せっちゃんへ。
せっちゃんは、京都で元気に暮らしていますか?
お父様や、大和さんとは仲良くしていますか?
もし二人に構ってもらえていないのであれば、ウチに連絡してください。
ウチから二人にビシッと言っておきます。
話は変わりますが、麻帆良での暮らしはとても楽しいです。
友達がいっぱいできました。
部活にも入りました。
お爺ちゃんも、たまにお見合いをさせようとしてくるところは嫌いですが、それ以外は優しいです。
そして思うのです。
この宝石のような日々は、せっちゃんがいれば、どれほど輝きを増すのだろうと。
せっちゃんが麻帆良に来る日を、ウチはとても楽しみに待っています。
近衛木乃香
刹那は手紙をゆっくり、丁寧に折りたたむ。
何度も読み返されているその手紙には一つの汚れもなく、とても大事に扱われていることを伺わせた。
《もうすぐ麻帆良か……木乃香が転校してから四年。中々長かったな》
《そうですか? 私には短くも感じられましたが》
大和の天艇空羅による念話に、刹那も念話で返す。
今二人がいる場所は麻帆良へと向かう電車の中。
今年で十三歳になる刹那は、麻帆良女子中学校に入学する予定だ。
目的はもちろん、木乃香の護衛。
《鶴子の修行を受けておいて、よくそんなことが言えるな。見てるだけの俺ですら引くぐらいの修行だったのに》
《う……確かにあの修行は思い出したくもありませんが……》
刹那は思わず眉をひそめる。
大和と出会った頃の面影を残すその顔立ちは、凛とした和風美人と評されるだろう。
さらに言えば、少女が女へと成長していく過程である危うげな雰囲気も漂わせている。
そんな彼女の憂鬱そうな表情は周りの乗客達の目を奪った。
《でも修業中には色んな人達に会えましたし、楽しかったのも本当ですよ? 素子さんとか浦島さんとか》
《浦島か……クソっ、素子を誑かした悪党め。ヤツの精神を乗っ取れなかったのは人生最大の失策だ》
《もう言ってることが完全に妖刀じゃないですか……》
大和の相変わらずの態度に刹那はため息をつく。
素子のことになると、大和はいつもこんな調子だった。
以前に素子の慕う浦島景太郎という人物と会った時の騒動は、今でも頭に鮮明に焼き付いている。
刹那の『大和』と素子の『ひな』。
とりあえずこの二本は絶対に出会わせてはいけないということを刹那は学んだ。
《そんな理解の無い父親のような発言を繰り返していたら、素子さんに嫌われますよ》
《ぬぐっ!?》
《大和さんは素子さんのことになると見境がないんですから》
《ぐ……確かにその通りだが、木乃香一筋のお前にだけは言われたくない》
《……》
《……》
《……この話題、やめましょう》
《……そうだな》
色々と不毛なやり取りだった。
雰囲気を変えるために、大和は大きく咳ばらいをする。
《で、お前はどうするんだ》
《何がですか?》
《翼のことだよ。木乃香に教えるのか、教えないのか》
《……》
大和の問いに、刹那は黙り込む。
——結局、刹那は木乃香に自分の出自を話さなかった。
あの総本山での事件があってから二週間後、木乃香と刀子が麻帆良へと旅立つ日のこと。
木乃香から魔力を供給され、実体化した大和達は
最寄の駅まで見送りにきた刹那達だったが、なぜか刹那は俯いており、木乃香と目を合わせようとしない。
たまに顔を上げて何かを言いかけるのだが、すぐにまた地面に目を落とす。
木乃香も刹那の様子がおかしいことに気付いているようで、先程からこちらを窺っている。
刹那の不自然な素振りから、大和には刹那の迷いが理解できた。
恐らく、自分が人間と鳥族との間に生まれた子であることを話すかどうか迷っているのだろう。
(刹那……)
勇気を出せ、なんて無責任なことは言えない。
刹那がそのことでどれだけ苦しんだのか、ずっと近くで見てきたから。
小さい頃、泣きながら羽を引き抜く姿を見てきたから。
だから大和は何も言えない。
震える足で必死に立つ刹那を見守ることしかできない。
(このちゃん……)
刹那は迷っていた。
心優しい木乃香ならば、ほぼ百パーセントの可能性で烏族である自分を受け入れてくれるだろう。
しかし万が一、億が一のことを考えてしまうと、どうしても二の足を踏んでしまうのだ。
頭の中によぎるのは、かつて烏族の里で迫害された記憶。
まるで化け物を見るかのような視線。
両親が死んでからというもの、刹那の味方など一人もいなかった。
その孤独に震える刹那の心に、初めて入り込んだのが木乃香だった。
もしも彼女に、記憶の中にある里の連中のような目で見られれば、間違いなく立ち直れなくなる。
刹那は服の裾をぎゅっと握り、俯くことしかできない。
「せっちゃん、顔を上げて」
だが、それでも木乃香は笑いかける。
「せっちゃんがウチに隠し事しとるんはわかっとる」
「あ……」
刹那の顔が一層蒼ざめる。
やはり、人の機微に聡いこの少女に隠し事をするなど不可能なのか。
たとえ翼のことは知られていなくとも、先日の戦闘から刹那がただの人間ではないことを見抜かれているかもしれない。
どうすればいいのだろう、誤魔化せばいいのだろうか。
刹那は動けない。前の見えない暗闇に取り残されたかのように。
そして、刹那の最も尊敬する彼は、先ほどから何も答えてはくれない。
刹那が困った時はいつも、仕方がないやつだ、とため息をつきながら助けてくれる彼は、まるで本当に一本の刀になってしまったみたいに語りかけることをやめていた。
——ひょっとして、五木大和という人物は自分の弱い心が作り出した妄想なのではないか。
孤独に耐えることができなくなった自分が、ありもしない声を聞かせるようになったのではないか?
そんな恐ろしい考えが頭に浮かんでくる。
一度ネガティブになれば、負の連鎖は止まらない。
助けて、誰か助けて。
このちゃん、大和さん。お願いだからウチを一人にしないで。
ウチを置いていかないで。
何処にもいかないで——
「せっちゃん、大丈夫やえ」
「え……?」
「ウチは何処にも行かへん……って、今から麻帆良に行くんやからこれはおかしいし……うん、ちょっと待ってな? 言いたいことまとめるから」
「う、うん」
刹那は反射的に頷くが、正直あんまり話を聞いていなかった。
木乃香は首を捻って『あーでもないこーでもない』と思案している。
そしてしばらくの間を置いてから、言いたいことが決まったのか、よし、と顔を上げた。
「せっちゃんはウチと仲ようしてくれたけど、本当の心の奥まではさらけ出してはくれへんかった。秘密をずっと胸に抱えたままやった」
木乃香の責めるような言葉に、刹那はびくりと肩を震わせる。
しかし厳しい言葉に反して、その口調は非常に優しいものだった。
「その秘密はきっと父様や大和さんは知ってて、ウチだけが知らへんのやと思う」
「……」
「それは……うん、やっぱり、ちょこっとだけ寂しいわ」
『ホンマにちょこっとだけやで? こんぐらい』と木乃香は指で隙間を作り、笑う。
「でもな、せっちゃんに秘密を無理やり聞き出すような真似はウチはせえへん。どうしてか、せっちゃんにはわかる?」
「……ううん」
「たとえせっちゃんの抱える秘密がどんなものでも、ウチらが一緒に過ごした三年間の方が絶対に重い。そう、信じられるから」
刹那は俯いていた顔を上げる。
自分を真っ直ぐ見つめる黒い瞳と、目を合わせた。
木乃香は言う。
たとえ自分が秘密を明かそうと明かすまいと、そんなものは関係ないと。
それよりも大切なものが、この京都にあったのだと。
「せっちゃんが秘密を打ち明けてくれるのなら、ウチは必死に耳を傾ける。困っているなら全力で助けてみせる。でも、たとえ一生言わなかったとしても、ウチはそれでもかまわへん」
木乃香はそこで言葉を切り、大きく息を吸い込む。
ここまでの言葉は全て、次の言葉を言いたいがための前座にすぎない。
今から木乃香と刹那は、麻帆良と京都という長い距離に阻まれる。
だからせめてその前に、伝えなければいけない。
この言葉を。
この気持ちを。
「これから先、何が起ころうとも——ウチらは親友やえ」
木乃香は笑う。
なぜなら、自分にはそれしかできないと知っているから。
自分のことを命がけで守ってくれた親友に対して、自分は何も報いることができないとわかっているから。
だからこそ、せめて親友の前では笑顔を絶やさずにいよう。そう決めた。
そして、ここから先のことを詳しく語る必要はないだろう、と五木大和は考えた。
二人の少女が抱き合い、涙を流し、笑いあった。
それはその場にいた人間にしか共有できない暖かい記憶。
その記憶をわざわざ掘り返す必要もないだろう。
《そろそろ麻帆良に着くぞ。降りる準備をしておけ》
《はい》
《……で、決めたのか?》
《……はい》
刹那は大和に念話を返し、薄く微笑んだ。
《この翼のことは、まだ話すつもりはありません》
《……》
《でも、それはこのちゃんのことを信じていないからじゃない。私自身が自分の翼を受け入れられていないから》
《……続けてくれ》
《私はこの翼を誇れるようになりたい。この翼はこのちゃんが危ない時に駆けつけることができる、素晴らしいものなんだということを。忌むべきものなんかじゃないんだって》
——そして、この翼を大好きになった時、このちゃんに全てを打ち明けたいと思います。
《そう、か》
大和は少しだけ感慨深い気持ちになった。
いつでも泣きべそをかいていたあのチビが、中々どうして立派になったじゃないか、と。
《……木乃香以外にも受け入れてくれるやつはいるさ。天使みたいだからな、お前の翼》
《な、え、ウチが天使みたいって、何言うんよ大和さん!?》
《いや翼だけだから。別に顔がどうとかじゃないし》
《……》
《なんだよ?》
《大和さん、とりあえず刀子さんにお仕置きしてもらいますからね》
《なぜだッ!?》
念話で言い争いながら、刹那は荷物をまとめて背負う。
脳内で騒ぐ『大和』を竹刀袋で包み、麻帆良駅のホームに降りた。
自分がこの時間帯に来ることは、既に知らせてある。
彼女の性格を鑑みるに、必ずこの場に来てくれているはずだ。
そして目に入る、改札口の横に立つ二人の人影。
一人は竹刀袋に野太刀を隠し、スーツを着込んだ妙齢の女性。
もう一人は学校の制服、おそらく今年に入学する麻帆良中等部の制服を着た、黒髪の少女。
黒髪の少女は人と待ち合わせをしているらしく、ソワソワと落ち着きなく周囲を見渡している。
スーツの女性の方はとっくにこちらの気配に気付いているようだったが、護衛の領分を越えるつもりはないらしく、素知らぬ振りをしていた。
彼女たちの顔を見た瞬間、懐かしさで泣きそうになってしまったけど、涙を必死にこらえる。
再会は笑顔で。
ずっと前から決めていたことだから。
何度か深呼吸をして、そのタイミングを見計らったように声が響く。
《行くぞ、刹那》
《……はい!》
刹那は荷物を背負い直し、自分を待ってくれている少女の下へと歩き始めた。
英雄の刀を受け継ぎし白翼の剣士は、この地で様々な出会いを果たす——
《第二章 終》