、この話題が出た瞬間に肩がぴくりと震えたのだが。
「お、おい鶴子! そんな話、私は一言も聞いていないぞ!?」
いち早く正気に返った詠春が叫ぶ。
大和は驚きのあまりに声が出なかったが、完全に同意見だった。
ちなみに刹那は口を開けて放心している。
話についてこれなかったようだ。
「まあ婚約言うても口約束レベルやったし、正式なもんとちゃうかったけどな」
鶴子は何でもないように言うが、詠春と大和は呆気に取られていた。
二人にとっては寝耳に水もいいとこである。
刹那は相変わらず放心していた。
そして鶴子は再び爆弾を投下する。
「——それに、婚約の話を持ちかけてきたのは、そっちの方やで?」
『はあああああああああああッッ!!??』
「ちょ、どういうことだ大和君! 鶴子に求婚したのか!?」
『俺だって初耳ですよ、そんな話!』
大和と詠春が言い争い、刹那は放心し、鶴子はその光景を見て笑う。
その場はどんどんカオスになっていった。
「鶴子、からかうのもその辺にしておきなさい。青山家と五木家との間に、そういう話が持ち上がっただけでしょう」
そんな状況を収めたのは刀子だった。
不機嫌を隠そうともしない声音と共に鶴子を睨む。
「家同士の……話?」
「ええ。青山家と五木家の当主達が『お互いの子供を結婚させよう』などと酒の席で言っただけです。この話に大和……さんは一切関与していません」
刀子は大和達に簡潔に説明する。
確かに二人の間に婚約話が持ち上がったことはあったが、酒の勢いに任せた戯言であり、正式なものではない、と。
『酔っぱらい達の戯言かよ……驚かせやがって』
「まったくだ……」
大和達は事情を聞いて、一気に脱力する。
ここから先は鶴子も知らないことだが、実のところ、当主達はこの婚約にかなり乗り気だった。
五木家当主の元蔵からすれば、この話は権力を得るのに最適であったし、青山からしても実力、人間性、家柄の三拍子が揃った大和はかなりの好物件だったのだ。
さらに言えば、大和と鶴子は共に修行していた仲。
顔も知らない相手と結婚させるよりかは……という親心もあった。
大和が脱走さえしていなければ、間違いなく後戻りできないところまで話が進められていただろう。
そんなことは露知らず、大和は安堵の息を吐く。
「この話を聞かせた時の刀子の反応が、これまた傑作やったんよ。『たとえ鶴子ちゃんが相手でも、大和君は譲らな……』」
「な、何を言い出すのですか、鶴子!?」
ニヤニヤと話す鶴子を、顔を真っ赤にして羽交い締めにする刀子。
この部屋の人間は、完全に鶴子のペースに巻き込まれていた。
「あ、言っとくけど、今のウチは旦那一筋やで?」
『……お前に言いたいことは色々あるが、とりあえず疲れたよ……』
「同感だ……」
大和と詠春は大きくため息をつく。
そんな二人を見て、鶴子は小さい声でこう言った。
「——だって、こんな話題でもせんと、ウチらはギクシャクしっぱなしやんか」
ポツリと呟かれたその言葉に、三人の動きが止まる。
「今ここに素子はおらんけど、それでも二十年振りに大和はんと会えたんや。さっきみたいな妙な遠慮は抜きで、またあの頃みたいに笑いあいたいんよ」
『……』
大和は皆で修行していた時代を思い出す。
真面目だった他の四人と比べて、鶴子はよく悪戯などを企んでいた。
でもそれは自分のためではなく、他の四人を笑わせようとするためのこと。
——青山鶴子という人間は、誰よりも他の人間の笑顔を大切にしていた。
『本当に、お前は変わらないな……』
「昔よりも美人になった自信はあるで?」
『はは……確かに』
晴れやかに笑う鶴子に対し、大和と詠春は苦笑するしかなかった。
(またあの頃みたいに、か……)
思えば、あの修行場所では五人の間に壁など存在しなかった。
身分も年齢も忘れて、ただ一人の人間として接することができた。
だというのに、大和は誰にも相談せずにその場所を去り、結果として全員が疎遠となってしまった。
その咎は間違いなく、大和にある。
(責任なんて取れるはずもない……でもせめて、けじめだけは……)
大和は決意すると、黙り込んでいる刀子に話しかける。
『なあ、刀子』
「……なんですか」
刀子は大和から視線を外しながら返事をする。
その反応が大和の心を僅かに抉った。
だが、大和はその痛みを噛み締める。
自分の犯した過ちから、目を背けないために。
『お前と、腹を割って話したい』
その言葉を出した瞬間、刀子が弾かれたように顔を上げた。
「今更……今更、貴方がそれを言うのですかっ! 二十年前、私達に何も言わずに去ったくせに! 今更腹を割って話したいなどと!」
『……そうだ』
大和の冷静な声に、刀子の我慢が限界を迎えた。
二十年の間、ずっと大和に言いたかったことが口からあふれ出す。
「ふざけないでください! 大和さんに置いていかれた私達の……私の気持ちが、分かるものか!」
刀子は叫ぶ。
感情の赴くままに。
「あの頃の私はずっと不安だった! 大和さんがいつか、弱い私を置いていくんじゃないかって! どうせそのことにも気づいていなかったのでしょう!?」
最早、刀子自身も自分が何を言っているのか理解していない。
「大和さんに置いていかれたくない一心で、私はそれまで修行をしていたというのに!」
それでも、言葉だけは流れ出る。
「なのに、貴方はあっさりと消えてしまった! 何の未練もないとでもいうように!」
今まで自分すら理解していなかった思いまで、大和に叩きつけてゆく。
「ついこの間、桜咲が修行を依頼しに来た時だってそうだ! 大和さんは私に気づいていながら、何の反応も見せなかった! やはり私のことなんてどうでもいいと……!」
『違う!!』
大和が初めて言葉を挟んだ。
「じゃあ、どうして私に語りかけてくれなかったのですか!」
『お前が、俺のことを忘れたがっていると思ったんだ』
あの時、刀子は大和のことを『知らない』と言った。
だからこそ大和は何も言わなかった。
刹那にも、何も語らせなかった。
自分が消えたことを忘れてくれるならば、それもいいと思ったが故に。
——忘れでもしなければ耐えられなかった、刀子の思いに気づくことなく。
『……すまなかった。いくら謝っても、許してもらえるとは思っていない』
ただ、と続ける。
『お前の存在が、俺の中ではどうでもいいということ。これだけは否定させてくれ』
刀子がハッと顔を上げる。
黒い瞳に微かに浮かぶ涙。
大和は成長した幼馴染の顔を見て、本当に美人になったな、と思った。
『俺はオスティアで犠牲鬼道を使い、この体になった』
大和はその時のことを思い出す。
アリカの苦悩。
『紅き翼』達の怒り。
体が消えていく恐怖。
そして——
『体が消えていく中、俺が最後に考えたのはお前のことだよ——刀子』
——約束を守ることができた、喜び。
『俺は、お前のことを軽んじたことは一度もない。……頼む、信じてくれ』
「……」
刀子が黙り込む。
大和は自分の思いを全て語りきった。
これ以上言うべき言葉は無い。
そしてしばしの沈黙を挟み、刀子が口を開く。
「……わかりました。貴方の言葉を信じます」
『そうか……』
心から安堵する。
大きな肩の荷が下りた気分だった。
二十年の間、ずっと大和を苦しめていた罪悪感。
それが、ようやく消えたのだ。
「ただし、許すのはこの前、私に語りかけなかったことだけですが」
『ありが……ん?』
『えっと……刀子さん?』
「大和『君』にも事情があったことは理解しました。しかし、二十年前に頼られなかったこととは別問題です』
刀子は立ち上がり、ゆっくりと刀を引き抜く。
野太刀には既に刀子の気が込められ、溢れ出た分がバチバチと発電現象を起こした。
刀子は大和に向けて満面の笑みを見せる。
大和はその笑顔を見て、背筋に氷を突っ込まれたような錯覚を覚えた。
「——というわけで、これから二十年間の恨みを思う存分、晴らさせていただきます」
(……あれ、さっきまで綺麗に終わりそうだったのに、どうしてこうなった)
『もっと速く走れ、小娘! 追いつかれるぞ!』
「そ、そんなん言うても、ウチ関係無いやないですかああああああ!」
「待ちなさい! 今すぐその刀身を叩き折ってあげますから!」
『ヤバい、刀子の奴、完全に目がマジだ!?』
(そ、そうや! 狙われてるのは大和さんだけやから、大和さんを捨てていけばウチは助かる!)
『言っておくが、俺を捨てたらぶっ飛ばすぞ!』
「あんまりやああああああああああ!!」
「神鳴流奥義! 雷光剣!」
「『うわあああああああああああああ!?』」
三人が部屋から去り、詠春と鶴子が残される。
「なあ鶴子……あれ、放っておいていいのか?」
「いいんどす。二十年振りに会えたんやから、ちょっとくらい甘えさせればええんよ」
(あれで甘えているのか……?)
遠くから落雷のような轟音と、二人分の断末魔が響く。
とりあえず、屋敷が崩壊しない範囲で甘えて欲しいな、と思う詠春だった。
「そういえば、もう一つだけ聞いていいか?」
「なんどす?」
「鶴子はさっき『今では旦那一筋』と言っていたが……お前、ひょっとして昔は……」
「詠春はん」
鶴子は詠春の言葉を遮る。
そして、笑顔と共に言い放った。
「それ以上は、無粋やで?」
「……そうだな。悪かった」